キミに触れれるアタシの秘密
悠世
第1話(1)『始まる前』
今、目の前にあるのは、平凡な日常のみ。
そして、その日常は、年を取るにつれ、自分にこう囁く。
“これが現実だ”
“世界のどこにだって、非日常など存在しない”
“映画も、漫画も、ドラマも、──小説も“
“誰もが望む夢物語は、誰の元にも訪れはしない”
“この世はどうしようもないくらいに、
そう。
確かにその通りだと思ってる。
もう、わかってる。
だから、『夢に夢見ていたあの頃の自分』が、『現実に見切りをつけ始めた今の自分』になって、冷めた目で世間を見るのも、大目に見てもらいたい。
不機嫌な顔して町を歩くのも、イライラと
……もっとも、自分がまさに今、そんな顔をしてるのは、そんな高尚な哲学的理由とは全く関係はなく──
「ねぇ、ちょっとくらい良いじゃん。 どこの学校の子? 家はこの辺?」
「……」
──無言を決め込んでいる自分の隣で、ずっーと鬱陶しいセリフを吐き続ける、見知らぬ男が原因なんだけど。
「番号でもアドレスでもIDでも、なんでも良いから連絡先教えてよ。 あ、もしかして彼氏いんの?」
「……」
まったく、どうしてこんなヤローに付きまとわれるハメに……
──と言っても、その原因はわかってる。
なんせ、これが初めてじゃない。
そして、その原因こそ、冒頭で話した一種の『どうしようもない事』なんだ。
「なぁ、いい加減止まってよ。 聞こえてるっしょ?」
「……」
「あのさぁ、あんま調子乗んないほうが良いよ? 俺、可愛いコにもフツーにキレっから」
「……」
「……おい!!」
ついに痺れを切らしたらしく、いきなり肩を掴んできやがった。
ホントにウザイ。
まぁいい。
こっちも、そろそろ限界なんでね。
「やっと止まりやがっ──イデデデデ!!」
ちょっと人差し指を捻ってやっただけだ、情けない声を上げるな。
「このクソ女!離しやがれ!!」
いいとも。
離してやるさ。
代わりに、今度は腕を捻るけどな。
「いぎゃああ!!何しやがんだテメェ!離せって言ってんだよ!」
そのまま背後に回って、関節を逆に曲げてやると、男はさらに声を上げた。
ちょっとは静かにしろって……。
ここは商店街だ。
周りの目が痛いだろうが。
「ああ、すぐ離してやるとも、クソヤロー。 そしたら、二度と近寄んじゃねぇ」
男の耳元でそう囁く。
相当痛いんだろうな。
額に脂汗が浮かんでいた。
「女の……クセに……なんて力してんだ……アヒッ!!」
「まーだ気付いてねぇのか、オマエ──」
怒りで頭の血管が1,2本、切れそう。
「いいか?よく聞け、この色ボケヤロー……」
すぅっと息を吸い込んで、男の耳に口元を寄せると、あわよくば鼓膜が破れんばかりの大声で叫んでやる。
「“オレ”は男だッッッ!!!!!」
「それで?」
「それでじゃねぇよ」
次の日の昼。
しかめっ面したオレは、通っている私立『
「大変だったんだぞ。 騒ぎを嗅ぎつけた警察まで来て、30分近くも事情説明させられたんだからな!」
「ナンパした男も驚いたでしょうけど、警察の人もびっくりしたでしょうね、姫ちゃんが男の子で」
背中まで伸びた長い髪に、人懐っこい笑顔のコイツは、オレの幼馴染でありクラスメイトの
そして、夏子が呼んでいる、“姫ちゃん”というのは──不本意ながら、オレの事だ。
この
まず、オレの本名は
これでおおかた解ると思うが、『姫』という
あと、それプラス──
「姫ちゃんは可愛いから。 背が低くて、声は高くて、目は大きいし、睫毛も長い。 みんなが見間違える気持ちも、わからなくないけどね」
──と、夏子が語るこの不本意な外観にも由来する。
「その髪型も助長の一つね。 纏めてるとポニーテールにしか見えないんだもの。 一応、校則もあるし、短く切ったら?」
「ざけんな。オレがどんな髪型にしようと勝手だろ。間違えるヤツが悪いんだよ」
「間違えさせるほうにも問題あると思うけど?」
「……フン」
鼻を鳴らしてオレがそっぽを向くと、なぜか嬉しそうに夏子は笑った。
そのとき、校舎から屋上への入り口がバン!と勢いよく開いて、誰かが入ってくる。
「すまん、待たせたな!──って、もう食い始めてるし!」
両手いっぱいにデタラメな数の購買パンを抱える、ツンツンした短い髪の男子。
コイツは夏子と同じく、オレの幼馴染でクラスメイトの
ちなみ言っとくと、オレに『姫』なんて、ふざけたあだ名をつけた張本人だ。
昔から何度も“やめろ”って言ってんのに、一向にやめる気配はない。
それどころか、結局は夏子まで呼び始める始末だ。
「なんの話してたんだ?」
オレの隣に座って、会話に参加しながら、誠也が一袋目のパンを開ける。
