第49話 不文のメッセージ
試合開始から、ドルフィンズとロイヤルズは手に汗握る乱打戦を展開した。
1ゲーム差で迎えた3位攻防戦で、4回表の攻撃が終わってスコアは4対4の同点。
見に来たファンにとっては、こんな白熱した試合はなかなか見られるものではない。湘南スタジアムの盛り上がりも最高潮に達していた。
試合をしている選手や首脳陣にとってはたまったものではなかったが。
「はい! ブルペン! 今度は何だ!」
今日はブルペン担当をしている河本投手コーチが怒号のような口調で電話を取る。
回はまだ5回表。ホワイトラン監督はこのカードで星を取りこぼすまいと、すでに3人の投手をつぎ込んでいる。乱打戦の予感を察知したホワイトラン監督は、先発の叶を早々に諦め、細かい継投でこの試合を乗り切る算段だった。
◆試合経過(7月29日・湘南ー大阪13回戦・湘南スタジアム)
大阪 110 2 =4
湘南 020 2 =4
湘南の投手継投:叶ー佐久間ー伊藤
絶対に負け越すわけにはいかない3位攻防戦で、初戦からこれだけの投手をつぎ込む継投に、ブルペンの状況はまさに火の車だった。
「神田! 肩できたか! 場合によってはこの回からいくぞ!」
「うっす!」
やりとりを聞いた楓がモニターを見ると、2死1・2塁の状況でマウンド上の伊藤を中心に円陣ができている。次の1点が節目になることは、この試合を見ている者からすれば誰から見ても明らかだった。
「立花!」
「はい!」
自分にも神田の後いくから肩を作れという指示が来ると察して、端の方に座っていた楓も力強く返事をする。
「お前は今日どこで使われるかわからん! すまんけど、なんかいい感じに肩ならしといてくれ!」
「へっ?!」
楓にとってはなんとも無責任な指示だ。思わず力が抜ける。
しかし河本コーチのいうことにも一理ある。
この試合、どこで楓に一人一殺を期待して投入する場面、つまりいつ「絶対に打たれてはいけない場面」が来るか、この試合展開ではまったくわからない。
しかし、この乱打戦だ。「立花楓しかありえない場面」は必ず来る。
加えて鳴り止まぬブルペンの内線電話。
そうなってくると、経験豊かな河本コーチとしても、「いい感じに」と指示するしかないのだろう。
楓としてもちょっと同情する局面だ。
「はーーーーい。わっかりましたー。」
気の抜けた返事をする楓。
「立花、ほれ。」
声がする方を見ると、戸高がボールをトスしてきた。
「わ……っとと。」
さっき右手にはめたばかりのグラブで慌てて捕球すると、戸高が右手でボールを投げるゼスチャーをする。
キャッチボールでもやって肩をほぐしておこうということらしい。
楓がまるでクールダウンのような山なりのボールを戸高に投げ、キャッチボールを始めると、ちょうどスタンドからの歓声がブルペンまで届いた。
どうやら、マウンド上の伊藤がピンチを切り抜けたらしい。
試合は依然として4対4の同点のままだ。
5回裏に9番投手・伊藤に打順が回り、代打が出た関係で、6回表からは神田がマウンドに上がる。
両チーム細かい継投で投手をつなぐ流れになった試合は、先ほどまでの乱打戦とは一転して膠着状態になった。
7回表まで終わって、いまだ4対4の同点のままだ。
◆試合経過(7月29日・湘南ー大阪13回戦・湘南スタジアム)
大阪 110 200 0 =4
湘南 020 200 =4
湘南の投手継投:叶ー佐久間ー伊藤ー神田
こうなってくると「次の1点」の重要性は回を追うごとに重くなる。
ドルフィンズマウンド上の神田は毎回のようにピンチを作りつつも、要所要所を抑えるベテランならではのピッチングで、6回から7回表までを0点に抑えていた。
タイタンズ打線から7回表まで合計10安打を浴びながらも、なんとかしのいできたドルフィンズ投手陣。
一方、ここまで2本のホームラン攻勢で4点をとっていたドルフィンズ打線だが、安打数は6回裏まで6安打と少なかった。少ないチャンスを確実にものにできなければ、確実に負ける。
ベンチとファンに危機感が募っていく。
