第5話(5)

 大きな扉に手をかけて、純は一気に押し開けた。

わざと照明をしぼって、雰囲気を引き立てているのだろう、少し薄暗い室内には、既に大勢の客がいた。

タキシードを着た背の高い老紳士。

その隣には、和服を着た年配の女性。

少し後ろで、はしゃいで走り回っているのは、可愛らしいドレスを着た幼い少女と、サスペンダーをした少年。

まさに老若男女、着ている衣装も様々だ。

自分だけ突飛な格好をしているんじゃないかと不安だった純も、周りを見て一安心する。

次に、ホールの奥へ目を向けると、舞台の天井付近に『王城家当主記念式典』の横断幕が見えた。

壇上には、マイクと演説台があるが、まだ誰も立っておらず、明かりも点いていない。

時々、話声に交じってカチャカチャと食器の交わる音がするのは、いくつも置かれた円卓に、立食用の食事が用意されているからだ。

もちろん、和洋中含む世界中の料理が揃っている。

「何か食べる?」

琴乃が純の肩に手を添える。

「この状況だけで、腹いっぱいだよ」

力なく笑う純。

「失礼致します。 お飲み物はいかがですか?」

入ってすぐ、二人の元に制服姿のボーイが尋ねてきた。

「残念ですけど、お酒は飲めないので」

琴乃が申し訳なさそうにそう答えると、

「では、アルコールの入っていないカクテルをお持ちしますが」

優しく対応するボーイ。

「ありがとう、でも今は結構ですわ」

「かしこまりました。 そちらのお嬢様はいかがですか?」

今度は純に尋ねる。

「オレンジジュースでも飲む?」

琴乃に聞かれるが、

「……いらない」

と、短く返す。

「かしこまりました」

一礼して、きびきびとボーイが去っていく。

「オレンジジュースだと? ガキ扱いしやがって」

不服そうに顔をしかめる純。

「もらえば良かったのに……それから、もうそろそろ、口調には気をつけてね」

「大丈夫、わかってるよ」

「とにかく、油断しないで」

「へいへい」

純と琴乃がホールに入り始めてから、次々と新たに到着した客が入ってくる。

「桜井学園長はいつ来るのかしら」

誰かが入ってくるたびに、客の顔をさりげなく見ながら、琴乃が呟く。

「そういや、なんで学園長は別なんだ?」

純はかねてからの疑問を口にした。

「前にも聞いたと思うけど、学園長は鳳佳ちゃんのお祖母様の親友でね。 それと同時に、現在の当主であるお祖父様とも、かなり小さい頃からのお友達なの」

「へぇ~」

「だから、桜井学園長は特別なお客様として、直々にお呼びがかかるのよ」

「ふ~ん」

「それとね……これは、噂なんだけど──」

声のボリュームを落として琴乃が喋るので、純は彼女の口に耳を近づけた。

琴乃も少し屈んで、口に手を添え、ひそひそと続ける。

「王城家の現当主と学園長って、昔は『そういう関係』にあったみたいよ」

「『そういう関係』って?」

純が聞き返すと、琴乃が少し呆れた声を出す。

「もう、聞かなくてもわかるでしょ? 付き合ってたってこと」

彼女のセリフに、“なんだ、そんなことか”という表情をする純。

「別にいいじゃねぇか付き合ってたって」

呆れたような物言いに、チッチッと指を振る琴乃。

「あら、純くんは子供ねぇ。 昔付き合った男女の仲が、その後も続くなんて、ただならぬ何かがあるものなのよ」

「普通に仲良いだけじゃねーの」

「わたしの『勘』がそう言ってるの」

この言葉に、溜息をつきながら“付き合いきれん”とばかりに、純は首を振った。

彼の耳元に口を寄せていた琴乃が、ふと元の姿勢に戻る。

そのとき──丁度、彼女の背後を男性が通りかかった。

男性も何かに気を取られていたらしく、カクテルグラスを持っている腕が、体勢を戻した琴乃の肩にぶつかった。


「おっと!」

「きゃっ! すみません!」


同時に声をあげて、パッと二人が離れる。

「これは、申し訳ない。 ぼーっとしながら歩いてたもので。 お召し物は大丈夫ですかな?」

丁寧に謝りながら、男性が優しく声をかける。

「こちらこそ、申し訳ありません。 大丈夫ですわ」

琴乃も、上品な口調で謝り返した。

そんな二人のやりとりを見ながら、純はふと男性の顔を見上げた。

瞬間──……


「!」


“あっ”と声が出そうになったのを、間一髪で堪える。

ぞぞっと寒気がし、男性の目線がこっちを向いた瞬間、パッと視線を床に落とした。

(なんで……? コイツが──)

男性の顔には見覚えがあった。

「そちらのお嬢さんは、お子さんですか?」

男が尋ねる。

「いいえ、親戚のコですの。 わたしは、まだ独り身なもので……」

と答える琴乃。

「これは、またとんだ失礼を。 どおりでお若いのに、美しい娘さんをお持ちだと思いました」

「あら、お上手ですわね」

ハッハッハッと、琴乃と談笑する男は──もう随分と前の夜、純が夜襲にあったとき、横槍を入れてきたあの刑事……

(大塚……!?)

