凡人が天才に挑む話

@tatali

第1話

 かさりかさりと遠くから枯葉を踏みしめる音が聞こえて、ゆっくりと目を開く。


 ──あいつだ。


 足音が近づくと共に、自分の中に憎悪が滾っていくのを感じる。

 ここは村から離れた光源ひとつない山道で、日中でさえ薄暗い場所だ。日が沈み、月が雲に隠れている今、この辺りの草木はすっかり闇に塗りつぶされていた。

 遠くに見える不自然な明かりはあいつの持っている松明のものだろう。実に分かりやすい。あいつが松明を頼るおかげでこちらも準備に集中して取り組める。

 足音は1人分で、あいつは夜目が利かない。こうして落ち葉を張り付けたマントをかぶって草むらに隠れていれば、俺が見つかることはない。


 理想的すぎる状況に内心ほくそ笑みながら、手早く装備の点検やトラップの確認を終わらせた。


「うぅ~、すっかり暗くなっちゃったなぁ……」


 やがて、あいつの姿が視界に映り、情けないひとり言が聞こえるまで近づいてきた。

 あいつの得物は腰に掛けているショートソードと左腕に装着されている小型盾のみ。防具も隙間だらけの皮鎧だ。


 ──殺れる……! 


 口元を覆ったマスクの下で唇の両端が吊り上がった。今すぐにでも飛び出したくなる衝動を拳を握ってひたすらに耐える。仕掛けるのはあいつが罠にかかってからだ。


「何が勇者の試練だ……! これじゃあただの肝試しじゃないかぁ……!」


 ──殺す。


 音を立てずに黒く塗られたナイフを鞘から抜き取る。

 あと少しだ。あと少しであいつは罠にかかる。致死性の毒が塗られたナイフが飛ぶワイヤートラップ。数多く設置したそれは、どれかひとつでも引っ掛かればすべての罠に連鎖するように調整してある。

 ただ、どうせそれだけでは仕留めることはできないだろう。あくまでも、あいつを殺しきるための第一段階に過ぎないのだ。


 ──殺す殺す殺す! 


 かさり


 ──殺す殺す殺ス殺す殺ス! 


 かさり


 ──殺ス殺ス殺ス殺ス殺殺殺殺殺殺殺殺──! 


 ピン、という音と共に上下左右のあらゆる方向からあいつに向かってナイフが飛び出した。俺もそれに続くようにマントを脱ぎ棄てて突進した。


「死ねやァ!」

「──えっ、うわあああ!?」




・・・・・・




「な……何故だ……っ!」


 膝から崩れ落ちる俺を、あいつ──クリスは冷たい目で見下ろしていた。


「今回もボクの勝ちみたいだね」

「ぐ……クソッ……!」


 装備の質も、数も、地の利も俺の方が上だった。技術だって師匠の下で血反吐を吐きながら磨き上げた。

 なのに、勝てなかった。クリスは、剣すら抜かずに俺を叩き伏せた。


「……ふざけるな……!」


 ありったけの殺意を込めてクリスを睨み、呪いあれと言わんばかりに叫んだ。


「お前は……お前はいつもそうだ! いつもいつも俺が長年かけて必死に身に着けた技を、お前は一瞬で見切って自分のものにしやがる! ふざけるな! ふざけるなよ! 何で俺はお前に勝てないんだ! お前がボーっとしてる間に俺は寝る間も惜しんで修行してきたんだ! てめえが女どもと遊んでいる間に俺は死にそうになりながら殺しの技を身につけたんだ! なのにどうしてお前に勝てねぇんだよ!」

「ぼ、ボクはそんな、遊んでなんか……」

「うるせぇ!」

「……っ」


 俺とクリスは幼馴染だった。

 クリスは虫も殺せないような優男で、小さかった頃はずっと俺の後ろをついてくる、そんな奴。俺も慕われて悪い気はしなかったし、それなりに仲が良かったと思う。しかし、気まぐれでクリスに剣を教えるようになってからは、俺のクリスに対する感情はまったく違うものになった。


 クリスは、いわゆる天才と呼ばれる人種だった。

 一を聞いて十を知るクリスは、剣を教えてからひと月で俺と互角に打ち合えるようになり、半年を過ぎたころには完全に俺を上回る実力になった。

 元々整った見た目で人当たりもよかったクリスはすっかり村の人気者になり、俺はそんなクリスに対して劣等感を感じるようになっていった。俺はクリスに勝負を挑むようになり、いつからか倒すことから殺すことへと目的が変わっていた。


「……なぁ」

「何? ……レイ」

「やめろ、お前に名前を呼ばれると虫唾が走る」

「……」


 ゆっくりと横に、仰向けになるように倒れてからクリスに顔を向ける。どこか憂いを帯びているような顔もイチイチ決まっているあたりが気に食わない。


「どうして俺を殺さないんだ」

「……それは」

「言っておくが、俺は諦めないし心変わりすることも無ェぞ」

「……!」

「お前が俺を殺さない限り、俺は永遠にお前を殺そうとするぞ?」

「……それでもボクは、レイに生きててほしい」


 クリスはそう言って、剣を鞘ごと腰から外した。そのまま鞘付きの剣がゆっくりと上段に構えられる。

 毎度のことながら、恥辱の極みだ。殺そうとした相手から情けをかけられて、あまつさえ手当すらされるのだから。ちゃっかり俺のことを名前で呼んでいるのも腹立たしい。

 やはり俺はクリスが嫌いだ。大嫌いだ。


「……次こそ、後悔させてやるからな」


 クリスが剣を振り下ろして、俺の意識が刈り飛ばされた。




・・・・・・




「……ふぅ」


 剣を腰につけなおしてから、倒れているレイに近づいた。

 軽くレイの頬を叩いて反応が返ってこないことを確認する。


 ──よし。


「痛くしちゃってごめんね、レイ! 今、手当てしてあげるからね……!」


 松明を地面に固定して、盾を外す。

 そして、するするとレイの着ている服を脱がしていった。最初はどうやって着ているのかもわからなかったが、今はすっかり手慣れたもの。一分足らずでレイの上半身を裸にすると、あちこちに打撲痕が目立っていた。


