第45話 臨時コーチの打撃理論
赤ら顔の藤堂に据わった目で睨みつけられ、希は思わず言葉を失った。
野球選手とは思えないほどでっぷりと突き出た腹、たるんだ下半身、タバコ臭いユニフォーム、そして酒臭い息と虚ろな目。その辺にいる草野球帰りのオッサンという方が自然な見た目だった。
「なんだおめェ、俺のフォームパクってんのか? ンなもん、どこで見た?」
湘南スタジアムにほど近いドヤ街で聞くような言い回しに圧倒され、そのまま固まってしまう希。数ヶ月まで球団のアイドルとして、ファンにマスコミにちやほやされていたのだ。藤堂のようなタイプの人間との接点など、もちろんない。
「あのよォ……」
完全に萎縮した希の様子を見て、藤堂は少し口調がやわらかくなり、
「俺の真似事にしちゃあ、無様すぎる。見てらんねェよ。」
と情けなさそうに言う。
「あの……すみません。」
希は反射的に謝っていた。
それに対して、藤堂は意外な反応を見せる。
「謝んなくていいんだよ。めんどくせェやつだな。そんなことより、どこでそのフォーム見たのかって聞いてんだよ。」
「ええと……スマキャス動画で。藤堂さんのバッティングがまとめられて。」
「スマキャ……なんだァ? それは。」
「インターネットで見れる動画サイトです。ユーザーさんが作った動画がいろいろ見れるっていう。」
そう言って、希は近くに置いてあったスマートフォンを手に取ると、スマキャス動画に掲載されている藤堂の打撃フォームのまとめ動画を見せる。
「すげェな、こいつは……10年以上前のやつじゃねーか。」
粗い画質と狭いアスペクト比の動画を見ながら、藤堂は初めて見る動画投稿サイトの映像に目を輝かせる。
「それで、今参考にしているのがこの動画なんですけど。」
「ああー! これはあれだな、タイタンズ戦で6点差ひっくり返したときの!」
「そうですそうです! 藤堂さんが9回裏にサヨナラ3ラン打つんです。」
「あれ、燃えたよなー! その前に助っ人外国人が満塁ホームラン打ってな、みんないけるって確信したんだよ!」
子供のようにはしゃいでいる様子がなんだか新鮮で、藤堂の息がとにかく酒臭かったことも忘れて、希は次々に藤堂の動画を見せていた。
気がつくと、2人は室内練習場のベンチに並んで座り、時間を忘れて動画を見ていた。昔を懐かしみつつ、たまに寂しそうな顔を見せる藤堂。
いくつか動画を見て、ちょうどドルフィンズが優勝した年にタイタンズから3者連続ホームランを打った動画に差し掛かったとき、ふと藤堂が尋ねた。
「しっかし、おめェはなんでまた俺のフォームなんか参考にしたんだ?」
「それは……」
ここまできたら、もう体面など繕ってもいられない。藤堂さんのフォームをお手本にした以上、私はきちんと藤堂さんと向き合う必要がある。
そう内心で意を決して、希は藤堂にすべてを話す。
本当はアイドルみたいな立ち回りなんてしたくなかったこと。
楓と約束し、一人前のプロ野球選手になるまで二軍で修行すると決めたこと。
気がつけば、広報の活動に時間を取られ、プロに入ってから基礎体力も落ちていたこと。
どんなに努力しても、体格的なハンディに限界を感じていたこと。
そして──藤堂の打撃フォームに出会ったこと。
「なるほど、約束か……約束は、果たさなきゃな。」
そういうと、藤堂は手元に置いていた缶チューハイのロング缶を一気に飲み干して、
「明日、練習始まる1時間前にこの練習場に来い。二度と変なパクり方できねェようにしてやる。」
と希に告げ、背を向けてそのまま去ろうとする。
「あの、それって……」
「いつまでもパチモンのフォームを目の前で見せられてると、こっちも気分がわりィんだよ! いいから明日朝イチでこい! 遅刻したらこの話はなしだからな!」
かくして、希のバッティング改造計画が、アル中の臨時コーチのもとで始まるのだった。
◆◇◆◇◆
翌日の早朝、この練習場に希がいくと、すでにそこには藤堂の姿があった。
口からまだ少し酒の臭いはするが、明らかに昨日までと様子が違う。いつもグラウンドに午後になってから現れる藤堂は、すでに酒に酔っていることが多々あったのだ。
「これ、メニュー。」
藤堂は、くしゃくしゃになった細長い紙切れを希に渡す。
よく見ればその紙は、コンビニのレシートだ。表にはびっしりと酒とつまみの名前。ずいぶん前に買ったものがポケットの中に入っていたのだろう。
しかし、そのレシートの裏に鉛筆で殴り書きされた練習メニューは、意外なものだった。
「ひじ・インナー 50
てくび・インナー 50
かたとうで ばね 50
ステップ 50
マシンだげき」
簡素なメモ書きだが、漢字が1文字もなかったことはさておき、筋トレや素振りなどのメニューは一切ない。