まさか、こんなところで再び会うとは思っていなかった人物に、純は冷や汗をかく。

あの時のような、くたびれた姿ではなく、今はちゃんとしたグレーのスーツに青いシャツとネクタイを着けている。

無精ヒゲも見当たらず、髪も丁寧に撫で付けてあった。

幸い、彼は純の存在に気付いていないようだ。

「あなたも招待された方ですか?」

琴乃が尋ねると、

「ええ、まぁ……、仕事半分ですがね」

曖昧に言葉を濁しながら、ポリポリと頭を掻く昭夫。

「ということは、王城家と関係のある企業の方かしら?」

「まぁ、そんなもんです」

「あら、どんなお仕事してらっしゃるんです?」

琴乃が重ねて尋ねるが、昭夫は申し訳なさそうに微笑む。

「お互い、もっとお話ししたい気持ちは同じようですが、すみません、そろそろ行かないと……」

といって、頭を下げた。

「あら、お引き留めしてしまいまして、申し訳ありません。 また機会があればどこかで」

琴乃が微笑みかける。

「ええ、必ず。 では、失礼」

一礼して、その場を去っていく昭夫。

その時、彼の左耳に黒い小型機器が付いているのを、純は見かけた。

(無線か……)

琴乃にぶつかったのも、通話していたからに違いない。

「フラれちゃった。 ダンディでタイプだったのに」

口を尖らせて、琴乃が言う。

「こんなときにナンパしてんじゃねぇよ」

眉間にシワを寄せて、純が苦情を言った。

「王城家の式典に招待されるくらいですもの、きっと大手企業のお偉いさんね。 上手くすれば、玉の輿よ!」

キラキラとした瞳で彼の背中を追う琴乃。

純は“アイツ、刑事だぞ”と言いかけたが、“なぜそれを知っているのか?”と聞き返された時、『あの夜』のことを説明する羽目になるので、純はやはり黙っておくことにした。

(それにしても、なんでアイツがいるんだろ?)

昭夫の去って行った方を見るも、既に彼の姿は無い。

以前、譲治が王城について、様々な方面に影響を及ぼす一族であると語っていた。

そこから考えるに、おそらくは警察の上層部と一緒に、付き合いで出席した――というのが妥当な線か。

(とにかく、オレの存在に気づかれなかったのは幸運だったな)

あの時、純は彼に大して偽名を名乗ったし、今この状況で、また変に絡まれたくはない。

「学園長、遅いわね」

琴乃の声で、純は彼女の方へ視線を戻した。

「どんな手筈なんだ?」

そう彼が尋ねると、ハンドバックから携帯を取り出しながら、琴乃が答える。

「まず学園長が鳳佳ちゃんと、この屋敷のどこかで会っているはずなの。 そこへ、わたしたちが合流して、みんなで一緒に会場ここへ戻る予定だった」

「合流ってどこで?」

「その場所を伝えるための連絡が、もうそろそろ入るはずなの」

予定外のことにソワソワとし始める琴乃。

その時──……


「!」


彼女の手の中で、携帯電話が振動した。

「ああ、来たみたい」

ホッとした様子で、琴乃が通話に出る。

「菊池です。 はい……はい…………ええ、すでに……」

相手の声は聞こえないが、桜井学園長だろうことは予測できた。

「…………そうですか……ええ、わかっております……」

数秒、相槌を打っていた琴乃の顔が、サッと曇った。

それを見て、緊急事態であることを純は察する。

そのまましばらく、琴乃は険しい表情で会話を続けていた。

「すみません、少しお待ちください──」

突然、そう断って、琴乃が携帯を耳元から離す。

「ごめんね、姫宮さん。 ちょっとこの辺りにいてもらえる? すぐに戻るから……」

真剣な表情の彼女に、純は無言で頷く。

琴乃は再び通話に戻り、話をしながら踵を返して、急ぎ足でホールの出口から出て行った。

「……」

詳しいことはわからないが、鳳佳に何かあったのだろう。

そう思うと、途端に緊張が強まった。

(落ち着け……今焦ってもどうしようもないだろ……琴乃が戻るまで、待つしかないんだ……)

自分にそう言い聞かせ、純は一度、居住まいを正すと、小さく深呼吸して、気持ちを引き締めた。




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