15

「……」

 僕は絶句した。

 白兎しろとが病気だった?

 嘘だ……。

 あんなに元気そうだった奴が?

 あんなにみんなと仲良く話をしていた奴が?

 あんなに楽しそうにピアノを弾いていた奴が?

 あの日は風邪だと言っていたじゃないか!

 それに彼女は……

「どう、だった?」

 彼女は静かにいた。

「……あっ、あいつは、白兎は……」

 言い始めて気がつく。

 あれ? 何で僕の声、震えて……

「僕のこと、何もかも、分かってた……。白兎の、言ってた通りだよ……、僕は……あいつが死んでから、人との関わりを避けるようになってた……。もう二度と、大切なものを、失いたくはなかったんだ……」

 僕は彼女の方を見て、続けた。

「だから……君と段々仲良くなるにつれて、僕は……怖くなった……。仲良くなればなるほど、また白兎みたいに二度と会えなくなってしまうんじゃないかって……」

稲葉いなばくんは、本当に水城みずきくんのことを思ってた。普通、自分が死ぬと知ったら自分の心配しかできないだろうに、稲葉くんは自分より水城くんの心配をしていた。そんな彼の水城くんへの思いに、私は胸を打たれた。だからこの計画に参加したんだよ」

 その時、気のせいかもしれないけれど、一瞬彼女の瞳が光ったように感じた。

 それから彼女は、何も知らないお母さんに説明した。恋愛相談の話、計画の話、そしてここに至るまでの経緯、全てを話した。

 僕は、彼女に目配せでノートと手紙を見せてもいいか訊いた。すると、何とか僕の意図を彼女は理解したらしくうなずいてくれたので、僕は彼が遺してくれたノートと、そして今読んでいた手紙をお母さんに渡した。

