第2話 姉妹と運命と

 春輝は、回想を終えて意識を現在に戻す。


 ──貴方が神ですか?


 三回目に声をかけてきたのもまた、制服姿の少女であった。


 今までの二人と比べれば、随分大人びた雰囲気を纏っている。

 最初の少女が子供体型、二人目の少女が比較的スレンダーだったのに対して、彼女は身体の膨らみも『大人』な感じだ。

 腰にまで届く真っ直ぐな黒髪も手伝って、見る者に清楚な印象を抱かせる。

 少しタレ気味の優しそうな目の中心で、その瞳が不安そうに揺れていた。


 ……と、いうか。


「……小桜こざくらさん?」


 今回は、春輝の知っている顔だった。


 小桜伊織いおり。春輝が勤める会社でバイトをしている女子高生である。


「……えっ、人見さん?」

 

 伊織もようやく相手が春輝であることを認識したらしく、驚いた顔となった。


「そんな、人見さんが神……?」


 次いでその表情が、疑問と気まずさの入り混じったようなものとなる。


「でも、知らない人よりは安心かも……それに私、人見さんになら……でもでも、こんな形でなんて……って、そんなこと言ってる場合じゃないよね……」


 何やら、ブツブツと呟きながら葛藤している様子だが。


「あのさ、小桜さん」


 春輝は、告げなければならなかった。


「俺、神じゃないんだけど」


 過去二回と、同じ内容を。


 俺、神じゃないんだけど。

 こんな言葉を口にする日が来るとは思ってもみなかった。


「えっ、そうなんですか!?」


 割とあっさり納得してくれた先の二人と違い、なぜか伊織は驚愕の表情を浮かべる。


「逆に、俺のどこに神要素があると思ったの……?」

「いえ、その、人見さんは優しいので、そういうこともあるかと……」

「はい……?」


 優しいと、人は神になるというのか。

 初めて聞く学説であった。


「ごめん、ちょっと説明してもらっていいかな? 急に、神とか言われてもさ……」

「そ、そうですよね……!」


 ようやくそこに思い至ったのか、伊織は何度も頷く。


「実は私たち、神待ちで………………あっ!?」


 そして話し始めた途端、「しまった」といった風に自分の口を押さえた。


「神待ち……?」


 その単語は、春輝も聞いたことがあった。

 いわゆる家出少女が、泊めてくれる人を掲示板などで探すこと。

 『救いの手を差し伸べてくれる』という意味で、泊めてくれる相手を『神』と称するのだとか。

 それだけならば、親切な人もいるものだという話で済むのだが……実際のところ、『神』のほとんどは男性であり。

 行為が前提であると聞く。


「ち、違うんですっ!」


 まだ春輝は何も言っていないのに、伊織が力強く否定の言葉を発した。


「私、処女なので!」


「………………は、はい?」


 続いた突然のカミングアウトに、春輝の目が点になる。


「ま、間違えました!」


 公園のどこか頼りない照明の下でも、彼女の顔が赤く染まるのがハッキリわかった。


「いえ処女は処女なんですけども、同時に神待ち処女でもあると言いますか! これが初犯で! いや、初犯の時点で駄目なんですけどまだ未遂っていうか! 別にいつもこういうことをしてるわけじゃなくて、止むに止まれぬ事情がありまして!」

「わ、わかった、わかったから、ちょっと落ち着いて」


 喋りながら吐息が感じられる程の距離まで迫ってきた伊織の肩を、そっと押し返す。


「あっ、あっ、すみません……!」


 カッと更に顔を赤くし、伊織は勢いよく上体を反らした。


「えぇと……それで、その『神』と俺を間違えたと?」


「はい……この公園で待ち合わせしてるんですけど、思ったより広くて……もっと細かい場所を決めたり特徴を教えてもらったりしておくべきだったと、反省しきりです……」


 トーンダウンした声で、伊織はコクリと頷く。

 初歩的と思われるミスをしている辺り、確かにこの手のことに慣れているわけではなさそうなことが伺えた。


(しかし、つーことは今夜この公園だけで三人も『神待ち』の女の子がいるってことかよ……しかも、あんな小さい子まで……世も末だな……)


 ぼんやりと先の二人のことを思い出し、少し暗澹たる気持ちとなる。


「じゃあ、君と待ち合わせしてる人は知り合いってわけじゃないんだな?」


 そんな気分を表に出さないよう注意しながら、伊織に確認。


「はい、顔どころか本名も知りません。ネット上でやり取りをしただけですので……」

「そっか……」


 ふぅ、と春輝は小さく息を吐いた。


 先程伊織は春輝のことを「優しい」と称したが、春輝自身は自分のことを少しもそんな風に思ってはいはない。

 むしろ、極度の面倒くさがり屋かつ事なかれ主義であると自負していた。

 気にはなったが、彼女の言う『止むに止まれぬ事情』とやらを尋ねなかったのもそのためである。

 厄介事の気配しかしない。


 が、しかし。

 ここで知り合いの少女を放り出し、今夜気持ちよく眠れる程に冷たい人間でもなかった。

 というか、気になって眠れなくなってしまうこと請け合いだ。

 それは、優しさというよりは気の小ささゆえなのだが……それはともかく。


(さりげなく……そう、ラブコメ作品で主人公とヒロインの距離が縮まるようなイベントを裏から演出する友人キャラの如きさりげなさで……)