7回裏の攻撃も、8番谷口、9番伊藤の代打があっさりと凡退し、2死走者なしの場面で金村の打席を迎える。
ここまでの金村の成績は、2打数0安打。ショートゴロとセカンドゴロだ。
しかし、金村に焦りはなかった。
「なあ、高橋。これで今日俺の方が打ったら、いよいよお前さんの一軍定着は危うくなるかもなあ?」
ネクストバッターズサークルでバットに滑り止めのスプレーをかけると、入れ替わりでサークルへ向かう高橋に、意味深な一言を告げる。
「なんですか? いきなり。」
あっけにとられる高橋に、金村はさらに続ける。
「決まっとるやろ。俺からポジション奪いたかったら、俺より打てっちゅうことや。」
乱暴に告げると、さっさとバッターボックスへ向かう。
高橋は普段の素直な性格からは意外なほど、憮然とした表情で金村の背中を見送る。
(今投げとる村上とはもう何度対戦したかわからん。お互い手の内は知り尽くしとる。やけど……だからこそ、今までの俺を知っとることが、逆にアダになる。)
スイッチヒッターの金村は、右投手の村上に対して、あえて右打席に入った。村上に対して右打席に入るのは初めてだった。
村上が投じた初球は、アウトローへ外れていくスライダー。
これを金村は悠々と見送って、カウントは1−0。
(ちょっとセオリー外のことしただけで様子見とは、相変わらずかわいいのう。)
打席でヘルメットを目深に香り直し、その陰で口角を上げてほくそ笑む。
(ここで余裕で見送られたっちゅうことは、カウント悪くしてもいいから、次も外してくるんやろ?)
第2球は真ん中低めから落ちるボールだった。これも見送ってカウントは2−0。
投手がサインをのぞき込む様子を見ながら、金村の頭の中には、プロ生活10年以上の記憶がよみがえっていく。
こういうとき、バッテリーの頭の中にはいろんな思考が巡るはずや。
同点でツーアウト・ランナーなし。次は2番打者。
クリーンナップまで回さんよーに、確実に討ち取れる選択肢をとっておきたい。
2人で1つアウトを取れればいい。
そう考えるのが普通や。
ただ――
そう思いを巡らすと、金村は調子が悪かったときの自分の記憶を思い起こす。
バッターボックスにいるのが落ち目の選手やったら、「次の回は3番からじゃなく2番から始めておきたい」と色気を出す。
そして……残念ながら、俺はまさにその「落ち目の選手」。
要するに――
(自分らで2−0にしといて、いまさら1つストライクがほしいんやろ!)
心の中でそう念じながら、ドンピシャリのタイミングでバットを出す。
金村が予想した通り、インローのストレートだった。
バットの真芯で捉えた打球は、地を這うようなゴロとなって3塁線を破る。
まさに自分の定位置ともいえる1番にいたときに、金村が得意としていたヒットだ。
金村は1塁を蹴って2塁へ足から滑り込む。
審判の手が左右に広がり、スコアボードには「H」の文字が点滅する。
これで2死2塁だ。
金村の打撃力は、1番・2番打者にしては並外れて高いものだ。
相手投手としては、クリーンナップの前に四球で走者を出すことを避けたいという心理から、つい甘い球でも勝負にいってしまう。
そこを逃さず打つことで、首位打者も獲得できたのだった。
だが、5番や6番ともなると、後ろに警戒すべき打者はいない。
しかもランナーを帰そうと焦る金村は、大きな打球を狙ってしまう。
その悪循環で、どうしてもスランプに陥り気味だった。
データ上は明らかだったとしても、チームの台所事情で仕方なく中軸を打たされてしまう。まさに弱小チームゆえの不幸だった。
(自分のポジションを奪いに来たやつのおかげで、一番打ちやすい打順に戻されるとはな。まったく、皮肉なもんやわ。)
2塁キャンバス上で自嘲気味に振り返ると、金村は右手の拳を握りしめて、バッターボックスへ向かう高橋の方に差し出す。
それに気づいた高橋は、ヘルメットのつばを触って、ブロックサインのときに使う「アンサー」のサインを出した。
『さっきの話、わかってるんやろな。』
『わかってますよ。打ってみせますから見ててください。』
無言の会話が交わされる、2人だけのブロックサインだ。
