第一章 終末の足音Ⅰ
終業のチャイムが鳴り響くと、一人の少女が他の生徒たちにもまれるようにして校門をくぐりぬけた。
校則どおり髪が肩にかからないようショートカットにし、やぼったい銀縁メガネをかけている。一見、時代遅れのガリ勉娘といった感じがするが、よく観ると、それが誤りであることに気づくだろう。
完全に左右対称になった、細い三日月のような眉に、長いまつげに縁取られたつぶらな瞳。
残念なことに、この事実に気づく者はほとんどいない。その中にこの少女
米国が正体不明の敵に襲撃されても、まだ、この神奈川の街まで被害の波は押しよせてはいない。規則正しい呼吸のように、生徒たちは登校し、授業を受け、そして下校する。せいぜい話題の種になるだけだ。
「アレって、どっかの国のヒミツヘイキなのかな?」
「きっとテロリストがつくったんだよ」
「でもさ、こわされても再生するんでしょ? やっぱ人間が作ったモンじゃないわよ、あの〈鉄の怪物〉は」
それぞれ数人のグループになり、話しに夢中になっている。その顔には恐怖の色はない。あるのはむしろ興味と好奇心だ。
琴美は誰ともこの話題について話していない。話したくないのではなく、話す相手がいないのだ。決してイジメにあっているわけではない。そもそも琴美の通うこの『私立園山中学』には、イジメらしいイジメはない。
進学率を売りにしているこの中学では、生徒たちは自分の勉強に精一杯で、良くも悪くも他人にあまり干渉しない。学校が終われば、そのまま塾に直行する生徒がほとんどだ。
だからこそこの移動時間は、生徒たちにとって貴重な息抜きの時間であり、情報交換の時間だった。
琴美もそれは同じで、独りでも開放感を満喫していた。だが、今はそんな気分になれない。母親の祥子が受験を気にして、早くもナーバスになっているからだ。
まだ、二年近くあるのに……
琴美が二年生に進級して、まだ一ヶ月しかたっていない。恐らく、祥子は高校受験当日まで琴美にフラストレーションをぶつけるはずだ。それを考えると気が重く、琴美もイライラしてくる。琴美にとって海の向こうの〈鉄の怪物〉より、自分の母親の方がよっぽど嫌な存在なのだ。
琴美は下唇をキュッとかみしめた。口の中に鉄の味がひろがった。イライラがピークに達したときの癖だ。
くわえタバコのサラリーマンが、琴美の脇を通り過ぎようとした。
「アチッ」
という小さな悲鳴に振り返ると、燃え上がったタバコがサラリーマンの足下に落ちていった。
「まただ……」
思わずつぶやきがもれた。タバコは瞬く間に燃え尽き、灰もほとんど残らなかった。
サラリーマンは、しばし眼を見開いて自分の足下を見つめていたが、首をかしげながらその場を立ち去った。
サラリーマンが立ち去ったあとも、琴美はその場所を見つめつづけた。琴美の顔にサラリーマンのような驚きの表情はない。あるのはあきらめに近い哀しみだ。
琴美にとって、突然発火現象はめずらしいものではない、ここ数年頻繁に起きている。原因はどうやら自分にあるらしい。感情が高ぶると、たまにこんなことが起こる。幸運にも、今までボヤ以上の火事はだしていない。
それでも一度、家を丸焼けにしそうになったことがあった。あれは中学入試の一ヶ月ぐらい前のことだ。祥子が部屋で勉強している琴美に、「勉強は進んでる? 山苑にうかれそう?」としつこくたずねた。
「そんなの、わたしに判るわけないでしょッ」
「なんで判らないの? 自分のことでしょうッ」
祥子は琴美を怒鳴りつけた。
「決めるのはわたしじゃなくて、ガッコじゃないッ。本当につらいくて苦しいのは、ママじゃなくてわたしなのよッ」
琴美もついに我慢しきれず怒鳴り返した。その瞬間、琴美のベットが炎に包まれた。火元はエアコンが考えられるが、布団に火がつくとは思えなかった。結局、消防側もいまだに原因を突き止められないままだ。
原因はわたしよ。
でも、どうして?
なんでわたしなの?
わたしが何をしたっていうの?
もういや、誰かたすけて……
いくら心の中で叫んでも、救いの手をさしのべてくれる者はない。
大声をだしても、わたしを助けてくれる人なんて、どうせいないわ……
琴美には心の
どうせパパとは口もきかなかったし、離婚したければ勝手にすればいいのよ。わたしは、どうでもいい……
琴美は再び歩きだした。火には嫌な記憶がつきまとう。火は琴美に不幸をもたらす使者だ。
琴美は大きくタメ息をついた。この忌々しい生活のループから抜け出したい。そう願いつつも、琴美にはそうする気力も勇気もなかった。
そのとき、琴美のカバンからケータイの着メロが鳴り響いた。慌ててケータイを取り出すと、あることに気づいた。
着信音が鳴っているのは自分のケータイだけではない。周りにいる生徒たちも、その他の通行人も、誰もがケータイを手にし、脚を止めて、琴美と同じように自分以外の人々を見まわしている。
あの時と同じだわ。
それは異様な光景だった。様々な着信音が入り乱れ、思わず耳を覆いたくなるような不協和音を奏でている。その中にいる人々は、申し合わせたようにケータイのディスプレに視線を落とした。不協和音がやみ、一瞬、異様な静寂がおとずれた。
愚かなりし人の子よ
滅びの鐘は鳴り響く
最後の審判のときはちかい
鷲は翼をもがれ地に落ちた
もはや何ものにも止められぬ
汝らの血を我に捧げよ
人のあるところ
神の使いは現れる
終焉の車輪は回り始めた
やっぱり、予言メール……
辺りがすぐに騒がしくなった。不安と好奇心に駆られ、そこにいる人々がざわめきだしたのだ。
頭で警報が鳴っていた。これを読むのは危険だと琴美に告げている。同時にもう一つの声が、もっと読め、もっと読め、とけしかけていた。
画面に書かれた文字を読むことがなぜ危険なのか、なぜこんなに惹きつけられるのか、理解できない。とにかく、読むことを望む声には魅惑的で逆らえない響きがあった。
琴美は二度、三度とメールを読みかえした。その度に琴美の心に衝撃が走った。その衝撃は、心の深奥にある何かにヒビを入れた。しかも回数を重ねるたび、ヒビはどんどん深くなっていく。そしてヒビが深くなると、その分、警報の音は小さくなっていった。
さらに繰り返し繰り返し予言を読んだ。そのうちヒビから何かが滲み出てきた。それは次第に勢いを増し、心の深奥にある何かを完全に破壊し、巨大なうねりとなって心の中に溢れていった。
それは恐怖でも悲しみでもなかった。それは歪んだ希望。世の中に存在するもの全てに対する憎悪と、人類の脅威となるものに対する期待だった。
琴美はゾッとするような冷たい笑みを浮かべた。頭の中の警報はすでに消え、彼女を止めるものはもう何も無かった。
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