ロス

@nokizin0219

プロローグ

 血が流れている。俺の血ではない、これはロスの血だ。弟の腹には穴が開いている。背負った体温が失われていく。弟は俺の背中で死にかけている。荒野には俺と弟の二人。追手はいない。夕方の乾いた風が吹く。荒野にはやはり二人だけだ。


 四十四口径の穴。回転拳銃の弾だ。右手に入れ墨の男。犬だった、ハウンドだろうか。逃げる俺たちに向かって奴は撃ってきた。後ろを振り返る余裕はなかったがあの時、男たちの笑い声が聞こえていた。

 傷物になった商品を奴らは追ってこなかった。俺たちは射的の的にされた。二人の逃げる的。ガキに当てたら百二十点、賞金は銀貨三枚。


「寒い、兄さん」

「もうすぐ町だ、サムおじさんの家に行こう。おじさんの家で暖炉に当たろう」


嘘だった。町まではまだ距離がある。だが弟には希望が必要だ。


「降ろして、兄さん。もう痛くないから」

「怪我してるんだ、もう少し背負われてろ」


 痛覚が麻痺している。体が死ぬ準備を始めている。出血が止まらない。服を割いて包帯にしたが十分ではなかった。傷が大きすぎる。弟は助からないかもしれない。俺は気がつくと泣いていた。ロスがなぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。いくら考えても理由は見つからない。


 道に出た。馬の往来で固められた道だ。少し歩きやすくなった。それでも弟は少しずつ重たくなっていく。躰の力が抜けていくせいだ。疲れた、でも休めない。時間がないからだ。ロスの怪我を診てもらう必要がある。おじさんは医者だ。俺には無理でもおじさんなら弟を助けてくれる。


 夕日が沈みかけていた。夜はまずい。余計に冷えるうえに、亡霊たちが寄ってくる。亡霊は死にそうな人間を見つけると集まってきて、魂を連れて行こうとする。

 俺は一度だけ見たことがある。親父が病気になった時だ。ベットの上で弱っていく親父を亡霊がジッと見つめていた。俺はそいつを追い払ったが親父は結局その日のうちに血を吐きながら死んでしまった。結核だ。


「兄さん、あれ」弟が何かを見つけた。


 亡霊たちだ。黒い影。人の形をしているが目も鼻も口も無い。ただ黒い影が何体も立っている。無視しなくてはいけない。相手をすると奴らを喜ばせることになる。


「あんな奴らなんでもない。眼をつむってろ」


 そう言ったが俺は奴らが恐ろしい。それでも背中の弟は守らなくてはいけない。歩みを止めてはいけない。

 ただ歩き続ける。日が沈んだ。亡霊たちはさっきよりも近くにいる。俺たちから離れずに歩いてくる。弟を連れて行きたくて仕方ないのだろう。


 奴らのうちの一体が弟に向かって手を伸ばしてきた。とっさに弟を庇った。奴の手が俺に一瞬ふれた。亡霊の手は冬の空気よりも冷たかった。

 亡霊はケタケタと笑い始めた。一体が笑い始めたのをきっかけに、他の奴らも笑い始める。俺たちを囲ってケタケタと。胸糞の悪い笑い方だ。


「失せろくそったれ!」気がつくと奴らに向かって怒鳴りつけていた。


亡霊は笑う事をやめなかったがゆっくりと離れて行って、最後は霧のように掻き消えた。弟は震えていた。


「安心しろ、亡霊なんかにお前を渡したりはしない」

「ほんとう?」

「ああ、お前に嘘なんか言うものか」


それからずっと歩き続けた。弟を何度か励ましながら、町を目指す。すっかり夜の空気だ。寒い。全てが冷たい。今日は雪が降るかもしれない。


亡霊が一体そこに居た。目の前に来るまで全く気がつかなかった。


「くそったれ、お前も俺たちを嗤いにきたのか」


 その亡霊は笑わなかった。俺はそいつがさっき見た他のやつらより小さい事に気がついた。一回りも、二回りも小さい。子供ぐらいの背丈だ。


 その時、弟の震えが収まっていることに気がついた。

 亡霊はしばらく俺を見つめていた。俺は亡霊を見続けた。

 そして亡霊は他のそれと同じようにして消えていった。

 荒野には俺だけが居た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ロス @nokizin0219

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る