半陰陽の魔女

青月クロエ

プロローグ

第1話 プロローグ(1)

 銃で撃たれたピエロの赤い鼻

 硝煙と共に空に舞う


 正義なんか役に立たない

 正義なんか役に立たない


 境界線はどこまでも

 平行に続くよ



 長閑な田園地帯が延々と拡がる鄙びた集落、葦毛の馬に乗る若者、彼の馬を囲む小銃を腕に抱えた従者らしき十数名の男達が練り歩いていた。

 馬上の若者の見目や馬の毛並みの良さから、上流階級の子息が取り巻きを引き連れて狩り場に向かう――、ように見える。正確に言えば、そう見せ掛けている、といったところか。

 男達が持つ小銃の先端には銃剣装置が取り付けられている。そう、彼らは軍に所属する者達なのだ。

 彼らが通る道の両端にはオークとリンデの木が一定の間隔を空け、交互に自生している。瑞々しい青緑色の葉は日差しの照り返しを受けて光り輝き、馬に跨るゴードンは眩しさによってアイスブルーの瞳を細めた。

 昨夜未明に振った雨のせいで、そう広くない道はぬかるみ、馬の蹄から跳ね飛ばされる泥で、徒歩の男達のズボンや靴が一歩進む度に汚れていく。

 対照的に、木々の間から差し込む光がゴードンのプラチナブロンドの髪を益々持って輝かせる。だが、輝く髪の下の整った顏が見せる表情は険しさばかりが目立っていた。


 彼が渋面を浮かべている理由。

 幼い子供達の弾んだ歌声とは裏腹に、絶望の色に満ちた歌の節。


『正義』の名を掲げ行動する彼や仲間を嘲笑う、痛烈な皮肉に聞こえてしまう。

 己だけならいざ知らず、先程の歌を耳にした仲間の何人かも歌の内容を気にしているようで、「何なんだよ、あの歌は……」「幸先が悪くなるじゃないか」と、不安を口にする者も少なからずいた。


「ただの童歌わらべうただ。いちいち気にかけてはならない」


 僅かでも士気が下がっては困る、と、ゴードンは馬上から仲間達を軽く嗜めた。大半の者はバツが悪そうに口を噤んだが、二、三人程は不服そうに顔を顰める。一応彼らよりも階級が上とはいえ、まだ二十歳を少し過ぎたばかりの若さ。それに加えて、軍人らしからぬ優男風の容姿のせいで、見縊られてしまうのは仕方ないのかもしれない。

 本来ならば、兵士長のゴードンでは馬に騎乗するのはおろか、部下を持ち指揮に回ることは絶対に有り得ないし、許されない。下士官以上の者がほとんど全滅し、指揮を取れる者が他に誰もいない、という、緊急も緊急を要する最悪の非常事態に直面しているため、規律違反を承知での行動なのだ。でなければ、彼のような若造に素直に従う者など、そうそういないだろう。ゴードンは気付かない振りを決め込む。代わりに手綱を引き直し、馬の歩みを少しだけ速めることにした。


 ゴードン達が目指していた場所は、集落から少し外れたところに一軒だけぽつんと建っている古民家だった。

 近代化が進む王都や周辺の街ならいざ知らず、国の西端に位置するこの村の建物はまだ中世の名残が残っている。目的のその家も簡素な木造で、白漆喰塗りの外壁は所々にヒビが入っていたり欠けていたり。家の隣にはヤドリギの実がびっしりと成ったオークが一本立っていた。


 多産と豊穣の象徴とされるヤドリギは同時に魔女の木とされてもいる。

 けれど、とてもではないが、国を存亡の危機に陥らせた邪悪な魔女の棲家とは到底思えない――、思えないけれど、いつ彼女にこちらの動きを悟られ、死に至る呪詛を掛けられるのか定かではない恐怖の中、決死の調査で仕入れた情報が間違っているとは考えたくなどなかった。


 馬から降り、離れたところへ繋ぐとゴードンと仲間達は小銃を手に、家の周囲に繁茂する雑草や木の陰に身を潜める。


「いいか??煙突から煙が流れてくることから、あの家には今、人がいることが確認できる。日没までが勝負だ。夜の闇や月と星の光は魔力を増幅させる。夕陽が沈み始める前にマリアが出てこなければ、あの家に踏み込むぞ。もしもマリアが家から出てきたら……、一斉に銃を撃て。弾切れを起こしたらすぐに補充しろ。とにかく、あいつが魔法を使ったり、怪我や体力を回復させる隙を一切与えるな。どんなに強大な力や異常な生命力を持つ魔女でも、元が人間である以上決して不死身ではない」

 ゴードンの下した指示に、仲間達は返事をする代わりに黙って頷いてみせる。

「目標は、ゴールドブロンドの長い巻毛にヘーゼルの瞳、天使と見紛う清らかな雰囲気の美女だ」

(……何が、天使と見紛う清らかな雰囲気、だ!!)

