27 戦略//困惑
峡谷を吹き抜ける風は次第に強くなる。
岩壁に無造作に立て掛けられたままのエアロック扉が、不意の突風にあおられていきなり倒れた。驚いた薫が短い悲鳴を上げて雅樹の右手にしがみつく。
その瞬間、雅樹の脳裏に突拍子もないアイデアが閃いた。
「そうかっ!」
思わず小さな叫び声を上げた彼に少女達はいぶかしげな視線を送る。だが、雅樹はつないだ両手を大きくブンと振ると、二人に向かってニッコリと笑い返し、あまりのはしゃぎぶりに呆れる二人を無視して勝手に舞い上がる。
「いける! 凄い事を思い付いた! これでみんな助かる!」
だが、満面の笑みを浮かべて詳しく説明する雅樹の言葉に、二人は逆に口をへの字に曲げると揃って大きく首を振った。
「おじさん、それは無茶よ!」
雅樹が思いついたのは、壊れたバギーの足回りだけを利用して、一種の
嵐は猛烈な速度でマリネリス峡谷を吹き抜けるが、風の方向は概ね一定だ。
だとすれば、それほど複雑な構造にしなくても、峡谷を渡る乗り物として成り立つかも知れない。そう説明した。
「でもさ、火星は大気が薄いから、風が吹いてもヨットを押すほどの力にならないんじゃないの?」
すかさず薫が指摘する。
「確かに気圧は低い。発生する風の力も地球の百分の一くらいだ」
「じゃあダメじゃん」
「そのかわり重力は三分の一だぞ」
「おじさん、小学生をなめないでよ。結局、地球の三十三分の一の
「……薫、おまえ計算速いな」
雅樹は素直に感心した。薫はフフンと鼻を鳴らして胸を張る。
「薫は理科が得意だからね」
「久美子は逆に国語と社会は得意よね。ほかはちょっと……だけど」
「へえ、君たち、得意分野が真逆なんだな。ちなみに同じ学校なのか?」
「ううん。この旅行が初対面だけど……」
「その割には仲がいいな」
「そりゃあ、こんな目に遭えばイヤでも仲良く……っておじさん! 話を
「やっぱりごまかされてはくれないかぁ」
キーキー怒る薫をいなしながら、表情を引き締めて続ける。
「薫の計算はおおむね正しい。ただ、火星の嵐は風速が地球の台風の倍以上だ。さらに風を受ける帆の大きさを五倍にして、車体を極限まで軽くする。荒っぽい計算だが、それでぎりぎり
「でも、そんなへなちょこで――」
「なあ、薫」
「なによ!」
「メイシャン先生はこう言って俺を叱ったんだ」
「え?」
「何をやっても後悔はするのだから、なにもせずに後悔するより、全力でやってみてから後悔する方がましだろってね。俺も、今はそう思うよ」
「ぐっ!」
故人の口を借りた、我ながら卑怯な殺し文句だと雅樹は思う。だが、薫はそれ以上は文句を言わずに黙り込んだ。一方久美子は二人のやりとりをじっと聞いていたが、最後まで口を挟もうとはしなかった。
一度こうと決めると、子供達の動きは早かった。
雅樹がデータパッドに描いた大雑把な設計図を基に、二人は基地周辺を積極的に歩き回っては残骸の中から使えそうな資材を探す。
両足を負傷し、ほとんど歩くことのできない雅樹にとって、二人は周辺探索の貴重な戦力となり、同時に、悲惨な墜落事故の現場を幼い女の子にまざまざと見せつけることにもなった。
初日、大量の死体を目にした二人はエアロックに張られた気密テントに戻り、ヘルメットを脱いだ瞬間、気がゆるんだのか激しく嘔吐した。
「ねえ、今日だけでいいから、一緒に寝てくれる?」
薫に懇願され、雅樹は自分たちのテントに戻れ、と強くは言えなかった。結局その日は、二人に両側からしがみつかれるような形で寝袋にくるまることになった。
翌日、死んだような目つきで起きてきた二人だったが、それでも外に出たくないとは言わなかった。ゾンビのようにふらふらと外に出て行った二人だったが、そろそろ昼食のために呼び戻そうと思い始めたところで最優先コールの呼び出し音が甲高く響いた。
「おじさん! カプセル! カプセルだよっ!」
薫の喜びの声が雅樹の耳にキンキンと響く。ヘルメットカメラの揺れる視界を頼りに確認する。どうやら〝昭和〟墜落の寸前、自動的に射出され、南側の砂丘の陰で砂に埋もれていた脱出カプセルらしい。
「生存者の可能性がある! 今から行くから待ってろ!」
両脇に即席の杖を挟み、脂汗をダラダラ垂らしながらたどり着いてみると、すでにカプセルは開封され、空っぽの中身を前に二人が気が抜けたような表情でへたり込んでいた。
「ごめんなさい。ハンドルのそばに開け方が詳しく書いてあったから、つい……」
久美子がしょぼんとした顔で頭を下げる。
「謝るなよ。これだけ大きなパラシュートとケブラーのロープが手に入っただけでも十分お手柄だ。それに……」
大型の脱出カプセルを支える三枚のパラシュートはランドヨットの材料になるし、内部に装備されていた緊急用の酸素ボンベと食料があれば、三人はさらに数日間長生きできる。
「大収穫だな。さあ、獲物を持って帰ろう。昼飯はデザートもつけるぞ」
雅樹は二人の頭にポンポンと両手をのせ、脳天気な声でそう宣言した。
だが、無邪気に喜ぶ薫とは対照的に、相変わらず久美子は難しい顔で何か考え込んだままだった。
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