何一つ守れなかった両手です

せっかくなので、キッチンの戸棚を漁る。

飲み物は二リットルのペットボトルを用意していたけど、お菓子を出すまで頭が回らなかったのだ。

こういうところに経験値の差が出る気がした。要するに、青春ポイント的な何かである。

無論、わたしにおかしなピザの食べ方をする自称宇宙人の美少女従姉妹や駄菓子屋を経営している三十九+一歳の叔母さんなんていない。

そもそもポイントを競う相手なんて存在しませんが。

戸棚からチョコチップクッキーを一箱とのり塩味のポテトチップスを一袋取り出した。


クッキーとスナック菓子という高カロリーセットだけれど、他にあるのは六袋詰めの柿の種くらいだ。あとはお母さん用のお酒のおつまみであるスルメ。

来客用のお菓子のストックなんて無い。

我が家は他人なんて普段は出入りしない家なのだ。当たり前だけど。

戸棚をパタリと閉める。

木目の見える丸形のお盆にきれいに洗われたお皿を二枚用意した。

両手で力を込めて、ポテトチップスの黄色の袋を開ける。ふんっ。開いた。

同じブランドならコンソメが殴りかかってくる方が好きだったりする。誕生から四十年の歴史は伊達じゃない。

袋を傾けると白い面積が薄く揚られたじゃがいもに侵食されていく。


どのくらい袋から出せば良いのかわからなくて、何枚かは木製の茶色の上に散乱した。あらら。勿体ないので人差し指と親指で挟み込み、咀嚼する。美味しい。

手が止まらなくなるになる前に、クッキーの入った長方形の箱を開ける。

三パックに分かれた十五枚入りらしい。

ラスト一枚をどちらが食べるかはジャンケンで決めようと思った。先輩とて手加減はせぬ。手から光の玉を打ち込めるかもしれない。

二頭身の老婆になって湯屋の経営をする予定は無いです。

チョコチップクッキーを綺麗に並べた。お皿がもっとオシャレだったらインスタ映えしそうである。余計なことをした気がした。食べたら同じなのに。

でもこうした無駄なことが人生を豊かにするのだ。知らんけど。


自室に戻ると先輩は向かって右側の壁の方を見つめてぼんやりとしていた。先輩の耳が赤い。わたしは首を傾げる。

わたしが部屋に入って来ても、「ああ、うん」と零したきり黙り込んだ先輩はどこか上の空な反応で、近いものを挙げるなら微熱が出た子供のようだ。

わたしは数度瞬きをしてみたけど、見える世界は変わらなかった。当たり前である。

「えーと……先輩、どうしたの?大丈夫?具合悪い?」

「大丈夫、だけど……」

「ほんとうに?無理しないでよ。冷えピタとか探してこようか?」

純粋に心配である。

「……うぅん。大丈夫、大丈夫だ」


「そう?ならいいけどね。先輩って食べ物のアレルギーとかある?甘いお菓子って平気?」

「え?……ああ、べつに平気。あーちゃんは甘い物が好きなのか?」

「甘い物が嫌いな女の子は中々いないと思うのだ。根拠の無い持論だけど」

「へえ、そんなもんか……」

わたしと会話をしながらも、先輩はぼーっと一点を見つめていた。虫でもいるんだろうか。視線の方向を追いかける。視界に映す。見て後悔した。見なきゃ良かった。

あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!

わたしの勉強机の上にコンドームの箱が直立していた。

な……何を言っているのかわからねーと思うがわたしも何が起きているのかわからなかった……幻覚とか都市伝説とか、そんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。いや、エッ?


「ちッ、違うから!ちが、ほんとに違うから!先輩とエッチなことしたくて用意したとかそんなんじゃないから!いや、興味が無いわけじゃッそもそもわたしは未経験だし……ああああっ、何言ってるの!今の無し!いやでも、避妊具を常備するようなアバズレではないから!わたしは!処女!」

待って待って待って、ほんとに何が起きたの?

わたしはなにやらとんでもないことを口走っている気がする。いやちょっと本気で待って欲しい。

大声で弁解を図るわたしを見て、先輩は口を漢字の一の文字に噤んで難しい顔をした。

アバズレ女なんて誤解されたくない。

けれど、上手い言い訳は浮かばなかった。先輩は何も言わない。


それがひどく恐ろしくて。段々と唇が震えてきて、変なふうに引き攣った。

わたしの目からポロリと一滴の雫が落ちたとき、先輩は目を丸くする。初めて見る表情だ。先輩の深紅の瞳に泣きっ面の女が反射していた。

「ッえと。俺が泣かせた……んだよな?あーちゃん、泣かないで。あのさ、理由を言ってくれないとわかんないって」

「ひぃ……っ先輩がわたしのことくそビッチだと誤解したぁ……」

「うん?え、なにが?あーちゃんって処女でしょ?いや、べつにどっちでもいいけどさ」

「ぢょじょだよッ」

「知ってるけど……」

先輩は困り果てたとばかりに、わたしの目元を指の腹で優しく撫でる。人間の体温を持つ手だった。


思えば、父親以外の男性に顔を触られるのは先輩が初めてな気がする。

「あーちゃん……こんな時でも俺を真っ直ぐ見てくれんの、すっげぇ可愛いね。俺に触られるの、好き?」

「うぅ……くそぅ……んぐぅッ 」

悔しくて、やけくそのように先輩の腕を掴んで包帯越しの手首に歯を立てた。それなりに強く。まるで野蛮人だ。そして気づいた。そういえば、先輩の包帯の量が増えている。犯人は前に話していた懐かない猫ちゃんだろうか。八つ当たりで噛んだことが申し訳なくなった。

「ッぁ、くそ……くそ。……ねえ、あーちゃん、キスしよっか、ね?」

「んッ」


返答をする前に唇を塞がれた。先輩にわたしのファーストキスを奪われた日からキスは何回かしている。そろそろ先輩の唇への耐性がついてきたかもしれない。

先輩のキスは好きだ。安心して、思考が優しくとろとろ溶けていく感じがする。

「ッはァ……可愛いあーちゃん。口開けて?べーってしよ。もっと噛んでいいよ」

「あぇ?」

言われた通りに唇を開いて舌を突き出すと先輩は舌先を舐めて唇を重ねてきた。先端を吸い、歯列をなぞり、ぴちゃぴちゃと舐めまわして、口内の粘膜を蹂躙されて、挙句には喉奥まで舌をねじ込まれて、息が出来ない。唇の端に銀の糸が伝い、喘鳴する。酸欠状態で腰が抜け、カーペットの上に倒れ込んだ。馬乗りになってわたしを見下ろす先輩の息は荒くて瞳に獰猛な光を宿している。先輩の手にはいつの間にか赤い小さな箱が握られていた、そして。

「避妊は、してあげるから……」

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