第5話(9)

“その角を左に曲がって”

「ここを左……」

“突き当たりに、『果物の絵画』が見える?”

「えっーと……ああ、あるな」

“その隣にあるドアから、急いで中に入って来て!”

早口で琴乃はそう言い、ブツッという音と共に、通話は終了した。

「え!? 勝手に部外者が入っていいのかよ? おい、琴乃?!」

“…ツー…ツー…”

「──ったく、なんなんだよ」

『通話終了』を押して、目印の絵画を目指す。

琴乃が言っていたドアの両脇には、メイド服を着た女性が一人ずつ、さながら門番のように立っていた。

(……これ、ホントに入って大丈夫なんだろうな?)

琴乃の説明不足を呪って、恐る恐るドアに近寄ってみる。

「あの──」

純はメイドに向かって、ゆっくり声をかけてみた。

「あっ、姫宮様ですか?」

すると、すぐさまメイドが彼の声に反応した。

突然、自分の名前を言われたので、純は面食らう。

「そ、そう…です……」

彼が答えると、メイドは堰を切ったように言った。

「どうぞ、お入りください!」

なんのチェックも無しにドアノブに手を掛けるメイド。

その顔は、酷く焦っている。

「……」

一瞬で良くない雰囲気を感じ取った純は、ドアを押し開けて、飛び込むように中へ入った。







 そこは、龍嶺学園の教室と同程度はある広さの個室だった。

壁には、冬場に使うであろう、立派な煉瓦造りの暖炉。

その先には、キングサイズの豪華なベッドが目に着いた。

しかし、何一つとして個人の持ち物が置いていないので、おそらく、ここは来客用であり、今は誰も使っていないのが見て取れる。

「姫宮さん、こっちよ」

声のする方に視線を振ると、深刻そうな表情で、琴乃が立っていた。

そして、その足元──柔らかな絨毯が敷かれた床に屈みこんで、こちらに背中を向けているのは、青い着物を着た桜井学園長だ。

すぐ近くには、ドアの前で待機していたのと同じ服装のメイドが三人いる。

「一体、なにが──」

と、純は口走った。

しかし、途中でその言葉を切る。


「!!」


そして、驚きに目を見開いた。

桜井学園長の目の前に──床に膝をついて、蹲っている鳳佳が見えたからだ。


「鳳佳!」


純は急いで、彼女の隣に駆け寄った。

桜井学園長が、心配そうに言う。

「ここへ着いた時は、まだ良かったのですが……さっき、突然体調が悪化して、この状態に──」

学園長の説明を聞きながら、純は鳳佳の様子を窺った。

白いレースで飾られた純白のドレスが、清楚な彼女に良く似合っている。

いつもの彼女なら、さぞかし可愛らしい姿だっただろう。

だが、今は額や首筋に夥しい汗が浮かび、立ち上がる事もままならないようだ。

桜井学園長が、再度口を開く。

「無理せず、出席を取りやめようと、言ったのですが……彼女は、“どうしても出る”と……」

一度、言葉を切って、数秒の間を開けた後、学園長は続けた。

「──“純ちゃんが待ってるから”と……」

その言葉に、顔をしかめる純。

「……鳳佳、アタシだよ? 聞こえる?」

彼女の耳元で、純は囁いた。

胸を両手で押さえ、肩で荒い息をしながらも、鳳佳は伏せていた瞼をゆっくり開いた。

「…」

純の声に反応して、弱々しく彼の方を振り向く。


「…………!」


彼女の口が、微かに動いている。


(──何か言おうとしてる!)


瞬時に純は気づいた。

だが、やはり声は出ていない。

「何か、紙と書くものを!」

すかさず、メイド達に向かって、純が告げる。

その中の一人が、駆け足で部屋を出て行った。

「鳳佳、いいんだよ。 無理しないで。 ほら、アタシの手──掴める?」

そう差し出された純の手を、鳳佳は震える指先で掴んだ。

それは、あまりにも弱い力だった。

(……やっぱ、こうなったか)

内心で純は、こうなる事を事前に予測していた。

しかし、いざ、その状況に直面してみると、思った以上に気持ちは焦る。

「掛かり付けのお医者様はまだ?」

純と鳳佳をすぐ隣で見守りながら、琴乃はメイドに尋ねた。

「それが……いつもは近くの医務室にいらっしゃるんですが……」

しどろもどろに答えるメイド。

「今はどこなの?」

再度、琴乃は尋ねる。

「たった今、ホールで御当主様が登壇なされたので、どうやら、そちらにおられるみたいで──」

「急いで呼び戻して」

鋭い声で、琴乃が指示を出す。

慌てて、また一人メイドが部屋を出て行った。

入れ替わりに、さっき純の命を受けたメイドが戻る。

「紙とペンをお持ちしました!」

桜井学園長がそれを受け取り、

「さぁ……鳳佳ちゃん」

鳳佳に持たせる。

小さく震える手で、ゆっくりと鳳佳が文字を紡いだ。


“じゅんちゃん ごめんね”


