遥か遠い記憶の空

七篠 昂

硝煙と血と小麦の匂い

 ざく。ざく。ざく。

 土を掘る。焼ける匂いと、腐臭に胃の中のものが上がってくる。

 生憎既に吐き出せるものはそこにはなかったが。

 ざく。ざく。ざく。

 土を埋める。見なくても自分の顔色が悪く、そこらに転がる死体のような顔をしているのが解る。

 それは青く澄んでいる。嫌になるほどに太陽が眩しい。

 自分でも何のために行っているかわからないけれども、そうしてやろうと思ってしまった。


「はあ。はあ。後、5人か」


 焼け落ちた家屋の横に死体が5つ。

 どれも原型をとどめていない。一部は腐り、一部は食い荒らされている。

 立ち寄ったコロニーが壊滅していて、人どころか動物の一匹たりとも生きては居なかった。


「根こそぎ持っていってやがる。奴らは災害だな……」


 汗を拭い、一度その場に倒れる。

 誰も居ないのだ、汚れていようがどうなろうが気にしたことか。

 ここはRimWorld辺境の世界。過酷な世界の中に、オレは居た。



 ノイズ混じりの空。

 これは夢だ。

 圧迫感のような、何かの奔流に押し流されてるような。


 一つの家族。

 オレには両親と、兄と弟が居た。

 それほど大きなコロニーではなかったが、人の往来もあり、交易も盛んだった。

 本当にそうだったか、それすらも怪しい。


 宙族。


 たった一度の襲撃で、そのコロニーはあっけなく滅んでしまった。

 今となっては、そこが何処なのかも地図で探すことは出来なかったのだ。


■■■■ナナシ!」


 これはオレを呼ぶ声だ。もう、その名前に意味はなさなくなっていた。

 意味を失った名前をオレは認識できないのだから。

 ただ空まで伸びる炎と煙が何時も頭をよぎる。

 オレの一番最初の記憶は、炎だった。空まで上がる炎。

 その中で立ち尽くす。

 意識を取り戻した時には、切り取られた小さな部屋に居た。



 ガタン。

「66から82まで。出ろ」

 空のない石壁の中。小さな世界。その空間を切り取るように扉が開いた。

 連れて行かれる先は広く、空が見えた。

 目の前にはドロップポッドと呼ばれる、射出機。

 番号で呼ばれたオレたちは、順番にその前に並ばされる。

 予備弾倉の無い軍用のライフル。そして防弾ベストにヘルメット。

 銃は見るからに粗悪品で、狙って当たるのかすら怪しい。

 後は一食分の食料。連絡用のビーコン。装備はたったそれだけ、

 逃げようとした人間は即座に撃たれ、そこに血溜まりとして残る。 


 宙族が連れ帰った人間、奴隷として他の宙族に売られたり、労働力、戦闘員として働かされる。成果を出さなければ名前すら与えられない。

 彼らは殆ど個を持たず、生まず、作らず、ただ嵐として奪い続ける。

 オレもその中のひとりだった。


 多分12歳の時。オレはここへと連れて来れられた。

 まず一番最初に銃の使い方を教えられた。

 失敗するやつは別の場所に送られる。

 労働力に、宙族は殆ど物を作らない。

 次は売られる。奴隷として。今も奴隷だと言うのに。

 売られるぐらいなら運がいい。

 最悪バラされる。内臓は高値がつくらしい。


 おそらく他のものに比べて器用にこなした。

 ナイフの訓練であれば、先に相手の首を。

 銃であれば、的の中心を。

 機材の組み立てであれば、完成を誰よりも早く。

 もちろん、完璧ではなかったが。

 ものを作るのは好きだった。銃を撃ったりナイフの訓練するよりも。

 だが、結果として今こうやってドロップポッドの前に並ばされている。


 ドロップポッドの中は部屋より狭い。

 真っ暗な中に明かりがが一つ。

 行き先すら知らないまま、重力が襲ってきた。

 

 死ぬことはあまり怖いと思わなかった。

 生きていることに意味を見出せていないのだから。


 衝撃とともに着地の音が響く。

 ものの数秒で開く。

 オレはこれから人を殺す。


 そうだ。殺すのだ。


 排気音とともにドロップポッドが砕ける。

 一つの部屋だったようだ。

 そこには誰も居らず、銃器を確かめる。

 銃声に怒号。悲鳴に爆発音。

 耳を劈く様な音に耳をふさぎたくなる。

 扉を開けたらそこに人が居た。

 

 小さく悲鳴が聞こえた。

 子供。武器も持っていない。

 銃口を向け、引き金を。

 

 引けなかった。

 隣から同じ様に男が飛び出してきた。あれは■■だ。

 アイツは何かを叫べば迷わずに子供を狙って引き金を引こうとした。


 手の中の銃。その銃口は■■を捉えて引き金を引いてしまう。

  

