第12話 Limp(3)
(1)
冷たく固い鉄筋コンクリートの広い建物内では、絶えず銃声が反響していた。
仕切り板を境に人一人分のスペースが設けられ、頭にプロテクターをつけて射撃を行うのは国軍関係者。ほとんどの者が上衣を脱いでTシャツ姿だが、灰色の下衣と黒いブーツと言う点は皆一緒だった。ただ一人を除いて。
並外れた長身、長めの白髪に眼帯というだけでも十二分に人目を引く上に、軍専用の射撃場に置いて、ガーゼ素材の白い長袖Tシャツ、細身の黒いレザーパンツという私服姿。否が応でも、周囲からの注目を浴びてしまうのは最早必然。
両隣の薄い仕切り板からはチラチラとさり気なく視線を送られる。背後を通り掛かった者などは不躾なまでにじろじろと、中には立ち止まってまでして眺めてくる者さえいた。しかし、当の本人は様々な意味を含んだ視線に動じることなく、淡々と的に引き金を引き続けている
寸分の狂いのない、真っ直ぐな弾道。
一見すると弾丸が一発も撃ち込まれていないように見える的だが、それは全ての弾が中心に当たっているからに過ぎない。
到底軍人には見えない派手な様相、隻眼というハンデを抱えているにも拘わらず熟練の腕を持つ男、ウォルフィは、この場に置いて異質な雰囲気を醸し出していた。
あの後――、南の魔女ハイリガーが用意した車で南方司令部へ訪れたウォルフィは、黒い森でペリアーノの密偵を捕縛したと司令部の者に伝えた足で、軍管轄の射撃場へと向かった。自分は万が一の事態に備え、アストリッドの護衛を務めていただけなので、後は南方軍とアストリッド達に任せておけばいいと判断したからだ。
国が認めた魔女は当然、従僕にも彼女達と同等に幾つかの特権が与えられている。軍専用の施設を使用できるのもその内の一つ。
二十六年前に『殉職』と言う形で軍籍から外されたウォルフィが、何食わぬ顔で軍の射撃場に堂々と入れるのも『魔女の従僕』の印あればこそ。
けれど、幾ら魔女の従僕として力を得たところで、銃の腕前は鍛錬を積まなければ衰えていく一方。寸暇を見つけては、ウォルフィが射撃場に足を運ぶのは常のことだった。
弾を全て撃ち切り、新たに装填する。
銃を持ち直し、的へ向き直ろうとしたウォルフィの背に、「あ、あの……」と遠慮がちな声が投げかけられる。集中を乱され、内心苛立ちながらも振り返る。
まだ士官候補生か、もしくは卒業したばかりかといった体の若者が背後に佇んでいた。
「俺に何の用だ」
片方だけとはいえ青紫の三白眼に鋭く睨まれ、ぶっきらぼうな口調で短く問われた若者は中々二の句を次げずにいる。
「特に用がないなら話しかけないでくれ」
ふい、と、若者から身体ごと視線を逸らし掛けたウォルフィに、「安全の為にプ、プロテクターをちゃんと嵌めて、射撃に臨んで下さい!ここの射撃場ではプロテクターを嵌める規則となっています……」と、やや厳しい口調で咎められてしまった。
もしかしたら、係員として働いている者だろうか。愚直なまでの実直さに、思わず苦笑を漏らしかける。
「あぁ、それは悪かったな。でも、俺にはそんなものは必要なくてね」
「規則は規則です!!」
「プロテクターの代わりにこうしていても駄目なのか」
ウォルフィは耳に掛かる髪を持ち上げてみせる。
髪に触れた際、右に二つ、左に四つ装着している、真ん中に小さく丸い紅玉を通したフープピアスが揺れる。彼の両耳の穴には、耳栓代わりに銃の弾が詰められていた。
「これなら別に問題はないだろう??音や衝撃から鼓膜が守れればいいのだから」
反論の言葉が見つからないでいる若者を尻目に、ウォルフィは射撃を再開した。
一旦傍から離れたものの、遠目から悔しそうに彼の背中を睨む若者に、「あぁ、あいつには何を言ったところで無駄だよ。何たってリントヴルム最強の魔女アストリッドの従僕。しかも、東部では有名な狙撃の名手だった少尉らしいからな」と、中年の軍人が宥めていた。
「えっ?!半陰陽の魔女の?!しかし、どうして、そのように優秀な方が、魔女の狗なんかに成り下がったのでしょう……」
「さぁ、そこまでは俺も知らないがね。魔女の従僕となれば若さを保てるし、多少なりとも魔性の力も得られる。それに……、美貌の魔女と……」
そこで男は言葉を止めたものの、やけに含みのある物言いといい、どことなく厭らしい顔付きといい、若者も何を言わんとしているのか何となく察した。
「ですが、半陰陽の魔女は……」
言い辛そうにする若者に「お前が言わんとすることは分かる。どうやってそれをするかだよなぁ」と、楽しそうに答えた。
従僕が魔女から力を得る際、一般的には性愛術を行う。
交わりではなくキスで力を得る者もいるが、それは人間ではなく猫や鴉のような獣の従僕に対してのみ行われる。
男としても女としても不完全な身体のアストリッドから、ウォルフィがどのように力を得ているのか。下衆な想像を働かせる者は少なからず存在する。言いたい者には勝手に言わせておけばいい、とは思うが、全く不快に感じないと言えば嘘になる。
