第3話(6)
“どう? 思い出した?”
「──…ああ」
短い返事と共に、純は溜息をつく。
「……」
今思えば、鮮明に顔が浮かぶ。
あの時、自分の目の前で、勝利したにも関わらず、悔しくて涙を流した『彼女』こそ──
『冬月 火憐』、その人だった。
「変なタイミングで思い出させるなよ……」
“あら、いけなかった?”
「明日、冬月と会うんだよ」
“そうなの? ごめんなさい。 そんなつもりじゃ、なかったんだけど”
「ったく……」
人差し指で、ちょこちょこと頬を掻きながら、純は言った。
「
“どうかしら。 仮にも女子の試合だったしね。 それに、気づいていたなら、かつてあれだけ怒ってた相手と、何事もなく親しげに喋ったり、ましてや、電話番号を交換するとは思えないけど”
「まぁ、それもそうか」
“思い切って、聞いてみたら?”
「……オレが聞けないこと、わかってて言ってるだろ」
“フフフ…”
再び、純は溜息をつく。
“じゃあ、そろそろ切るね。 あなたもいつまでも、道端で立ってないで、早く家に帰りなさい”
確かに、彼女の言うように、純はずっと夜道に棒立ちしたまま、通話していた。
「……いい加減にしろよ、魔法使い」
“おやすみなさい”
「おう」
通話を切断して、ポケットに携帯を収めると、純は歩き出した。
その後ろ姿を、熱帯夜の空に昇る月が、白く柔らかな光で照らしていた。
次の日──。
純は龍嶺学園のジャージ姿で、虎賀美高校に現れた。
私服では、校内に入れないからだ。
もちろん、このジャージは自分の物で、昨日の夜、洗濯した火憐の物は、手にぶら下げている。
実は、この虎賀美高校に、純は受験の為に、一度訪れたことがあった。
一応、虎賀美からも、合格通知は貰っていたのだが、純はそれを断っている。
改めて、訪れてみると、当時のことを思い出した。
「相変わらず、わかりにくい所だなぁ……」
虎賀美高校は、もう半世紀以上続く、伝統的な高等学校だ。
そのため、老朽化の補強工事や、他学科の増設などの理由で、増築を重ね、結果として複雑な造りになってしまった。
試験当日、純は校内で迷ってしまったのだ。
受付で案内された、自分の割り振られた教室の場所がわからず、他の受験生で、ごった返す校内を彷徨った挙句、遅れたことを試験官に咎められ、かなり散々な目にあった。
そして今も、『体育館』だと思って入った建物は、畳と木の床で埋め尽くされた、『武道場』だと判明した。
「体育館? この先の突き当たりを右だよ」
柔道着姿の大柄な男子生徒に道を聞くと、さらに奥へと続く廊下を示された。
純は彼に礼を言って、再び歩き出す。
「やれやれ……」
ぼやきながら奥に進むと、やっと聞きなれたボールの音と、床を擦る
所々、白い塗料の剥がれた壁、その壁を伝う茶色に錆びた鉄パイプ、埃で灰色に濁った窓。
古くはあるが、体育館は立派な造りで、かなり大きかった。
中から歓声と、ホイッスルの音がするため、どうやら試合中らしい。
「さて……」
火憐に言われた通り、人目につかないように、二階の観客席へと続く入り口に入る。
薄暗い階段の先に、煌々と照る天井の照明装置が見えた。
階段を登りきると、眼下に広がるバスケットコートに、激しく動き回る選手達。
青と黒を基調としたユニフォームは、『龍嶺学園』の選手。
対する『虎賀美高校』のユニフォームは、白と赤を基調としている。
周りを伺ってみると、応援や控え選手がいる下の階と違って、観客席には純しかいなかった。
もちろん、今日はただの練習試合なので、当たり前といえば、当たり前だ。
金属製の柵に寄りかかって、純は試合を眺める。
「冬月は──」
探し出して、すぐに見つかった。
ちょうど今、相手の隙をついて、パスを
そのまま、驚異的なスピードでドリブルして、カウンターに持ち込む。
女子にしては、かなり速い。
流れるようにディフェンスをかわし、あっさりとレイアップで得点した。
ワッ!と、味方から歓声が上がる。
「へぇ……」
純は、感嘆の声をこぼした。
(上手いじゃん、アイツ)
チームメイトとハイタッチを交わしている火憐の姿を、純は頬杖をつきながら眺めた。
(まぁ、あの時、悔し泣きしたくらいだもんな。 並々ならぬプライドを持って練習してるってことか)
そんなことを思って見ていると、再び火憐にボールが渡った。
先ほどのカウンターを脅威的に思ったのだろう。
相手は、二人掛かりで彼女を停めにかかった。
火憐は無理に抜こうとせず、すぐに急停止し、パスを回せる仲間を捜した。
そのとき──……。
彼女の視界の端に、一瞬だけ、観客席の純が映った。
「えっ…──」
確かめようと、目線が上を見上げた瞬間──
パシッ!
