彼女は、黒く長い髪をなびかせながら、こちらに歩いてくる。その様子を何となく眺めていると、彼女と目が合った。彼女が少し微笑んだような気がした。

 彼女の顔を見て、僕は驚いた。一つは、うちの高校の制服を着ていたから。もう一つは、彼女を知っていたからだった。

 そう言えば、今日は始業式だけで午前中に帰れる日だった。こんなに早く帰って来れるのだったら、サボらなければ良かった……


 彼女――緒方おがた光莉ひかりは、同じ中学出身の同級生だった。

 そうは言っても、僕は【彼】の死以来、同級生の誰とも、まともに会話をしたことがなかったので、僕に用のある同級生はほとんどいなかった。

 そういう訳で、中学時代にも特に接点はなかったし、彼女も例に漏れず、僕に用事はないと思っていた。手をたたいていたけれど、あれは拍手ではなく、高速な手拍子か何かだ、と。

 だから、話し掛けられた時は更に驚いた。

「今弾いてたの、去年弾いてたよね?」

「うん」

 咄嗟とっさに平静を装いつつ、答える。

「何て曲だっけ?」

「春」

「そう、それ。去年も思ったけど、水城みずきくんってヴァイオリン、すっごく上手だよね! そっちの道には進まないの?」

「……うん」

「え~、そんなに弾けるのにもったいないー」

「これくらい弾ける人はいくらでもいるよ」

「ムムッ、夢がないなー」

「……現実を見ているだけ」

「私は好きだけどなぁー、水城くんのヴァイオリン。小さい頃からやってたの?」

「うん、5歳の頃から」

「え~! そんなに前から!」

「……うん」

「じゃあもう10年もやってるんだー、上手いわけだわ!」

 彼女は言いながら拍手をした。さっきの手拍子は拍手だったのか、とようやく気がついた。


 ヴァイオリンを片付けていると、彼女はふと思い出したように言った。

「そう言えばさぁ、今日学校来なかったでしょ?」

 僕はギクッとした。

「なんで来なかったの?【彼】の命日だから?」

【彼】の墓の方を見ながら、彼女はそう言った。

「まぁ……、今日はここに来たくてね…………」

「ふーん……」

 彼女はいぶかしげに僕を見た。まぁ、方便と言われれば、何も言い返せない…………

「って言うか、君は何でここへ?」

 言ってから、しまった、と思った。

 堪らず変なことを聞いてしまった。

「何でって、私も【彼】のお墓参りに決まってるでしょ?」

 そりゃあ、そうだ。お墓に来ているのだから、目的がお墓参りなのは言わずもがなだろう。

「そ、そうだよね、じゃあ悪かったね」

 僕が帰ろうとすると、彼女が言った。

「新しいクラス、見てないから知らないだろうけど、私、水城くんと同じクラスよ。よろしくね」

「うん、よろしく……」

 そう言って、きびすを返した。そう言えば彼女は、僕に何の用で話し掛けたのだろうか。気にはなったが、そのまま僕はその場を去った。


 彼女の言った〝よろしく〟は、同じクラスになったことに対する、社交辞令のようなものだと、この時の僕は解釈した。

 だが、それは間違いだった。

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