第30話 料理と疼痛と
「ふぅ……ただいま帰りましたぁ」
重い身体を引きずるようにしながら、伊織は『自宅』の玄関を開けた。
(……自宅、か)
そう思えている自分が嬉しく、同時にどこか面映ゆくもある。
(って、とりあえず早くお夕飯作らないと……春輝さんが、お腹すかせちゃう……)
とはいえ、今の伊織にとっては使命感の方が先立っていた。
春輝の残業で遅くなる場合などは仕方ないが、自分のせいで彼の夕食が遅れるというのは出来るだけ避けねばならない。
そう、思っていたのだが。
(……あれ? なんか、良い匂いがする……ような……?)
お腹を刺激する香りが鼻に届いてきて、伊織は首を傾げた。
(露華か、白亜……?)
頭の中に料理する妹たちの姿を思い浮かべようとするも、上手くいかない。
(あの子たちは、まだちゃんとお料理出来ないよね……?)
実際、伊織が知る限り彼女らが料理を覚えたという事実はないはずだった。
(て、ことは……!?)
その可能性に思い至り、伊織は慌てて靴を脱いで足早にキッチンへと向かう。
すると、そこで迎えてくれたのは。
「ん、おかえり伊織ちゃん」
エプロン姿の、春輝であった。
「ちょうど良かった、今出来たとこだから」
テーブルの上には、湯気を立てる炒飯と中華スープが四人分用意されている。
「す、すみません! 春輝さんに作らせてしまうだなんて……!」
「いやいや、気にしないで。俺が勝手にやったことだし……久々に料理なんてしてみたら、結構楽しくて気分転換にもなったしさ」
恐縮しきりで頭を下げる伊織に対して、春輝は笑いながら軽い調子で手を振っていた。
「それよりほら、冷めないうちに食べちゃおう」
「は、はい……」
次いでそう促され、伊織はおずおずと席に着く。
「やー、ウチらが帰ってきた時にはもうほとんど出来上がっててさー」
「美味しそう……」
既に他の席には、苦笑気味の露華と目を輝かせる白亜が座っていた。
「それじゃ……」
いつもは伊織がするところを、春輝が先導して手を合わせ。
「いただきます」
『いただきます』
春輝の言葉に、白亜と露華が続く。
「い、いただきます」
少し遅れて、伊織も手を合わせた。
そして、引き続き恐縮の心持ちながらも炒飯を口に入れる。
「ん! 美味しいです!」
すると思った以上に味が良く、思わず声を上げてしまった。
正直、自分が作るものよりも数段上に思える。
「確かにこれ、めっちゃイケてるね……!」
「スプーンが止まらない美味しさ……!」
露華と白亜も、軽く目を見開いた後にどんどん手を進めていた。
「春輝さん、お料理もお上手だったんですね……」
「いや、炒飯だけだよ」
感心の目を向けると、春輝は照れ臭そうに頬を掻く。
「男の一人暮らしあるあるに、炒飯だけやたら極めたがるってのがあってさ。俺も例に漏れず、社会人なりたててで割と余裕があった時に研鑽してたんだ」
「そうなんですね……」
伊織は知らなかったが、どうやら男性の一人暮らしというのはそういうものらしい。
「何にせよ、お手数をおかけして本当に申し訳ないです……」
とはいえ夕食を任せてしまった事実に変わりはなく、再度頭を下げる
「いいんだって」
すると、春輝はまた軽い調子で手を振った。
「ほら、いつも作ってもらってるお返しみたいなもんだから」
「でもそれは、そもそも私たちが住まわせてもらってるお礼なわけですし……」
ついつい食い下がってしまう伊織であったが。
「まぁまぁ、俺の気まぐれさ。たまには付き合ってくれ」
「は、はい……」
そう言われてしまっては、頷くしかなかった。
(気遣われてるな……私、また……)
内心では、申し訳なさでいっぱいである。
「おかわりもあるから、どんどん食べてくれよ」
「それじゃハル兄、おかわり……!」
「ウチもー」
しかしモリモリ食べている妹たちを見ると、ここで遠慮するのは逆に失礼かと思い始めてきた。
「わ、私も……!」
ということで、伊織も豪快に掻っ込み。
「私も、おかわりお願いします!」
「ははっ、了解。でも、慌てずにな」
皿を差し出すと春輝が嬉しそうに笑ってくれたので、これで良かったのだと思う。
と同時に、その優しげな……『保護者』の顔に。
(春輝さんにとっての、私は……きっと、保護すべき『子供』……なん、だよね……)
どこか、締め付けられるような。
小さな胸の痛みも、感じるのであった。
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