「……?」

彼女の謝罪の真意が理解できず、純は眉根を寄せる。

鳳佳は続きを記した。


“あたしがさそったのに こんなことになって”


後半部分を書いている途中で、鳳佳の言葉が純の胸をギュウギュウと締め付け始める。

「鳳佳、アンタは何も悪くないんだよ」

純は慌てて、彼女に優しく語りかけた。

再度、鳳佳がペンを操る。

その最中、純は気づいた。

──彼女の文章に『漢字』が無い。

おそらく、手にうまく力が入らないので、複雑な文字を書くと、字がてしまうのだろう。

それほどまでに、彼女は衰弱してしまっているようだ。


“あたしがわるいんだよ できるとおもってた もしかして いまなら できるんじゃないかって”


「……」


“でも まちがってた”


「……そんなことない!」

顔をしかめて、ぎゅっと目を閉じる純。

(焦るな、落ち着け……こうなるのは、オマエもわかってたことだろ)

そう自分に言い聞かせる。

その隣で、琴乃が鳳佳の首筋に指を当て、脈を採り始めた。

「……異常なくらい早い。 顔色も血の気を失っているし、おそらく、貧血を起こしかけてる」

心配そうに、鳳佳の頭を撫でる琴乃。


“ごめんね”


鳳佳が再び綴った。

「鳳佳、もういいから。 じっとしてろ!」

純が表情を歪めて、鳳佳に言う。

しかし、朦朧とする意識で、彼の言葉が聞こえていないのか、鳳佳は書くのをやめない。


“ごめんね こんなことになっちゃって”


“ほんとうに ごめ────


純は咄嗟に、ペンを握る鳳佳の右手を押さえ込んだ。

「くそっ……」

周りには聞こえないほどの小ささで、純は呟いた。

覚悟をしていても、鳳佳の弱っている姿は、精神的に強い衝撃を与えた。

思考も、表情も、心も、一気に焦りが蔓延していく。

彼の口から、ギリッと歯の擦れる音がした。

いつもは冷静さが窺える瞳も、今は動揺で揺れている。

(受け入れろ……わかってたじゃないか、こうなることぐらい……予測していたハズだ……)

心を落ち着けようと、硬く目を閉じる。

(今苦しいのは鳳佳だろ……お前がビビってどうする!)

その時、勢いよく扉が開き、医者を呼びに行ったメイドが戻ってきた。

「もうすぐ、先生が来られます!」

純は目を開け、鳳佳を励ました。

「鳳佳、もうちょっとで医者が来るから……」

純がそう言っても、彼女は反応しない。

いよいよ、本当に限界のようだ。

「こんな状態で床に屈ませるより、ベッドに横にさせましょう」

学園長の提案に頷き、純は鳳佳の両腕に手を添える。

そのとき──、戸口のメイドの制止をかいくぐり、部屋に誰かが入ってきたのが一瞬見えた。


──……大和屋 瑠璃子だ。


騒ぎを聞きつけて、いち早くここへ来たに違いない。

ホールで話していた時のような余裕の笑みは消え、突然現れた目の前の光景に、驚きの表情を見せている。

「……鳳佳、ゴメンね。 少し引っ張るよ?」

純は彼女の両腕を引き、自分の首に回させると、彼女を肩の下から押し上げるようにして立たせた。

ガクガクと震える足が、懸命に立とうと床を踏み締める。

不規則に自分に降りかかる彼女の体重と力を、純は集中して支えていた。

部屋にいる全員が身動き一つせず、二人を見つめて、事の行く末を案じている。

その時だった──……


「──お待ち下さい! 今、お医者様が来ますので、どうか──」

「──様であっても入れるなと、奥様から仰せつかって──」


部屋の外で、何やら騒ぎ声がしていた。

ドアの横に待機していた二人のメイドが、誰かと揉めているようだ。

伝え聞こえてくるのは、断片的で小さな話し声だったので、鳳佳の身体を支えることに集中していた純には到底聞こえていなかった。

やがて──


バンッ!!!


響き渡るような扉の開く大きな音でさえ、純には聞こえなかった。

しかし、彼以外の全員は音を立てた『張本人』に視線を向けた。

純は相変わらず、鳳佳の顔を見ていた。


「──!!!」


鳳佳の顔が────まさに、凍りついた。

「……?」

純が不審に思った一瞬。


ガクッ!


鳳佳の膝が崩れ、純に全体重が、のし掛かる。

「ぐっ……!!」

突然の事に驚いたが、間一髪で、純は鳳佳の身体を支えた。

「大丈夫? 鳳──」

ここで初めて、純は異変に気が付いた。




────────。




……音がしない。




まるで、時間が停止してしまったかのような、静寂。

純は顔を上げ、鳳佳が見ている先……。 彼女の目線を辿っていった────


「!!」


純と鳳佳の目の前に──いつの間にか学園長でも、琴乃でも、メイドや瑠璃子でもない人物が立っていた。

「……」

驚いて何も言えないまま、純はその人物を見上げる。

純が驚いたのは、突如として自分の目の前に、見知らぬ人間が現れたからでは無い。


その人物が────『男』だったからだ。



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