 自分で言っておきながら、ゴードンは酷く苦々しい気持ちに駆られ、奥歯をぎしりと噛みしめる。

 ゴードン自身は、魔女マリアの姿をこの目で見たことは一度もなかったが、欣侯から得た情報や、マリアの呪いで死んだ者達が死の直前に譫言でそう繰り返していたという。それも一人や二人ではない。


 天使のような見目と聖母の名を持ちながら、かの魔女は建国以来の大罪を犯した。

 ならば、国に命を捧げた身として引導を渡すのは至極当然だ。


 木陰に身を隠しながらゴードンは今一度、小銃を抱え直した、その時――



 ぎぃぃぃ、と軋んだ音を立て、家の扉が開いた。



 ゴードン達の間に冷たい緊張が走り、全員が扉から出てきた人物を食い入るように注視する。


 灰緑色のローブを纏う人物は、ローブのフードを目深に被っているせいで顔が確認できず、これではマリアなのかどうか、判別の余地がない。確認できない以上、発砲もかなわない。


(やはり、簡単に我々に事を運ばせるつもりはないのだな……)


 こうなることは粗方想定済みではあった。

 次なる作戦に出るべく、ローブを纏う人物に気付かれないよう、ゴードンは小銃を木に立て掛け、木陰から出ていこうとする。

 不慣れな旅人を演じ、道を尋ねる振りをして傍に近づき、隙を見てフードを剥ぎ取る。

 邪悪な魔女に丸腰で近づくだけでも危険極まりないのに、フードを剥ぎ取ったと同時に即殺されるかもしれないが、このまま好機を逃す方が余程惜しいと思う。


 だが、決意を固めたゴードンの目に映ったもの――、大切そうに何かをローブの中で抱える、かの人物。

 纏っているローブの僅かな隙間から金糸のごとくきらきら輝く一筋の髪が零れ落ちたのだ。


 ゴードンはさっと足を元の位置に戻し、再び小銃を掲げる。

 もう一度だけ、扉の前に佇む人物に視線を移す。

 折良く、さらりとした風が吹き、更に長い金の髪が揺れる。


(……髪の色だけではまだ判断し兼ねる……。ここはやはり私が……、って……)


「待て!!まだ撃つな!!!!!」


 ゴードンと同じく、髪の色に目を留めたばかりに先走った何人かが、銃口をかの人物に向け、引き金に指をかけていた。制止も虚しく小銃は轟音と共に火を噴き、かの人物目掛けて数発の銃弾が撃ち込まれた――、筈だった。


 かの人物は一瞬だけ身じろぎしたものの、銃弾を躱すために逃げることも魔法を発動させることもなく、その場に静かに佇んでいた。

 このまま大人しく銃弾の雨を受けるつもりか――、と思いきや――



 ローブから薄緑色の光が発光し、弾を全て跳ね返したのだ。



 防御の力が働く特殊な素材を使っているのか、などと考えを巡らせかけていると固い壁に当たったかのように跳弾した弾が、今度はゴードン達の方へ飛んでくる。



「皆っ!この場から離れろ!……」

「ゴードン!!」


(……くっ、駄目だ!避け切れない!!)


 覚悟を決めた瞬間、ぐぉぉぉーっと獣の唸り声に似た音と共に、土煙と砂埃を巻き上げて一陣の突風がゴードン達を襲った。気を抜けば転倒してしまい兼ねない程の強風に全身を煽られ、地に足をしっかりとつけてどうにか踏ん張ってみせる。

 銃弾はいつの間にか、風に吹き飛ばされていた。


(……まさかと思うが……、あの者が我々を銃弾から守るために、風を??……)


 混乱が収まらない頭でゴードンは、今の状況をどう理解するべきか躍起になっていたせいで、仲間が再びかの人物に銃口を向けていることに気付けずにいた。


「……待って!!撃たないで下さい!!」


 かの人物が初めて上げた声により、ゴードンはハッと我に返る。


「さっきも言ったじゃないか!!ひとまずは銃を降ろせ!!」


 語気を荒げて仲間に銃を降ろさせると、相当な距離を保ったままでゴードンはかの人物と対峙する。

 依然、かの人物はフードを目深に被ったまま、ローブの中で片手で何かを抱えてはいるものの、空いている手を上に翳して降伏の意を示している。


(……しかし、あの者は一体何を抱えているのだ??)


 ゴードンはかの人物の動きに警戒しつつ、ローブの中に隠しているものが一体何なのか気になって仕方がなかった。

 彼の心情を知ってか知らずか、かの人物がゴードンに語り掛けてきた。


「貴方達は軍の関係者の方ですね??お待ちしておりました」

 かの人物はゴードンに向けて、深々と一礼する。

「お待ちしておりました、だと??一体どういう意味だ??お前は一体何者なんだ??魔女マリアなのか??」

 ゴードンからの複数の質問に、かの人物は一旦押し黙ったものの、すぐに口を開いた。

「いいえ、自分はマリアではありませんし、何者でもありません。貴方達をお待ちしていたのは、軍に差し出したきモノがあったからです」


 そう言うと、かの人物は上げていた手を降ろし、代わりにローブの中に隠し持っていたものをゴードン達に掲げてみせる。

 かの人物が掲げたものをようやく目にしたゴードンは、言葉にならない叫び声を上げそうになるのを寸でのところで堪えた。




 それは、金色の長い巻毛に天使と見紛う清らかな顔立ちの美女――、王族を根絶やしにした最恐の魔女マリアの生首だった。

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