第三章 Red Red Red
第17話 Red Red Red(1)
(1)
その日も、リヒャルトは政務に忙殺され、自室のベッドに入ったのは夜中の二時過ぎであった。
身体を動かす現場仕事と違い、机上で延々と書類と向き合う作業と言うのは地味に疲労が溜まっていく。同じ疲れるにしても、かつてのように現場の前線に立ち、肉体的な疲労を感じる方が余程マシだ、と思う事もしばしば。
己の肩書上、おいそれと簡単に現場に出向く訳にもいかない(出たいと思ったところで、副官のポテンテ少佐に制止された上で説教されるのは火を見るよりも明らか)ので仕方ないけれど、などと考えながら、浅い眠りにつきかけていた――、が。
ふと、室内で、しかもベッドから近い位置で人の気配を察知した。リヒャルトの睡魔は消え去っていく。
下手に動くことで敵を刺激しないよう、眠った振りを装いながら気配の元を、急速に緊張感が高まっていく空気を耳で、皮膚で、探る。
リヒャルトの邸宅には厳重に厳重を重ねた警備の他、魔法の使い手から身を守るべく邸宅の周囲、及び、内部にはアストリッドの防御結界が張り巡らされている。侵入するのは相当に至難の業だ。
(……しかし、現に結界は破られてしまった、か。気配から察するに、並の人間ではなく、魔性の力を持つ……)
ここでリヒャルトは思考を一旦中断させ、掛布を跳ね飛ばして起き上がる。
半瞬遅く、リヒャルトの頭上から、天井に潜んでいた刺客が飛び降りてきた。容赦なく剣を振り下ろし、切りかかる。
朱の立襟に薄灰色の上衣。肩の星の数まで確かめる余裕はなかったが、明らかに軍部の人間。
護身用で枕元に置いているブロードソードを握る。刺客の一撃を受け止め、横へ薙ぎ払う。刀身から赤と緑の光が放射され、光の威力と剣の風圧で刺客は横の壁へと叩きつけられる。弾かれるようにベッドから飛び出し、いつでも迎撃できるように剣を構える。
「……君は、何者だね??誰の指図で私を狙っている??」
「…………」
当然のことながら刺客は質問に答えない。壁に両足をつけると、リヒャルトに飛びかかった。
眼前に迫りくる凶刃を、刺客の身体ごと刀身でしっかりと受け止める。レイピアであれば叩き折ってやったのに、刺客の剣もリヒャルトと同じくブロードソード。ギチギチと硬質な金属同士がぶつかり合う音が暗闇の中、響く。剣と剣で押し合い、僅かでも力を抜けば最後、たちまち凶刃に見舞われてしまうだろう。
「?!」
刀身にかかる重圧がなくなり、今の今まで刃を向けていた刺客の姿がふっと消える。
(どこに消えた?!)
