心が咲いたら返事をください

訝しむ視線を向けると、樋口くんは手をワタワタと動かして、やがて気を取り直すようにコホンッと咳払いをした。

「Really?(え、マジ?)……えー、じゃあ、今の敷島ってフリー?」

「フリーって、まあ、恋人は……いないかな……」

不本意ながらストーカー化した先輩はいるけど。

わたしは現実逃避をするように片腕で頬杖をついて、窓から校庭を眺める。

暗くて黒っぽい緑色はいつの間にか記憶の中に仕舞われて、景色は赤茶色に染まり始めていた。

先輩に告白された時は、まだ緑色の面積の方が広かったのに、時間の流れは随分と早い。


思わず感傷に浸っていると、そんな暗い気持ちを吹き飛ばす勢いで、樋口くんは両手でバシバシとわたしの机を叩いた。

既視感を覚える。シンバルを叩くチンパンジーのおもちゃのようだ。

「えーとだから!Will you be my girlfriend?(おれの彼女になってくれない?)……いや、Can I be your boyfriend?(きみの彼氏になれるかな?)……あー!すまん、だから、えーと」

「ガールフレンド?ってところは、聞き取れるかな、あとボーイフレンドのところ……ごめん、わたしの英語力は小学生以下だから大事なことは日本語で話してくれないかな」


「Sure!……By mistake(いいよ!……って間違えた)りょーかい!すまん、癖になってんだよな。個性個性、チャームポイントとして見逃してくんない?まァ、気をつけるけどさ」

「ありがとう……でさ、結局、なんの話なの?樋口くんの彼女の話?」

「おれが敷島と付き合いたいって話かな!好きだよ!大事にするからさ!李山(りやま)は転校しちゃったし、敷島、寂しいだろ?だから」

「え?」

待って、今なんて言ったの?

わたしは自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。

李山、りーちゃんが転校した?わたしになにも言わずに?嘘でしょ。親友なのに。


そりゃ、出会ったのは高校で付き合いは一年にも満たないけど、確かにお互いに親友って言い合える仲だった。はずだ。

知らないうちに嫌われていた?

気が付かないうちに愛想を尽かされていた?

もしかして、親友だったこと自体が最初からわたしの勘違い?

ネガティブな感情がぐるぐると渦巻き、喉元をせり上がるのを感じて、唇を手で押さえつける。

そんなんじゃない、と否定してくれる存在はこの場にいないのだ。

現実はわたしの心臓の柔らかい場所を無慈悲に貫く、痛みから喉の奥が震え出して、ぱたぱたと、茶色の机上に丸いシミができた。


「Don't cry(な、泣かないで)……I want to see your smile!(おれはきみに笑っていてほしいな!)あー、だから……その、泣くなよ」

「ひッくうぅぅぅ……」

「What should I do(どうしたら良いんだ)……えーっと、おれが怖いの?敷島の気に触ることした?だったら謝るよ。なっ?」

薄いレンズ越しの蒼色が心配そうにゆらゆら揺れている。申し訳なくなった。

樋口くんは悪くないのに。

あなたのせいじゃないのに。

伝えようにも、首の辺りで声がつっかえて上手く出てこない。

黒板の方の席を見ると机を囲み雑談をしている女子生徒と目が合って、すぐにそらされた。


彼女が隣にいる女の子とヒソヒソと小声でわたしについて悪口を言っている気がして、被害妄想だと分かっているのにヒッヒッと喉が引き攣って、呼吸が乱れる。

こんなことで泣くとは思わなかった。

感情の制御が上手くできない。

辛い。苦しい。恥ずかしい。嫌だ。消えてしまいたい。

両手で痛む左胸を押さえつけて、クラスメイトたちの視線から逃れるように背中を丸める。

世界が、煉獄の業火に包まれて燃え上るような心地がして、あああ!と大声を上げて発狂したくなった。

精神状態が良くない。不安定だ。

「敷島!おれが保健室に連れていくから!ほら、行こう!先生まだ来てねーし!」


腕を引かれて立ち上がり、わたしは人形のように樋口くんの後ろを歩いた。

糸を引かれるマリオネットの気分だ。

もっとも、わたしが本物の人形で感情なんて無かったなら、こんなに思い悩むことは無かっただろうけど。

なんて、メランコリーになっていたのは数分前のことだ。

いつの間にかわたしはベッドで休養をとることになっていた。いや、なんで?

ふと正気に戻ったわたしは保健室で白い毛布にくるまりながら薄ピンク色のカーテン越しに聞こえる保険の先生と樋口くんの話し声をBGMに現状を把握しようと思考を回転させる。

べつに身体のどこかが悪いわけではないのに、気がついた時には樋口くんのゴリ押しによってわたしは保険室のベッドを一つ陣取ることになったのだ。


今のわたしの姿を一言で表すと布饅頭である。

頭から毛布を被ると荒んだ気持ちが落ち着くのだ。仕方ない。

金髪碧眼の刀の付喪神の気持ちに共感しっぱなしである。わたしの初期刀だ。

情緒が不安定な時というものは、自分の姿を他人に見られていると考えただけで、ネガティブな感情が沸き起こってしまう。

いつもなら気にならない他人の視線が気になって、考え込んでしまうのだ。

わたしはそんな気分の時は毛布を頭から被ると安心することが出来た。

毛布がわたしを守ってくれる。

そう考えると楽になるのだ。


シャッとカーテンレールが音を立てて、薄ピンク色の布が開かれる。

保健室の窓から差し込む光を背にした樋口くんは、泣き止んだわたしの顔を見ると安心したとばかりにホッと息を吐く。

ウッ、罪悪感にクリティカルヒット。

「この度は大変お世話になりました……」

わたしはきちんと正座をして、両手の指先を真っ直ぐ揃え、深々と頭を下げる。誠心誠意。

樋口くんは保険室の先生への説明から『保健室ノート』の書き込みまであれよあれよという間に済ませてくれたのだ。

感謝してもしきれない。

まさに行動力の化身である。


樋口くんはとびっきりのクソ四コマなんて読まなそうだし、どちらかと言えば週刊少年ジャンプとかの方が好きそうだけど。

「敷島さァ、そんな堅く考えんなよー。むしろ、おれが頭を下げるべきというか……いきなり告ってごめん!まさか泣かれるほど嫌われてると思わなくて……」

驚いて顔を上げると、困ったように頭をかく樋口くんがいた。えっ?

「あれって本気だったの?」

「本気だが!ジョークで告らないって!」

「そ、そうなんだ……」

「あっ、信じてねーな?」

「まあ……」

「敷島、好きだ」

ドキッとした。

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