第9話 旧友と再会

――ピピピッ


 電子音が頭上から鳴り響き、私はどっぷりと浸かっていた夢の世界から現実の世界へと連れて来られてしまう。

 どうやら朝になったらしい。


 一度も起きることがなかったので、昨日の夜に夢の世界に入ってからあっという間だった気がする。


 眠い目をこすりながら瞳を開ければ、見慣れた自室の天井が飛び込んでくる。

 ふかふかのベッドは私をまた眠りの世界へと誘うが、スマホが起きろよ! とスヌーズ機能で阻止。


 白旗を上げて降参し、右腕を伸ばして枕元にあるスマホを止めることに。

 その時、ふと自分の腹部分が重いことに気づく。

 ゆっくりと視線を向けて重さを確認すれば、愛猫・ニーヤの姿が。

 黒い体を丸めてすやすやと眠っている。


「また私の腹の上で寝たな」

 ニーヤの寝床は私の枕付近が定位置なんだけれども、時々こうしてお腹の上に乗って寝ている時がある。

 最初は私のお腹が出ていて柔らかくて寝心地が良いのか? と若干気になった事もあるけれども、二~三か月に一度程度なのであまり気にならなくなった。

 ただ、朝起きると重っ! ってなるだけ。


 たぶん、私寝返る打ててないと思う。


 ずっと寝かせてあげたいが、そろそろ起きてお弁当作りをしなければ仕事に遅れてしまう。

 私は可愛い寝姿を前に心を鬼にして上半身をゆっくりと動かしかければ、ぴくりとニーヤの耳が動く。

 かと思えば、ゆっくりと瞼を開き、大粒の瞳で私を見た。


「おはよう、ニーヤ」

「にゃ……」

 まだ眠いのか、ニーヤは小さな声で鳴きながら身を起こす。

 ニーヤは布団からゆっくりと下りてフローリングへ。


 私もニーヤに続きベッドから起きると、フローリングに足を付ける。

 屈み込んでニーヤを撫でれば、ニーヤは気持ち良さそうに瞳を細めた。


 ニーヤの背景は白いカーペットの上に置かれた丸いテーブル、雑誌が収納されたラックなど、目に閉じても思い出せるくらい馴染んだ自室の光景。


「ニーヤは良いね。寝起きでも可愛くて。私はこのまま人前に出るのは絶対に無理だ……」

 猫はいつも可愛い。猫吉さんの友達も手ぬぐい被って踊っていても可愛いし、酔っぱらってごろ寝しても可愛い。

 でも、人間はそうはいかない。


「さて、着替えるか」

 私は奥にあるクローゼットから適当にシャツとガウチョを取るとすぐに着替えることに。

 身体を動かしているせいか、ぼーっとしていた頭も段々すっきりし始めてきた。


 軽く髪などを整えて身支度を終えると、「祀(まつり)」と書かれたプレートのげられた部屋を通り、私は階段を降りていく。

 ダンダンという重たい足音の後に、トントンという軽い足音がついてくる。


 ニーヤの足音だ。


 いつも一緒に下に降りるのが日課となっているため、今日も私の後を着いて来てくれているのだろう。


 階段を降りると一緒に並んでリビングへと向かった。

 リビングでは皺一つないスーツを纏った父がソファに座っている。


