13 安堵/緊張

『もうそろそろいいはずだ! 確認してくれ』


 インカムに響く声に促され、雅樹はケミカルアンカーの固着をあらためてチェックした。ドアの亀裂から差し込まれたワイヤーは、雅樹の手でしっかりと気密扉(のなれの果て)に接着されている。


「OKです。ちゃんと硬化してます。やって下さい」

『よーし、離れてろ。一気に引きはがすからな』


 声が終わらないうちに、変形した扉はぎしぎしときしみ始めた。調査隊の火星車に繋がれたワイヤーがミシリと音を立て、次の瞬間、扉はまるで爆風で吹き飛ばされるように弾け飛んだ。

 途端に差し込んでくるサーチライトのまばゆい光。そして、そこには光を背に仁王立ちし、バイザー越しににやりと笑いかける長身の与圧服姿があった


天岩戸あまのいわとのご開帳、アマテラス様こんにちはってわけだ」


 大柄な男は雅樹の肩をどやしながら呼び掛ける。宇宙焼けした浅黒い顔に、こぼれる白い歯がいっそう鮮やかに映える。


「山崎班長。お久しぶりです!」

「お久しぶりって……おまえ、昨日会ったばかりじゃないか。それにリー先生もご無事で。なによりです」

「いえ。ありがとうございました。その後彼の容体はいかがですか?」

「あー、おかげさまで。もうすっかり元気になりました。ほら」


 そう言って山崎は背後を指さす。応えるように、ウインチを片付けていた背の低い小太りの与圧服がぺこりと頭を下げた。


「それより、このありさまは何なんだ? あいつらは何者だ? 一体何があった?」

「そのことですが、班長はどのあたりからご存じなんです?」

「火星迷彩の不審な火星車が遠ざかるところから、だな」


 どうやら、山崎班長と正体不明の敵は入れ違いになったらしい。あるいは、新たな車両の接近に気づいて敵は姿を隠したか。


「……班長がもう少し遅かったら完全にとどめを刺されてましたね」


 メイシャンの補足説明を要所要所にはさみながら、雅樹は自分たちの到着から今までの顛末を細大もらさず説明した。十数分に及んだ話の間ずっと無言で耳を傾けていた山崎は、しばらくむっつりと黙り込み、その後再び二人に向き直った。


「さもありなんって感じだな。我々のキャンプでも火星震を観測したんだが、何よりアズプールとの交信が突然途絶えたのが気になってね。これでも急いだつもりだったんだが」

「いえ、おかげで命が助かりました」

「で、雅樹、これからどうするよ?」


 山崎は手ごろな岩にどっかりと座り込むと、腕組みをしながら問い掛けてきた。


「ええ、まずは閉じ込められている子供たちを助け出したいんです」

「ああ、そうだな。で、基地に入る方法は?」

「……それが、まだ」

「そうか」


 彼はヘルメットの上から顎をこするような仕草を見せると、


「君らを襲った連中の正体も気になる。あいつらが探していたのが何なのか、それもはっきりしない……」


 そう、指摘した。


「確かに」

「敵がもし君の言う通りプロの軍事会社だとしたら、目的を果たすまではあきらめないはずだ。俺達の車を見て引き上げていったのはとりあえずの様子見だろう。恐らくまた来るぞ!」

「それはまずい。あの……班長はどうするべきだと?」

「さあてなぁ。それが判れば苦労はない」


 山崎は背筋を伸ばしながらそう言うと、三人の部下に向かって手招きをした。


「とりあえず、今から彼等を君の指揮下に入れたいと思う。問題はないね」

「そ、そんな! 問題大ありですよ! どうして俺の……班長こそ、俺達を指揮して下さいよ!」

「俺は下積み上がりだから。大卒キャリアの君の方が階級は上だよ」

「でも、経験が全然違う……」

「まあ聞けよ」


 うろたえる雅樹を軽くいなしながら、山崎はおだやかに口を開いた。細い目をさらに細くしてにっこりと微笑むその顔は、落ち着きと自信に満ちあふれ、ただそれだけで不安にささくれ立った雅樹の神経をふっとなごませた。


「あのな、君らに生存者救助の段取りを組んでもらってる間に、このあたりをざっと見て回りたい」

「え?」

「君らが見落とした出入り口があるかも知れんし、敵がまた来る……かも知れん。周辺警戒するに越したことなかろう?」

「まあ、それはそうですが……」

「それにな、ちょっと気になることがあってね」

「何です?」

「ああ、実は、戻ってきたのはそのせいもあるんだが……児島、あのデータを司令代理にお見せして」

「はい」


 児島と呼ばれたのは一番若手の……恐らく養成校を出たばかりらしいぎこちない動きの与圧服姿。

 まだ頬ににきびの残る作業員が、山崎に促されるままに自分のデータパッドをおずおずと差し出した。山崎が小さくうなずくのを横目で確認した彼は、雅樹とメイシャンが見やすいようにパッドをこころもち傾け、少しどもりながらゆっくりとしゃべり始めた。


