第28話 母親と長女と

 リビングのソファで白亜と触れ合うこと、しばらく。


「白亜ー? 今日のお掃除当番あなたでしょ? 早く……って」


 リビングに顔を出した伊織が、春輝と白亜の姿を見た途端にパチクリと目を瞬かせた。

 彼女からすればなぜか二人羽織のような格好をしている二人が突然視界に入ってきたのだろうし、その反応もさもありなんといったところであろう。


「またそんな、春輝さんに甘えて……」


 それから、伊織は少し困ったように笑った。


「違う、これは女心のレクチャー。決して、わたしがハル兄に甘えているわけではない」


 白亜が抗議するが、春輝に半ば埋まるような体勢では説得力は薄いと言えよう。


「はいはい。わかったから、早くお掃除済ませちゃいなさい」

「……承知」


 不承不承といった様子ながら、白亜が頷く。


「……ハル兄」


 それから、どこか名残惜しそうな目で春輝を見上げてきた。


「また、こんな風にしてもいい?」

「あぁ、勿論。俺も、女心をもっと学びたいしね」


 冗談めかしながらも春輝が頷くと、白亜の顔にパッと笑顔が咲いた。


「うんっ!」


 大きく頷いて、立ち上がる。


「それじゃ、お掃除してくる」


 リビングを出ていくその足取りも、どこか楽しげであった。


「すみません春輝さん、白亜に付き合わせちゃって」

「ははっ、いいっていいって。白亜ちゃんも言ってた通り、実際俺の方が教えてもらってたって部分もあるんだ」


 申し訳なさそうな顔の伊織に、春輝は笑って手を振る。


「そう言っていただけると……」


 そんな春輝に、伊織は微苦笑を浮かべた。


「……春輝さん」


 それから、どこか迷ったような素振りを見せて。


「あの子、たぶん親の暖かさみたいなのに飢えてると思うんです」


 再び開いた口から出てきたのは、そんな言葉だった。


「私たちの母親は、白亜が小さい頃に亡くなったので」

「……そうだったのか」


 初めて聞く彼女たちの家庭の話に、春輝は姿勢を正す。


「父親共々、元々忙しくしていた人だったんですけど……不規則な生活から体調を崩して、結局そのまま。人間、最期はあっけないものですね」


 どこか他人事のように語る伊織の話を聞きながら、春輝はお弁当を持たされることになった日のことを思い出していた。

 伊織だけでなく白亜や露華も真剣な表情だったのは、春輝に母の姿を重ねてのことだったのかもしれない。

 先の白亜の態度にも、なんとなく合点がいった気がした。


「私と露華はまだ、両親に甘えられた時期もあったんですけど……母が亡くなってからは、父もますます忙しくなっちゃって。だけど白亜はいい子だから、それに対する不満も口にしなくて……私たちには、言ってくれなくて」


 話しながら、伊織は目を伏せる。


「早く自分も大人にならないと、なんて思ってるみたいなんですけど」


 再び上がった視線には、どこか縋るような光が宿っているようにも見えた。


「だけど、春輝さんになら……」


 そう、口にしてから。


「……すみません。こんな話聞いても、困っちゃいますよね」


 言いかけていた言葉を途中で止め、「あはは」と伊織は苦笑を浮かべる。


「別に私は、春輝さんに何かしてほしいとか言いたいわけじゃなくて……」

「伊織ちゃん」


 伊織の言葉を遮って、春輝はソファに座ったまま大きく足を開いた。


「ちょっとここ、座ってみ?」


 そして、トントンと自分の足の間を指す。


「え……? えぇっ!?」


 一瞬キョトンした表情を浮かべた後、伊織は顔を驚愕に染めた。


「いえ、その、春輝さん、それは、えと、というか、なぜ……?」

「いいからいいから」


 説明することもなく、手招きする春輝。


「は、春輝さんがそうおっしゃるのでしたら……」


 伊織がおずおずと歩み寄ってくる。


「し、失礼します……」


 そして、遠慮がちに春輝の前に腰を下ろした。


(ぐむっ、流石に白亜ちゃんとはだいぶ違うな……!?)


 柔らかく女性的な体つきに一瞬動揺するも、理性を総動員してそれを押さえつける。


「ちょっと、じっとしててな」


 そう断ってから、片手でそっと触れる程度に伊織の肩の辺りを掻き抱いた。


 もう片方の手で、頭を撫でる。


 ピクリと、少しだけ伊織の身体が震えた。


「あの、これは……?」


 伊織がおずおずと尋ねてくる。


「白亜ちゃんに聞いたんだ。これが、女性に対する基本姿勢なんだとさ」

「それは……」


 春輝の冗句に、一瞬何か言いかけて。


「……白亜も、もうちゃんと女心がわかる年頃なんですね」


 ふっ、と。

 その身体から、力が抜けた。


(白亜ちゃんが親の暖かさに飢えてる、ってのは確かなんだろうけど……それを言うなら、君もだろ? たまには、誰かに甘えたい時だってあるんじゃないか?)


 それは春輝の勝手な考えではあったが、大きくは外れていないように思う。


(お姉さんだからって……いつも、頑張ってなくてもいいんだぞ?)


 考えるだけで、口には出さない。

 口に出してしまうと、きっと彼女はまた春輝に対して気を使ってしまうだろうから。


 二人共、何も喋らない。


 ただ、春輝が伊織の頭を撫でる。


 そんな穏やかで、ゆったりとした時間が過ぎていった。

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