 ソファの正面にあるテレビからはニュースが流れていて、それをBGM代わりに、珈琲を飲みながら新聞を読んでいた。

 家族からは「新聞かテレビかどっちかにしたら?」とツッコまれている彼のルーティーンだ。


「おはよう、紬。ニーヤちゃん」

 父が新聞から視線を話して挨拶をしたので、「おはよう」と私も返事を返す。


 家族の中で一番の早起きは父だ。

 母も私も六時くらいに起きるけど、父の起床は五時半。

 朝刊到着時に起きて、そのまま玄関へ行き新聞を回収してリビングへ。

 そしてゆっくりドリップした珈琲片手に優雅に新聞を読むのが日課となっている。

 ちなみに一番遅いのは、大学生の妹・祀だ。


「にゃ」

 ニーヤが一鳴きすれば、父の顔が段々緩んでいく。

 まるで初孫を可愛がる祖父のように、「おいでー」と優しい声でニーヤを呼べばニーヤがソファにジャンプをする。


「呼んだらちゃんと来るなんてニーヤちゃんは世界で一番賢い猫だ」

 娘達が手のかからない年齢なため、うちの両親はニーヤを可愛がっている。

 なので、一人暮らししてもいいけど、ニーヤは連れていかないでと懇願。

 子供や孫のような立場なのだろう。


「ニーヤちゃんはかわいいなぁ」

 デレデレとした表情を浮かべ、父はニーヤを撫でている。


「あれ? お母さんは?」

 リビングの隣にあるキッチンに母の姿がなかったため、私は首を傾げながら父へと声をかけた。

 すると、「ゴミ捨てに行っているぞ」という返事が。


「……そういえば、十五分くらい経つがまだ帰ってこないな。今日、ゴミ出しだから早く起きたのに」

「えっ!?」

 私は裏返った声を上げる。


 いや、それはさすがにマズいんじゃない? うちからゴミ捨て場まで徒歩三分もかからないのに。

 まだ帰って来てないなんて不安だ。


「倒れていると悪いからちょっと見て来るよ。若くはないんだから」

「本人の前で言うなよ。年寄り扱いするなってキレるから。母さんの事なら心配いらないと思うぞ。またご近所さんとぺちゃくちゃしゃべっているだけだろう。この間も回覧板を置きに行くと言って三十分ほど戻って来なかったからな」

 「一応見て来るだけ見て来るよ」

私はそういうと、洗面所に立ち寄り顔を洗って髪を梳かすと玄関へと向かった。


 外に出るために玄関のたたきに置いてあるサンダルを履き、外へと出れば眩しい日差しが。


 眩しい。

 強い太陽の光に目を細めた瞬間。


「そうなの! 家出て一人暮らしするって言っているんだけど、ニーヤを連れて行くって」

 という、聞き覚えのある声が聞こえた。


「家を出て一人暮らしするなら好きにすればいいのよ。反対はしないわ。もう二十八なんだし。でも、ニーヤが居なかったら私が寂しく寂しくて。紬も一人暮らしをするために出ていくんじゃなくて、結婚して出て行ってくれれば肩の荷が下りるんだけど。ほら、あの子って基本的に馬鹿なくらいに真面目じゃない? この間も柄の悪そうな人に注意していてね。誰か傍で守ってくれる人が居ればなぁって」