「姫ちゃんがまた、ロードワーク中に立ち寄った商店街で、女の子と間違われて、声を掛けられたんですって」
肩を竦めて、そう言う夏子。
「はぁ!? またぁ?」
誠也は呆れた声を出した。
「今月だけで何回目だよ?……6回目か?」
「知らん。数えてない」
「もうお前、『性転換手術』受けろよ。 変えるとこ少ないから、きっと普通よりも、安く済むぞ!」
……目を突いてやろうと、オレが箸を逆手に持った途端、誠也は後退りして距離を置いた。
「まぁ、間違われる姫ちゃんも問題だけど──」
「なんだとぅ?」
「──声をかける男も男よね。最近、商店街があんまり治安のいい所じゃないのは知ってたけど」
箸を口に突っこんだまま、夏子が言った。
まぁ、男のオレや誠也はともかく、日が長くなり出したとはいえ、女は気をつけたほうがいいかもしれない。
「……お前も気をつけろよ。 一応、女子だし」
という、オレの言葉に、
「あら、心配してくれるの? 優しいのね」
と、オレの顔を覗き込むようにして、夏子が笑う。
「聞こえなかったか? 一応だ。一応」
卵焼きを口に放り込んで、オレは夏子の目線から逃れた。
覗き込むのをやめた夏子は、そのまま誠也に話を振る。
「ときに、明日のテストだけど、誠也は勉強してるの?」
「え…」
痛いところを突かれて、誠也のサンドイッチを運ぶ手が、ピクリと反応する。
「──部活が忙しくてな……」
「テスト期間中、部活は休みだ、ボケ」
冷静なオレの突っこみに、誠也が「ああ、そっか」と呟く。
全然、反省してねぇ。
「まぁまぁ。 おれらまだ、高校1年生だぜ? そんな今から必死になって勉強してたら人生損、損!」
ひらひらと手を振って答える誠也。
そんな考えだから、前回の中間テストでヒデェ目見たクセに。
つっても、在学生のオレが言うのもなんだが、この学園の学力偏差値は県内でも高いことで有名だ。
その学園に入学できたんだから、こんな
……そんな姿、見たことないけど。
「なんにしても気をつけないと、夏休み中に補修になっちゃうわよ?」
夏子の忠告に誠也は胸を張る。
「大丈夫!いざとなったら、前回の中間テスト全問正解!学年一位を誇る姫が──」
「オレは助けねぇぞ」
誠也を見もせず、オレは言った。
「……まだ、“姫が”までしか言って無いじゃん」
誠也が苦笑していうが、オレは続けた。
「その文脈で“姫が”まで言ったら、オレが何かするのは、確定じゃねーか、バーカ」
ペットボトルの麦茶を飲みながら、そう言うと、誠也は参りましたとばかりに首を横に振った。
「残念だねぇ。 外観と声は完璧な美少女のお前も、さすがに性格と口ばっかりは男か……」
パキッ!
オレは手に力を入れて、ペットボトルを凹ませた。
「頭のおかしな発言ばっかしてっと、マジで目ぇ潰すぞ」
眉間にシワを寄せて、オレは誠也に凄む。
「……女声で、そういう乱暴な言葉を使っても、特定の層にしか受けないぞ?」
オレからスススッと距離を取り、夏子の背中に避難しつつ、誠也が言う。
「私もそう思うな。 姫ちゃん、もうちょっと言葉づかいなんとかしたらどう? せっかく可愛いのに……」
夏子が食べ終わった弁当箱を片づけながら、笑顔で言った。
二人が勝手なことを言うので、オレは目を閉じて、箸を握りしめる。
「オマエら……人の苦労も知らないで……!」
怒りのやり場に困ったオレは、弁当をかき込んで、やけ食いする。
「フフフ……。 さて、私これから生徒会役員の会議があるから、もう行くね?」
夏子が立ち上がる。
この学園は、たとえ一年生であっても、代表が選出され、生徒会に参加させられる。
夏子は、その選ばれた代表の一人だ。
「テスト前のこんな時期に会議なんかあるのか?」
おそらく5袋目の購買パンを開けながら、誠也が尋ねる。
「臨時の集会でね。 開かれるのは姫ちゃんのせいなの」
責めるようでもあり、からかうような口調で言いながら、夏子がオレの頭に両肘を被せるようにのしかかってきた。
「なんでオレのせいなんだよ」
眉間にシワを寄せて聞くと、
「あなたが変な男に、声をかけられて警察の厄介になったから」
「あ……」
なるほどね。
「生徒たちに注意を促す為に、わざわざ学園長がね──」
「……わかった、わかった。オレが悪かった。 だから、前髪で遊ぶな」
言われて、オレの髪を指で
「これからの季節、湿気が増えるから、ちゃんとお風呂上りに髪を乾かさなきゃダメよ。 じゃあね」
大きなお世話だっつの。
屋上から校舎に入っていく夏子を見ながら、心の中で呟く。
あとに残されたオレと誠也は、他愛もない雑談をして、昼休み時間を過ごした。
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