一度は死んだも同然の身だった自身はともかく、アストリッドの馬鹿っぽさと無駄にお人好しな性格ではなく、彼女にはどうしようもできない身体的な部分を揶揄っているのだから尚更だ。
些細な心の揺れは形となって現れる。
一貫して中心に当たり続けていた弾が、最後の一発でほんの僅かに外れた。(とはいえ、せいぜいミリ単位であり、ほぼ真ん中ではあるが)
(……この程度で外すようでは俺もまだまだ修練が足りない。)
軽く舌打ちすると、ウォルフィはそのまま射撃場を後にしたのだった。
(2)
入り口にいた係員の敬礼を背に受け、豹柄のフロックコートを羽織りながら施設の外へ出て行く。軍用地の射撃場付近には私用車を停めておけないので、少し離れた場所――、射撃場から南へ二十分程徒歩で進むと、ゾルタール最大の繁華街へ入っていく。
夕方から真夜中に掛けては娼婦や各店の呼び込み、夜遊びに繰り出す人々でひしめく表の大通り。ようやく日が落ち始めたこの時間帯ではまだ閑散としている。ただし、後三十分と経たない内に、徐々に店が開店し始めるだろう。ひっきりなしに声を掛けられる前に、さっさとここから出て行かなければ。
繁華街の中でも、表通りと裏通りが交差する、やや鄙びた飲み屋街にひっそりと停めてあった車に乗り込み、発進させる。車内ですらも煩く感じる大きな排気音が耳障りだ、などと思いながら、繁華街を抜け、閑静な住宅地へ。
近代的な家々が向かい合い、補正された道をそう速くない速度で走らせていると、前方で真っ黒な子猫が急に飛び出してきた。急ブレーキを踏んだお蔭で轢き殺さずに済んだものの、走行を急に停めた反動で上半身が思い切りハンドルに覆い被さった。黒猫はというと、いつの間にか姿を消していた。気を取り直し、再びアクセルを踏み込んだ時だった。
突然、助手席の扉が開く音がした。
かと思うと、全身黒づくめの服装をしたブルネットの髪の女が、車内に乗り込んで来たのだ。
流石のウォルフィも唖然とし、女を凝視したまま閉口していると、女はわざとらしいくらい陽気な笑い声を混ぜながら、告げる。
「ねぇねぇ、お兄さん。今からビール飲みに行こうよ!!」
「断る」
「いいじゃん、いいじゃん!!あたし、お兄さんと仲良くしたいし!!」
「いきなり強引に車に乗り込んできた得体の知れない奴と仲良くなれる馬鹿がいるか。今すぐ降りろ」
露骨に嫌悪を露わにさせるウォルフィに、女は一向に臆する様子が微塵もない。それどころか、「ごめん、ごめーん!!」と全く悪びれずにへらへらと笑っている。
「あたしー、ゾルタールで一、二を争う美味しいビールの店知ってるの!」
「おい、人の話を聞いてるか。車から降りろと言っている」
「そのお店はね、繁華街のー」
駄目だ、話がまともに通じないので埒があかない。ひょっとしたら気狂いの類かもしれない。
更に気になることに、女からは人のものではない、魔性特有の気を感じる。
「うふふ……、あたしが目をつけた以上、絶対に逃がさないわぁ」
「?!」
女の濃灰色の瞳の奥に妖しげな光がきらりと宿ると共に、細い身体からどす黒い気が放たれる。気は何本もの黒い触手へと変化し、ウォルフィの顔や腕、上半身に素早く伸びていく。
触手に運転を阻まれながらも、ウォルフィは民家の立っていない空き地の近くまで車を走らせ、一旦道の端に停車させる。
触手は素早くウォルフィの身体に巻き付き、安全ベルトを弾き飛ばす。力づくで無理矢理彼の身体を女の方へと向き直らせる。相変わらず女はへらへらと笑いながら、ウォルフィの胸にしなだれかかろうとしてくる。
ウォルフィは、触手が絡みつく腕を必死にコートの内ポケットまで持っていくと、どうにかして魔法銃を取り出す。当然、触手は魔法銃にも手を伸ばしてくる。
触手に抗いながら、震える腕で銃口を女に――、ではなく、女の横の車の扉に向けて発砲。光弾の威力で扉は一発で粉砕され、その余波で触手は一瞬で霧散した。
思わぬ反撃に、余裕綽々だった女の表情が一変する。だが、それは驚きや怯えではなく、怒りに近しいものが滲んでいた。
「三度目の忠告だ。とっとと車から降りろ」
触手が霧散した反動で急激に全身の力が抜け、後ろへ倒れこみそうになった上半身を後ろ手で支えた。
女は、脅しと言っても過言でないウォルフィの行動にも怯まず、彼の肩を掴んで膝にのしかかろうとしてくる。
姿勢はそのままに、利き足を上げて女の腹部を蹴りつけ車外へ放り出した。
路傍に打ち捨てられた女が起き上がるよりも早く、ウォルフィは車を発進させてその場から去っていく。しかし、地に伏した女は、何故か恍惚とした顔で薄く笑っていた。
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