呪われし人形は夢を見る

天岩太樫

黒髪の軍人たち

 走る、走る。

 呼吸が苦しい。肺が酸素を求めて悲鳴を上げている。

 酸欠でふらふらとして意識が飛びそうになる。

 それでも走らなければならない。

 助けを求めるために、その声を届けるために。

 大切なものを守るために。

 冷たい春雨に打たれながら駆ける。

 そうやって街を駆けずり回った。

 けれどだれも手を差し伸べてはくれない。

 ついにその小さな体は水たまりのなかへと倒れこんだ。

 疲労と酸欠で朦朧とした体は信じられないほどの熱をもっていて、

 その熱が泥水に奪われ、心に諦念が浸み込んでゆく。

 倒れこむ瞬間声が聞こえた。

 それは自分を気遣うような声音で、

 声の主に自分の体は支えられていることに気が付いた。

 手放しそうな意識をどうにか引き留め、漏れ出すように一言呟いた。

 そうして俺は意識を失った。



   ~~~~~


 その日は一日中分厚い灰色の雲が空を覆い隠していて、真昼間だというのにもかかわらず通りは薄暗いままだった。

 日がさしていないせいか春なのに風が肌寒く感じられ、道行く人々の中には外套の襟を立てているものまでいた。その中を歩いている少年もまた外套のフードを被り、通りの雰囲気と一体化している。


「今日みたいに寒い日はみんな厚着してるうえに歩くのが早いせいでやりづらくて仕方ないな……」


 よくよく見てみれば少年の足は何処へ行くでもなく大通りをあっちへいったりこっちに来たりするばかりで迷い人のようにも見えた。

 しかしその表情に浮かんでいるものは迷子のそれではなく、獲物を探す猛禽類のような鋭さが見え隠れしていた。

 そのまま小一時間ほど経った頃だろうか。少年はある人物に狙いを定めたのか後をつけ始めた。黒の外套をきた長身の青年だ。年は二十ほどに見え、外套の裾からは軍服の袖が見える。

 少年はすかさず青年の後ろにぴたりとくっついたかと思った瞬間、目にもとまらぬような早業で相手の財布を抜き去る。周囲いた人々もその青年もスリが起きたことにも気づかずに平然と歩みを進めていた。

 少年は財布を懐に入れるとそのまま脇にある裏路地の方へと抜けていく。


「帝国の軍人の割には全然なってなかったな。警戒心なさすぎるだろ」


 そういって少年は十分に離れたと判断して中身を確認し始める。


「やっぱ思った通りがっぽり持ち歩いてやがったぜ。こいつがあればしばらくはなんとかなりそうだ」


 少年は金を抜き取ると財布を裏路地の端にむかって放り捨て、ホクホク顔でそのまま町の中心を離れて鄙びたほうへ歩いていく。しばらくすると尖り屋根の教会がみえ、そこに慣れた様子で入って行った。すると中には小さな子供がいっぱいで皆昼食の片付けに勤しんでいる最中だった。


「あっロべ兄かえってきた!」

「おかえりー」

「今日はなにとってきたの~?」


 そうして少年よりも小さな子供たちがロベルトと呼ばれた少年の元に駆け寄る。ロベルトは手に持った戦利品を見せびらかすように頭上へと掲げた。


「今日はこれだけ取ってきたぞ、これでしばらくはおいしいものが食えるぞ!」

「やったぁ!」

「ロべ兄最高!」


 騒ぎを聞きつけてきたのか、シスター服をきた女性とロベルトと同じぐらいの年頃の女の子が奥の厨房のほうからでてきた。


「みんなちゃんと遊んでないで片付けしなさい。みんなの片付けが終わらないとあたしたちのも終わらないのよ! ……ロベルトどこいってたのよ、あんたのお昼ごはんもうないからね!」

「ええ! そりゃねぇぜミレッタ。せっかく稼いできた功労者にその仕打ちはないだろ」

「あんたまたスってきたの!? シスターにまた怒られてもあたし知らないからね!」


 そういってロベルトの周りに集っていた子供の輪をちらして仕事の続きをやらせ始めた。騒ぎがひと段落するとそれまで沈黙を保っていたシスターが口を開いた。


「ロベルト、あとで懺悔室にきなさい」



   ~~~~~


 懺悔室ではシスター・ディアナとロベルトが向き合っていた。シスターはじっとロベルトを諭すような目つきで見つめてなかなか話を切り出そうとしない。

 その一方でロベルトは最初はふてくされた様子を見せていたが、その沈黙に耐えきれずにばつの悪そうな表情に変わっていった。

 そしてシスターが口を開く。


「どうしてスリばっかりするの? 何回もやめなさいって言ってるよね」

「だってそうしないとこの孤児院はお金がないからさ……」

「でも人に迷惑をかけちゃいけないとも言ったよね。それに今この孤児院は決してお金がないわけではないのよ」


 それを聞いてロベルトががなり立てるようにして答える。


「そう、それが気にいらないんだ。あの代官からお金を貰ってるだなんて我慢がならない! あいつらは戦争を起こした奴らなんだぞ! そんな奴らから施しなんて受けたくない!」

