第五章 Every Single Night

第42話 Every Single Night(1)

(1) 


 ――約五年前。元帥府の小会議室にて――



 天板に精緻な細工が縁取られた長机を軍上層部の者達が囲んでいる。上座には、白地の布に有翼の緑竜が描かれたタペストリーを背にゴードンが鎮座していた。

 軍人にしては優男めいていると揶揄されたかつての面影は一切なく、一見すると皺だらけで枯れ木のように痩せ細った老人でしかない。しかしながら、目線一つで周囲がひれ伏す威圧感、頑健な老獪といった雰囲気からは、如何に彼が国の再建に苦労を重ねてきたかが見てとれる。ゴードンがただ黙って座しているだけで、この場に集う者達は畏怖の念に捉われ、緊張した面持ちを浮かべていた。

 ただし、彼らが緊張しているのは他にも理由があってのことだったが。


 つい先程、ゴードンは自身の引退と共に次期元帥の指名を宣言した。


 幼少期から軍人としての英才教育を受け、華々しい武勲を持つヨハンが指名されるものだと誰もが思っていた。当のヨハン自身もそう信じて疑っていなかった。

 弟のベルトルトは任務中の怪我が原因で若くして退役、次弟のリヒャルトに至っては異例の早さで准将に昇進したとはいえ、まだ齢三十の若さ。

 ヨハンは、この場で一番末席に座るリヒャルトを横目で盗み見る。盗み見たつもりがリヒャルトはヨハンの視線に気付き、困惑するように口許を引き攣らせた。


(ふん、軍人の端くれとは思えぬ、なよなよしい顔をしよって……。情けない!)


 兄弟の中で容姿が一番父に似ているせいもあり、軍人にしては線が細く、少々気弱な気質のリヒャルトが、ヨハンは昔から気に入らなかった。

 職務に関しては非常に有能、場合によって非情な判断を下す辺りは意外だったが、魔法使いの国家資格を取得するなど軍人にあるまじき恥ずべき行為を犯したことは非常に許し難い。もしも万が一、否、億が一でも、リヒャルトが元帥に指名されるくらいならば、他の将官が選ばれる方が余程ましである。


 ところが、ゴードンが次期元帥に指名したのは、ヨハンでも他の将官でもなく、よりによってリヒャルトであった。


 ヨハンは当然として、誰もが、指名されたリヒャルト自身ですら驚愕の余り、アイスブルーの瞳を見開いて言葉を失っている。

 小会議室の中は一気に騒然となり、中には「僭越ながら申し上げます」と、はっきり抗議してみせる者すら現れる始末。ヨハンは心中で沸々と煮えくり返る怒りを黙って堪え、ゴードンがどう答えるものかと静観を決め込むことにした。

 当のゴードンは軽く息を吐き出して整えた後、「諸君、よく聞きたまえ」と小さく、それでいてよく通る声色で全員に向かって語り掛けた。ゴードンが発したたった一言だけで、騒然としていた室内が波を打ったようにしんと静まり返る。


「リヒャルト・ギュルトナー准将は、『軍事と魔法が完全調和し、魔力を持つ者と一般国民とが真の意味で共生し合う国家への再建』という私が長年掲げ続けながらも達成には至らなかった理想を、駐屯する南部にてたった数年で見事実現させた。彼ならば私の遺志を正しく引き継ぎ、必ずやリントヴルムを更なる進歩と発展へと導いてくれるだろう。勿論、彼はまだ若く経験も浅いゆえ、皆が不安を覚えるのは致し方ない。だが私自身、彼よりも若い時分から国を背負い、ここまでやってきた。ならば年齢や経験云々は関係ないと思わないか??」

「…………」

「そういう訳だ、リヒャルト・ギュルトナー准将よ。私の命に従い、次期元帥の任に就いてくれるか??」


 ゴードンの、険しさのみを映し出す同じ色の瞳で返答を促され、不覚にもリヒャルトは言葉を詰まらせてしまった。幼少期から、自分は父だけでなく周囲からも後継者扱いされていない、代わりに自身の抱く理想を叶える為にひたすら懸命に働いてきただけのリヒャルトにとっては、不測の事態に戸惑いを隠せないでいる。そんな彼に、ゴードンやヨハンのみならず他の将官達からも厳しい視線が送られてくる。


 自然と背中だけでなく、額からも冷たい汗が薄っすらと滲み出てくる。きっと、この場にいる多くの者、特に兄のヨハンは彼が辞退することを期待しているに違いない。


 しかし、元帥に就任することは自身の理想に大きく近づくことにも繋がってくる。一切の迷いや不安を捨て去れば、後は早かった。


 こうして、リヒャルトはゴードンの命に従い、元帥の地位を引き継いだのであった。


 恐らくは辞退すると睨んでいたヨハンは、決して表には出さなかったものの、荒れ狂った海の如く激しい怒りの渦に飲み込まれていく。

 リヒャルトが指名されたことも含め、ゴードンとリヒャルトが掲げる国の方針が、彼の中でどうしても受け入れ難いせいでもある。 

 彼の場合、『軍事力を強化させ、いずれは魔力を持つ者を国防や内政に関わらせないようにする。その反発を防ぐため、魔力を持つ者達への統制を厳重化する』という、ゴードンやリヒャルトとは全く異なる考えの持ち主だったから。


