悪事千里を走る、ということわざがあるけれど、別に千里を走るのは悪事だけではない。例えば、クラスの色恋いろこい沙汰ざたなんて瞬く間にクラス中に知れ渡ってしまう。それが真実かどうかは関係ない。更にそれが、クラスの人気者に関するうわさだったりすると、みんな興味津々きょうみしんしんだ。


 週明けのクラスには、なぜだか僕と緒方おがたさんが付き合っているという噂が流れていた。なんだかデジャヴを感じる。もちろん全く根も葉もない噂だ。

 ちらちらとこちらに向けられる視線を肌で感じながら席につくと、普段は決して話すことのない男子から声を掛けられた。

「お前、緒方と付き合ってるんだって?」

「いや、違うよ」

 こういうとき慌てて答えると、返って相手に疑われてしまうことを僕は知っている。だから努めて冷静に対処した。

「じゃあどうして一緒に歩いていたの?」

 誰だか知らないけど、僕と彼女が一緒に歩いているところを見たという人がいて、その人が勝手に付き合っていると判断して広めたんだそうだ。迷惑な話だ。

 馬鹿馬鹿しいなと思いながら、

「新聞部の取材だよ。ほら彼女、新聞部でしょ?」

 と真実を教えてあげた。彼は今一つ納得していない様子だったけど、ふーんと言ってそれ以上は何もいてこなかった。


 その時ちょうど、彼女が教室に入ってきた。途端に彼女の周りにみんなが集まる。僕はいつものように自分の席で文庫本を広げながら、耳だけ傾けていた。

 実を言うと、少しだけ心配だった。彼女がちゃんと本当のことを言ってくれるかどうか。いつもの冗談の要領で、付き合ってるなんて言われたら堪ったものじゃない。彼女なら言い兼ねないと思った。しかし、その心配は杞憂きゆうに過ぎなかった。僕にされたのと同じ質問をされると、彼女は

「違うよー、取材してるだけ」

 と答えた。別の子が

「何の取材?」

 と訊いたので、僕はなんと答えるのだろうと思っていると、彼女は

「それは記事が出来てからのお楽しみ!」

 と答えた。

 そこは言わないんだ、と心の中で思った。

 流石に僕と彼女の話に一貫性があったからか、それ以上表立ってその話題を振られることはなかったが、何しろ一度流れてしまった噂というのは一度起こってしまった山火事のようなもので、一向に消えないのだった。


 その日、僕は彼女に話したいことがあったのだけれども、学校で話すとまだ一部で流れている噂を助長し兼ねないので、チャットで彼女と放課後アルカンシエルで会う約束をした。


 アルカンシエルに着くと、彼女はまだバイト中だったので、先に席で本を読んで待っていた。

「疑問に思ってたんだけど、いつも何の本読んでるの?」

 気がつくと、いつの間にか彼女がバイトを終えて向かいの席に座っていた。

「今読んでるのは『こころ』」

「あー、夏目なつめ漱石そうせき。この間授業でやったね!」

「うん」

「もう一回読んでるの?」

「いや、授業でやったところは〝下〟の部分だけでしょ?」

「ゲ?」

「『こころ』は上、中、下の全三部構成になってるんだよ」

「へー」

「で、教科書に載ってたところはそのうち〝下〟の『先生と遺書』だけ」

「それで全部読もうと思ったわけね?」

「そういうこと。ひどいよね」

「何が?」

「だって教科書には一番最後の結末の部分しか載ってないんだよ? あれじゃあマジックの種明かしだけを見てるようなもんだよ」

「ふーん、上と中は一体どんな話なの?」

「気になるなら自分で読んでみたら?」

「ケチ! 教えてくれたっていいじゃん」

「本好きは基本ネタバレは嫌うんだよ。それに君は本を読まなそうだし、これがいい機会じゃない?」

「失礼な!」

 彼女があまりに不機嫌そうな顔をするので僕は思わず笑ってしまった。


「で、今日は何のために呼んだの? 珍しいよね、水城みずきくんの方から呼ぶなんて」

 彼女が珍しく本の話題を出したものだから、僕も珍しく夢中で話していて、すっかり今日彼女を呼んだ目的を忘れていた。

「あっ、そうだった。ちょっと話があってね」

「なになに?」

 彼女はなんだかワクワクしながら聴いている。何やら見当外れな期待をされているのではないかと僕は思った。

「ノートの話だよ。この間もらった」

「あぁ、あれね! なんか書いてあった?」

「うん、いくつか興味深いことが書いてあったよ」

 言いながら、僕は例のノートをかばんから取り出して彼女に渡した。

 彼女はそのノートを手に取ると、ゆっくりと読み始めた。意外にもその顔は真剣だった。

 中学時代、彼女が【彼】と仲良くしていたイメージがあまり無い僕は、ノートに書かれているエピソードのうち、果たしてどのくらいが彼女に関係するのだろうかと考えていた。

 しばらくすると、彼女は読み終ったのか静かに顔を上げて言った。

「……確かに、色々興味深いことが書いてあるね」

「うん。それでね、浮かび上がってきた謎について少し考えてみたんだ」

「おっ、水城くんの推理? 聴きたい!」

「推理って程のものでもないけど……、まず最初の謎である〝鍵〟についてだね。今となっては確かめようがないけど、やっぱりたぶんあのロッカーの南京錠の鍵だったんだと思う。最初はロッカーの中身に、【彼】が僕に託しそうなものが入ってないと思ったから違うかと思ったけど、そのノートが入ってたんなら恐らくそうだと思う。

 次にそのノートに書かれている〝クラスのとある女子〟が果たして誰なのかという謎。その後の文から、当時噂で流れてた【彼】の彼女に当たると思われるけど、誰なのかはまだ分からない。

 三つ目の謎は、【彼】が度々このノートに書いている〝計画〟というのが何なのか。この計画は【彼】の彼女も関わっていて、【彼】がこのノートを作ったきっかけにもつながるみたいだけど、これも見当がつかない。

 四つ目の謎は、途中にある唯一暗い日記。この日に何があったのか。これも今のところ分からない。

 五つ目の謎は、【彼】が最期に助けた女性は一体誰だったのか。これは、ノートより【彼】が死んだ日に会っていたのが【彼】の彼女だとみられることから、推測に過ぎないけど、【彼】が助けた女性は【彼】の彼女だったんじゃないかと思う。

 最後の謎は、ノートの一番最後に書いている『彼女に別れを告げる』という言葉。あの日、なぜ【彼】は彼女に別れを告げようとしたのか。僕の考えは、例の〝計画〟とやらの準備が完了したからだと思うけど、〝計画〟の実体が分からない限り、これも分からない気がする」

「なるほど……」

「まとめると、〝計画〟ってのが最大の謎。裏を返すと〝計画〟が分かりさえすれば、自ずと他の謎も解けてくると思う」

「それで、私たちはどこから探る?」

「大方僕たちがすべきことは一つ」

「というと……」

「【彼】亡き今、ほとんど全ての謎について知っているのは【彼】の彼女だった人物だけだ。その子を捜そう」

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