第5話 ダンジョン・イン・ザ・新宿

 買い出しに行こう。

 そんな突然の声にキョトンとした顔で自分を見るウルスラグナを前にして孝太は腕組みして呆れ顔で言う。


「それにしても、なんてカッコだよ。まるでどっかのフーゾク嬢だぜ」

「フー族? ここにもいろんなミーレッシュがいるのか」

「フーゾクってのは種族じゃねぇ、仕事のことだ」

「仕事? それはどんな……」

「あ――もういい、そのうちわかるさ。てか、知らなくていい、おまえは」


 豊かな胸をふわりと包む白布にそれと同じ生地であろう小さな白布のトランクスショーツ、そしてその上から首を通す穴が開いただけの肩より少し広い身頃みごろの薄く白い布をすっぽりとかぶり、それをサンダルと同じ色の革紐で腰のあたりでまとめているスタイルは確かに孝太もよく目にするファンタジー世界の住人たちが纏う衣装を思わせる。

 ノースリーブの肩から伸びる細身ながらも鍛えられたであろう腕と小さなショーツに包まれたお尻、そしてそれを申し訳程度に隠す短い裾が覆うスラリと伸びた脚、そんなウルスラグナの姿は、水辺で戯れる妖精と言うよりもむしろ荒野で戦う戦士のような力強さを感じさせた。

 しかしシースルーのベビードールにも似たそのデザインは、孝太にとってファンタジーどころかまるでどこかの風俗嬢を連想させるのだった。


 それにしても今は三月も半ば、あと二週間もすればあちこちから桜が満開の知らせが届くことだろうが、しかしそれでもまだまだ夜の冷え込みは油断できない。さすがにこれは薄着過ぎるだろうし、この姿のまま外に出すわけにはいかない。やはり何か上に羽織らせねば。

 そして孝太はもう一度ウルスラグナに目を向けながら、


「やっぱ白だよな」


と小さくつぶやくとおもむろに寝室への引き戸を開けた。そして雑然とした部屋の左手にあるクローゼットの中を覗きながらハンガーに吊るされた上着をガサゴソと物色し始めた。


「確かあったハズなんだよなぁ……っと、おっ、あったあった」


 孝太は服の中からスウェット生地の白いロングパーカーをハンガーごと取り出すとそれを目の前に掲げて目立った汚れがないかを確認する。


「まあいいか、これで」


 孝太は納得したような顔でそう言うと、手にしたパーカーをウルスラグナに差し出した。


「とりあえずこれでも着てくれ」

「着んのか? これを?」

「そうだ」


 ウルスラグナは孝太からパーカーを受け取るとまずはクンクンと匂いを嗅いだ。鼻の奥に柔軟剤の香りが微かに残る。そしてその香りに思いを巡らせているのかパーカーを鼻に当てたまま静かに目を閉じている。


「おまえ、失礼なヤツだなぁ、洗濯くらいしてあるぞ」


 すると孝太の問いに答えるかのようにウルスラグナはゆっくりと目を開いた。


「コータ、微かだけどこれはえらくいい匂いがするなぁ……よし、ちょっと着てみるか。ところでこれは……そうか、わかったぞ、これを頭にかぶればいいんだな」



 深夜零時、新宿の街はコートが欲しくなる程に冷え込んでいた。雑居ビルの合間を時折吹き抜けるビル風がより一層の肌寒さを感じさせる。玄関を出て吹きっさらしの廊下をエレベーターに急ぐ二人だったが、ウルスラグナにとっては目の前に見えるすべてが初めて目にするものばかりである、キョロキョロしては孝太に急かされながらとにかくエレベータに乗り込んだ。


「うわっ、寒む。やっぱおまえのその生足にサンダルじゃ厳しいか」

「心配するな、寒くもないしまったく問題ない。それにコータが寄こしたこの……」

「パーカーか?」

「そう、このパーカーってのだって大袈裟だと思うぜ。とにかくオレたちはこんなに着込むことなんてないんだ」

「いやいや、おまえが寒さに強いってのはわかったけどさ、この街でしかも深夜にあのカッコで、ってのはいろいろヤバいんだよ」


 エレベーターを降りてマンションのエントランスから一歩出た瞬間、ウルスラグナはその場に立ちすくんだ。そして得も言われぬ威圧感を感じながらもゆっくりと周囲を見上げる。幅員五、六メートルの舗道、それを挟むようにしておよそ十階建てかそれ以上のビルが建ち並んでいる。その光景に彼女はここがダンジョンの中であるかのような錯覚を覚えた。そしてすぐさま腰を落として身構えると敵の気配を感じ取らんと尖った耳をそばだてた。

 そんなウルスラグナの様子に孝太も足を止めて声をかけようとしたそのときのことだった。


「プ、プ――ッ」


 背後から迫るタクシーが舗道の真ん中に立つウルスラグナに向かって鳴らす軽いクラクション。その音に敏感に反応して反射的に素早く身構えると両手を胸の前で構えて握りこぶしを作りそれに力を込める。するとその手には銀色に光る短剣の柄が握られていた。続いてそれを腰のあたりに振り下ろすとそこには街路灯の光を反射する水晶のような刃が現れた。それはついさっき孝太の部屋でテレビに驚いた彼女がいきなり見せたのと同じものだった。

 ウルスラグナは二本の短剣を構えると目の前に停まる車のフロントガラスを睨みつけながら、そこから目を逸らさずに孝太に向かって叫んだ。


"Naruxahtetomnilyohmナルハーテトムニルヨーム, Kohtaコータ! Nahmutosナームトス kohrumamimコールマミム!"

