第5話(8)
舞台の上では、小難しい肩書きの人物が、まだ長々と挨拶を述べ続けていた。
聴衆の中には、既に聞き疲れた様子の者もいるが、ホールから立ち去っていくような人間はいない。
今からあまり人に聞かれたくない話をしようとしている純にとって、それは好都合だった。
「言っとくが、こんな話、他の誰にもしてないんだ。 もし、誰かに漏らせば、すぐに出所がお前だって、わかるからな」
そう前置きして、純は今までの『あらすじ』を彼女に話し始めた。
──ひょんなことで、『小説』を見つけた時。
──桜井学園長から、鳳佳の話を聞いた事。
──自分が選ばれた理由。
──今回の式典に来る事になった経緯。
「……なるほどね」
全てを聴き終え、瑠璃子が呟く。
「だから、ここの関係者に“姫宮 純が実は男だ”って事をチクられると、いろいろ都合が悪いんだ」
目線を宙に漂わせて、純が言った。
瑠璃子はしばらく何も言わなかったが、
「いいわよ。 黙っといたげる」
以外にも、すんなりと快諾してくれた。
「実はね、わたし、あんたのこと、ちょっとだけ聞いてたんだ」
さらっと、意外なことを口にする瑠璃子。
「え!? 誰から?」
驚いて、純は聞き返した。
自分の現状を知っている人間など、夏子と琴乃、それから桜井学園長くらいしか思い当たらない。
一体、誰から聞いたのか……?
「鳳佳の『存在』と『現状』を知る者の間で、微かな噂が出回っているのよ。 “最近、王城の娘に近づく者が現れたらしい”って。 まさか、それが『女の子のフリをしている男』だとは思わなかったけど」
ニヤリと笑う瑠璃子。
「……オマエ、一体何者だ?」
眉間にシワを寄せて、純が尋ねる。
瑠璃子は、なんの気無い顔で答えた。
「大層なもんじゃないわ。 わたしはただの鳳佳の幼馴染よ。 『
「ああ、なるほど……」
冷静になってみれば、簡単なことだった。
幼い頃なら、鳳佳もまだ『恐怖症』が無かった時期があっただろうし、当然、友達がいても不思議ではない。
そこで、純はもう一つ思い至った。
「あ! じゃあ、あのサラサラヘアーも同じか?」
純の言葉に、瑠璃子が頷く。
「その通り。 あいつの両親は『井槌建設グループ』の取締役で、ウチほどじゃないにしても、昔から王城と、いろいろ深い関わりがあるの」
“そういうことか……”と、純は納得しつつも、次に引っかかる点を口にした。
「にしても、『ただの幼馴染』にしちゃ、オレに喰ってかかった時は、すごい剣幕だったぞ?」
完斗に掴まれて、爪が食い込んだ肩を見る。
既に跡はなくなっていたが、その時の感覚は、今も残っていた。
「それは、また別の理由があるから」
瑠璃子が言う。
「別の理由?」
純が尋ねると、彼女は古い記憶を思い出すように、遠い目をした。
「初めて完斗が鳳佳に会ったのも、丁度こんな感じのパーティの時でね。 その頃、鳳佳もまだ『男』を怖がったりしてなかった──」
“小さい頃はパーティにも出席していた”と、図書室で鳳佳が話していたのを、純は思い出した。
「──その時に完斗のやつ、鳳佳に相当『一目惚れ』しちゃってね。 以降、いつも鳳佳に会うのを楽しみにしてた。 だけど、ある時から『例の恐怖症』で、鳳佳が表に姿を見せなくなって。 それ以来、あいつは、ずっと彼女を探しているのよ」
鳳佳が、どのくらい前からあの状態にあるのかはわからないが、完斗の変貌振りから見て、もう随分と彼女には会えていないようだ。
もし、本当に彼が鳳佳に恋心を抱いているのなら──あれだけ必死になるのも、当然かも知れない。
「何が“赤い糸の導く縁”……だ」
純は眉間にシワを作って、完斗が自分を口説こうとした時に吐いた台詞を思い出す。
「アイツには教えてやらねぇのか? 鳳佳が男にビビっちまうってこと」
再び尋ねると、瑠璃子は瞼を伏せて答えた。
「何も完斗だけに隠してるワケじゃないわ。 特に今の王城家は世間体にすごく敏感だから。 天下の王城──その宗家の血を引く一人娘が、重度の『男性恐怖症』で『失声症』だなんて、とてもじゃないけど、言える訳ないでしょ」
「……」
「わたしはたまたま、本人と同性で、仲も良かったから『真実』を知ってるけど、“知らない人達には漏らしちゃいけない”っていう、暗黙の『緘口令』みたいなものが、この界隈にはあるのよ」