「……確かに、あの人たちが攻めてきたのは事実よ。でもだからって代官様まで必ずしも悪い人というわけではないわ。あの方はあなたたちを不憫に思っていらっしゃるのよ」

「……俺はそうは思わない」

「ロベルトったら本当に頑固なんだから! いいかげんになさい!」


 その時懺悔室のドアがノックされた。


「どなた?」

「ロレッタです。ちょっと入ってもいいですか」

「どうぞ」


 そうして扉が開くとそこにはロレッタともう一人、軍服に身を包んだ長身の男がいた。



   ~~~~~


 ロレッタは年少の子供たちにてきぱきと指示を出して片づけを済ませると子供たちを寝かしつけ、それから買い物へと孤児院を立った。

裏路地から大通りへ、そして市場の方へと足を運ぶ。人ごみでごった返す市場で明日の食事の材料をうまいこと値切りながら買い込んでいく。


「嬢ちゃんお使いかい? えらいからちょっとおまけしちゃおうかな」

「じゃあこれとこれもかうからそれあと三つおまけに付けてね?」


 そうして1時間ほど経った頃だろうか、日はまだ沈んでいないが市場の店は手早く店じまいを始める頃合いとなった。

 人気も随分と減りそろそろロレッタも帰途につこうと思ったころに、ある二人組が目に付いた。どうにも二人はなにか揉めているように見えた。片方は軍服を着た長身の男、もう一人は黒髪の女の子でこちらもまた軍服を着ていた。年は16、7といったところに見える。

 その二人の声が大きいものだから人気のなくなった市場だとなおさら音が響いていた。


「なんでお財布になにもかもぜんぶ入れちゃうの!? 身分証とか階級章も全部なくすのっておかしくない?」

「し、仕方ないだろ。だれにだってミスはあるんだ」

「そのミスのせいで今無一文、挙句の果てに身分を示せないからどこにも泊れそうにないじゃない」

「ど、どっか軍の施設なら使えるんじゃないかな……」

「さっき突っぱねられたじゃないの!!」

「いや、今は気分が変わってるかも」

「そんなわけないじゃない!!!!」


 言い合いはヒートアップしている。ミレッタは最初無視して帰ろうかとも思ったが、


「困っている人には手を差し伸べねばいけませんよ」


 というシスター・ディアナの言葉を思い出して足を止める。振り向いて二人の様子を再び窺う。

 長身の男は黒い髪の毛をしており二人はお揃いの姿をしているみたいに見える。心底困ったという表情をしているせいか、一般的な帝国軍人のような怖さは感じられなかった。もう一人の女の子も頬をふくらまして怒っているその顔は端正なもので、怒っているのにどちらかというと可愛らしさを感じさせた。

 それを見てミレッタは迷いを振り切って二人に声をかけた。


「あのぅ……」

「ん、どうしたんだい? ああ、連れがうるさくてごめんね。どこかにいくよ」

「ええっ!! わたしのせいなの!!」


男の方がミレッタの頭に手を置きながら瞳を覗き込むようにかがみこむ。


「いや……そうじゃなくて、」

「そうじゃなくて?」

「泊る所にお困りのようでしたので……お二人がよければなんですけど……ウチに来ませんか?」



   ~~~~~


 ロベルトは己が目を疑った。スった相手が再び目の前に現れるのは初めてのことだった。

 シスターは男の方に目を向けて、

 

「その方は?」

「その……財布を無くしてしまったみたいで泊る所に困っているみたいだったのでウチに泊めてあげられないかなと思って連れてきました」

「なるほど……でも軍人さんですか? 軍に事情を話せば施設を利用できるのではないでしょうか?」


 男の後ろからさらにひょいと黒髪の女の子が出てきて口を開く。


「このバカが財布に身分証明できるもの全部入れてたんですよ。それで施設の利用は突っぱねられたんです。再発行は一週間かかるって言ってて」

「あら……それはお気の毒に。ウチは見た通り孤児院ですのであまりたいしたものはありませんがそれでよろしければ利用していってください」

「いやーほんとありがたいです。しばらくおじゃまします」


 男も口を開いて会話に加わり始める。そうして狭い懺悔室の中でたわいもない会話が始まる一方でロベルトは非常に焦っていた。


(もしかして俺のこと追ってきたんじゃないか? 目的は報復か?)


 ロベルトは一人焦る中その様子にロレッタが気が付く。


「どうしたのロベルト? さっきから黙ったままだけど……」

「い、いや、なんでもないよ。さっきまでシスターに怒られてたからじゃないかな、ハハハハハ……」

「そう?」


 ロレッタは首を傾げながらロベルトを見詰める。シスターはその様子に思うところがあるのか薄く微笑みながらロベルトに一瞥をした。


(気づかれた!!)


「俺ちょっと用事を思い出した、またあとで!」


 弾かれるように椅子を立つと懺悔室の外へと飛び出していった。


「どうしたんだあの子?」

「さぁ。ひとまず今はここの案内を。ロレッタお願いできる?」

「はい。わかりました」


 そうして皆が出て行った後の懺悔室にてシスターは一人ため息をついた。

 

「あの子ったらほんとに手がかかるんだから」



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