「ああくそ! 部屋に入れ!! オレが死んだら諦めろよ!!!」


 銃声が鳴り止めば■■は血まみれでオレを見ていた。

 ■■が撃った銃の弾は当たっていたらしく、左手の手のひらを貫通していた。

 喚きそうになる声を歯を食いしばって耐える。他にも宙族はいる。見つかったら最後なのだから。

 よろよろと■■へと近づくと、袖を掴まれた。

「馬鹿だな。お前。ごほっ。向いて、ねえぞ」

 口から血を吐き出しながら虚ろな目でオレを見る。

 オレが最初に殺した男だ。もうその顔も思い出せない。

「行けよ。宙族、なんてや、やめちまえ」

 口を歪めて笑みを象る。

「西に、コロ、ニーが、あった。そこに」

 そして二度と動かなくなった。

 持っていた銃を確認する。どうやら排莢口に薬莢が詰まってジャムっていたらしい。

「命拾いしたのか……。貰ってくよ。キミにはもう要らないものだ」

 自分の銃は捨て、薬莢を抜き出し、引き金を確かめる。一発は打てた。

 弾倉を取り外してまだいくらかの弾が入っているの確認した。

 一気に吹き出てくる汗と過呼吸気味な自分を思い出す。

 人を殺した実感よりも先に、やってしまったという諦め。

 おそらくは気付かれていないが、そのまま同じく戻るという選択肢はなかった。

 

「ああ。そうか」


 今、ここで■■が言っていたように。

 抜けてしまえば良いのだ。厄災のような嵐である必要など無いのだと。

 宙族だろうが、子供だろうが、殺してしまったのだから、オレはもう解き放たれたのだと。

 物陰に隠れながら、コロニーの住人、宙族どちらにも会わないように移動する。

 屋内に落ちたのが幸いだったのか、先程の子供以外に遭遇はしなかった。

 結局その後子供を助けるでもなく、あの部屋に隠れさせただけだ。無責任に恐怖を引き伸ばしてしまったとも、言えた。

 ビーコンが鳴る。宙族の撤退の合図だ。

 戦利品を十分に奪えるか、半数以上が減ったか。どちらにせよ残る必要はない。

 途中にあった医務室で、医薬品を。一緒にあった非常食を盗んでいく。

 すまない。だとと口だけの謝罪を呟いて、コロニーを抜ける。

 他の宙族が散り散りに逃げる中。オレもそれに倣って何処と言わずに走っていった。 

 

 晴れてオレは、自由になった。


 自由になった。


 自由になったとは言え、それがすなわち生を得たというわけではなかった。


「ぐええ。苦すぎる」


 コロニーから失敬してきた医療品を使って治療を済ませ、一日を痛みに転げ無駄にした。そして当てもなくそこから二日歩いた。

 未開の土地だったらしく、周辺は木と木と木。森というやつだった。

 かろうじて食べられそうなベリーや野草が生えていたため、食いつなぐに困りはしなかったが。

 

「あーーーーーー!!!」


 倒れ込んで叫ぶ。

 特になにかがあったわけでもないが、こんな大声を出したのは何時ぶりだろうかと思う。宙族に連れられる前の記憶はおぼろげになってしまっていた。


「西って言ったな。西ってどっちだよ……」


 何の知識も持たないオレは、行ったり来たり。

 野生の動物が襲ってきて、逃げる。

 盗んできた非常食が身代わりになった。

 木の上に何とか上り、そこで一晩を過ごした。

 空腹と、睡魔と、恐怖が、行ったり来たり。

 夜が明ければまた歩き出す。どっちが正しいのかの判断など出来ない。

 足がもつれて何度目かの転倒。痛いのやら具合の悪いのやら。

 追い打ちをかけるように腹が鳴る。

 

「とりあえず、生活できるだけの……なんか仕事貰わないと食うことも出来ない」


 立ち上がり、砂を払う。

 陰惨な空気ではない新鮮な空気を胸いっぱいに吸った。

 吐き出して空を仰げば、とても青い空が見えた。

 この辺りは故郷に比べて南にあるのだろう。野宿をしても寒い思いをしなくて済む。


 そこから更に二日。中規模のコロニーを見かけた。


「ななじゅうよん? 17歳?」

「そう。集落から逃げてきたんだけれど、何か、仕事をもらえないだろうか」

 

