第40話 光の民のプロトコル

「遠き地にある光の民よ、我が声は届いているか」


 村を囲むカールグの森を抜けた先に広がる草原でロルカム・エパデールは空を見上げて念じ続けた。それは光の民が有する加護のひとつである以心の力、彼ははるか東の彼方にある故郷に向けて言葉を送り続けていたのだった。

 彼が水の国での任務に従事していたときはやはり彼と同じく神官に紛れた光の民の加護に助けられながら定期的な報告をしていた。しかし今は自分だけの力でそれを行わねばならない。なにより水の国から出奔してずいぶんと経っている、既に自分の存在はなかったものになっているのではないか、すなわち棄民として処理されているかも知れない。いや、むしろそう考えるのが自然だろう。そんな不安を抱きつつもロルカム・エパデールは毎朝決まって同じ時間に森の外に出て故郷へと言葉を送り続けるのだった。


 今日もまたダメだった。肩を落として森を歩くロルカムの前に現れたのは森の民の兄妹きょうだい、ジャヌビアとルセフィだった。ジャヌビアはロルカムの思惑を見抜いていたがそれを止めようとはしなかった。


「ロルカムさん、あなたは光の加護、以心の力で故郷のお仲間に自分の存在を伝えようとしていますね。僕は毎朝のようにあなたが森の外で空を見上げていることを知っています。僕だけではありません、畑仕事をする地の民のみんなもその姿を見ています。でも心配は要りません、あなたの思惑までも察しているのは僕とオングリザ先生くらいですから」

「ルセフィも知ってるよ。ロルカムは仲間を呼ぶつもりでしょ」

「あ、勘違いしないでください、妹は僕の話を受け売りしてるだけですから」


 やけに気さくな二人を前にしてロルカムは身構える、少しばかりクセのある金色の髪に触れながら。


「おっと、光の民の攻撃は勘弁してください。僕たちは敵じゃない、むしろあなたの味方なんですから」

「味方だって?」


 それでもロルカムは攻撃の構えを崩さないままで問い返した。


「でも君たちは私のことをオングリザ先生に知らせるのだろう、私を止めるために」

「違う、違う、違うよ、ルセフィもお兄ちゃんも先生もロルカムのことは見守ろうって決めたんだよ」

「妹が言うとおりです。それにオングリザ先生もすでにご存知です、ロルカムさん、あなたが交換留学生の名を借りて水の国に送られた密偵だったことを。その上であなたを見守ろうって決めたんです」

「そうか……とっくにバレてたわけだ」


 ようやくロルカムから反撃の構えが消えた。髪にかけていた手を下ろすと彼は二人の妖精に自分の思いを話し始めた。


「確かに私は任務を帯びてあの国に取り入った。その目的はいつまでも信仰に囚われたあの国を古臭い神の呪縛から開放することだった」

「という名目での籠絡、そして併合ですよね。自ら神の代理人を標榜する光の民にとって水の民はまさに目の上のコブなんですから。だけどそれすら真の目的はない、最も手に入れたいのは彼らが持つ水利権」

「なるほど、そこまで察しているのか」

「しかしあなたは性急過ぎた。その結果、追われる身になったとき救ってくれたのはオングリザ先生の奥様、メトアナさんだった。でもそれは偶然の出来事、それこそ神様の加護だったのでしょうね」

「確かにな、神を否定する私こそが神に守られていたのかも知れないな」

「でもあなたはその御加護すらも利用しようとしている。メトアナさんの困窮と境遇を理由にこの村のみんなを焚きつける考えでしょう」

「焚きつける……いや、それには無理がある。なにしろこの村は平和過ぎるのだ。もし仮に自分を放逐した相手に一矢報いてやりたいと考える者がいたとしてもそれはごくわずかだろう」

