第4話 珈琲は黒い美味
ゆったりとソファーで
そんなウルスラグナの気持ちなど知ってか知らでか、ひとり暮らしにしてはやけに大きな冷蔵庫を前にして孝太が
「お――い、何にするんだぁ? お茶かぁ、コーヒーかぁ……おっ、それとも酒にするか?」
孝太の声にホッとしたかのように目を向けるウルスラグナだったが、その口から次々と飛び出す言葉もまた彼女にとって初めて耳にするものばかりだった。耳から入った音と頭の中の概念とを結びつけるため、静かに目を閉じて孝太の頭の中から得た知識の総ざらいを試みる。そして何かを見つけたのだろう、目を開くと冷蔵庫を開けたまま返答を待つ孝太に向かって声を上げた。
「コータ、水はあるか? とりあえず水が飲みたい」
「はいはい、水ね。水、水っと」
孝太は冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を取り出すと、それをグラスに注いでソファーの前にある小さなテーブルの上に置いた。
"
(この世界の水か……)
ウルスラグナは差し出されたグラスを手に取って顔の高さに持ってくるとイースラーなる異世界語でブツブツとつぶやきながら左右と正面からその様子を伺う。続いてクンクンと匂いを嗅ぐ仕草をすると、グラスの水を注意深く一口含んでみる。そして問題ないと納得できるとそのまま一気に飲み干した。
「この水はうまいな。きっと神の加護を受けた清涼な泉のもんなんだろうな」
「そんなんじゃねぇよ。そこのコンビニで買って来たペットボトルの水だよ」
ウルスラグナは不思議そうな顔ですっかり空になったグラスをまじまじと見つめながらポツリとつぶやいた。
「ここの言葉はまだよくわからねぇ。けど、水がうまいことはよくわかった」
やがてソファーに身をまかせることでこれまでの緊張が少しずつ緩んできたのだろう、ゆったりとした心地よさがウルスラグナの身を包み始めた。気がつくと初めて経験する甘く
「コーヒーだ、飲むだろ?」
孝太は手にした二客のマグカップをテーブルに置くと、そのひとつをウルスラグナの前に差し出した。
初めて経験する香りに惹かれつつも微妙な距離を保ちながらゆっくりとカップの中を覗き込む。そして顔を上げると目の前にはカップを口にする孝太の姿があった。
「こ、この黒いのを……コータ、おまえ、飲んでんのか。これ、飲めんのか?」
「なんだおまえ、コーヒーも初めてなのか」
「ああ、初めてだ。コーヒーってのか、これは」
「まあとにかく飲んでみろよ。今おまえは異世界に召喚されてるようなもんだ、ここまで来たらいっそのこと腹をくくっちまえ。そんでもって楽しんじまえ、ってな」
その言葉に促されたウルスラグナはカップを前にして軽く目を閉じると、孝太のときにしたような呪文らしきものを唱え始めた。
"
(神よ、私がこれを口にすることをお赦しください。そして私をお守りください)
つぶやき終わると置かれたカップを手に取ってそれを口に近づける。そして恐る恐るその黒い液体を一口含んでみた。
鼻腔をくすぐる華やかな香りと口の中に広がるまろやかな甘みと酸味、それに続いて舌の奥に感じる
「コータ、オレは今モーレツに感動している。この素晴らしい飲みものは、コーヒーだっけか? こりゃ
感動に浸るウルスラグナを見ながら孝太は満足げな顔で頷いた。
「そりゃよかった。なんなら少し持ってくか? 今おまえが飲んだのはキリマンジャロってんだが、他にもあるぞ」
そのときウルスラグナは少しばかり顔を曇らせたが、すぐにそれを打ち消すかのように笑みを浮かべて答えた。
"
(ありがとう、ありがとうコータ)
おそらくお礼の言葉であろう
"
(でも、どうやって帰るんだ、私は……)
そして再び顔を上げて孝太の顔を見ると、今度は日本語で続けた。
「なあコータ、オレはどうやって
さっきまでとはうって変わって今のウルスラグナは言葉こそ孝太そのものであるがその姿は不安と心細さに包まれたひとりの娘そのものだった。
「それよりコーヒー、もう一杯飲むか?」
