ビストロとなりの部屋

真楠ヨウ

チンピラの朝ごはん

夜道と後輩

 会社の飲み会ほど面倒臭いものはない。


 飲みにケーションなるものが存在したのもバブル前の話。その頃から社会人をやっていた上役連中ならともかく、少なくとも自分にとっては仕事で飲む酒ほどつまらないものはない。


「おまけに……こんなもん、押し付けられるしなっ……!」


 肩にぐったりともたれかかった後輩を、ゼイゼイと息を切らして引き摺りながら毒づく。


 今日は会社の飲み会だった。若者の酒離れ(この言葉もどうかと思う。金があれば酒は飲みますよ俺だって)が囁かれる昨今、酒の飲みかたを知らない新人というのは珍しくない。案の定、こうして飲みつぶれてしまった不燃物ーーもとい後輩の足立千早の面倒を押し付けられてしまったのは、ひとえに奴と俺の駅がたまたま同じだったからだ。


「おい足立!お前の家、本当にこっちで合ってんだろうな!?」

「ふぇい……せんぱぁい……らい、らいじょぶでふからぁ……ひとりで、ちゃあんと……あるれらふ、よぉ……」

「そういう説得力のない台詞は、せめて直立歩行が一人でできるようになってから言うんだな!」


 正直に言おう。俺だって男だ。もしここで、こうして人の肩に寄りかかりふにゃふにゃと頼りなげに酩酊した足立千早なる後輩が女だったら、邪なことを少しばかり考えてしまったかもしれない。


 だけど残念なことにこいつは男だ。誰がどう見ても男だ。年齢の割に多少童顔で、スーツを着ていてもサラリーマンというより就活中の大学生くらいにしか見えないが、間違いなく成人過ぎた男なのである。つまりこうして肩を貸していても、まったく楽しくも嬉しくもならない。


「ったく……明日からせっかく週末だっつーのに、なんで飲みつぶれた野郎のお守りなんか……!」


 ぶつくさと漏らしながらズルズルと後輩を引きずる。駅どころか、家の方角まで同じだったのは運がいいんだか悪いんだか。見覚えのある住宅街を抜けていくうちに、ものすごく見覚えのあるアパートの前に辿り着いた。


「……おい、足立。お前の家、本当にここか?」

「ふぇい……こころぉ……201でしゅ……」

「マジかよ……」


 思わず俺が呆然と呟いてしまったのも無理はないだろう。なぜなら。足立に案内されて辿り着いたのは、まさに俺の自宅でもあるマンションだったからだ。


「しかも、201号室って俺の真下じゃん……」


 俺の部屋は301号室の角部屋。独身向けではなくファミリータイプのマンションなので、さほど高さはなく三階建。つまり、俺は角部屋の最上階なのだ。建物自体は古いが部屋は意外と広い。そんなマンションに俺が住んでいるのは、住み始めた頃は一人じゃなかったからだが……いや、今はいい。それよりも、新人で独身なはずの足立が俺と同じマンションに住んでいることの方が意外だった。


「まさかこんな近くに会社の後輩が住んでいるとは……」


 若干ショックを受けつつ、マンションのオートロックを解除する。入居当初はそんなものついていなかったが、近頃は何かと物騒だとかで最近増設されたものだ。その分、家賃が上がらなかったのでよしとする。


 足立の鞄をガサゴソと(勝手に)漁り、部屋の鍵を開ける。ここまでしてやる義理もない気がしたが、ここまでくれば乗りかかった船だ。どうせ自宅へ帰るのは階段登るだけだし、このまま酔い潰れた後輩を放置して翌日、寝ゲロで窒息死されても気分が悪い。よいしょ、と行儀悪く足で扉を開け──


「……お邪魔しまー……」


 不法侵入というものきまりが悪いので一応、挨拶の声をかける。てっきり誰もいないと思っていた部屋からは。


「おかえりー」


 意外な事に返事があった。


 続いて、パタパタパタ──という足音。


「予定よりちょっと遅かったじゃん。なんかあったかと思って心配したわ。駅に着いたら先に連絡入れろって毎回──……」


 お互い、しばし無言で見つめ合う。


「あ──」

「あの大丈夫です怪しい者ではありません。飲み会で酔いつぶれてしまった足立君を送ってきた同じ会社の立花と申します。こちら名刺です」


 悲鳴をあげられる前に全力でまくしたてた。

 我ながら、よく舌を噛まないなと思える見事な高速詠唱だった。

 片手で正体を無くした足立を支えつつ、空いている手でさっと名刺を取り出すコンボも忘れない。


 勤務先でも若手から中堅と呼ばれる歳になって、営業回りからデスクワークの方が増えて来たが、入社当時に培った『どんな荷物を持っていても素早く名刺交換する技術』だけは今でも体に染み付いている。


「あ、ドモ。立花透サン、ですか……」


 句読点抜きでまくし立てるこちらに圧倒されたのか、相手の女性がやや面食らった様子で俺の差し出す名刺を受け取った。


 ゆるいウェーブのかかった長い黒髪。少しキツめの目つきと端正な顔だち。ちょっと驚くくらい腰の位置が高く、そのせいか、ジーパンにTシャツというシンプルな服装がこれ以上なく似合っている。


 美人だが、姉や妹というにはあまり顔だちが似ていない。後輩が既婚者だという話は聞いてないので、ひょっとして同棲中の彼女かもしれない。相手はふにゃふにゃと夢心地の後輩を一瞥しただけで状況を察したらしく、ふぅ、とため息をついた。その如何にも呆れたような仕草に、慌てて頭を下げる。