「あ、あの、僕らが地質調査をしてるのは御存知だと思いますが、ちょ、調査用のボーリングをする前に、必ずその位置座標を確認します。で、いつもならGPSで自動的に位置が確定できるんですが、それが今日に限ってできなかったんです。仕方ないんで、ホント久々に光波測距儀トランシットなんか引っ張り出しました。ほら、ここです」

「それってつまりどういうことなの?」


 横からメイシャンが口をはさむ。


「え、ええ、測位電波が一つも受信できなかったんですよ」

「変だな。火星のGPSって、確かMサットが出してるんだよね」

「そ、そうです。この時間だと本来はM3、M5、M6、M14、M18の五基の電波が入るはずなんですが……」


 雅樹の問いに、児島はまるで自分の失敗を叱責されたかのように恐縮して語尾を濁した。


「あの、私にも判るように教えてくれませんか?」


 メイシャンの言葉に児島は不思議そうに首をかしげる。


「先生は医者なんだ」

「ああ、それで……」


 彼は納得したように首を小刻みに振ると、人差し指を立てて天を指差した。


「ええ、Mサットって言うのは火星を回ってる衛星の通称ですよ。気象、通信、GPSの機能を持った大型の人工衛星で、NaRDOとNASAとESAが火星開発を支援するために共同設置したものです。ええと、確か……」

「今のところM24までだな」


 そう口をはさんで、雅樹は小さく頭を下げた児島の説明を引き継ぐ。


「で、まあ、たまたま一基が不調になるっていうのはあるかと思いますが、Mサット全機の電波が一度に受信できなくなると言うのは確率論から考えてもまず絶対にありえないんです」

「まあ、そうですね」

「それに、Mサットは通信衛星でもありますから、測位電波が受信できなくなるというのは、そのまま火星中の衛星回線もマヒしてるって事で、つまり……」


 そこで言葉を切ってメイシャンの顔に理解の色が広がるのを上目遣いに確認したところで、山崎班長が突然割り込んできた。


「意図的に通信が妨害されている可能性がきわめて高い」


 山崎の断定的な口調に、重苦しい沈黙がその場を支配した。

 雅樹は唇を噛みながら、今朝からの出来事をどうにかまとめようと頭をフル回転させていた。

 めったに起こらないはずの局地的な火星震、同時に発生した強烈な電磁バースト。原因不明のまま墜落した輸送船、なぜか受信できない衛星電波、そして、正体不明の敵の襲撃……。

 次の瞬間、雅樹の頭の中で、一見ばらばらなそれぞれの事件がまるでジグソーパズルを組み立てるようにぴたりと一つにまとまった。


「天災なんかじゃない。アズプール基地も、そしで〝昭和〟も、何者かが偶然の事故を装って意図的に破壊したんだ……」


 雅樹が発したつぶやきは、その場の全員にまるで落雷のような激しいショックを与えた。


「……そんな」

「まさか、どうして?」

「そういう結論になるよな」

「え!?」


 全員の目が山崎に集中する。


「俺も、直感的にそう感じたんだよ」

「班長も……」


 雅樹は目を丸くする。


「そう。誰が、どうしてこんな大掛かりな事件を引き起こしたのかは判らん。だが、恐らく奴らは犯罪の証拠になりそうなやばいものを処分しに来たんだろうと思う」

「証拠?」

「例えば、〝昭和〟のフライトレコーダ、ボイスレコーダ。それに基地のメインコンピュータに蓄積された地震センサのデータ、交信記録、その他もろもろ。もちろん生き残った不幸な目撃者の命も含めて、な」

「どうして!」


 今度はメイシャンが目を剥いた。


「さて。宇宙船については専門じゃないからよく判らないが、例えば人工地震と本物の地震は明らかに波形が違う。プロがひと目見たらすぐに判る」


 メイシャンはよくわからないといった表情でこてんと首を倒す。


「ほら、人工地震には前震がありませんから。自然の場合はたとえ突発地震でも実際には必ず前兆現象があるものですから」


 けげんな表情メイシャンは、児島の説明にようやくうなずいた。


「生存者については言うまでもない。証言なんぞされちゃ困るからね。というわけで、俺達があと数分遅れてたら、恐らく君らの命もなかっただろうな」


 二人ははあのぎりぎりの瞬間を思い起こし、今さらながら全身に震えが走るのを抑えきれなかった。


「あ、生存者といえば……あの子達」

「あ、いけない。ほったらかしだ!」


 あわてて、まるであらそうようにエアロックに駆け戻る二人。

 床に放りっぱなしのデータパッドではアクセス要求のLEDがせわしく点滅していた。

 子供たちがアクセスを要求しているのだ。一体どのくらいの間この状態だったのだろうか。

 雅樹は飛び付くようにパッドを拾い上げ、慌ててパッドに指を這わす。


『もー! おじさん、もう誰もいないのかと思ってたー』


 画面の向こうでは、久美子が半ベソをかきながら彼をなじる。


「ごめん。本当にごめん。で、どうしたの? 何かあったの?」

『うん。さっきから何だかとっても息苦しいの。空気が薄くなってるみたい』


 隣でメイシャンがはっと息を飲む。

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