「あと、これ。こいつで肘とか手首を縛って、壁にくくりつけて、こう。」
トレーニングチューブを渡すと、脇を締めて、肘から先を体の内側にひねる動きをしてみせる。典型的なインナーマッスルの鍛え方だ。
「まず、毎日練習前とあとにこのメニューやっとけ。あとは、いつも深夜にやってるマシン打撃、あれを目指すフォームで続けろ。」
藤堂はそう告げると、再び室内練習場の防球ネットの外にあるベンチに寝転がってしまった。
てっきり手首の筋肉を鍛えるためにダンベル100回とかを想像していた希は、意外なほど現代的なトレーニングメニューにあっけにとられつつこれをひたすら繰り返す。ただ、やってみると思ったより楽なものでもなかった。
これまでにインナーマッスルを鍛える練習は取り入れたことがあるが、これほど重点的に行ってみたこともなかったのだ。
藤堂との早出練習を終え、さらに1日のスケジュールを終えると、得も言われぬ疲労感が残っていた。
さらに、昨日と同様、居残りのマシン打撃を行う。
「ちがう! そうじゃない! もっと左腕を弓みたいに引くんだよ!」
日中のだんまりとは対照的に、2人以外無人の室内練習場に藤堂の檄がこだまする。
「はい! すいません!」
まるで体育会の部活ようなやりとりが延々と続く。
しかしその指導内容は、旧来の部活のような前時代的な根性論などでは決してなく、むしろ現代のオーソドックスな野球理論に対するアンチテーゼですらあった。
次から次に、理論的な言葉が藤堂の口から飛び出す。
「いいか、人間の体ってェのはバネと同じだ。強く伸ばせば強く縮む。」
「下半身を捻ってから、上半身を捻る。その間に『割れ』を作るんだ。」
「上から叩けっていう古くせぇセオリーは捨てろ。いつまで少年野球してんだおめェは。」
「最後上半身が回転するとき肩甲骨ごと回らないとパワーが逃げる。脇なんか最後はあいてたっていいんだよ。」
まるで他の一流打者の打撃を解説するかのような口ぶりだった。
あまりに客観的かつ理論的な指導に、希もすっかり今日の練習の疲れを忘れてしまうほどだ。
「違う! 脇があいても肘の向きに腕を押し出すんだ! ボールがまっすぐ来るんだから、まっすぐバットを出せば思ったところに当たんだろう!」
「はい! やってみます!」
1カ所フォームを直せば、別の所が直らなくなる。フォーム改造にはよくあることだが、打撃コーチでもない藤堂は根気強く希に付き合った。
希も昨日まで持っていた不信感はどこへやら、合理的な指導に舌を巻く。
(1球ごとに自分のフォームの課題が見えてくる。前に進んでる感がすごい。改めて、どうしてこの人コーチになれないんだろう……。)
そこから、毎日同じメニューが繰り返されが、希がこれに飽きることはなかった。
1人で練習していたときよりも強く感じる圧倒的な成長実感と、藤堂から毎日求められる新しい課題。
それをクリアしていくのが楽しくて仕方なかった。
日を追うごとに、少しずつ、だが確実に、希のフォームは藤堂のそれに近づいていっていた。
◆◇◆◇◆
藤堂との特訓が始まってから2ヶ月余りが経過した。
毎日他の選手と同じ練習メニューをこなす傍ら、朝と夜に藤堂との特訓を行う日々。希ももちろん、藤堂のモチベーションが落ちることもなかった。毎日成長する希の姿を見て、時折笑顔も見せるようになっていた。
希は、徐々に試合でも練習の成果を出すようになった。
二軍で.221だった打率は.283まで上がり、なんとこの2ヶ月で出場した15試合で4打点をあげていた。
さらに、希が成績以上に成長を感じていたのは、打球の速さだった。これまで野手に捕球されていたようなゴロが、野手の間を抜けてヒットになるようになっていた。
ただし、希がこれまで打ったヒットはすべてシングルヒット。まだまだ2人が目指す理想の打撃にはほど遠い。
毎日の特訓にはさらに熱が入っていく。
あれだけ希が敬遠していたのが嘘のように、2人の間には師弟関係ができあがっていた。
「藤堂さんって、どうやってこのフォームにたどり着いたんですか?」
夏本番を迎えようとしていたある日、希はふと気になって何気なしに聞いた。
すると、うつむいたまましばらく黙り込む藤堂。よくよく見てみると、希との特訓に付き合ううちに藤堂の顔も真っ黒に日焼けしている。希にくしゃくしゃのメモを渡した日から、酒も口にしていないようだった。
「おめェがこうやって努力するのは、一軍にいるナントカって女ピッチャーとの『約束』だって、そういってたよな。俺にも、大事な約束があんだよ。」
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