金村はこの短期間の特訓で、打撃のテクニック以外にも高橋に教えたことがある。
「いいか、高橋。『来た球を打つ』で結果が出るのは学生野球まで。相手のピッチャーは、家族の生活懸けてボール放っとる。駆け引きを覚えな生き残れん。」
高橋の頭の中で、金村の声が響く。
高橋が最初にした駆け引きの相手は、ほかならぬ金村だった。
金村さんからレギュラーを奪おうとしている僕に、どうしてこうしてテクニックを教えてくれるのか。本当に疑問だった。
「一人でも多くの後継者を作りたい」とか言って、僕をおとしめるつもりなんじゃないだろうか? はじめはそう考えてた。
だけど……金村さんの指導はどう見ても本気だった。僕だって、もう15年以上野球をやってきたからわかる。
弱肉強食のプロの世界で、やっぱりどうしてここまでしてくれるのかはわからない。
それでも……僕がやることはひとつだ。
右打席に高橋が立ち、頭をフル回転させる。
(僕が金村さんなら、相手バッテリーの配球をどう読むだろう……。)
ツーアウト2塁。ランナーは俊足の金村さん。シングルヒットでも返ってくる可能性は高い。
1塁は空いてるけど、僕の後ろはクリーンナップ。
当然僕のところでこの回は切っておきたいと思うはず。悔しいけど、誰が考えてもそうだ。
それなら……
高橋はバッティンググローブ越しにに、振り込んできたバットを強く握りしめる。
(一番得意なコースでストライクを取って、カウントを有利にしたがるはず!)
予想通りのインローのストレート。しかも相手投手が投じたボールは、力が入りすぎたのか、ボール1個分内側に入ってきた。
高橋は待ってましたとばかりに振りにいく。
(僕に金村さんが伝授してくれたインコース打ち。 しかもさっきお手本を見せてもらったばっかり!)
打球は矢のようなライナーとなって2塁キャンバス手前でワンバウンドすると、センター方向へ転々と転がる。
ボールの行方を確認せず、金村はすでに3塁キャンバスを蹴っていた。
センターが前に走り込んできて捕球し、ストライクの送球を送る。
きわどいタイミングだ。
「いけっ……!!」
思わず1塁を回ったところで止まっていた高橋の口からも声が漏れる。
本塁突入を試みる金村のタイミングは、ギリギリアウトのように見えるからだ。
金村はヘッドスライディングの体制に入ると、バックネット側にあえて大きくそれて滑り込む。
わずかに3塁側に返球が少しだけそれたのを見ていたのだ。
捕手が捕球したときにはちょうどそのすぐ手前に金村の身体があり、いわゆる追いタッチの格好になる。
金村は本塁から大きくそれた胴体から、左腕を伸ばして本塁に向けて差し出す。
グラブが早いか、金村の左手が早いか。
スタジアム中が固唾を飲んで見守っていた。
「セーフ! セーフ!」
主審の両手が開くと同時に、スタジアムが大きな歓声に包まれる。
ゆっくりと起き上がった金村は、再び右手の拳を一塁上の高橋へ向けて差し出す。
これに応えて、高橋も金村へ拳を差し出しながら、再び不文のメッセージを送る。
(金村さん。僕、あのヒントがなかったら打てなかったかもしれません。これからも、ご指導お願いします。)
金村が右打席に入ったのは、相手バッテリーをかく乱させるためだけではなかった。
高橋が苦手な速球派投手に対するインコース打ちを、身をもって教えるためだった。
高橋がデビュー戦で打ったホームランもインコースだったが、速く、重い球になると途端に対応できなくなることは、相手バッテリーに既に見抜かれていたのだ。
この打席のうちに、苦手を完全に克服する必要があったのだ。
ホワイトラン監督の秘策、「超攻撃的1・2番」の活躍で、ドルフィンズに虎の子の1点が入った。
8回表のマウンドに、セットアッパーのバワードが上がる。
◆試合経過(7月29日・湘南ー大阪13回戦・湘南スタジアム)
大阪 110 200 0 =4
湘南 020 200 1 =5
湘南の投手継投:叶ー佐久間ー伊藤ー神田ーバワード
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