焦りと共に、背後から刺すような殺意を痛い程に感じた。
身体をくるりと素早く半回転させ、首に狙いを定めていただろう刃を振り払う。
苦々しく、顔中の筋肉を歪める刺客。一瞬だけとはいえ姿を消せるということは、誰かが――、魔法を使える者によって操作されている可能性が。
再びリヒャルトの剣が赤と緑に光り始める。刺客がわずかに躊躇した隙に剣を大きく縦に振るう。二色の光と先程よりも勢いを増した風――、小さな嵐が刺客の身に襲い掛かる。
風圧の余波で、ベッドの寝具や窓のカーテンは派手に捲れ上がる。書斎机の書類の山が宙に舞い上がり、床一面足の踏み場がなくなる程に散乱した。
刺客は入り口の扉まで一気に吹き飛ばされ、ドン!と、鈍く、大きな音を立てて全身を壁に強打させた。うぅ、と小さく呻きながら刺客は、迎撃態勢を崩さないリヒャルトに毒々しいまでの殺意を込めた視線を送りつける。
その視線に臆することなく、リヒャルトはアイスブルーの瞳で真っ直ぐ見下ろした。刃先が掠ったのか、剣を持つリヒャルトの右手首からダラダラと血が流れだしていた。
「……どうやら、噂は、本当だった、ようだな……」
「……噂??」
「……リヒャルト・ギュルトナーは、軍人の身で……、それも、国の最高責任者でありながら……、魔性に落ちた、卑しき者だとな!」
「…………」
リヒャルトの右手首――、血で赤く染まった袖の隙間から、リンデの大木に巻きつく、羽の生えた
「魔法を発動した際に緑竜が光るのは、『印』が本物の証拠じゃないか……!」
叫んだ直後、刺客は胸元から魔法銃を取り出し、リヒャルトへ光弾を発砲。
しかし、リヒャルトが剣を一閃すると、たちまち淡い緑の光と共に防御壁が築かれる。光弾は防御壁によって跳弾し、刺客の頬を掠めて後ろの壁にぶち当たった。
「あえて公表していないだけで、別に隠している訳ではないのだがね。それにしても、まだ君のように魔法を使う者を蔑む輩がいるとはね……、軍人教育の見直しも図らねばばならないな」
「……この、軍人の恥晒しがっ!!」
「そうは言っても、君もこの部屋に侵入する際、魔女か魔法使いの手を借りたのだろう??」
「うるさいっ、黙れ!!」
「やれやれ、図星か……。私の暗殺を企て実行したことは元より、口の利き方がまるでなっていない。反逆罪及び不敬罪、軍規違反の数々……、残念ながら、情状酌量の余地はないと思いたまえ……、おっと、逃がすものか」
刺客の全身が虹色の光を帯び始めたのに気づき、間髪入れずにブロードソード、否、ブロードソード型の魔法剣を刺客目掛けて投げ放つ。
魔法剣は刺客の左肩に突き刺さり、バリバリという音と、赤と緑の光と共に、電流が全身に流れ、堪らず獣の咆哮を思わせる悲鳴を上げる。
「急所は外してあるし、死なない程度には手加減したよ。失血死する前には止血をしてあげるつもりだから安心しなさい」
寝間着の裾を破き、自らの右腕の止血を行うリヒャルトの口調と表情はどこまでも穏やかであったが、それは却って、彼の冷酷さを如実に表していた。
ところが、刺客は自らの傷の痛みもリヒャルトもどうでも良い、と言いたげに、床に血混じりの唾を吐き捨てた。同時に、リヒャルトの視界が阻まれる程に強い虹色の光に包まれながら、刺客は一瞬にして姿を消してしまった。
べったりと血痕が残された壁に、魔法剣が突き刺さったままで。
(2)
――翌早朝――
事件現場の検証を行うため、大勢の軍人が集まったリヒャルトの邸宅。
すれ違う者達が一斉に敬礼を送る中、フリーデリーケは階段を上がり、二階に位置するリヒャルトの自室、今回の事件現場に足早に向かっていた。扉の前の警護の者からも敬礼を受け、扉を押し開く。
荒れた室内には、検証を行う者の他、事情聴取を取る者、そして、事情聴取を受けている邸宅の主、リヒャルトの姿。
すでに普段通りの開襟の軍服に身を包んだリヒャルトは、フリーデリーケの姿を目に留めるなり、「やぁ、おはよう、少佐。朝早くから申し訳ないね」と、腹が立つ程爽やかに微笑みかけてきた。