「ふーん……」
小さく呟く純。
彼は琴乃が以前言っていたことを思い出していた。
“鳳佳とのメールのやりとりは検閲されている”──
あれも一種の『箝口令』だろうか。
王城家は、鳳佳に近づく者が、何者なのかを知っておく必要がある。
万が一、それが王城のスキャンダルを狙った人間であれば、『鳳佳の秘密』は、あっという間に白日の下に晒される。
純が鳳佳に連絡先を渡したとき、琴乃が難色を示したのも、今なら、なんとなくわかった。
琴乃は、純と鳳佳を、まだ『学園の中のみ』の関係にしておきたかったのだろう。
彼女や学園長の管理できる『範囲内』に置いておきたかったのだ。
しかし、鳳佳が純の連絡先を知ったことで、その正体はわからずとも、彼の存在は王城家を取り巻く『界隈』へと漏れたに違いない。
おそらく、瑠璃子が純のことを知ったのも、そこからだろう。
そう思うと、純が思っていたより遥かに、今回の式典への参加はリスキーだ。
もし純が女性のフリをしている事実、それが王城を取り巻く界隈に流布すれば、鳳佳の『男性恐怖症』が明るみに出るのも、時間の問題だ。
「……あ!」
そのとき、純はふと浮かんだ疑問を口にする。
「そう言えばオマエさ、なんでオレが『男』だってわかったんだ?」
彼のこの問いに、瑠璃子はフッと笑みを浮かべる。
「誰に手伝ってもらったのか知らないけど、あんたの変装は『完璧』だよ。 ドレスも装飾もマニキュアも、細かいところまで自然で、本当によく似合ってる」
「……どーも」
眉間にシワを寄せる純。
「この会場──いえ、世界中探し回ったって、それを見破れる人間なんて、そうそういないでしょうね」
得意げに瑠璃子は笑った。
「でも、わたしには通用しない」
「だから、なんでだ?」
純の疑問に、持っていたスケッチブックの間から、自分の描いた絵を取り出してみせる瑠璃子。
「わたしは今まで、何百、何千もの『人間』を描いてきた。 性別、年齢、人種を問わずね。 だから、『人の見るべきところ』は本能で解ってる──」
不敵な笑みのまま、純の方を向く瑠璃子。
「あんたの『立ち居振る舞い』、『雰囲気』、『ちょっとした仕種』、『癖』、『行動』に、微妙な男っぽさを感じたの」
「ふーん……」
なぜか見破られたのが少し悔しく感じられ、純は短い返事で返した。
「まぁ、それでも、わたしですら、あんたが完斗と言い争うところを見るまで、確信が持てなかったわ。 それだけでも、上出来よ」
「そんなこと言われても、なんにも嬉しかねーよ──」
言いながら、純は瑠璃子から目線を外し、
「──でもまぁ、オマエの『観察眼』どうこうは置いといて、絵が上手いのは確かみたいだな」
先程拾った、絵をもう一度眺める。
「なんでオレなんかを描いたんだよ?」
怪訝な顔で、ふと彼女にそう尋ねた。
「……」
「……?」
さっきまで饒舌だった彼女から返答が来ず、純は瑠璃子に目線を戻した。
ぼーっとした表情だった瑠璃子が、ポツリと一言だけ呟く。
「『衝撃』だった」
「……なんだと?」
彼女が悪口を言っていると思い、純は眉間にシワを寄せる。
「いや、悪い意味じゃなくてね。 なんというか、ホールに入って来たあんたを初めて見たとき──ある種の『奇妙さ』を観たの」
相変わらず表情のない瑠璃子に、純が口を挟む。
「それは、だから、オレが本来は男なのに女のフリを──」
そこまで聞いて、すぐに瑠璃子は首を振って、彼の言葉を遮った。
「そうじゃなくて。 なんというか、奇妙だけど──言い様のない『美しさ』があった」
言いながら、瑠璃子が眉根をひそめる。
「う~ん……『奇妙』とは違うな……『神秘的』というか、『虚無感』というか……まるで、こう……引き込まれるような。 そういうの、あるじゃない?」
言いようのない感情を表現しようと、瑠璃子は必死にくねくねと自分の手を動かす。
「いや、全っ然、わからん」
興味なさげに純が一蹴し、自分の姿が描かれた絵を彼女に突き返す。
瑠璃子は呆れたように首を振った。
「はぁ。 まったく……『感性』に乏しい人間はコレだから──」
そして、彼から紙を受け取ると──
ビリィッ!
