第73話 大舞台

 CSファイナル5回戦を直前に控えた、後楽園ドームのビジター用ロッカールーム。


 タイタンズに3勝2敗と日本シリーズに王手をかけられ、もう1つも負けられないドルフィンズだったが、士気は全く下がっていなかった。


「こんな大事なところで回ってくるとは、俺もだいぶ『持っとる』な!」


 まだ試合前の練習時間には早い午後1時。


 徐々に集まり始めた選手たちに対して聞こえよがしに大きな声を発したのは、今日の先発投手・大久保だった。


「大久保さん、やけに張り切ってますねえ。いつものウザさが倍増ですよ。ほら。」


 そう言って自分に割り当てられたロッカーの扉をこれ見よがしに開いて見せたのは、二塁手の内田だ。

 まだ荷物を入れる前の内田のロッカーには、「成長期の内田くん用」と書かれたメモとともに、大量のスナック菓子が置かれていた。


 今シーズンを通していつの間にかすっかりいじられキャラが定着していた内田に対して、しばしば大久保が仕掛けるいたずらだった。


 大久保が内田にこのいたずらを仕掛けるのは、いつも「あすなろ」の子供たちが試合を見に来る日だった。子供たちの観戦用に購入した大量のお菓子のうち、余ったものを内田のロッカーに詰め込んだのだ。


「そんなん言うて、結局持って帰って全部食うんやろ?」


「そりゃありがたいですけどね。だんだん味も僕好みにアジャストされてきてるし。」


 苦笑しながら言う内田は、スナック菓子が袋の中で割れないように、ボストンバックに詰め始める。

 大久保のこのいたずらの標的が内田になったのも、内田が無類のスナック菓子好きであることを知っての狼藉だった。


「大久保さん、それにしても今日はやけに多いですね。これだけお菓子が入ってるってことは――」


「せや、今日はなんと『あすなろ』の子供たち全員参加の大観戦旅行や。絶対に負けられんちゅう気合いの表れや! 内田くんもたーんとお上がり!」


「それは、勝った後のつまみにとっておきますよ。特にこのサワークリーム味なんか、勝利の美酒に合いそうですからね。」


 そう言っておどけてみせる内田の顔にも、勝利への強い思いが現れていた。

 チームの全員が、こんなところでシーズンを終えられないという強い思いを共有していたのだ。


「さて、そろそろいい頃合いかな。立花と江川が来たら、ミーティング始めるぞ。」


 新川は手を2回ポンポンと叩くと、キャプテンとしてのいつもの仕事を始める。


 それを見て、誰ともなく選手たちはロッカールームに設定されたベンチから立ち上がった。


 昨シーズンまでのドルフィンズには、全くなかった雰囲気だ。


 チームの調子が上向きかけても、いつの間にか負けが込み始め、士気が下がり、連敗が始まる。

 この繰り返しでずるずると順位を下げ、結局毎シーズンのの定位置・最下位に収まる。


 それが今は、日本シリーズに王手をかけられた状況で、なお選手たちの目には闘志がたぎっていた。


「お疲れ様でっす! おっ、もう始めるとこですね。」


 そこへジャスト・タイミングで入ってきた楓と希に対してゆっくりと無言で頷くと、新川はゆっくりと低い声で話し始めた。


「さあ、始めようか。」


 監督とコーチを交えた作戦会議の前に、大事な試合の前にはこうして自発的にミーティングを行うのが恒例になっていた。

 一同の顔をゆっくり見渡してから、新川は言葉を続ける。


「まず、俺からみんなに話しておきたいことがある。ここまで、一緒に戦ってくれて、ありがとう。ドルフィンズに入っちまって、おまけにキャプテンなんかになってちまったせいで、こんな日は来ないと思ってた。」


 選手たちから乾いた笑いが響く。

 それがやむのを待ってから、新川はまたゆっくりと言葉を紡ぐ。


「今日負けたら、それで俺たちの夢は終わりだ。いつもより少しだけ長い間シーズンを過ごしてきたが、また去年と同じ。『今年こそ優勝』って、いつも通りのむなしい言葉が待ってる。だから――」


 そう言って少し大きい気を吸うと、


「今日と明日。絶対に勝たなきゃならない。じゃなきゃ、俺たちはやっぱり『最弱集団』のままだ。」


芯のある強い口調で言った。


「それは、俺にとっても同じや。」


 その言葉に応えたのは、大久保だった。


「ドルフィンズに移籍したとき、『あすなろ』の子供たちも心配しとった。もう日本シリーズで投げるあんちゃんを見られんのとちゃうかって。けど、俺には確信があった。この監督は、勝てるチームを作り上げてくれるはずやって。だから、俺は、今日ここで勝つためにドルフィンズに来たんや。」


「俺だってそうです。ドラフトでドルフィンズに1位指名されたとき、周りにいろいろ言われました。でも、負けるためにプロになる人間なんて誰もいません。」


 それに呼応したのは4番の田村だ。

 田村も大学野球でスラッガーとしてならした存在だった。その田村がドルフィンズに指名されたときには賛否両論が飛び交ったが、それでもドルフィンズに入団を決めたのは田村自身の強い意志だった。


