君はアイを誤解している

「ねえ、愛ってなに?」

下着しか身につけていない状態で、わたしは自室のフローリングに体育座りをする。

いつの間にか、ブランケットは肩から滑り落ちていた。

「先輩って、わたしのことを愛してるんでしょ。愛って何?これが先輩の愛なの?」

「そうだよ」

「……わたしが樋口くんに抱かれたの見て、どう思ったの。でも、先輩って変態だもんね。好きな女の子が他の男と寝てるの見ても、嫉妬しないし、むしろ、逆に嬉しかったりするのかな……」

「違う。嫉妬はしてるよ。でも、べつに良いんだ」


「どうして……?どうしてそんなこと言えるの?なんでそんなに嬉しそうなの。なんで、どうしてッ!」

わたしは立ち上がり、再び先輩を蹴り上げようと右脚を振り上げると、足首を掴まれる。

どすんと音を立てて、臀部に鈍い痛みが広がった。尻もちをついたのだ。

先輩は顔面の筋肉を微動だもさせずに、わたしの右足首を掴んだまま、優しく食むように足の甲に唇を這わせる。思考が停止した。

親指を口内に含まれて、情事の汗を熱い舌で舐め上げられる。ぬるぬるした感覚。粘膜。

部屋にぴちゃぴちゃと水音が響く。

指の形を確かめるように一本ずつ嬲られて、丹念に指の股を犯される。


熱い息がかかって、足がビクビクと痙攣した。

親指と人差し指の間の皮膚の薄い部分を執拗に赤い舌が這い回り、唾液に濡れて光る肌。倒錯感に目眩がした。

「ぁッ……」

立てられた歯に腰が跳ねる。口から媚びたような声が漏れた。

熱に浮かされたような赤く燃える瞳は、わたしの情けない顔を反射させている。

泣きたくなった。自分が信じられない。

指を甘噛みされて、喘いでしまう。

浅ましい身体。こんなところで感じるわけないのに。

わたしの頬にポロリと一滴の雫が伝う。


「ぅ、ぁッ、やだ……せんぱ、もぉ、やだ……」

リップノイズが聞こえると同時に、足から先輩の口が離れて、湿った肌が冷える感覚がした。

涙が止まらなくなって、わたしはすんすんと鼻を鳴らす。

先輩はクローゼットから出て、わたしの前に立つ。

わたしを見下ろす瞳は凪のように静かだったにもかかわらず、それだけではない熱情を秘めていることに気づいてしまい、身震いをした。

「好きだよ」

薄く開いた唇から零れ落ちた言葉の意味が、数秒置いてわたしの脳みそに染み込んでいく。

それがもたらしたのは、安堵とは程遠い圧倒的な恐怖だった。


「なんでもしてあげるよ。なんだって出来る。俺はあーちゃんを愛してるから」

不快と困惑と、それだけではないものがふつふつとわき上がって、身体がガタガタ震えて止まらない。

熱の籠った声で呼びかける先輩は、紅潮した顔をとろりと蕩かしていて、まるで酩酊しているようだった。

わたしが床にぺたりと座り込んで、眼球からぼろぼろと水分を流し続けていると、覆い被さるように身を屈めて首を伸ばした先輩は、耳元に唇を寄せて、「なぁ」と吐息混じりに囁く。

「あーちゃんが好きだよ。何をされても、好きなんだ。他の男と愛し合ってても良いよ。むしろ、全部を知りたい。俺の知らないあーちゃんの全部が見たい。俺は一番近いところで見ていたい。だから、良いんだ」


「出てって!」

わたしが叫ぶと、先輩は部屋を出ていった。

視界は歪んで、わたしの感情はぐちゃぐちゃだ。

もうどうしようもない気がした。

それでも、わたしが泣き止んだのは姉が訪ねてきたからだ。久しぶりだな、と思う。

見るからに目元を腫らしたわたしに、姉は実にあっけらかんとしている。

リビングのカーペットの上で、わたしは両脚を折り曲げて膝に顎を乗せた。

わたしと向き合うように胡座をかく姉は、持参した缶ビールのプルタブにマニキュアでギラつく指を引っかけて、開ける。

プシュッと、炭酸の抜ける音がした。


姉は相変わらず丈の短いスカートを履いていて、下手したら下着が見えそうだ。

本人は気にしていないようだけど。

姉のそういう周囲の目を意に返さない性質は正直言うとかなり羨ましい。

下品でふてぶてしいと言う人もいるけど、それでも、姉は自分のやりたいようにやるのだ。

どれだけ不利な状況に陥っても、どこか冷静で堂々としている。

「アンタも飲むぅ?まっ、未成年だからダメねぇ。あははは!」

缶ビールに赤いルージュの唇をつけて、姉は喉を揺らした。

飲み始めたばかりだというのに、もう酔いが回ったようなハイテンションである。

「お姉ちゃんねぇ、結婚するのぉ」


いきなり落とされた爆弾に、わたしは膝から顎を浮かせた。

姉は両頬を赤らめながら、目じりを垂らして、幸せの原寸を噛み締めているようだった。

恋をしている顔だ。きっと、相手は今の彼氏さんで、本当に愛し合っているのだろう。

「お金は無いけどぉ、彼はお姉ちゃんの苗字を変えてくれるのよぉ。それって何よりも素敵なプレゼントだわぁ。お姉ちゃんねぇ、この人とならもう一つの家族になりたいって思えたのよ。いつか明日菜も結婚して、好きな人と家族になるの。自分のダメなところを見せても離れていかない。自分の深いところまで愛してくれる。ありのままの自分を受け入れてもらえるのって、何より気持ち良いのよ」


りんご色の頬を傾けて、姉は嬉しそうに笑った。

どこか既視感を覚える微笑み。

顔の造形は似ても似つかないのに、込められた思いは見慣れたはずのものだった。

「明日菜は、お姉ちゃんよりずっと真面目だものねぇ。でもぉ、誰かを好きになるって、真面目なだけじゃいられないのよぉ?どうしようもないくらい苦しくて、狂って、それでも、手を伸ばさずにはいられない。大切にしたいのに、大切だからこそ、相手を傷つけてしまう。お姉ちゃんが思うにねぇ、恋って綺麗なだけじゃないのよぉ。愛だって、優しく穏やかなだけじゃないの。綺麗できらきらした部分は、あくまでも一面でしかないのよぉ。お姉ちゃんはねぇ、誰かを愛することにルールなんて無いし、恋に普通なんてものは実はないのだと思うのよねぇ」


目を背けたくなって、でも、出来ない。

わたしはなすすべも無く指を震わせ、唇を噛む。

「間違えるなとは言わないわぁ。でも、お姉ちゃんは明日菜には幸せになって欲しいなぁ」

缶ビールを一気に飲み干して、空き缶をテーブルに乗せる。

姉は困ったような表情でこちら側に手を伸ばすと、わたしの髪を優しく撫でた。

それは、聞き分けのないわたしを窘めるときの姉の癖だった。

「それにぃ、明日菜が本当に好きなのは、狼谷先輩の方でしょう?」

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