第33話 青年は南をめざす

 交換留学、それは都市国家間の平和的交流を目的としながら異なる種族を招き入れることで知識と文化の触発による相互発展を狙った制度であった。十八回目の祝福を迎えた若者、その中から特に秀でた能力を王に認められた者のみに留学の命が下される。それは最高の名誉であり、帰還した暁には約束された将来が待っているのだ。しかしそれはあくまでも表向きの理由、その実態は一種の人質政策でもあった。


 水の国、の地の言葉ではMahyaimtaliaマーヤイムタリアと呼ばれるその国はその名が示す通り豊かな水資源に恵まれた平和な国である。そこで暮らすのは水の民、Mahyaimマーヤイム mihressiuミーレッシュと呼ばれる彼らは理性的で知的水準も高く、光の民と呼ばれる種族と並んでこの世界の双璧を為す種族だった。

 そして今日この日、一人の若者が水の国マーヤイムタリアの神殿に降り立った。

 ロルカム・エパデール、光の国ディグシムタリアの王立法学校を主席で卒業した彼は王命により交換留学生として水の国マーヤイムタリアへとやって来た。学生の身分でありながらもこの国の制度改革と近代化を進めるため次々と論文を発表する彼の評判はすぐさま水の王、ハルワタートの耳にも届く。程なくして彼は補佐役として政治の中枢に招き入れられた。

 彼は持論に基づく改革を次々と実行していく。いささか性急とも言えるその様に戸惑う民もいたが、しかし概ね好意的に受け入れられた。


「ロルカム・エパデール、汝を我が国の名誉市民として迎えるとともに政務官に任命する。これからは我が国と其方そなたの国との懸け橋となりて励むがよい」


 留学の期限である二つの月が重なる日ビレシュトルズを間近に控えたある日、彼は王宮に呼ばれてそう命じられた。

 意気軒昂たるロルカムは過度に信仰に依存するこの国の制度を改革すべく王ハルワタートに次々と進言を行なう。しかし彼は急ぎ過ぎた。出る杭が打たれるのはどの世界でも同じこと、やがては彼の存在を疎ましく思う元老院を中心とする守旧派の政務官たちは王にすり寄って彼の思惑は神を否定する所業であると上申する。


「拙速過ぎる改革は国を歪める」

「権謀術数に長けたロルカム・エパデールは神を否定し、言葉巧みにこの国を支配するだろう」

「神をないがしろにすることはすなわち王を否定することである」

「ヤツがやっていることは政策ではない、煽動である!」


 やがて元老院は彼の放逐を決定する。

 豹変する周囲の態度と強まる監視、そんな異変とともに身の危険を感じた彼は執務殿を飛び出して城外へとひとまずの逃亡を図ったのだった。



 衛兵によるしらみつぶしの捜索が始まった。

 もし捕まれば強制的に移送される。飛ばされる先は禁制地帯か、はたまた未知の国か。とにかく逃げるのだ。ロルカムはあるときは光の加護である認識阻害を使って裏路地に身を潜め、またあるときはボロ布を纏って人ごみに紛れて街の中を転々としながら脱出の機会を伺っていた。


 光の民において祝福と呼ばれる力のひとつである「転移」を使えばこの国から逃げおおせることはできるだろう。

 しかしその後はどうする。

 今や自分は逃亡者なのだ、そしてそれは故郷にも伝わっているに違いない。だからもし光の国ディグシムタリアに戻ることができたとしても居場所などないに等しいのだ。

 もうだめだ、失敗だ、大失敗だ。

 自責の念に苛まれながら三度目の朝を迎えた。


「また日が暮れる、どこか身を隠せる場所を探さねば。それより水だ、せめて水だけでも」


 緊張と不安、疲労と空腹で朦朧とした意識のままロルカムが街外れにある廃墟同然の建物にたどり着いたのは空と街が夕陽に染まり始める頃だった。ぽっかりと空いた開口部だけになった窓の下、その壁に寄りかかったままロルカムは弱音に近い言葉をつぶやきながらズルズルと地べたに倒れ込んだ。

 薄れゆく意識の中で誰かが自分の顎に指をかけて口元を上に向かせようとしているのを感じた。


「ついに追っ手が来たのか……」


 ロルカムは失意とあきらめの中、せめて相手の顔だけでも拝んでやろうと薄目を開く。するとそこには衛兵ではなく水差しを手にして微笑むスカーフを巻いた女性の姿があった。

 彼は口元に冷たい水の流れ感じた。その瞬間、これまでの緊張の糸が切れたのだろう、彼の意識はそこで途切れたのだった。



 ロルカムが意識を取り戻したとき、目の前に広がっていたのは煌めく星空だった。力を振り絞って上体を起こすと崩れかけた壁があった。彼はもう一度視線を上に向ける。するとそこには本来あるべきものがなかった。そう、ここは確かに家の中であるがその天井はすっかり崩れ落ちていたのだった。


「あら、目が覚めたのね。今、お茶を入れるわ」


 かろうじて残っている屋根の下に古ぼけた椅子とテーブルがあり、その向こうにはこちらに背を向けている女性の姿があった。女性は熱い茶のカップと固くなったパンの切れ端を載せたトレイをテーブルに置くと、彼の下に来て手を差し伸べた。