「そうでしょうか、少なくとも僕はロルカムさんに協力してもいいと思っています」

「お兄ちゃんがそうするならルセフィも同じだよ」

「あなたたちは……」


 ジャヌビアは考えていた。もしこのままロルカムの以心が光の国に届いたならどうなるかを。おそらく小隊を編成してこの村を占拠、駐屯して水の国侵略の足掛かりにするだろう。そうなれば自分たちは蹂躙されることになる。それだけは避けたい、光の民とは対等とまではいかないまでも少しでもそれに近い形での関係を築きたい。そしてそれが村の平和を守る唯一の方法なのだと。

 疑問を呈するロルカムの前で羽ばたきながらジャヌビアは続けた。


「僕たちも微力ながらお手伝いします。さあ、もう一度呼びかけてみましょう」


 こうして三人は再び村を囲むカールグの森の外に出て空を見上げながら呼びかけを繰り返すのだった。



――*――



 深夜、怪しい気配を感じたロルカムはベッドから起き上がることなく眠い目をこすりながら窓から射し込む月明りに照らされた部屋の中を凝視する。するとそこには陽炎のように揺らぐ人影が見えた。

 何事かと身を起こして身構えるロルカムの頭の中に直接声が響く。


「やはり深夜の方が余計な雑音がないぶん通りがよいようだな。ロルカム、私だ、アトールだ。とにかく君の無事が確認できてよかったよ」

「え、まさか、アトール議長……?」

「そうだ、アトールだ」


 それは光の国の意思決定機関である評議会の議長、アトールだった。ロルカムからの以心が不明瞭ながらも届いていたのだろう、しかしより高精度の疎通を実現するために月の光による増幅を狙って深夜にコンタクトしてきたのだった。


「君の以心はか細いながらも届いていたのだよ。そして君のことは水の国に送り込んでいる間諜からも報告を受けていたんだ。君が出奔して以降は行方不明扱いにされていたが放逐ではなく自らの意思だったこと、だからこそきっとどこかで生きているの違いない、そう考えて私の下で処遇を預かっていたのだ」

「そうだったのですか。お心遣い、痛み入ります」


 ロルカムはすぐさまベッドから降りると目の前に立つ陽炎のような人影に向かって姿勢を正した。人影との意識疎通はますます明確になっていく。まるで目の前にアトールなる者が立っているかのように。


「君がいなくなってからの水の国は平穏を取り戻して再び平和な日々が続いている。奇襲をかけるならば今が絶好の機会とも言えよう」

「待ってください議長。今、あの国には厄介な者がいます。王の娘、祝福の子と呼ばれているウルスラグナ姫が」

「もちろん承知している。まもなく娘は一八回目の祝福を受けて留学生として出立しゅったつする。だからその機を狙って彼女を抹消するのだ」

「抹消とは、いったい……」

「出立の議を行なう神官たちは我ら光の民の傀儡であることは君も知っているだろう。次の二つの月が重なる日ビレシュトルズにウルスラグナは出立する。そのタイミングで神殿を強襲してヤツを未知の世界へ飛ばしてしまえばよいのだ」

「それを私が行なうのですか?」

「君はあくでも参謀、実行は村の民だ」

「しかしこの村は……」

「心配は無用、近々私がそちらに出向く。そこで村の長に同盟を持ち掛けて民を徴用するのだ。幸い村には種族を超えた加護の発現、能力カリビエなるものを研究している者がいるだろう。おかげで種族を問わずに能力を使える。これを利用するのだ」


 確かに光の国から使者が来て政治的圧力を加えてやればこの村はひとたまりもないだろう、かならず承諾するはずだ。

 ロルカムは人影に向かって一礼する。


「承知しました、御意のままに」

「三回の日の出の後、私が部下とともに村に向かう。目的はロルカム君、君を保護してくれた村への表敬だ。そこで村の長に同盟を持ち掛ける。その後のことは我らにまかせてもらおう」


 その言葉を残して人影は揺らいで消えて後には月明りに包まれた静けさが残るばかりだった。そしてロルカムは再びベッドに戻り眠りにつく。しかし窓の外では弓矢を手にした小さな妖精、野の民ジャヌビアがその一部始終を目にしていたのだった。

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