 内心で、そんなことを呟きながら。


「あぁ、それじゃあさ」


 春輝は、いかにも今思い付きましたとばかりの口調で切り出す。


「とりあえず今日のとこは、ウチに泊まれば?」


 何気ない風を装ってはいるが、内心では結構ドキドキしていた。


「えっと……そう言っていただけるのは大変ありがたいのですが……」


 それに対して伊織は視線を泳がせ、口調も大変歯切れが悪い。


(あれ、俺ってもしかしてあんまり信用されてない……?)


 同僚として多少は信頼関係を築けていると思っていたので、若干落ち込む春輝。


「ウチ、結構部屋余ってるしさ。知り合いの方が安心出来るだろ?」


 少し早口で、言い訳がましくそんな言葉を付け足す。


(って、これじゃむしろ下心があるみたいじゃねぇか……!)


 背中を、変な汗が流れていった。


「その、私、まだ人見さんに事情を全部話していなくて……」

「あ、それは言いたくないなら別に……」


「いえ、そういうことではなくて……」


 春輝と伊織が、お互いにモニョモニョした感じで会話していたところ。


「お姉ー。神、こっちにはいなかったよー」


「イオ姉、こっちもダメだった……」


 横合いから、そんな声が聞こえてきた。


 春輝と伊織、同時にそちらへと顔を向ける。


「あっ、さっきの人……」

「おー、さっきはごめんねー。お姉、そのオニーサンは神じゃないってさー」


 幼い少女が春輝を指差し、それより少し年上だろう少女がピッと手で敬礼してきた。


「あっこら白亜はくあ! 人を指差しちゃ駄目でしょ! 露華ろかも、ちゃんと敬語使いなさい!」


 二人へと、伊織が「めっ」と指を立てて説教する。


「あれ……? 君ら、知り合いなの……?」


 思わぬ展開に、春輝は目を瞬かせる。


(ていうか、『お姉』に『イオ姉』って……)


 片や、その幼さゆえ。

 片や、濃いめのメイクゆえ。

 今まで気付かなかったが、こうして三人で並んでいると彼女たちの顔立ちがどこか似ているものであることがわかる。


「あ、はい。私たち、姉妹で」


 果たして、伊織が口にした言葉は春輝の予想していたものであった。


「えと、というか人見さんの方こそ、妹たちをご存知なんですか……?」

「あぁ、さっきちょっとな……」


 ここに来て、春輝の中で線が繋がった気がした。


(『三人の神待ち』がいたんじゃなくて、『三人で神待ち』してたわけか……)


 先程、伊織が「私、神待ち状態で」と言っていたことにも今更ながらに思い至る。


 そして、伊織の歯切れが悪かった理由もなんとなく察した。


「つまり、小桜さんは三人で泊まれる場所を探してるわけか」

「はい……掲示板の方とはそれで合意が取れているのですが、流石に人見さんにとって知り合いでも何でもない妹たちまでお世話になるのは……」


 確かに、普段であれば春輝も知らない相手を家に泊めることを躊躇したであろう。

 しかし、今更ここで放り出してはやはり目覚めが悪い。

 まして、少なくとも一人は知り合いなのだ。

 それに、伊織の妹なのであれば悪い子ではないのだろうという気もした。


(ははっ……なんだか、ラブコメみたいな状況じゃんか。こういう時、主人公なら……)


 そして、何より……今の春輝は、酒によってだいぶ気が大きくなっていたので。


「構わねぇ、三人まとめて泊まってけ!」


 胸をドンと叩いて、そう宣言したのであった。


「い、いいんですか……?」

「おー! オニーサン、太っ腹だねー!」

「あ、ありがとう……」


 恐縮、歓喜、当惑。

 三人、それぞれ別々の感情をその顔に浮かべる。



   ◆   ◆   ◆



 もしもこの日、春輝に残業が発生していなければ。

 ヤケ酒が入っていなければ。

 公園で休んでいこうとしなければ。

 伊織に話しかけられる前に帰っていれば。


 様々なifを超えて、この夜に春輝は三人の少女を家に招くことになった。


 あるいはそれは、運命と呼ぶべきものだったのかもしれず。


 彼女たちの存在によって、自分の生活が大きく変わることを。


 この出会いが、『アニメみたいに、ビックリするような』日々の始まりであったことを。


 この時の春輝は、まだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る