乾いた音がして、火憐の手から、ボールがこぼれ落ちる。
「あっ…!」
相手選手が、彼女の手からボールを叩き落としていた。
ボールは数回バウンドし、相手チームに攫われると、攻守が入れ替わる。
今度は龍嶺が、カウンターを受けてしまった。
そのまま、一気に、虎賀美が得点を決める。
「あのバカ……」
純が呆れたように、小さく呟いた。
当の本人は、恥ずかしさで真っ赤になりながら、ペコペコと仲間に謝っている。
「さっさと取り返してこい」
本人に聞こえるはずもないが、純は苦笑しながら言った。
試合が終了し、選手達が自陣のコーチの元へ引き上げる途中、ちらりと火憐がこちらを見上げたのを、純は見逃さなかった。
純は
数分程して、階段を駆け上がる音がしたかと思うと、出入り口から、ユニフォーム姿の火憐が飛び出してきた。
「ごめ~ん、待たせちゃって……!」
両手を合わせながら頭を下げ、火憐が純の前で止まる。
「おつかれ」
そう言いながら、純は彼女のジャージ袋を差し出した。
「わざわざ、ありがとね」
受け取る火憐。
「礼を言うのはこっちだ。 助かったよ、サンキューな」
純が言うと、
「ううん、どういたしまして。 それより、姫宮くん、どの辺から観てた?」
火憐が、不安げに尋ねる。
観ていたのは、彼女が見事なカウンターを決めたところからだったが、純は敢えて、ニヤリと笑うと、
「お前がボールをパクられたとこから」
と言った。
それを聞き、火憐は両手で顔を覆って、頬を赤くしながら喚いた。
「いやぁぁ! やだ! な、なんでよりによって、そんな所から──」
わたわたと身悶える彼女──試合で見せる真剣な表情とは、まるで別人のようだ。
「さっきもコーチに散々怒られんだよっ? “なんでいきなり、集中を切らしたの!”って!」
「おお」
純は相槌を打つ。
「でも、まさか“姫宮くんに、気を取られました”なんて、言えないから──」
「おう」
「誤魔化すのに、すごく苦労したんだよ〜?」
純の腕を掴み、揺らして抗議する火憐。
純は曖昧に笑って、
「いや、オレの知ったことかよ」
そう返した。
やはり、あの時、握手を交わしながら見たあの顔は、いま目の前にいる、この子で間違いない。
少し波打つ特徴的な髪は、以前に比べると、伸びて肩にかかっている。
顔立ちも、多少大人びてはいるが、それでもわかる。
純がそんなことを考えていると、火憐は徐々に笑うのをやめて、じっとこちらを見つめ返してきた。
「……なんだよ?」
彼女の視線に耐えかねて、純が尋ねると、火憐は目線を外さず、小首を傾げる。
「なにか気になることがあるの?」
「え…?」
突然の質問に、ギクリと身を震わせる。
だが、純はすぐに持ち直し、
「別に、なんも」
と答えた。
「……ふーん」
火憐はそういったが、目はまだ疑っている。
「急になんだよ?」
今度は純が尋ねると、火憐はまだ彼の眼を覗きながら、
「なんとなく、聞いてみただけ」
と言った。
(恐ろしいヤツだな……)
内心で、そう溢す純。
「もう試合はないのか?」
「ううん。 この後、お昼を挟んで、先輩達のメンバーがやったら、もう一試合あるよ」
「そっか」
「強豪『虎賀美』の戦略や能力は、しっかり身体に叩き込んでおかないと」
階下で練習している、虎賀美の選手達を眺めて、火憐は言った。
その顔は、とても充実感に満ちていて、なぜか純までもワクワクしてくるようだった。
「……ま、頑張れよ」
目を伏せながらそう言って、純が出口の方を向く。
「もう行っちゃうの?」
歩き出した純に、火憐が問いかけた。
「ああ、夕方からの用事の準備があるんだ」
彼がそう告げると、火憐は少し寂しそうな顔をした。
「そっか…。今日は来てくれて、ありがと」
そのセリフに、純は首を横に振る。
「別に、礼を言われる筋合いはねぇよ。オレが勝手に観に来ただけだ」
「うん。 でも、ありがと。 またね」
そういって、火憐は笑顔で手を振った。
「……ああ、またな」
背を向けたまま、ひらひらと手を振り、純は階下へ降りていく。
彼を見送ると、火憐は自分のジャージ袋に口元をうずめる様に抱きしめて、どこか宙を見つめたまま、しばらくの間、何かを考えるように佇んでいた。
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