 朝に似合わないくらいのボリュームのせいか、一字一句はっきり聞こえる。


 ご近所迷惑ギリギリラインの一歩手前というくらいの声だ。

 私は頭を抱えて心の中で「お母さん!」と怒鳴った。


 ご近所さん達の井戸端会議でもやっているのだろう。

 自分の家の事をペラペラとしゃべるなって何度も言っているのに。

 なんであんなにしゃべるのだろうか。


 私は母の元へと向かうために家の敷地を出て道路へと出れば、少し先の電柱に女性が二人立っていた。

 わがままボディと自虐しているふっくらとした体格の母と細身の女性がいる。

 女性の方は二十代くらいの女性だ。

 雑誌に載っていそうなおしゃれなルームウエア姿で、シュシュで茶色の髪を一つに纏めていた。


 なんか、あの女性に見覚えがあるような……


「あっ、紬!」

 あまりにも見すぎていたせか、女性が私に気づくと大きく手を振る。


「あれ……? 私の事を知っているの? 誰だろう」

 小さな声でそう呟いたが、すぐに愛想笑いを浮かべて手を上げる。

 まったく身に覚えがないが、社会人なのでつい合せてしまうのだ。


 二人がこっちに来る間にも私は必死で誰だ!? と考えまくっている。

 だが、判明する前に到着されてしまう。

 見覚えはあるんだけど、名前が出てこない……


「久しぶり、紬。さっきおばさんに聞いたけど、元気そうだね! イギリスに行ってから全然会っていないから十五年振りくらいかな? 私、仕事で一回も帰国しなかったから」

「美和なのっ!?」

 イギリスというフレーズでやっと思い出した。

 同じ地区に住んでいて、高校まで一緒だった佐藤美和だ。


 高校卒業と同時にイギリスの大学に進学してから会っていなかったので全く気付かなかった。

 社会人の前半まではたまにメールをしていたけど、段々お互い忙しくなり連絡を取らず。

 そのため、私の記憶では高校の頃の美和で止まっているのだ。


「酷いなぁ、紬。私の事を忘れていたなんて」

「ごめん。美和は高校卒業してから、ずっとイギリス生活だったからさ。私の中では高校の頃のイメージが強くて。やっと一時帰国したの? 高校卒業してから一度も戻って来なかったじゃん。おじさんとおばさん喜んだでしょ? 美和がイギリスに留学して就職後も一時帰国しないって言っていたから」

「喜ぶというか、怒られたわ」

「あー……それは……」

 なんとなく気持ちわかる。十年振りくらいの帰国だし。


「両親や兄弟がイギリスに会いに来てくれていたから、家族と全く会っていなかったということではないんだけどね。それでも、やっぱり家に帰ってくるっていうのは違うからさ」

「そりゃあ、そうだよ。いつ戻って来たの?」

「一昨日戻ってきたんだ。うちの近所あまり変わっていないと思っていたから、すごく変わっていてびっくり。道に迷いそう」

「さすがに変わっているよ。いつまで滞在するの? 地元にいる人達でご飯食べ行こうよ」

「行きたい! ゆっくりで良いよ。暫く実家でお世話になる予定だから。私、仕事を辞めて来たんだ。今後は日本で暮らす予定なの。古民家カフェやるんだ。まだどこでやるとか決まっていないんだけどね」

「えっ、古民家カフェ!?」

 あっちでは絵に描いたキャリアウーマンとして大企業で働いていたいので、美和と全く結びつかず。

 そのため、私は首を傾げてしまう。


 カフェならイギリスでも出来るけど、なんで日本なのだろうか。


「私さ、二十五歳まで仕事がすごく大好きで恋人や友人との時間を割いてまで仕事をしていたの。休みを取るなんてもったいないって感じまでワーカーホリック。気づいたら仕事の人間関係以外は全て崩壊していた。そうなってやっと気づいたの。私って何をやっていたんだろうって」

「……美和」

「馬鹿だよね。そうなるまで気づかなかったなんて。友達も恋人も失ってからわかったんだ。気づいてからもやもやし出して仕事のミスも多くなっちゃって。上司からも休めと言われ、暫く仕事を休んでぼーっと公園に居たんだ。その時に視界にカフェが目に入ってなんとなく行ってみたの。そこで出されているパンがすごく美味しくて……ゆっくりパンなんて食べたことがなかったから余計美味しかったのかも。食事も栄養補助食だけの時あったし」

 美和の話にお母さんは目尻に涙を溜めながら、「今までがんばったね」と彼女の肩を叩いている。

 便りがないことは元気な証拠だと思っていたけど、美和はあっちで色々あったんだなぁ。

 私は美和の話を聞きながらしみじみ感じた。


「カフェでは家族連れが笑顔で過ごしていたの。焼きたてのパンをおいしそうに食べている人、外のテラス席で紅茶を手におしゃべりをしている人。みんながゆったりとした時間を笑顔で過ごしていたの。それがすごく心に来てさ。私も日本でこういう空間を作りたいって思ったんだ。だから、仕事をやめて自分のカフェをオープンするのためにあっちでずっと修行していたの。自分で焼いたパンを出したかったから、パン屋さんで働いていたんだ。休日は色々な所のカフェを巡ったの。すごく楽しかった」

「すごいじゃん!」

 美和は昔から即行動主義だったけど、それは今でも変わらないらしい。


「そういえば、さっきおばさんに聞いたんだけど、紬は司法書士事務所で働いているんだよね? 登記するなら不動産屋さんの知り合いとかいる? 古民家を探しているんだ」

「いるけど中古や新築物件はあるけど、古民家となると難しいかなも。一応知り合いの不動産屋さんに聞いてみるよ」

「ありがとう!」

 美和が満面の笑みで微笑んだ。


 キラキラとしていて未来に向かって美和は進んでいる。

 なんかちょっと羨ましかった。

 自分のターニングポイントに気づき、新しいものを見つけられた彼女が。

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