第16話 青天霹靂・後

 沖縄諸島の南の先に、地図にも乗っていない幻の島がある。

 そこは限られた者しか、知ることも、立ち入ることも出来ない秘密の避暑地。

 大勢の観光客でごった返す人の浜や海は、ここには、存在しない。

 あるのは自然美に溢れる広大なビーチだけ。

 そんな場所で、悠然とした時間を気心の知れた仲間達と過ごせると言うのは、この夏最大の贅沢かもしれない。

 ……などと考えた瞬間が、慰安旅行を計画した幹事・八雲にもどこかにあった。

 あったはずだと言うのに、一体どうしたと言うのか__この目前に広がる現状は。


 「……どう見ても、楽しいランチタイム……って感じじゃあないよね」


 珍しく苦笑すら浮かんでいない疾風の呟きを耳に、八雲は目前の海の家へと視線を向ける。

 店内の一番奥のテーブル席で、異様な空気を醸し出している四人の男女へと。

 普段それぞれが兄弟姉妹のような仲であることは、周知の事実。おまけに、各々“幼馴染み”と言う関係でもある。

 じゃれ合うような喧嘩と言い難いやり取りならば、何度か見かけたことはあるが……今、目の前で広がるような空気に包まれた四人を見るのは初めてかもしれない。

 バカンスに来ていると言うのに、なんて近付き難い空気を作り出しているのか、あの一角は。

 八雲は思わず溜息をこぼし、隣で不安げな顔を見せている少女に視線をやる。

 その隣で焼きもろこしを頬張っている水着姿の少女の兄に話を聞くことも一瞬考えたが、これも一瞬で無駄だと判断した。


 「月華」

 「は、はい」

 「事情説明を求めてもいいだろうか。経緯がわからないことには、対処のしようがない」


 呆れたようにも見える面持ちで、同じ天神__晴天の天神である少女、月華に改めて状況説明を求める。

 すると、月華は一度四人へ視線を向けてから、実は……と口を開いた。


 「私とウルル、一緒に島を散策していたんです。それで丁度いい時間だからって、日華やライ達のいる海の家にお昼を食べに来て……」

 「それで?」

 「その、レイさん達も同じことを考えてたみたいで。じゃあ、みんなでお昼ご飯にしようかってことになったんです」


 ここまでは、何の問題もないように思える。

 しかし、話はここからと言わんばかりに、月華の表情に困惑の色がじわじわと滲み出す。


 「それで、みんなでお喋りしながら注文した料理を待ってたんですけど……」

 「何か問題が発生したのか」

 「も、問題って言っていいのかはわからないですけど……せっかくだからご飯食べたらみんなで海で遊ぼうって話をした辺りから、ちょっと雲行きが怪しくなってきて……」

 「もっと言えばアレ、水着の話になった辺りだったワヨネ~」


 つい八雲の眉間に皺が刻まれた。

 今の話の流れで、どうすれば雲行きが怪しくなるのか。

 そんなことを考えていると、月華の傍らから頼んでもいない凪の補足が飛んだ。


 「水着?」

 「そーヨ。今年の流行の水着の話とか、ちなみにアタシは新しいビキニ買っちゃったとか、そんな話」

 「お前……食事中になんて話題を出すんだ。そんな話をされたら、場の空気どころか食欲不振になるだろうが」

 「どーいう意味ヨッ!?」

 「まぁまぁまぁ! 凪さん、ここはちょっと大人になって! それで? 水着の話になってから、どうなったの?」


 正直すぎる八雲の発言に異論を投げた凪を、疾風が素早く宥め、話を戻すように再び月華へ問いかける。

 月華は傍らの空気に戸惑いつつも、疾風の問いに対し、記憶と照らし合わせながら答えた。


 「え、えっと……それから、次第に料理が運ばれて来て、軽く食べ始めた頃に女の子内で、どんな水着を持ってきたのかって話になってから……」


 女性陣は下界に限らず、住み慣れた天界であってもファッションの話題でよく盛り上がっている。