「ごめんなさいね。粗末なものしかなくて」


 微笑む女性の肩越しに湯気が立ち上るカップが見えた。しかしそれはひとつだけ、彼のために用意されたものだった。

 女性のエスコートで彼は古ぼけた椅子に腰を下ろす。固いパンの欠片を熱いお茶につけてはふやけたそれを口にする。三日ぶりの食事に彼の胃は少しばかり驚いたように収縮した。

 ロルカムは再び視線を上に向ける。するとテーブルからこちら側にはかろうじて屋根が残っていた。

 そうか、この女性はこんな廃墟で雨風をしのいでいるのか。彼は女性が置かれた境遇に感謝とともに憐れみを感じた。


 女性が頭に巻いたスカーフを脱ぐ。すると解き放たれたようにふわりとした長い髪が現れた。水の民は金色の髪に青い目が美しい種族であるが、目の前にいるその女性の髪は燃えるようなあかだった。よく見るとその瞳もあかい色をしている。そう、彼女は水の民ではなく火の民アテッシュズルだった。


 なぜ水の国に火の民が?

 彼女はその表情から察したのだろう、彼が問う前に自ら答えた。


「不思議に思ってるのね。でもあなただって光の民ディグスズルでしょ、ここは水の国マーヤイムタリアなのに。私も同じよ。いろいろあってね、今はここでつつましく生活してるわ」


 彼女も若き頃に火の国アテッシュニムタリアからここ水の国に留学してきた一人だった。そしてこの地で暮らすうちに学友の水の民と恋仲に落ちて結婚した。

 やがて二人の間に子供が生まれる。異なる種族の間には「持たぬ者ダシュタルニル」と呼ばれる神の加護も祝福も受けられぬ子が生まれることがあるが、果たして彼ら夫婦に生まれた娘もそうだった。そしてそれが不幸の始まりだった。


「私はあなたが繰り出す政策に期待していたの。でも光の民も水の民も同じ、改革と言いながらも純血主義と選民意識に変わりはなかったわ。そんなあなたも今では追われる身、皮肉な話ね」


 今のロルカムには弁明する気力などなかった。気弱にうつむくだけの彼に彼女は続けた。


「ごめんなさいね、ちょっといじわるを言ってしまって。新進気鋭の政務官様だったあなたも今は私と同じ。あなたにもきっとわかるときが来るわ、この国、いえ、この世界の排他性というものに」

「それは劣等種政策のことか?」

「ふふふ、私は今ここで論議なんてするつもりはないし、あなたにもそんな時間はないはず。粗末だったけど少しはお腹の足しになったでしょう。さあ、早くお逃げなさい」

「しかしここは水の国、光の加護に多くの期待はできない。これまでもせいぜい身を隠すくらいのことしかできなかった」

「ふふふ、散々神を否定するような政策を主張してきたあなたとは思えない弱気な言葉ね。でもあなたは光の民なのだから転移の能力で旅立つことができるはず。それは神の力なんかではなくあなた自身に備わった力、さあ目を閉じて思い描きなさい、自らが光となっての地へと飛び立つ姿を」


 彼女の言葉通りにロルカムは目を閉じて宙を行く姿を思い浮かべてみる。すると彼の全身が淡い光に包まれた。


「さあ、行きなさい。南へ、ここから南へ飛ぶのです。旅人の光と呼ばれる星は知ってるわよね。それをひたすらに目指せばたどりつくはずです、伝説の村に。そこで暮らす民があなたを救います」


 ロルカムの全身はますます輝きを増す。彼は光に変化する前に恩人である彼女の名を尋ねた。


「私はロルカム、ロルカム・エパデールだ。あなたの名を教えて欲しい」


 火の民の女性は祈るように手を合わせながらその問いに答える。


「メトアナ……メトアナ・オングリザと言います。もしどこかで私のことを尋ねる人がいたならば、元気ですとお伝えください」


 メトアナの目の前で光の民、ロルカム・エパデールはまばゆい光の玉となって上空高く消えていった。


 その頃、夜の街では衛兵たちの執拗な捜索が続いていた。何人かの兵士が発行しながら上空を行く飛翔体に気付いてざわめき始める。すると彼らを束ねる兵長のひとりがその光を目で追いながらため息とともに声を上げた。


「総員撤収だ、今このときを以って捜索は終了とする!」



――*――



 あれからどれだけの時が経ったのだろうか。彼が目覚めたそこは陽光まぶしい草原だった。周囲に人の気配はなく遠く彼方に森が見える。


「とりあえずあの森を目指そう。もしかしたら泉のひとつもあるかも知れない」


 彼は再び宙を舞う自分の姿を思い浮かべてみたが度重なる疲労のため何も起きることはなかった。彼は落胆のため息をつくと疲れた身体からだにムチ打って道無き道を進むのだった。

 ようやっと森の入口にたどり着いた。

 足は棒のようになり視界も歪む。

 はるか上空で野鳥の鳴く声が聞こえる。

 しかし自分の意識とともにその声もどんどんと遠ざかっていく。そしてついに彼はその場に倒れ込んでしまうのだった。

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