第12話 月の光

「とうちゃーく」


 電車を降りたわたしは、凝った体をうんと伸ばした。


 ようやく地元に帰ってきた。


 辺りはすっかり暗くなっていたけど、わたしの事務所兼自宅は駅の近くにあるから歩いて帰っても大丈夫。


「それにしてもこういうことってあるんですね――」


 駅を出ると、明里が話しかけてきた。


 こういうことっていうのは、今回ディバインキャッスルで起きた事件のことだ。


 たしかに殺人事件の現場に居合わせるっているのはかなり稀なケースだろう。フィクションの世界なんかだと、探偵は毎回のように殺人事件に出くわすけど現実ではあり得ない。そもそも、出くわしたとしても解決するのは警察仕事で、探偵の出る幕なんてない。


 話題は事件のことからディバインキャッスルで出会った人たちのことに変わる。珍しく明里が饒舌だったのは、電車に乗った瞬間わたしが眠ちゃったからだろう。


 ――ずっと話をしたくてウズウズしてたのかもしれない。


 ただ……鳥海さんの話題は一切出ることはなかった。


 10分ほど歩いて家に到着。


 わたしはカギを取り出して玄関に差し込んだ。


「あれ……?」


 妙な違和感――


 鍵穴に若干の抵抗感じた。


 ――まさかドロボウ?


 動きの止まっていたわたしに「どうかしたんですか?」と尋ねてくる明里。


 わたしは事情を説明して、家に入ったらすぐに盗られたものがないか確認するように言った。


 中に入って直ぐに状況確認。


 しかしながら、建物内にはあらされた痕跡すらなかった。1階の事務所も2階の居住スペースも3階の明里の部屋も。


 ただし――


「減ってる……」


 わたしの部屋のタンス。その中に仕舞ってあったはずの下着が1枚消えていた。


 だけどこのときのわたしは大した動揺はなかった。たぶん、ディバインキャッスルで明里の下着が行方不明になる経験をしていたおかげだ。


 明里にその話をすると、「八重様本当ですか!? 警察に連絡しますか!?」と珍しく感情を露わにしていた。


 自分の下着が失くなったときとはえらく違う反応だ。


 とりあえず警察には連絡しないということになった。理由のひとつの盗まれた物が物だけに警察に言うのは恥ずかしかったから。他の理由としては、わたしが警察を信用していないから……


 その後、わたしと明里は遅めの夕飯をして、疲れを癒やすようにお風呂を済ませた。お休みなさいを交わし、明里は3階の部屋へ、わたしは2階の自室へと入った。


 その間もずっとドロボウのことが気になっていた。


「考えすぎかな……」


 ただ、下着が消えたのは事実なわけで……


 だいたい、この事務所にはわたしの下着1枚よりもっと換金率の高い品はある。

 それには目もくれず下着のためだけにわざわざ危険を犯してまで事務所に侵入を……?


 ――ないない。絶対ない。


 鍵穴に感じた違和感は、恐らくピッキングによって鍵穴を弄ったせいで内部に傷がついたせいだろう。


 ――だけどカギは閉まっていたから、侵入した何者かはカギを締めていったってことになる。


 ピッキングは鍵を開けるより閉めるほうが難しい。普通のドロボウならまず鍵を閉めずに逃げるはずだ。他人に見られたらまずい状況下に置いて、ピッキングでカギを閉め直すなんてリスクを負うとは思えない。


 盗みに入った痕跡を消そうとしてわざわざ鍵を閉めたのだとしても、下着が失くなっていることに気づけば何者かが侵入したことは一目瞭然だ。


 ピッキングができるってことはそれなりに腕の立つ人間の仕業でもあるわけだから。そんな人間がこんなにもわかりやすい証拠を残していくとは思えない。


「そういえば……」


 わたしはふと疑問に思った。


 ――ここに侵入した何者かって、どうしてわたしたちが留守にしていたことを知ったんだろう?


 明里と2人でこの事務所を切り盛りするようになってからは、2人で同時に事務所を空けるようなことはほぼなかったはずで、わたしは今回の旅行の件は誰にも伝えてはいないし、ドアの表に臨時休業を示すような紙も張り出してなかった。