「ふざけんな、何を
語気を荒げるウルスラグナの顔を見据えながら孝太は諭すように言う。
「なあ、こんなときこそまずは落ち着くんだ。そんでもってまず何をすべきかを考えるんだ」
「お、おまえは……そりゃここはおまえの世界だ。それにおまえの家だ。だから落ち着いてられんだろ。でもオレは……」
孝太はウルスラグナの肩に手をかけると顔をグッと近づけて続けた。
「いいかよく聞け、おまえはこうしてオレと話をしてるじゃねぇか。言葉が通じてるだろ。もしオレがおまえみたいにおまえの国に飛ばされたとしたらどうなる。オレにはおまえにみたいにおデコをつけて頭ん中を覗くなんて魔法みたいなもんなんて使えねぇんだよ。でもな、おまえはこうしてオレと会話できてんだろ」
孝太は言うだけ言うとウルスラグナの肩から手を離して立ち上がり、今度は自分自身にも言い聞かせるような口調で続けた。
「言葉が通じる、それだけで十分過ぎるアドバンテージなんだよ。だから心配なんかいらねぇ、大丈夫さ、な、少し落ち着こうぜ。実はオレだっていっぱいいっぱいなんだよ。なにしろ気がついたら目の前にエルフの姉ちゃんだもんな。まったくどうすんだよオレ」
一気にまくし立てんばかりに発せられた孝太の言葉に圧倒されたのか、ウルスラグナはポカンとした顔で孝太の顔をただ見上げるばかりだった。
そして孝太は小さく一息つくと今度はいささか自嘲気味な笑みを浮かべた。
「おまえさん風に言うならば、そうだなぁ……ああ、ディグノッサー、ディグノッサーって気分だぜ」
「プッ、アッハハハハ、コーターがイースラーを、アハハハハ」
「なんだよ失礼なヤツだな。てか、ここは笑うところじゃねぇだろ。それともどっか間違ってたか?」
「いや、すまんすまん、使い方は間違ってない。
そしてウルスラグナは笑いと安堵で少しばかり潤んだ目尻に手をあてて軽く拭うとその場に立って真顔でコータの顔を見る。
「コータ、ありがとう。確かにおまえの言うとおりだ。こうして意思の疎通ができるだけでも心強いんだな。それに初めて出会ったのがコータでよかった。とにかくコータ、これからよろしく頼む。この世界のことをいろいろと教えて欲しい、いつかオレが
ウルスラグナの目に輝きが戻っていた。しかしそれは最初に見た鋭すぎる輝きではなく孝太への信頼とこれから起こることへの好奇心に満ちた輝きだった。
「帰れるようになるまでって……ちょっと待て。ってことはおまえ、このままここに居座るつもりか?」
「こうなってしまったからには仕方ないだろ。コータ、おまえも腹をくくれ」
「腹をくくれったって、おまえなぁ……ん、ちょっと待てよ」
そのとき孝太は考えた。突然の信じられない出来事のおかげで驚き以上パニック未満なためだろう、興奮状態の頭の中に妙案が次々と浮かんではやがてこれからのあるべき姿らしきものが固まってきた。
そうか、こいつを住まわせてやるんだからそのかわりにオレの仕事を手伝わせればいいじゃないか。さっきのあの力だ、ちょっとした肉体労働もイケるだろうし、なによりなかなかの美形、スタイルもいい、ならばモデルやらコンパニオンなんてのはどうだ。いやいや待てよ、うまくやればコイツに稼がせてオレは専属マネージャーなんてのも……。
「おい、コータ。どうしたんだ、急に黙り込んだと思ったらニヤニヤと」
「い、いや、なんでもねぇ」
しまった、つい暴走しちまったぜ、と、孝太は深呼吸して気を取り直す。そして一歩下がって再びウルスラグナの全身をチェックし始めた。
目の前で何やら神妙な顔をしている孝太を
「これからいろいろ物入りだ。当座必要なのは服に、靴だろ、それにパジャマ、下着も、か」
そんな孝太を何事かと見守るウルスラグナを前にして、決心したかのように大きく頷くと左手の腕時計に目を落としながら声を上げた。
「よし、今から買い出しだ。さあ、行くぞ!」
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