第16話 河童

 仕事が終わった後。

 車で迎えに来てくれた陽と合流し、私は神見神社がある山の近くに流れる川へとやって来ていた。

 紺色のヴェールが空を覆い尽くしている時間帯のため、土手沿いに等間隔に設置されている外灯以外明かりが全く無い。

 そんな時間帯なので川原には誰もいなかった。


――昔は夜の川原が怖ったんだけどなぁ。今はなんともないわ。


 子供の頃は花火をするために暗い川原を訪れるのが怖かったけど、今はもう怖くない。

 あの時は水辺にはあまり良くない者が集まって来ていたから余計かも。

 良くない者は、河津さんが片っ端から蹴散らしてくれたけど。


 最近、ふと昔の事を思い出すなぁと思いながら足を進めて行けば、ジャリジャリと石がぶつかり合い音を奏でる。

 一応、照明として私がランタンを持っているので周辺は明るい。

 大量のきゅうりに関しては、陽が籠に入れて持ってくれていた。


「紬。足元悪いから気を付けろよ。暗くなってきたし。ほら」

 立ち止った陽が手を差し出してくれたが、私は首を左右に振る。


「平気。ここ慣れているし。それに、私と手を繋いだら陽歩きにくいでしょ? きゅうり重いだろうし」

「――いや、紬。そこは空気読んで手を繋いでやれよ。気を遣う場所を確実に間違えているぞ」

 突然、暗闇に響いた第三者の声。

 ザバッという音と共に川から黒い影が飛び出して来てしまう。


 私達から少し離れた場所にいる人物をランタンの明かりが照らし、正体を判明させる。


 身長は150㎝くらいだろうか。

 ぱっと見ると二足歩行をする大きなカエルという印象だが、頭に皿を乗せ短い嘴も窺える。

 腰には藁で作ったスカートのようなものを履いていた。

 皮膚はぬめぬめとしており背には亀の甲羅が。


 彼は妖怪図鑑では河童という項目に掲載されている妖怪。

 私達が会いに来た河津さんだ。


 河津さんは身体を左右に大きく振り水を軽く振り払うとこちらにやって来て、「久しぶりだな、お前ら」と水かきのある右手を上げた。


「しかし、お前達はまだ変わってないのかぁ。陽。お前、保育園からどれだけ時間が経っていると思っているんだよ……」

 若干呆れを含んだ声を発しながら、河津さんは魚を思い出す瞳で陽を見る。


「自分でも重々承知しているよ。周りの人間だけじゃなくて、俺の場合は妖怪や使役している者まで言われているからさ」

「プレッシャー二倍。いや、三倍だな」

「そうなんだよ……」

「旨い川魚採って届けるから、元気だせって」

「ありがとう」

 陽は頷くと、手にしていた籠を差し出す。


「これ、紬の上司から貰ったんだ。きゅうり。俺達の分はあるから、残りは河津さん達の分。良かったら、みんなで食べて」

「おっ、悪いな! 瑞々しくて旨そうじゃないか。早速一本いただくか」

 河津さんは陽が差し出した籠を受け取り、きゅうりを一本取ると川で洗い出す。

 夏の暑い時に冷えたきゅうりって美味しいよなぁとぼんやりと思う。


 陽の家のきゅうりの辛子漬けも美味しいけどね。


「そのきゅうり、朝採りなんだって」

「そりゃあ、旨いはずだ」

 きゅうりはどんどんと河津さんの口内へと消えていき、あっという間に完食。

 余程、美味しいのか二本目を食べるために籠へと手を伸ばし始めている。


「あっ、そうだ。河津さん、結構長い年月生きているよね?」

「そりゃあ、妖怪だからな」

「ねぇ、狐町にいる九尾の狐姉妹について何か知っている?」

「狐町って紬が働いているところだよな?」

「うん」

「狐町の九尾かわからないが、すっげぇ昔に噂話なら聞いたことがあるぞ。たしか、空狐に喧嘩売って返り討ちにされて逃げてきたって。すごいよな、空狐に喧嘩売るなんてさ。俺、ただの河童だから空狐になんて喧嘩売りたくねぇぞ。妖怪図鑑レギュラー入りしている珍しくもなんともない妖怪だし」

「河童だってすごいよ。泳げるし」

「すごくないだろ。河童だから泳げて当たり前だし」

「すごいって。だって、私の友達河童になりたいって言っていたもの」

「……随分奇特な友達だな。大丈夫か、そいつ」

「顔を水に付けるのが怖いんだって。子供とプールに行っても心から楽しめないみたい。プールをねだられると怖いから困るんだって。水が苦手だからきっと私の前世は猫だって言っていたよ」

「水に顔を付けられない河童いないもんな」

「無い物ねだりってわけじゃないけど、みんなもしかしたら他人が羨むようなものを持っているのかもしれないよね。泳げない人からしてみれば、泳げる人が羨ましい。でも、泳げる人はその事に気づかない。妖怪だろうが人間だろうがそこは同じだと思うよ。だから、泳ぎが得意で妖怪図鑑レギュラー入りしている河童を羨ましく思っている妖怪もいると思う」

「紬にそう言われると照れるな」

 河津さんは頭をかきながらはにかんだ。


「昔から紬は変わらないな。正義感が強くて時々ハッとするところを見つけてくれる。そういう所、変わらないで欲しいよな。なぁ、陽……って、お前。あー、そういうところ変わんないな。お前も」

 河津さんは私の隣に立っている陽へと顔を向けると喉で笑う。


 なんだろう? 


 私は河津さんの視線を追うように陽へと顔を向ければ、陽は両手で顔を覆っていた。

 小刻みに体を震わせているので泣いているのかな? って思ったけど、違うみたい。


「……紬のそういう所なんだよ」

 陽が口にした台詞が泣き声ではなかったから。


「河津さん。陽、どうしたんだろうね?」

「アオハル中だ」

「アオハル?」

 私が首を傾げれば、河津さんが頷き「俺もアオハルしてぇ!」と叫んだ。





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