第7章 花咲き誇る居間



 松村家に平和が戻って来て、使用人達は安心した。


 雨降って地が固まるというが、松村若夫妻の仲もいよいよ深まっている様子だ。


御前は、奥様にベタ惚れで、仕事が終わるといつも急ぎ足で帰ってくる。

 馭者ぎょしゃも最近は慣れたもので、いくら後ろの座席で若旦那が百面相をしようが、うめき声をあげようが、「ああ、いつものことか」と思うようになったし、できる限り大急ぎで馬を走らせるようになった。


一番の難所は真相を知らざるを得ない老女を頂点とする薫子の侍女たちだったが、これは薫子が「一日一回は食事に戻ってくるから」で納得をした。

何と言っても、侍女たちも元の食べ物にも困る生活に戻るのはごめんだ。


それに、奥様が妊娠をしたという嬉しい噂も聞こえて来た。


「貴女の方は大丈夫なの」


 人妻を妊娠させてしまったような罪悪感を感じながら、松村は向かい合って座っている薫子の大きくなったお腹をちらりと見た。


「大丈夫ですわ。お気になさらないで」


 咲き誇る薔薇のテーブルクロスのかかったその上には、山ほどのご馳走が所せましと並べられている。

 それを次から次へと、優雅につまみながら、薫子は微笑んだ。


「本当によ、あなた、全く問題ないの。

向こうの方はね、子供ができずに困っておられて、とっても喜ばれているのよ」


「でも、その子は……私と貴女の子でしょう」


 戸惑う松村に、薫子は大輪の薔薇の花のように微笑んだ。

あたりがパッと明るくなり、まるで咲き乱れる花を撒き散らしたように華やかに空間が彩られた。


「良いのよ、あなた。血筋じゃないの。

その方に後継あとつぎがいるって事が政治的に重要なのよ。

だからあなたは良い事をされたの。

心配は要らなくってよ」


 薫子は華奢な作り物のような手を松村の大きな手に自分の手を重ね、アーモンドのような大きな瞳で松村の目を覗き込んだ。

長い睫毛の下で、キラキラと強い意志を湛えた瞳が悪戯っぽく輝いている。


「確か私と同じ産み月なのよね?」


 薫子は冷やかすように自らの夫を横目でちらりと見た。

すると松村は見る見るうちに赤く顔を染めた。


 それを見て、薫子は軽く微笑んだ。


「あなたもあの人とうまく行っているのでしょう」

 ああ……と松村は頷いた。

 

 あの愛らしい女は、健気に、松村の妻の「薫子」として松村家を盛り立ててくれている。

少々きまりが悪いが、本物の「薫子」と偽の「薫子」の、産み月が同じなのも何かと都合が良い。


「じゃあ、大丈夫。

私たち、上手く行っているわ。

そうでしょう、あなた」


「ああ、そうだね」

松村は弱々しく微笑んだ。


この薫子の側にいると、どうも自分が弱いボンクラのような気がしてくる。

(一体、この薫子を気に入って、足繁く通っているという男はどんな人物なんだろう)


松村は好奇心が疼いた。


「あの……」

「あ、飲み物を持ってきて頂ける?」

「はい、畏まりました」

「御姫様、お腹の子のためにもうすこし、お肉を召し上がり下さい」

老女が盆に乗せたローストビーフを運んできた。


薫子は松村に関心を失ったように、次から次へ、ご馳走を口に運んでいる。



(まぁ……いいか)


松村はふっと笑った。

(さっさと食べ終わって帰って貰わなければ)


さあ、今日はどこに行こうか……

松村は窓の外に視線を向けた。


(何とかなるもんだな)

満足そうに大きな体を伸ばして伸びをした。


なにか……

一瞬、気がかりな事があった気がしたが、するりと抜け落ちていった。


(僕たちは上手くいっている)



(そうよ、上手くやってみせるわ)


薫子はナフキンで口を拭いた。


(上手くやってみせるわ)


あちらでと呼ばれる女は、クックと喉を鳴らして笑った。


(私の子供が天下人になるなんて、夢のようじゃありませんこと?)


 赤く艶やかな唇が、自信に満ちて微笑んだ。




「お約束で御座いますよ、松村様」

薄闇の中で付喪神が笑った。


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