 ボクはレイの膝あたりにまたがって、打撲痕にキスをした。


「んっ、ちゅ……」


 唇で舐めるように、たっぷり時間を使ってレイの感触を確かめる。

 僅かに顔を上げて近くでレイの体を見てみると、打撲の他に切り傷も出来ていることがわかった。


「わぁ……大変……」


 血の滲んだ切り傷を見て、自然と口角が上がる。


 ──いけないいけない。人がケガしていることを喜んじゃ駄目だよね。


「ん……れぅ、ちゅぴ……」


 丁寧に血を舐め取り、傷口に優しくキスをする。その状態で大きく鼻で息をすると、ボクの中がレイの匂いでいっぱいになった。


「はぁぁ……! レイの血が、ボクの中に……ボクの唾液が、レイの中に……!」


 ゾクゾクとした快感が全身を突き抜ける。

 これだ。この味を知ってしまってから、ボクはレイを倒してから手当てと称してレイを味わうようになったのだ。

 ふと先ほどのレイの言葉を思い出して、呟いた。


「レイは殺さないよ。手当てできなくなっちゃうもん」


 そっとレイの頬を撫でるが、塗りたくられたペイントが邪魔だ。せっかくのレイの顔が台無しである。

 ポーチから薬品のしみ込んだガーゼを取り出し、レイの顔から不純物を取り除いた。


 ──あぁ、やっぱりレイはカッコいいなぁ……! 


「……あ、唇も切れてたんだ」


 ペイントのせいで分からなかった傷を見つけた。カモフラージュのためなのだろうが、やはりフェイスペイントは悪である。


 ──レイの、唇……! 


 興奮に息が荒くなるのを自覚したところで、着ている皮鎧が窮屈に感じた。


「もう。……よいしょっと」


 慣れない手つきでどうにか鎧を外すと、今まで押さえつけられていた胸が解放され、だいぶ息がしやすくなった。


 ──さて。


「ねぇ。いいよね? レイはボクのことを殺そうとしたんだから、それを返り討ちしたボクがレイにキスするぐらいはいいよね?」


 答えないレイの上に覆いかぶさるようにして、自分の上半身をこすりつける。そして、レイの顔を両手でつかみながら、唇を貪るようについばんだ。


「ちゅ、はむ……ちゅ、ちゅぷ……ぷぁ……あは、ねぇレイ、今のボクたちって、まるで恋人みたいだよね! だって、唇を合わせるのは恋人同士がやることでしょ? しかもさ……んっ、れろ……ちゅる……はー……こうやってさ、舌を絡めるなんてさ……そ、その……子作り……の、やつみたい、じゃん……って、な、なに言ってるんだろボク! わ、忘れてね! 聞こえてないだろうけど!」


 ボクが顔を真っ赤にしながらレイをペシペシと叩くと、レイが僅かに身じろいだ。


「ん、んん……」

「!!」


 一気に頭が冷える。幸いにも目を覚ますことはなかったが、今のはかなり危なかった。

 我に返ったボクは慌ててレイに付いた唾液をふき取り、代わりに傷薬を塗り込んで包帯を巻いた。服も元通りにして、自分の鎧や盾等も装着しなおす。


「危ない危ない、こんなことしてるってレイにバレたらもう生きていけないよ……っと」


 不用意な行動をとったことを深く反省しながらレイを背負う。今回もいつもと同じように村のはずれにある小屋でいいだろうかと考えながら歩いていると、


「……クリス」

「ふひぇ」


 耳元で自分の名前を囁かれた。突然のウィスパーボイスに思わず腰砕けになりかけて立ち止まる。


「……ころす」

「……ゆ、夢の中でも……?」


 分かってはいたものの、この嫌われよう。最初の、名前を呼ばれた嬉しさもあって、かなりガックリ来る。

 しかし、好きの反対は無関心で、いやよ嫌よも好きのうちなのだ。嫌われているとはいえここまで苛烈なアプローチをしてくるのに両想いでないことがあるだろうか。いやない。

 ボクは、レイが全力でボクだけを求めてくるこの関係は嫌いじゃない。……ボクが勝った後のお楽しみもあるし。


「ねぇ、レイ」


 歩きながら、レイに話しかける。当然、返事が返ってくることはない。だからこうして言葉にできるのだ。


「ボクは絶対にレイを殺したりなんかしないよ」


 とはいえ、やっぱり聞かれているような気がして、なんだか照れくさくなってしまう。


「ボクも、レイに殺されないように頑張るからさ」


 でも、どんなに恥ずかしくても、乙女的にこれだけは言っておかなければいけないのだ。


「だから……ずっと、ずーっとボクだけを見ていて殺しに来てね?」

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