「お早うございます。全くもってその通りです。お蔭で、本日の予定に全て狂いが生じてしまいました」
フリーデリーケはリヒャルトの傍まで歩み寄ると、開口一番、嘆息混じりに切り返した。リヒャルトは特に気を悪くすることもなく、無言で苦笑を漏らすのみ。
不敬罪に当たるか当たらないかのギリギリの線をつき、彼女が彼に冷たく当たるのは日常茶飯事なのだ。
「僭越ながら、元帥はもう少しご自身の立場を弁えるべきだと思います。大方、久方振りに剣を振るわれたのが楽しかったのでしょうが。軽症で済んだとはいえ、お怪我をなされるとは由々しき事態です。どうして程々のところで切り上げ、お逃げにならなかったのですか」
右手首の包帯にちらりと視線を落とし、切れ上がった群青の瞳でリヒャルトを睨み上げる。硬質な雰囲気の冷たい顔立ち、猛禽類に似たきつい目付きは中々の迫力であり、一部の下士官達には『ポテンテ少佐の、あの目に蔑まれながら足蹴にされたい』などと危ない願望を密かに抱く者も続出している程。
「いやぁ、本当に申し訳ない。以後は気をつけるよ」
「当然です」
ぶっきらぼうにも程があるが、これが彼女なりの自分への気遣いだと承知しているので、リヒャルトは周りに気付かれない程度に肩を竦めてみせる。
「ところで話は変わりますが……、元帥。刺客はリントヴルム国軍の隊服姿だったそうですが。軍事と魔法の調和政策に反発し、他国に寝返った者という可能性は……??もしくは他国の者が我が国の者に扮し、あわよくば内乱を誘発させようと目論んでいるとも……」
「後者の可能性は極めて薄いだろう。刺客の言葉の訛りから、あれは恐らく北部地方出身者だ」
「……では、」
言いかけて、フリーデリーケは周囲を憚って口を噤んだが、リヒャルトは彼女が言わんとした言葉の続きを察し、黙って首肯する。
北部はアイス・ヘクセと呼ばれる魔女が国境を守る地だが、昔から北の魔女は要注意人物と警戒されてもいる。西のナスターシャや南のハイリガーと違い、アイス・ヘクセは元々罪人で、死刑の免罪と引き換えに国境を守る任に就いた魔女だから。これは、母殺しの大罪を犯しながら贖罪の為に国に尽くす半陰陽の魔女の例もあり、強大な魔力を持つ魔女や魔法使いをみすみす失いたくない、という、前元帥ゴードンの考えに基づいたもの。
ちなみに、東の国境を守るシュネーヴィトヘンも罪を犯した魔女であり、アイス・ヘクセと同様、危険視されていた。ゆえに、彼女達は軍からの厳しい監視下の元、危険な区域での国境防衛を任されている。
「だからと言って、
「もしかしたら、エヴァ殿に嫌疑が掛かるように誰かが仕向けたかもしれませんね。例えば、
「うむ……」
件の魔女二人を通称ではなく本来の名で呼びながら、幼き日、視界に焼き付いた凄惨な光景がリヒャルトの脳裏に蘇る
周囲の建物という建物全てが破壊され、跡形もなく焼き尽くされた廃墟の街。
血と、焼け爛れた死体から漂う腐臭。
全身に返り血を浴び、白い肌に付着した血糊を拭いもせず、立ち尽くす一人の若い女。
狂気の沙汰と言える所業を犯しながら、この世の者とは思えぬ美貌を誇り、妖しく微笑む女は、さながら悪魔の化身のようだった。
「……ブルーティヒ・シュネーヴィトヘン……」
「何か仰いましたか??」
「いや、何でもない。只の独り言だよ」
「…………」
「少佐。ゾルタールに滞在中のアストリッド様に連絡を。『至急、中央に戻られよ。貴女に頼みたいことがある』と」
なぜ??だとか、どのようなご用件で??とか、いちいち尋ねない辺り、やはり彼女はできた副官だと思う。彼が『頼みたいことがある』という曖昧な伝え方をする場合、極秘で動いて欲しい案件だからだ。
「はっ!了解!!」
敬礼し、颯爽と去っていくフリーデリーケの真っ直ぐな背中を、リヒャルトは静かに見送ったのだった。
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