第9話(7)

モニターの中で、舞台の幕が下りた。

鳴り止まない拍手と、歓声が聴こえる。

「……」

それと相対するように、視聴覚室は静かだった。

「……」

怪盗の仮面が飛んだシーンから、純は無言で俯いたまま、膝の上で握った自分の拳を見つめ、顔を上げることができなかった。

やがて、決心したように、鳳佳の方を振り向いた。

「鳳佳、あの──」

言いかけたところで、純は彼女の頬に、モニターの光を受けて反射する、涙の雫を見つけた。

そしてそれは、つうっと肌を滑って、スカートの上で組まれた彼女の手の甲に、ポタリと落ちた。

「!」

弾かれたように、純は立ち上がった。

「ゴ、ゴメンね! アタシのミスで、こんなことになっちゃって……」

慌てて彼女に向かって頭を下げる。

「せっかく、鳳佳が創ってくれた物語を──最後の最後で……アタシが……全部、台無しに……」

両手をぎゅっと握りしめ、眉間にシワを寄せて、純が呟く。

悔しさで胃が痛んだ。

「本当に、ごめん……」

自分に対する腹立たしさが、彼の心をジリジリと焼いた。



(ちがうよ──)



「!」

ハッと純は顔を上げた。

見ると、涙を流して、鳳佳は──……微笑んでいた。

「ほの…か……?」


──今、喋ったのか?


そう尋ねようとする前に、彼女の口がゆっくりと動いた。

しかし、やはり声は出ない。

(……気のせいだったのか?)

純がそう思ったと同時、鳳佳は口を動かすのをやめ、紙と鉛筆を手繰り寄せると、短く記した。

“ちがうよ”

「……」

偶然だろうか。

彼女が記した言葉は、純が聞いた気がした声と同じものだった。

“あたしが泣いてるのは 感動したからだよ”

「……」

予想外の回答に、純は言葉が出なかった。

“素晴らしい物語を どうもありがとう”

丁寧でいて、可愛らしい字で、そう綴られていた。

「素晴らしい……って、そんな……だってアタシは──」

純の言葉を、頭を横に振って制す鳳佳。

ポタリポタリと、椅子に腰かけた彼女のスカートに、涙が溢れ落ちた。














 いつもより戻りの遅い二人を気にして、桜井学園長が視聴覚室まで訪ねてきた。

「お二人とも。 残念ですが、そろそろお時間です」

涙が引き、普段通りに戻った鳳佳は、純からもらったディスクをケースに戻すと、大切そうに鞄にしまった。

「姫宮さん、本日も、ありがとうございました」

学園長が深々と頭を下げる。

その横で、鳳佳もペコリと頭を下げた。

「またね」

純が微かに手を振ると、鳳佳も振り返し、学園長と二人で階下へと去っていった。

「……」

一人残された純は、じっと彼女の消えた後を見つめていた。

「……許されたのか? オレは……」

ポツリと呟き、しばらく茫然とその場に立ち尽くす。

自分は鳳佳に大変なことをした──そう思っていた。

もちろん、今もそう思っている。

なぜなら、他ならぬ自分が鳳佳を誘ったのだ。

そして、自分が鳳佳に頼んだことだった。

彼女が毎日、一生懸命になって台本を書いていたのを、一番知っていたのは自分だ。

龍園祭当日、観に来られないことを寂しがっていた彼女を知っている。

そして、今日、やっと観られる映像を楽しみにしていたことも知っていた。

「……ハァ」

小さく溜息をつき、目線を元に戻すと、純は後片付けをして、部屋の電気を消し、階下へと向かった。

「姫ちゃん──」

廊下に出た途端、純は暗がりから声を掛けられた。

いきなりだったが、恐怖はなかった。

その声は、聞き馴染みのある、温かな声だったからだ。

「──もう保健室も閉まってるから、今日はこのまま帰っていいって」

夏子だった。

手に、純の分の荷物を持っている。

純は何も言わず、彼女に従った。









誰もいない教室で、純は男子生徒に戻ると、二人は校舎を出て、月明かりの照らす夜道を歩いていた。

「なんでだろうな」

しばらくして、純が口を開いた。

「どうしたの?」

その言葉に、夏子は小首を傾げる。

「鳳佳が、“ありがとう”って……」

純は夏子に、今夜鳳佳とあった事を全て話した。

「オレが全部、台無しにしたってのに……」

「誰も怒ってないよ。  鳳佳ちゃんも、もちろん、クラスの皆もね」

「出番を失ったやつもいたんだぜ?」

純、誠也、夏子の三人が連携して、物語は何とか幕を下ろしたが、結果、内容の一部は消失を余儀なくされた。

中にはまだ、出番を待っていたクラスメイトもいる。

「その子たちも、“気にしてない”って言ってたよ」

「……」

夏子の言葉に、純は沈黙した。

どうにも納得しづらいようだ。

そんな彼に、溜息をつきながら、夏子が続ける。

「そんなに信じられないなら……ほら、これ見て」

夏子が差し出したのは、彼女の携帯だった。

画面に、何かの写真が写っている。

集合写真のようだ。

風景からして、教室で撮ったものだろう。

「? これがなんだって──」

そう言いかけて──……純は気づいた。

写っているのは、劇の衣装を着た、クラスメイト達だ。

「?」

さらによく見てみると、真ん中に映っている人物だけが、妙なポーズをしている。

……机に突っ伏している。

一瞬、“誰だ?”と思案して、すぐ気が付いた。

──じぶんだ。

「これ、本番が終わった後じゃねぇかっ!!」

誰もいないはずの教室で、純が居眠りしていた時だ。

「たまたま私が教室に戻ったら、ちょうど姫ちゃんが寝ててね」

「なんで他のヤツらまで、集合してんだよ!」

「劇の連絡網を使ったの。 “静かに教室集合!”ってメールしたら、すぐに集まったわよ。 あなたは、余程寝つきが良かったのか、全く起きなくてね」

そのまま、記念写真を撮ろうという話になったらしい。

クスクスと笑いを堪えながら、クラスメイト達がそーっと自分を起こさぬように、ポーズをとる姿が目に浮かぶ。

「ふざけやがって……」

眉間にシワを寄せながら、再び写真に目線を戻す。

よく見ると、並んでいるクラスメイト達の後ろ──壁に備え付けられている、ホワイトボードに目が行った。

いつもは連絡事項などが書かれているそこには、大きな文字で、


“姫宮監督! おつかれさまでした!”


と、星やハートマークで飾られた、メッセージが書いてあった。

「どう? あなたを恨んでいそうな人、いる?」

自分の寝ている机の足元には、王子姿の誠也が笑っている。

その横には、白い付け髭をつけた四人の大臣役の男子たち。

純の頭に銀のティアラを載せようとしているのは、衣装係の女子。

槍を構えてポーズをとっているのは、大工の息子の衛兵役。

夏子と並んでいるのは、背景の絵を描いた美術部の女子たち。

隅の方で寄り添っている二人は、元怪盗役と、彼に救われた女子だ。

全員、眩しいほどの笑顔をしている。

「──ホントにくだらないことで、異常に協調性を発揮する連中だな」

そう皮肉を言いながら、純は携帯を夏子に返した。





「姫ちゃん」


「なんだよ?」


「おつかれさま」


「……おう」


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