(心配するな、コータ! おまえを護るゾ!)


 予想はしていたもののなりふり構わず剣を振り回すとは。孝太は呆れたため息とともに彼女に近づくと、その肩を軽く叩いて耳元で囁いた。


「大丈夫だ、心配すんな。とにかくそいつをしまってくれ、通報なんかされたらたまったもんじゃねぇ」


 孝太はそのまま車に近寄ると運転手に向かって片手を上げながら軽く頭を下げた。


「うちのエルフ……いや、ツレが、どうもすいません。この街に不慣れなもんで」

「お、おい、コータ、あいつは」

「いいから、とりあえずこっちに寄れ」


 そう言って孝太はウルスラグナの腕を掴んで自分の方に引き寄せた。運転席に向けて再び会釈する孝太、それに呼応するようにタクシーは「プッ」と短いホーンを鳴らしながら二人の前を通り過ぎて行った。


「お、おいコータ、いいのか? 逃げてくぞ、アイツ」

「ま、驚くのも無理ないか……よし、とりあえずついてこい」


 いちいち説明してたら話が進まない、ならばとにかくこの世界を見せてしまうのが手っ取り早いだろう。そう考えた孝太は表通りに向かって歩きだした。ウルスラグナは短剣こそ引っ込めたものの周囲への警戒はそのままに孝太の後を追った。

 街路灯の光を受けて路面にうっすらと放射状の影ができる。一歩一歩進むたびにそれは影絵のように後ろに流れ再び新しい影が現れる。やがて目の前に光が溢れ、孝太の後ろ姿が逆光により黒いシルエットとなって浮かび上がった。


"Dygusimディグシム mihressiuミーレッシュ..."

(光の民……)


 ウルスラグナは目の前の光景に茫然としながらぼそりとそうつぶやいた。その声を耳にした孝太は黒いレザージャケットのポケットに両手を突っ込んだまま振り向いてぶっきらぼうに言った。


「あ? 今何か言ったか?」

「い、いや、なんでもない。オレの世界にいる光の民ディグスズルに見えただけだ」

「ディグ……なんだって?」


 そう言いながら孝太はちょうど空車でやって来たタクシーに向かって片手を上げる。白塗りの大型セダンがハイブリッド車らしく静かに車体を歩道に寄せた。後部座席のドアがスッと開く。


「ほら、早く乗れ……って、おまえ大丈夫か?」


 孝太がタクシーを止めて自分に呼びかけるまでの一連の出来事に驚きを隠せないウルスラグナは、口を開けてボカンとした顔でその場に立ちつくしていた。


「ったく、しょうがねぇなぁ」


 その声で我に返ったのかウルスラグナは目の前のタクシーに向かってまたもや身構えていた。すると孝太は面倒くさそうな顔で後部座席に腕を伸ばしてそこに乗るよう促す。しかしそれでも警戒のオーラを発し続ける姿に、孝太は運転手に何か一言を告げると彼女の肩に軽く手を添えた。


「とにかくオレを信じろって、心配ねぇから、な?」

「わ、わかった、わかったから……押すな、押すんじゃねぇゾ」


 孝太にエスコートされて車に近づくウルスラグナだったが、やはり座席の前で躊躇するように立ち止まってしまう。ついに業を煮やした孝太は彼女の腰に手を当ててその身体からだをタクシーの後部座席に押し込んだ。


「な、て、てめぇ、あれほど押すなと……」

「ほらどうよ。乗っちまえばどうってことねぇだろ。万事結果よければ、ってな」


 そして孝太はすぐさま隣に乗り込むと落ち着くようにとその肩をポンポンと軽く叩いた。ウルスラグナはそんな孝太に憮然した顔を向けて何か言おうとしているが、そんなことにはお構いなしに孝太は運転手に行き先を告げた。


「ドンキーマートまでお願いします。ええ、そうです、職安通りの」


 車は静かに発進する。ゆったりとしたレザーシートに身を委ねながら孝太はむくれ顔のウルスラグナを横目で見ながらほくそ笑んだ。


「初めてにしては、たいへんよくできました、だったな」

「フンッ、今回はな。でも次からはもう少し丁寧に扱えよな。これでもオレは……」

「ん、なんだ? まさかあっちの世界じゃお姫様だ、なんて言うんじゃないだろうな。それこそまるでどっかのライトノベルだぜ」


 二人を乗せた車は夜の新宿通りを走り抜けていく。フロントガラスの向こうには繁華街に煌めく光の波が広がっていた。

 ここは自分にとっての異世界、頼れるのは孝太しかいない。とにかく今は彼を信じてその身を委ねるのがよいのだろう。そして一日も早く自分の国ミーマリムタリアに帰る方法を見つけるのだ。

 そんなことを考えながらもウルスラグナの心はワクワクとした軽い興奮に満たされていくのだった。

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