「そりゃそうだ。毎日毎日打たれるピッチャーをリードしながら、こういう日を迎えるためにやってきたんだ。今日こそ抑えてもらわないとな。」


 谷口もそれにすかさず応える。


 そこから口々に選手たちが今日という日を迎えるために戦ってきた思いを口にし、自然と士気が上がっていく。


「私だって、こうしてひとりの選手として戦うために、プロに入ったんです。」


 楓が隣から発せられた力強い声の方に目をやると、希もいささか血走った瞳に強い輝きを宿していた。


「そうだな。江川はもう俺たちにとっても、大事な『代打の切り札』だ。今日だって絶対勝負所でお前に回ってくる。頼んだぞ。」


 新川はいつの間にか江川を「希ちゃん」と呼ばなくなっていた。

 希がもはやドルフィンズにとって大事な戦力のひとりであることを、誰もが認めていた。


「私だって――」


 楓が希に刺激されて口を開きかけたときだった。


「お前は今日オフだけどな、立花。」


 ホワイトラン監督とともに入ってきた河本コーチの言葉がそれをさえぎった。


「なんでですか!」


 思わぬ横槍に、反射的に楓も食ってかかる。


「昨日も話しただろ。今日は立花は調整日だ。」


「でも、今日負けたら終わりなんですよ! そんな大事な日に……」


「大丈夫や楓ちゃん。」


 楓を制止するように口を挟んだのは、大久保だ。

 大久保だけは楓も希もいまだに「ちゃん」付けで呼ぶ。だがこれは大久保のキャラクターゆえの表現で、決して彼女たちを見くびるものではない。


「俺が必ず今日は完投する。子供たちも来とるんや。こんな晴れ舞台、誰かに譲れるかって。」


「大久保さん、でも……。」


「大丈夫や。『パワスピ』の俺の能力、知っとるか? 『大舞台』持ちやぞ?」


 大久保は人気のゲーム、『プロ野球パワードスピリット』の話を持ち出して、冗談交じりに楓をなだめる。

 子供たちとオフの日に遊ぶのは、決まって子供に家に大久保がプレゼントしたこのゲームだった。


 選手の成績をもとに忠実にプロ野球を再現されたこのゲームでも、大事な試合でいつも活躍してきた大久保には、CSなどの大舞台でステータスが上がるスキル『大舞台』が付加されていた。


 拍子抜けする話題に選手たちからもどっと笑いが出て、楓はなんだか返す言葉がなくなってしまった。


 大久保は今度は一転して真面目な顔つきになると、楓の目をしっかりと見て話し始める。


「代わりに、楓ちゃんには、きっと明日大事な『大舞台』が回ってくる。日本シリーズを阻もうとする大ピンチかもしれん。そこを抑えられるのは、楓ちゃんだけや。そのとき100%の球を投げれるように、ちゃんと調整しとき。」


 そしていたずらっぽくニカッと笑うと、


「そしたら楓ちゃんも、来年のパワスピで『大舞台』がつくで?」


と言ってカラカラと笑った。


 口をとがらせていた楓が思わず吹き出したのと同時に、他の選手たちの笑い声もロッカールームに響く。


 そして、大久保の言葉で選手たちに残っていた緊張が解けるのを待っていたかのようにホワイトラン監督が口を開くと、今日のスタメンと作戦が伝えられた。


◆ドルフィンズスターティングメンバー

1番 センター  金村虎之介

2番 セカンド  内田俊介

3番 ショート  新川佐

4番 サード   田村翔一

5番 ファースト フェルナンデス

6番 ライト   ボルトン

7番 レフト   宮川将

8番 キャッチャー谷口繁

9番 ピッチャー 大久保健之


 高橋よりも守備のいい宮川をレフトのスタメンに据え、先発の大久保をなるべく引っ張る試合展開に持ち込む、というのが今日のプランだ。

 投手戦を想定しているため、先制してこちらのペースにすることが希まれる。


 高橋や希をはじめとするリザーブのメンバーにも、ここぞというところで代打や代走がありえるので集中力を切らさないように、との指示が飛ぶ。


 そして、


「今日は立花は調整日にする。万が一大久保がマウンドを降りたら、全員スクランブル登板があると思って準備しておくように。」


ホワイトラン監督からも、楓のオフが伝えられた。


◆◇◆◇◆


 選手たちがグラウンドへ出ると、今日も満員の観衆が彼らを迎えた。


「さすがにこのオレンジ、見慣れてきたな。」


 連日ぐるりと取り囲むタイタンズファンを見て、いたずらっぽくにやりと笑うと、谷口が大久保に話しかける。


「これが笠井寺やったら、地元ファン一色なんですけどねえ。」


 人気球団である大阪ロイヤルズからきた大久保は、懐かしそうにスタンドを見渡す。


「でも――」


 そういって大久保がチラリと目をやった3塁側スタンドには、一角だけ青い服を着た小さな集団。

 一目で『あすなろ』の子供たちであることがわかった。

 子供たちも大久保の姿に気づくと、立ち上がって一斉に手を振る。


「俺には、あの子らが来るだけで、5万人のファンと同じ応援なんですわ。」


 後がなくなったドルフィンズによる必死の抵抗が、今始まる。

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