第24話 改善と揶揄と
小桜姉妹との同居を始めて、色んな意味で心臓に悪い出来事が増えたのは事実。
けれど同時に、春輝が人間らしい生活を取り戻してきたのもまた事実であった。
食生活が整ったり、家の清潔さが保たれたり、ワイシャツの皺がなくなったり……といった面もさることながら、最近では残業や休日出勤も減っている。
というのも、以前に比べて春輝の業務量が明らかに減ったのだ。
春輝自身に『残業抑制』という観点が生まれたから、というのも理由の一つではあるが……。
例えばそれは、春輝がお弁当を持参するようになって数日が経過した日の午前中のこと。
「人見、明日業者が来るんだけど……って、そうかその時間はメンテか。じゃあいいや」
「人見ちゃん、この資料……って、今週はもういっぱいそうだね。こっちでやっとくわ」
「人見さぁん。お客さんから電話あったんでこないだもらった資料送っときましたぁ」
といった風に、周囲が仕事を分散させてくれているのが大きかった。
なんとなく春輝が早く帰りたがっているのを察してくれた結果でもあるのだろうが、それだけではない。
「先輩、いいですねこの業務改善」
貫奈がそう言いながら見ているのは、春輝の机に置いてあるスケジュールボードだ。
春輝自身の一週間の予定が、そこにビッシリと書き込まれている。
チームメンバーは、それを見れば春輝の手持ちのタスクを概ね把握出来るというわけだ。
「アイデア自体は単純ですが、効果的です。前々からやっておけば良かったですね」
「かもな……まぁ、とはいえ俺にはなかった発想だし」
「んんっ? ということは、先輩自身が考えたわけではないので?」
「あぁ、小桜さんが考案してくれたんだ」
首を捻る貫奈を前に、春輝は数日前の会話を思い出していた。
◆ ◆ ◆
「おかえりなさい、春輝さん。今日は遅かったですね」
「あぁ、ちょっと仕事が立て込んでさ」
「あの……また差し出がましいことを言うようですが、春輝さんはちょっと気軽に作業を引き受けすぎなのではないでしょうか? 周りの皆さんもそれに慣れてしまっているので、春輝さんに負荷が集中してしまっていると思うんですけど」
「そうは言ってもなぁ……なんつーか、断るのもめんどいし……」
「……では、向こうの方から察してもらうというのはどうでしょう? 皆さんも別に春輝さんを忙しくさせたくて作業を依頼しているわけではないでしょうし、例えば──」
◆ ◆ ◆
といった流れで、スケジュールボードを置くことを提案されたのである。
当初大した効果は見込めないだろうと思ってた春輝だが、これが意外な程に状況を改善させた。
「はぁ、そうでしたか」
貫奈の表情が、一瞬固くなった気がする……が、すぐにそれも元に戻った。
「まぁ我々も、先輩にばかり作業が集中するのは心苦しく思ってましたからね」
「そう……なのか?」
思ってもいなかった言葉に、今度は春輝が首を捻る。
「ただ先輩、頼んだら何でも受けてくださるので。一人一人が頼む量はそこまでじゃないのもあって、まぁいっかなって気持ちになってたんだと思います。それが可視化されたことで、改めてこいつの作業量やべぇなってわかって遠慮されるようになったのかと」
「なるほどな……」
あまり自覚はなかったが、現状を鑑みるとそういうことなのだろうと春輝も納得した。
現に仕事を依頼されることは激減し、逆に作業を引き取るという声まで掛けられるようになったのだから。
そして実際、既にいくつかの作業は引き渡し済みだ。
最初に引き継ぎ資料の作成や説明で少し手間は掛かったが、今ではかなり作業の総量が減っていた。
「……時に、先輩」
貫奈の口調から柔らかさが消滅し、同時にその眼鏡がキランと光る。
「どういった流れで、小桜さんとそんな話をされたので? 社内では、あまり雑談を交わしているところも見ませんが……もしかして、社外で会っているとか?」
「え!? いや、そうだな、外で、たまたま会った時にそんな話をしたんだよなー!」
答えながらも、春輝は自身の顔が強張っているのを自覚した。
(変に勘ぐられないよう、会社じゃ最低限の会話しかしないようにしてたけど……まさかこんなところで裏目に出るとはな……!)
極力表情を取り繕いつつも、内心では結構焦っている春輝である。
「そうだぞ人見ー、最近なんか怪しいぞー?」
「日に日に小桜さんとの距離感が近づいてるって感じですよねー」
「新たなフラグ構築中? 的な?」
と、同期や後輩たちがワイワイと会話に加わってきた。
「な、なんだよお前ら……俺に話しかけてくるとか珍しいな……」
話題を誤魔化すための言葉でもあったが、思わず口をついて出た本心でもある。
「いやだって、前までのお前って話しかけるなオーラ出てたじゃん?」
「傍目にも忙しそうなことだけは伝わってましたしね」
「表情もなんか最近は柔くなった? ってな感じ?」
「そう……かな?」
口々に出てくるそんな意見に、春輝は自身の顔を撫でる。
(まぁ実際、前より残業減って楽になったしな。あとは、やっぱ家に帰ると人がいるってのもデカいのかも。前は、仕事関連以外で一言も口きかない日もザラだったしな……)
そんな風に、生活を振り返り。
(あの日……助けられたのは、実は俺の方なのかもな)
伊織たちを拾った夜のことを思い出しながら、何とは無しに伊織へと視線を向ける。
「……?」
首を捻りながらも、伊織は少し微笑んで会釈を返してきた。
「はい出ました、意味深な視線の交換!」
「怪しさ大爆発中ですね!」
「もう目だけで通じ合ってる? みたいな?」
「い、いや、話題に出たら普通に視線くらい向けるだろ!」
頬を引き攣らせながら言い訳するも、周囲は『ほーん?』とニヤニヤ笑うのみ。
唯一の例外は貫奈だが……その視線はなぜか非常に鋭く、むしろそれが一番春輝を居た堪れない気分にさせる。
背中を、嫌な感じの汗が流れていった。
「人見ぃ、お前に客だぞー!」
「は、はい! 承知です!」
とそこでオフィスの入り口から呼びかけられたため、これ幸いと立ち上がる。
『逃げたな……』
「逃げましたね……」
同期たちと貫奈の声を置き去りに、春輝は足早に入り口の方へと向かった。
「……人見。お前、なんか変なことやらかしたりしてないよな……?」
「は……? いえ、特に心当たりはないですけど」
「そうか、ならいいんだが……」
春輝を呼んだ先輩社員の物言いを訝しみ……けれど、直後にその理由を察する。
「やっほー、春輝クン」
「ここが、イオ姉とハル兄が働いてる会社……」
そこにいたのが、制服姿の少女二人だったためである。
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