「えっ!? おい!!」
純の制止を聞かず、一気に破ってしまった。
「なんで破くんだよっ!」
「失敗作だからよ。 やっぱり、あの衝撃を表現するには、『瞬間的な記憶』じゃ無理ね」
紙をくしゃくしゃに丸めて、部屋の隅にあるゴミ箱に投げ入れる瑠璃子。
そんな彼女を見ながら、純は言った。
「『瞬間的な記憶』って──まさかオマエ、オレと目が合った『あの一瞬』を覚えて、後から絵に描き起こしたっていうのか?」
怪訝な顔でそう尋ねると、
「わたし、あんたの後ろをスケッチブック持ちながら、つけ回したりしてた?」
さも当然であるかのように、瑠璃子が鼻で笑った。
「さて。 そろそろ、わたしは行くわ。 あんたも、連れの所に戻らないと、まずいんじゃないの?」
彼女のこの言葉で、純がようやく、琴乃が戻ってくることを思い出した。
「やべ! 忘れてた!」
慌てて、辺りを見回す。
瑠璃子はそのまま、彼に背を向けて、ゆっくりと歩き始める。
「おい」
立ち去ろうとした彼女を、純は突然、呼び止めた。
「……本当に、オレのことは黙っててくれるんだな?」
背中を見せたまま、振り向かずに立ち止まる瑠璃子。
「ええ。誰にも言わない。 王城の関係者にも、完斗にも──……もちろん、
「……」
「わたしだって、あの子に早く治ってほしい。 もう何年も会えてないし、早く再会したいの──」
瑠璃子の表情は見えないが、言葉は真剣だった。
「──なにより、今のところ、あんたはあの子に良い影響を与えてるようだしね」
それだけ言うと、瑠璃子はヒラヒラと手を振り、人々が集まっている方へと消えて行った。
「“今のところ”だと?」
引っかかるような彼女の言い方に、眉間にシワを寄せて、純が呟く。
とりあえす、彼女は他の誰かに純の事を漏らしはしないと言ったし、その気持ちに嘘もなさそうだ。
「謎の刑事にナンパバカ男、挙句にチビロリ女まで──もう、トラブルは勘弁してほしいな」
やれやれと、疲れたように純が溜息を零した時──。
腰のベルトに取り付けた革製のケースの中で、携帯電話が震えていることに気づいた。
「もしもし?」
おもむろに取り出し、スピーカー部分を耳に当てると──
“じゅ~ん~く~ん……!! な〜にしてるのかしら~ん?”
低く震える女性の声がした。
「げっ……琴乃か?」
声の主に顔を青くする純。
琴乃は溜息混じりに続けた。
“さっきから何度もかけてたのよ? 心配したんだから”
立て続けにトラブルに巻き込まれて、純は着信に気づいていなかったようだ。
「いろいろあったんだよ、こっちも」
声が周りに聞こえない様に、口元を手で隠しながら話す。
“まぁいいわ。 そんなことより”
受話器の向こうで、琴乃が真剣な口調で言った。
“大至急。 わたしのところへ来て頂戴”
「……もうトラブルは勘弁だって、さっき言った所なのに」
ブツブツと呟く純。
“? 何の話?”
「なんでもないよ。 それで、どうすりゃいい?」
“すぐにそのホールを出て。 電話はこのまま通話状態で”
言われてすぐ、純は扉を開けて、ホールの外に出る。
廊下に客の姿は見当たらず、目に付くのは、忙しなく働いているボーイやメイドばかりだ。
“出たら、廊下を右に歩いて、二つ目の廊下を左に曲がって、それから──”
琴乃が説明するも、純は慌てて遮る。
「待った待った!辿りながら聞くよ。 一つでも間違えたら、迷子になっちまう」
言いながら、純は早足で廊下を歩きはじめた。
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