「あの……すみません。本来なら、こんな状態になる前に止めるべきだったんですが……」


 いや待て。なんで俺が謝らにゃならんのだ。勝手に飲みすぎたのはこいつなのに。が、彼女はこちらを責めるつもりもないらしく、ぱたぱたとぞんざいに手を振った。


「あ、いんですいんです。どーせこのバカがまた調子にのって飲み過ぎたんでしょ。外で酒飲むの久しぶりだって、楽しみにしてましたからねコイツ。ここまで運んでもらって申し訳ない」


 彼女はあっさり言い捨てると、後輩の横をすり抜けてバレエシューズをはいた。ヒールがないぺたんこの。つま先についている飾りが、玄関灯を受けてキラリと光る。


「じゃ、私はこれで。そいつはその辺にテキトーに転がしておいてくれればいいんで。とりあえず、横向きにして気道確保しておけば寝ゲロで窒息死ってこともないだろうし、保護責任遺棄にもならんでしょ。それじゃ」


「え、ちょっ、ちょっと奥さん──」


 そのまま部屋を出て行こうとする女性を慌てて呼び止める。しまった。奥さんじゃないとさっき思ったはずなのに、つい弾みでそう呼んでしまった。


 案の定。


 彼女は玄関を出る寸前でピタリと足を止めると、ぐるりとこちらを振り向いた。やや白目部分の多い三白眼で、ギロリと睨みつけてくる。


「あいにくだけど、私はそいつの奥さんじゃない。確かに家族同然ではあるけど、同然ってのはつまり家族『じゃない』って意味でもある」

「は、はぁ……」


 見た目明らかに自分より年下っぽい女性に、なぜか偉そうに諭されて曖昧に頷く。彼女はガチャリと玄関の扉を開けた。


「え、あのちょっと──」


「悪いけど、こっちも時間ないんだ。仕事先から連絡来てて、急いで行かなきゃいけないの。これでもギリギリまで待ったんだから。あと、その粗大ゴミのことは本当に気にしなくていい。さっき『奥』がようやく寝たんで、物音にだけ注意してくれれば」


「えっ──は──?」


 止める暇もあればこそ。こちらが戸惑っている間に、ロングヘアの彼女はじゃっと男前に手をあげると、颯爽を姿を消してしまった。


「え、ええええ〜……なんだそれ……」


 一人──いや、正確には男二人、玄関にポツンと残されて思わず呟く。なんだあれ。家族同然だけど家族じゃない? 殆ど何も言ってないに等しいじゃないか。別に、足立のプライベートな人間関係が知りたいわけじゃないが。


「つーか……こいつ、マジでどうしよ……」


 彼女はああ言っていたが、本当に玄関に放置でいいのだろうか。部屋まで運んできてやっただけで、我ながら大概親切だとは思うけど。否、それよりも──


(なんか妙なこと言ってたよな。奥に寝てる?)


 寝てる、という言葉を使う以上、対象は生物なのだろう。多分。世の中にはルンバやブラーバをペット代わりにしている人類もいるというが、足立にそんな繊細さがあるとは思えない。


「……ま、いっか」


 このマンションはペット禁止だが、仮に足立が大家に内緒でこっそりペットを飼っていたところで、別に知ったことじゃない。あの彼女もああ言っていたことだし、やはり玄関に投げ捨てて帰るか、と思い後輩を下ろしかけた所で。


「……ちーちゃん、おかーりー」


 再び。奥から。声が聞こえた。


 先ほどより幾分──いや、かなり舌ったらずな声。続いて、てちてちというなんだか軽そうな足音。そして。


 リビングに続く扉をガチャリと開け、眠そうに目をこすりながら中から出てきたのは、聞こえた足音からの予想に違わぬ小さな人影だった。


 この世の幸せが詰まったような、ふくふくとした丸い頬。肩まであるサラサラとした黒髪は素っ気ない蛍光灯の光の下でもはっきり分かるほど艶やかで、黒目がちの目を眠そうに擦っている。


 だいたい四、五歳だろうか。なんだからひどく見覚えのある──具体的には今まさに人の肩に寄りかかって夢の世界に旅立っている後輩ととてもよく似た顔立ちの幼子は、ただでさえまるい目をまんまるに見開き、ついでに口もぽかんと大きく開け驚愕の表情で俺を見た。


 なるほどなるほど。

 奥で寝ている。そういうことかあの女。


 恐らく先ほどの女性とお留守番中にお休みモードに移行してしまった彼女は、玄関の開く物音に気づき、家主でありかつ見るからに血縁のある保護者(後輩)をわざわざお出迎えにきたのだろう。


 なのにそこにいたのは見知らぬ他人の俺。

 withぐったりと意識を失った後輩。


 なるほどなるほど。

 俺は努めて冷静にもう一度繰り返した。


 そして瞬時に理解した。詰んだ、と。


 黒曜石の如き瞳に、みるみる真珠のような涙粒が浮かぶ。

 幼子の表情が、リトマス試験紙のように驚愕から恐怖の色へと変わる。


「う、あああああああああああんん!!!こ、この、わるものめー!!!!やっつけてやるー!!!」


 そうして俺は。


 恐怖と怒りに大声で泣き叫びながら、勇ましくも立ち向かってくる戦乙女の低身長から繰り出される必殺のローキックを、粛々と受け止めた。



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