てのひらの夏

天乃 彗

愚かな農夫の後悔


 昨日、彼女と喧嘩別れをしてしまった。燦々と降り注ぐ太陽の下、男の表情は険しい。原因は、将来についての考えの食い違いだ。男は農家の長男だった。生まれ育ったこの田舎で、農業を行わなければならなかったのだ。男はこの村が好きだったし、それでもよかった。むしろ、その方がよかった。

 だが──彼女は違った。こんな村で農業の手伝いをするのだったら、都会へ出て夢を叶えたいらしかった。彼女は小さな頃から教師になるのが夢だったらしく、昔から勉学に励んでいた。昔よく差し入れに野菜を届けたものだ。でも、こんな田舎にある大学などたかが知れている。彼女は一度は諦めたのだが、今になって都会の大学に入ろうと思ったらしい。


──ばかばかしい……! 


 彼はその考えを否定した。自分と結婚して、妻として自分を支えてほしかったのだ。その想いは彼女に届かないまま──出発の日になってしまった。もう今頃は電車に乗っているだろう。


──向こうでうまくいかずに戻ってきても、助けてやらない。あいつが勝手に行ったんだ。俺は知らない。


 いつもは心地よいそよ風も、煩わしかった。


 カサッ──

 葉が重なり合う音かと思ったが、そうではないらしい。キョロキョロと辺りを見渡すと、カカシの服に何かあることに気づく。よく見ると、懐に紙切れが挟んであった。見覚えのないその紙に眉をひそめながら、手にとってみる。


──何か書いてある? 


 広げてみると──見慣れた綺麗な字が並んでいた。


『育てた作物に向ける笑顔が、大好きでした。今までありがとう』


 差出人不明の手紙。だけど男には、すぐに分かった。

 やや右上がりの字。いつも隣で見ていた字。電気スタンドの頼りない明かりででも、必死に勉強していて。寒い日も、毛布にくるまってでも勉強していて。一生懸命頑張る姿が──愛しくて。支えてあげたいと、思っていたはずなのに。


──自分のことばかりで、俺は……。


 男はその場に力なく座り込んだ。


──俺は……夢に向かって頑張るあいつが、大好きだった……。


 紙切れをそっと胸に当てて。


──忘れていたなんて……俺は、大馬鹿者だ。


 久方ぶりの涙を流した。涙を流していることにすら気づかずに。燦々と降り注ぐ太陽の下──男は日が暮れるまで泣いていた。

 ずっと、ずっと。

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