 それって会社としてどうなんだ? って言われちゃいそうだけど、そこまで頭が回らなかったんだから仕方ない。


 ――わたしにとっての偶然は、何者かにとっての必然……


 なんの気なしに、二階堂さんの言葉が頭に思い浮かぶ。


 そこでわたしは、疑問に思っていたことを確認することにした。


 …………


 1階の事務所に降りて叔父さんに電話をかけた。


 夜遅くだったけど、叔父さんはそれを咎めることもなく対応してくれた。


 わたしが確認したかったのは、だ。


 返ってきた言葉は『ノー』だった。お礼を言って電話を切る。


「やっぱり……」


 最初に違和感を感じたのは、わたしのところに送られてきた手紙の中に“明里ちゃん”という文言を見たときだった。


 明里のことを叔父さんに話したことがあるのは事実だけど、叔父さんは明里のことを“卯佐美さん”としか呼んでいなかったはずだった。


 ただあのときは、手紙だから砕けた表現を使っただけの可能性も考えて、確認を取ることはしなかった。


 だけど決定的だったのはバスに乗り込む前の“あの”やり取り。


 ねねちゃんと真理絵ちゃんが、登録情報が変更されていたことでトラブルに見舞われていた。


 本来ディバインキャッスルに来るはずだった客が別人になっていたという点では、わたしと明里も状況は同じだったはず。にもかかわらず、わたしたちは何のトラブルもなくバスに乗り込めた。


 叔父さんが事前に登録者を変更していたのならまだわかる、だけど叔父さんはチケットを送ってないと明言した。


 つまり――


「わたしたちは事務所から遠ざけられた……」


 そう考えるのが筋だろう。


 チケットを送った人物と、事務所に侵入した人物は同じ……


 わたしたちを遠ざけてまで盗み出したかったものがわたしの下着1枚なんてあり得ない。


 犯人がここに侵入した本当の理由……


 事務所内を見回す。


 デスクの上はきれいに片付いている。荒らされたような形跡は見当たらない。出かける前と何も変わっていない……はず……


 下着以外に盗まれたものが絶対にあるはず。それは、普段気にしないものだから盗まれたことに気がついていないか、あるいは、盗まれても気が付かないもの……


「あっ――!?」


 盗まれても気が付かないもので思いついたのは『情報』だ。


 情報は盗まれたかどうかなんて普通気づかない。

 

 ソーシャルエンジニアリング……いわゆる盗聴なんてのはその最たる例だ。


 そして、わたしが使っているパソコンにはたくさんのプライバシーに関する情報が保存されている。


 わたしはパソコンの電源を点けた。管理画面を開き詳細を確認する。その画面にはこのパソコンがいつ起動していたかのログが残っている。


 つまり、わたしが出かけているこの一週間に起動していなかったはずのパソコンに起動していたログが残っていれば、わたし以外の誰かがこのパソコンを勝手に起動したということになる。


「うげぇ……マジ?」


 ログを見つけた。それも3日連続で起動した形跡が残っていた。


 つまり犯人はピッキングでの開け閉めを最低でも3回は繰り返したってことだ。

 恐らくそのせいで鍵穴が削れたんだろう。


 つまりわたしの下着を盗んだのはブラフで本命はこっちだったわけだ。


 下着を盗むことでわたしの気を動転させ本来の目的から目をそらさせようって魂胆だったんだろう。


 だがお生憎様。わたし下着が盗まれたくらいで取り乱すようなか弱い乙女じゃない。


 ――わたしもずいぶんと見くびられたものだ。これでも探偵だぞって言ってやりたい気分だ。


「でも……」


 犯人がパソコンを起動していたことがわかっても、欲していた情報まではわからない。3日もかけていたことから、欲しかった情報が手に入らなくて諦めた可能性もある。


 そもそも、本当に重要な情報はビューティープロテクトっていう国内でもトップクラスのセキュリティを誇る会社のサーバーに保管してある。


「もしかしてそこに無理やりアクセスしようとしていた?」


 だとしても、パソコンの起動ログを残すような素人では絶対にそのセキュリティを突破するのは不可能だ。


「でも……」


 ――わたしの持っている情報を欲している人間がいる。


 それはつまり……


「八重様」


「う――っ!!」


 いきなり声をかけられてちょっとびっくりした。


「ど、どうかしたの!?」


「明かりがついていたので、もしかして八重様の言っていた泥棒が戻ってきたのかと思いまして。――それよりもお仕事ですか?」


「え? ああ、大丈夫。もう終わったから」


 パソコンをシャットダウンさせて、問題ないふうを装って明里のもとへ。


 その背中を押すようにして階段を登る。


 もしもここに侵入した人物が何の情報も得られていないのだとしたら再びここに来る可能性はなくはない。


 犯人はわざわざ高いお金を出してまでわたしたちをここから遠ざけて情報を得るという手段に出た。だから実力行使で危害を加えてまでわたしたちから情報を聞き出そうとはしないはず……


 ――大丈夫……だよね……?


 そんな不安を抱えながら、もう一度明里とお休みなさいの挨拶を交わして自室に戻った。

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