第7話 イヅモ 二
さて、まずは長子のコオの居場所は---とヤチに問うと、―美保に魚釣りに行っている。―という。
―なれば、わしが迎えに行ってやろう。―
とトリが言った。ふい---っと消えたその背を浜で待つと、二刻ほどしてヤチを一回り小さくしたような男の舟とともに戻った。トリは後について舟を岸に付けるように言ったが、不思議にコオは舟から降りることを拒んだ。カヅチに沖にて話をしたい---と申し出た。
カヅチは傍にいた若者に舟を漕ぎ出でさせ、浜より半里ほど離れた水際で対峙した。
「此方でもお話はできまする。」
柔和そうな面は蒼白になりながらも、極めて落ち着いた素振りであった。
「ヒルメ殿のお使者と伺っておりますが---。」
コオは、ふ---と眼を細めた。
「ヒルメ殿はこのクニを欲しておる。その方らが速やかに恭順の意を示し、クニを明け渡されることを望まれておる。」
カヅチは舟端を近づけさせ、ぐぃ---とコオを睨んだ。
「元よりお使者が参られるは致し方なき事と弁えてはおりましたが、---やはり、貴方が参られましたか。」
諦め---に似た溜め息がコオの口元から溢れた。
―やはり---とは、どういう意味だ。―胸の中で呟くカヅチに、コオは当たり前のように答えた。
「我れは覡(おかんなぎ)でございますれば---」
見えていた---と、その細めた瞳の奥が揺らめいた。
「カヅラの伯父は我れの師。---まぁ、我れには伯父上ほどの力はありませぬが。」
苦い笑みがコオの口許に浮かんでいた。
「トリ殿のご好意で妻子との別れも済ませて参りました。我れと父との一命を持ちまして、我らが末裔(すえ)とこの地の民の安堵をお許し願いたい。」
恭順---とは言え、一族の長となれば無事では済まぬ---そんなことはとうに分かりきっている---既にコオは幽界への扉を自ら開く準備が出来ていた。
「時に---」
コオがひそ---と小声で囁いた。
「ナダは息災にございますか?」
カヅチは、一瞬、顔を強張らせた。―何故、こやつが---―と訝るのを、コオは静かに微笑んだ。
「ナダの母ヤタテとわが母カムヤは姉妹にございますれば---。我が従妹が貴方さまの子を成すとは、奇縁にございますな。」
ゆらゆらとコオの舟は波間に揺れた。
「スサの血のもの、いずれヒルメ殿はご不快にてありましょうが---」
コオはふ---と言葉を切った。傾きかけた陽が波間に反射して、綺羅らかに輝いた。
「貴方さまなら、御守りくださいましょう。」
コオはそう言うと、舟板にすっくと立ち上がり、告げた。
「私は、幽世にてナダの子らの弥栄を見守ることに致します。」
コオは呆気に取られているカヅチの眼の前で、何やら呟き、両手を逆手にぽんぽん---と二つばかり打ち、舟板を強く踏んだ。
すると、柴垣を立てたように高く波が上がり、コオの舟を包んだ。
―何っ?!―
カヅチは瞬間、腕を上げて波を避けた。そして、その腕を降ろした次の瞬間には、コオの姿は無かった。
逆さになったコオの舟の底だけが、カヅチの目の前で揺れていた。
―入水したか---―
おそらくは水底の黄泉の扉を開いたのだろう。吸い込まれたコオの亡骸は水底深く沈み、まずは上がってはくるまい。
―イヅモの誇りに殉じたか---。―
カヅチは、若者に、舟を戻せ---と短く言った。
そして、それきり何も言わなかった。
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