 魔女や魔法使いとなる者の多くは、元を正せば所謂底辺の人間だ。

 知能や能力、性質等、人として何らかの落ち度があるから底辺にいるのだ、と気付けない愚者をヨハンは心底軽蔑している。

 そのような者が人智を越えた力を得ているというだけで、真っ当に日々を生きる一般国民と同等、否、それ以上の権利を求めるなど笑止千万。

 結局の所、ゴードンもリヒャルトも何だかんだ言いつつ、あの、顔だけは美しい奇形の忌み子アストリッドに絆され、彼女が暮らしやすいようにこの国を変えようとしているだけなのだ。そして、リヒャルトならば自分同様に彼女を重用し続けると踏んだのだろう。


(下らん!実に下らんな!!とんだ傾城に親子二代に渡って転がされるなど!!)


 だが、いくら優秀とは言え、まだ若いリヒャルトでは国を完全に統治しきるのはいずれ難しくなってくるだろうし、そうなってくれば不満分子も増えて来る。

 頃合いを見計らってそれらを利用し、奴を元帥の地位から引きずりおろす。

 場合によっては暗殺という手を使ったっていい。


 私の抱く理想の方が正しい事を、その内思い知らせてやる。

 そのためなら、他の誰を利用しても構わない。

 あぁ、そうだ。

 東の魔女ロッテを取り込んでやればいい。

 いざとなれば、全てをあの大罪人の小娘に擦り付けてやれば……。


(今に見ていろ。父上と貴様の抱く理想など甘ったるい戯言でしかないのだから)


 周囲からさりげなく寄せられる、やけに気遣わしげな視線を煩わしく思いつつ、平静を取り繕うヨハンは密かに不穏な決意を固めていた。


 後々、全て自分の身に跳ね返ってくるなどとは露とも知らずに。







(2)



 ――時は流れ、現在の元帥府にて――




「ギュルトナー少将は未だに意識を回復されてないようです」

「……そうか……」


 執務室にて、フリーデリーケからヨハンの容態を報告されたリヒャルトは整った顏に珍しく渋面を浮かべてみせる。

 

 長年兄弟間での確執を抱えているとはいえ、一応は血の繋がった実の兄を案じる気持ちも、ないと言えば嘘にはなる、

 しかしそれ以上に、ヨハンが意識を取り戻さない限り、彼に掛けられた反逆罪の嫌疑の真相や失踪したシュネーヴィトヘンの行方の手掛かりを掴むことすらままならない。

 執務机に腰掛けながら、リヒャルトは目の前に立つフリーデリーケを見上げる。


「少佐、妙だと思わないか」

「と、申しますと??」

「最初は西部、次に南部、更には北部と東部でも魔女の手による大事件が立て続けに発生している。私の暗殺未遂も含めれば中央でも。まるで仕組まれたかのようだ」

「一連の事件全て同一人物が裏で手を引いているかもしれない、ということでしょうか」

「あくまで私の勘でしかなく、確証はないがね」


 ここでリヒャルトは口を閉ざし、唐突に話を打ち切る。

 フリーデリーケは、リヒャルトの様子を気にする素振りを見せつつ、次の話を進めるべく口を開いた。


「元帥。そろそろディートリッヒ殿がこちらに到着される時間です。私は『準備』に取り掛からなければなりませんので一旦失礼致します」



 フリーデリーケが退室し一人残されたリヒャルトは、机を人差し指でコツコツ叩いてはしばらくの間逡巡した。


(……まさかと思うが、暗黒の魔法使いの仕業だろうか??)


 彼はただ己の快楽を得る為だけに人の心を弄び、最終的には奈落の底へと突き落とす。

 あくまでアストリッド伝手に聞かされた範囲の話であるが、イザークは富や名声、権力などには全く興味がないため、これまでは国家への反逆めいた行動は一切してこなかったという。

 だが、たった数十年程度しか生きられない人間ですら考えなんて常に変化していくのだから、気まぐれなイザークならもっと変化は早いだろう。


 もしも、イザークが本当に国家を転覆させ、このリントヴルムを崩壊させるつもりであるならば。


 この国を害し、リヒャルトの理想を邪魔する者は相手が誰であろうとも。


「……受けて立とうじゃないか……」


 アイスブルーの双眸が冷たく底光りし、片頬を歪めて、嗤った。


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