 74番。あろうことか、オレは自分の名前も思い出せなかった。


「他所へ行きな。このご時世に所属の解らんガキなんぞ雇えるか」


 それもそうだ。オレだって74なんて名乗る子供を雇いたいとは思わない。

 派閥は宙族だ。なんて言ったら殺されるだけだろう。

 食い下がったところでどうしようもないと渋々諦めてまた歩く。

 歩いた先、コロニーの外れの方は畑が並んでいた。


「ああもうむり。歩きたくない」


 あぜ道で倒れ込む。日差しが鬱陶しい。

 畑には小麦や綿花、野菜が大小様々に並んでいた。

 手を伸ばせば食べ物を手に入れられる。


 ただ、ただ奪う事はもうしたくなかった。

 それならせめてこのまま死んでしまおう。 


「お父さん! 行き倒れ!!」


 女の子の声だった。

「行き倒れだあ?」

 二つの影がオレを覆う。

 ごん、と。突かれた。痛い。結構強めだぞ。

「腹が減って、動けない……」

「行き倒れだなあ?」

 男がオレを軽々と担いで、何処かへと運んでいく。

 どのみちこのまま野垂れ死ぬところだったのだ、奴隷に戻ろうが仕方ないと諦めも付いていた。


 小麦の、パンの焼ける匂い。

 いつの間にかに手放していた意識が引っ張られる。


「あ。起きた! お父さん! 行き倒れの人起きたよ!」


 空の色のような髪の少女が笑う。

 どうやらベッドに寝かされていたらしい。質素ではあるが快適なベッド。

 床で寝ていた生活に比べれば雲泥の差だった。

 疲れを意識してしまってか、もう体が起き上がることを拒否している。

「待ってて」

 慌てた様子の彼女が奥の部屋へとぱたぱた走っていくのが見えた。

 少しすれば板の上に皿とパンとコップを乗せて戻ってきた。

「食べれる?」

 不思議そうに首を傾げれば、オレの横へとそれを置いた。

「いいのか? オレ、何も持ってないんだ……」

 とは言うものの、腹の虫と、頭と心がもう手を出してる。

 久しぶりに食べるの味だ。

 辛くて痛くても溢れなかった涙が出てくる。

 見知らぬ少女の前で嗚咽を漏らしながら情けなく食べる。 

 少女はにこにこと、オレを見て微笑んでいた。

「ありがとう」

 食べ終え、食器を返す。

「ごちそうさまだよ?」

「……?」

「食べ終わったら、ごちそうさまってするんだよ」

「ごちそうさま」

「おそまつさまでした」

 不思議に思いながらも、オレはオウム返しに言った。

 それを聞けば嬉しそうに、彼女は食器を持って奥の部屋へと戻っていった。


 空腹が満たされ、体が動くことを許す。

 荷物も精々手入れのされていない、残った弾も少ない軍用のライフルだけ。

 ベッドの横に立てかけられていた。取り上げないのは不用心なのでは。などと思いながら手に取り、弾倉を確認してから肩にかけた。

 彼女が行った先の部屋に入れば、こじんまりとしてはいるが、しっかりとした石造りの部屋。テーブルが有り、暖炉があり、竈がある。

「ありがとう。だが、オレは手持ちがないんだ」

 オレを連れて運んだ男――かなりガタイの良い、日に焼けた――父親なのだろう。

 彼女とその男が椅子に腰掛け、オレを上から下までを見た。

「あそこで死なれると死体の処理に困る。野生の動物が食い散らかすと面倒だからな。一食分なら安いもんだ」

 ニカッと笑う。つられて苦笑いをしてしまう。

「この恩は何かしらの形で返します。いずれ必ず」

「アテはあるのかい?」

 痛いところを突かれた。元々痛くないところも無いのだとも。

「……」

 正直、何もない。先程も断られたばかりだ。

「じゃあ家で畑の手伝いをしていけ」

「いいのか?」

 男の言葉に食い入るように呟いた。

「一人分の食い扶持ぐらいなんとかならぁ。人手も欲しいしな」

「ありがとう。暫く、世話になる。いいのか? オレみたいなよそ者」

 迷いはしない。ありがたかった。少なくとも飢えは凌げる。何をしていいかわからないオレには本当に助かる提案だった。

「ここのコロニーじゃあ、他から逃げてきたやつもいる。お前ぐらいひょろい子供なら俺一人でもなんとかなるからな」

 確かに、腕も一回りぐらい違うのではないか。そんなことを考えながら小さく笑った。

「俺はセイミス。娘はルニミィアだ。お前さんの名前は?」

「……ななじゅうよん」

「ななじゅうよん?」

彼女、ルニミィアが不思議そうに首を傾げた。

「名前が思い出せなくて……コロニーでは74番って呼ばれていた」

「74……じゃあナナシさんだね!」

「ナナシ……?」

「ははっ。……どっちにしてもお前は名無しネームレスじゃねえか」

 セイミスが愉快そうに笑う。ルニミィアが少し不思議そうな顔をしてから微笑んだ。

「良い。それで。ナナシでいい」

 どのみち名前は無い。意味を持って、オレであると呼んでくれるなら、名無しでも。それで良い。

 そうして、オレは「ナナシ」になった。

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