この世界に花束を
しゅりぐるま
第1話 幻想の世界
ほっこりとしたまん丸の島に、ぽっかりと大きな虹が浮かんでいる。虹と同じくらい大きなカバが、島の横であんぐりと口を開けている。目の前に広がる島を今にも食べてしまいそうなほどだ。フィールドにはさわさわと風がとおり、春に設定された気候にうっかり大きな欠伸が出る。
草むらに横になりたくなる気持ちをぐっと堪えて今日ここでやるべきクエストを必死で思い出す。ゲーム開始時に脳が受けるショックは、一瞬の記憶障害を引き起こす。
――そうだ、神秘の指輪を手に入れるんだ。
自分でつぶやいて吹き出してしまう。俺が、ゲームの世界に身を投じることになるだなんて。
思い切り膝を曲げて地面に片手をつく。指輪が隠されているカバの前歯に向かって飛び上がると、どんくさそうにしていたカバが突如、俊敏な動きを見せる。小さなカバが溢れ出す。背中に背負った剣を引き抜き、一匹の小カバに飛び乗ると右からやってきた小カバを切り倒した。荒れ狂った親カバが大きく頭を振りながら、子カバの上で身動きのとれない俺に突進してくる。そうだ、そのまま来い。俺を倒せ。
ぶつかる。息が止まる。意識が薄れる。
――今回もダメか。
ゲームオーバーの音楽を聞きながら、悔し紛れにつぶやいた。
肌に感じていた風がやみ、緑の匂いが鼻から消える。親カバの声にならない唸り声が遠のき、口内に感じた血の味が消え、視界が暗闇になる。
――今回のテストも一瞬で終わってしまったな。
強制ログアウトを受けながら、頬に熱いものを感じた。
「また、泣いてるの」
呆れた声が降ってきたのと、再び目に光を感じたのは、ほぼ同時だった。
「また、失敗だ」
「そうね。ご飯でも食べに行こうか」
「さっきも食っただろう」
涙を拭って開きっぱなしのパソコンに向かう。
何故だ。何がいけないんだ。プログラミングにバグは見当たらない。ゲーム内で受ける衝撃を減らすべきなのか。だがそうすると現実感が減ってしまう。
「ねえ、焦らないでよ」
彼女の声が聞こえたが、聞こえないふりをした。
「あなたはいつか帰らない人になるんでしょう」
彼女は勝手に話し続ける。
「それを見届ける私との時間も、大切にして」
何度目かの同じようなやり取りに辟易しながらため息をつく。
俺にはやりたいことがある。一生ゲームの中で暮らせる環境を作ることだ。それにはまず、俺自身がゲームの中に入り込まなければならない。彼女はそれを承知で俺と付き合っているはずだ。
「無責任」
「勝手に好きになったのは君だろう」
彼女が黙る。
「俺には時間がないんだ。わかるだろう? それに君にとっても早いほうがいいはずだ」
何度も使った言葉を繰り返す。
「わかった」一つ大きく深呼吸して彼女は続けた。「その代わり、戻ってきたら私と一緒になって」
自分でもわかるくらい、大きくたじろいで彼女を振り返った。
俺がゲームの世界へ身を投じたら、彼女は俺を現実世界へ引き戻す。両方成功したら、そのシステムをゲーム会社に売って、二人で悠々自適な生活を送る。それが今の彼女の夢だという。
夢の上に夢を重ねる彼女に「馬鹿だな」と呟く。
彼女は唇を震わせながら「早く成功させてね」と囁いた。
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