 お母さんは、それらを見終えると彼女の方を見て、納得したように言った。

「あの子がこんなことをしてたなんて……。道理であの子、あなたと出会ってからどこか毎日生きるのが楽しそうだったのね」

 それからお母さんは、みんなに向かって言った。

「あの子と最後まで仲良くしてくれて、本当にありがとう」

 僕は思わずお母さんに言った。

「とんでもないです、お母さん。彼は最後まで友達想いな奴でした。感謝されるどころか、むしろ感謝するのはこっちです」

 お母さんは物寂しげな笑みを浮かべた。


「レコード盤も聴いてみて」

 彼女の言葉でそう言えばレコード盤もあったと思い出し、引き出しからレコード盤を取り出した。

 レコード盤をまじまじと眺めた。CD世代の僕にとって、レコード盤をこんなにしっかり見たのは初めてだった。

 僕は、外のカバーを外してお母さんにレコード盤を渡した。

 お母さんは慣れた手つきでレコード盤をセットして、レコードを回し、針を下ろした。

 流れてきたのは長閑のどかな旋律だった。

 思わず、あっという声が出そうだった。

 ヴァイオリンとピアノの音色。

 これは……

 忘れやしない。

 白兎と一緒に合わせた最初で最後の曲。

 ベートーヴェンの『春』

 しかもこれは……

「そう。これはあの発表会の時の演奏を録音したものだよ。彼に頼まれてこっそり録音してたの」

 彼女が言った。

 誰もがその演奏に聞き入っていた。

 自分の演奏に聞き入るのは不思議な感覚がしたけれど、でも僕でさえ聞き入っていた。

 僕はハッとした。

 彼の言っていた意味が、やっと分かった。

 確かに、虹だ。

 あの時の僕らの思いが、今、伝わっている。

 僕らの喜びに満ちた思いが、やっと一緒に合わせられるという喜びが、今、ひしひしと伝わってくる。

 それは、本当に綺麗きれいな虹だった。

 彼の言っていた通りだ……

 胸の底からグーッと突き上げてくるものを感じた。じわじわと熱いものがこみ上げてくる。

 その時、僕の頬をでるものがあった。

 ああ、今、気づいた。

 もう一緒にこんな演奏を弾ける奴はいないんだ……

 ようやく、彼の死を実感した。

 今までは、自分の気持ちがよく分からなかった。だから、葬式の時でさえ、僕は泣かなかった。

 でも今は違う。

 ハッキリと自分の気持ちが分かった。

 彼がいなくなって、僕は悲しいんだ。

 僕は、泣いた。

 人前で泣くのもはばからなかった。


 曲が終わってからも、しばらく沈黙が流れた。

 部屋にはすすり泣く音だけが響いていた。

 ふと、周りを見ると、みんなも目を赤くしていた。

 しばらくして、みんなが落ち着いてくると、彼女が意を決したように言った。

「水城くん……。彼の計画の本当の最後、知ってる?」

「本当の最後?」

「こうするの」

 次の瞬間、彼女は僕に近づいてきて、そのままキスをした。

 僕は一瞬何が起こったのか分からなかった。

 覚えているのは、一瞬感じた彼女の唇の柔らかさと、それを見ていた瀬戸せと深山みやま、そしてお母さんの目を丸くした顔だった。

 僕がようやく状況を理解したのは、彼女が次の言葉を言った時だった。

「私、水城くんのことが好きです」

「うん、知ってる」

 冷静に答えた自分に驚いた。

「えっ? ウソ! 何で知ってるの?」

 彼女の顔はみるみる赤くなっていく。

「何でって、手紙に書いてあった……」

「あんのヤロー、書くなって言ったのにー!」

「……」

 僕は考えていた。

 彼女に何と答えるべきか。

 そのうちに彼女はどんどん先を進める。

「水城くん、私と付き合ってください」

「……」

 僕は返答に窮した。

 彼女と付き合うのが嫌なわけではなかった。まして、彼女のことが嫌いなわけでもなかった。

 ただひとつだけ、懸念があったのだ。

 僕はしばらく考えた後、答えた。

「……ごめん、やっぱり君とは付き合えない……」

「えっ……」

 彼女が落胆するのが分かった。

「だって君は白兎と付き合っていたんでしょ?」

「だからそれは計画のためだって……」

「だとしても、少なくとも白兎は君のことが好きだった。親友の好きな人を奪うようなことは出来ないよ。それじゃあ『こころ』の〝先生〟と一緒じゃないか」

「……」

 彼女の目が少し潤んでいるのが分かった。僕は見るに堪えなくなって、思わず下を向いた。

 その時だった。

「あの……、このレコード、裏面もあるみたいですけど……」

 お母さんが、申し訳なさそうに言った。

「……!」

「レコード盤は、CDとは違って裏面もあるんです」

 僕は思わず彼女に訊いた。

「裏面には何が?」

「……さぁ、裏面があるなんて今初めて知った」

「かけてみますか?」

「はい、お願いします」

 そう言って、僕はお母さんにかけてもらうようにお願いした。

 再び流れ始めた。

 音楽ではなかった。

「……やぁ、ニジくん。色々お騒がせしてすまないね……」

 それは、白兎の肉声だった。

「俺たちの演奏、どうだった? 我ながら名盤が誕生したと思うよ! こんな名盤を一緒に残せたなんて、親友冥利みょうりに尽きるね!

 ……さて、最後にこの音声を遺したのはね、君を後押ししようと思ってさ。いやぁ、君のことだからね、緒方さんから告白されたら、『白兎の好きな人だから』とか言って、きっと断るだろうと思って。もし違ってたら、今すぐこのレコード止めていいからね。

 ……よし、この先を聴いているってことは、俺の予想が当たったってことだね?

 君はさぁ、俺が死んだ後に彼女と付き合ったら、俺に申し訳ないとか思うのかもしれないけど、付き合わない方が失礼だからね? だって一生懸命君たちを付き合わせる計画を立てたのに、それを君は一言で蹴散らすんだから。

 もちろんそれが、君がよく考えた上で出した結論なら俺は構わない。でも俺のためとか言って選んだのならもう一度よく考えて欲しい。

 君が彼女と付き合うことを選んだって、俺はうらんで怨霊として出てくるとかねーし……、むしろ俺は嬉しいんだぜ? ようやく君をしっかり見てくれる人が出来て。

 あぁー、やっぱり付き合っちゃえよ! どうせ彼女とられるなら、知らない男より君の方がいい……

 まぁとにかく、俺のためとか考えずにしっかり考えろ!

 それから答えを出せ!

 そうして出した答えなら、俺はどんな答えでも受け入れる。

 最後に、俺は君の親友で良かった。

 君が俺の親友で良かった。

 俺の親友でいてくれてありがとう。

 俺たちは、永遠に親友だ――――」

 そこで音声は終わった。

 僕は、再び目頭が熱くなるのを感じた。

「……あいつ……どんだけ僕のこと見透かしてんだよ……」

「……」

 彼女はうつむいていた。

「……分かった。もう少し考えさせてくれない?」

 彼女は黙って頷いた。


 その姿がちょっとだけ、可愛いと思った。

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