 男で、しかも、デザインよりも機能性とシンプルさを重視する八雲からすれば、よく洋服の話で時を忘れるほど盛り上がれるものだと疑問に思うほどだ。

 そして、その場に居合わせた三人の男達とて、どちらかと言えば八雲と同じ土俵の仲間だろう。

 おまけに話題は洋服ではなく、布面積の少ない水着。

 傍でそんな話題を出されても、反応に困ることは目に見えている。

 ただ、それで場の空気が居た堪れなくなるほどの変化をもたらすとは思えないのも確かで。


 「ちょっとライが居心地悪そうにしだして……」


 だろうな、と八雲は内心納得する。

 脳まで筋肉で出来ているんじゃないかと疑えるほど、単純明快な体育会系男子であるライは、まだまだ色気より食い気。異性よりも同性と遊んでいる方が楽しい年頃だ。

 女性陣の花のある会話を、興味津々に聞くような行動はまず取らない。

 寧ろ、月華の言葉通り、居心地が悪くなるだけだろう。

 認めたくはないが、八雲がその立場であっても、ライと差ほど変わらない反応をしていた。


 「それに気付いたレイさんが、ライをからかい始めちゃって」

 「酒の席の酔っ払いか……」

 「レイさん、反応が素直なライをからかうの好きだからね」


 思わず頭を抱える親友コンビ。

 天界でもよく見かけるその光景は、人伝であっても想像に容易い。


 「それで、耐え切れなくなったライがアズマさんに助けを求めたんです」

 「そこでアズマに助けを求めちゃったんだ」

 「日華に助けを求めたところで、あいつは妹以外の女性に眼中も、興味もないだろう」

 「ごもっとも」


 月華は間に入った親友コンビの会話に苦笑を浮かべつつ、ちらりと視線を海の家へ向ける。


 「それで、その……そこから、あんな空気と言うか……状態になってしまって」

 「え? 何? あの状態の原因ってアズマ?」

 「あ、アズマさんがって言うか……え、ええと……な、なんて言えば……」

 「まぁ……地雷原に、最初に足を踏み入れたと言う意味じゃ……原因はアズマ、ね」


 ここで月華の傍らにいた凪の更に隣。

 今まで沈黙を決めていた雲母が、徐に口を開いた。


 「雲母さん。地雷原、とは……?」

 「さっき、月華が言ったでしょう? ライがアズマに助けを求めたって……けれど……そこから誤解と言う名の地雷が、次々誘爆したの……」

 「……何をしでかしたんですか? アズマは」

 「ライに……レイに対して何か言い返してくれと頼まれて、たった二言、三言。アズマは何の気なしに言ったの。ライとウルルに衝撃を与え……おまけに、レイの気を逆撫でてしまうようなことを」


 もったいぶるような雲母の口振りに、自然と周囲の視線が彼女に集中する。

 雲母はそれを気にすることなく、一拍置いて、淡々とアズマが発した台詞を“一言一句違えず”復唱してみせた。


 「__“え? いや、俺はただ……今更、レイの水着姿くらいなんとも思わないだけで”」

 「……ほぉ」

 「“同じ風呂に入ったこともあるし”」

 「それ、そこで言う必要ないだろうに」

 「“それに、水着姿の衝撃で言うなら、凪の方がよっぽど……アレだし、うん。”__って」

 「アレってなんなのカシラッ! その辺、問い詰めたかったワ!」

 「な、凪さん……」


 八雲と疾風は、復唱されたアズマの台詞につい頭を抱えたり、目頭を押さえてしまったりと、当惑する。

 誰も、凪の個人的反応に突っ込む気力もなかった。

 そして理解する。目の前に在る何とも言えない空気になったあの一角の経緯を。


 「そりゃ、あんな空気になるよ。ほんっと頭は悪くないのに馬鹿だな、アズマは」


 呆れて物も言えない、と言った顔で目頭を押さえた疾風が言明する。


 「ちなみに、最後の台詞を聞いた後で……レイが異議を申し立てていたわ。「アズマごときが私にケチつけるとはいい度胸じゃない!」って」

 「……あいつの言いそうなことですね」

 「売り言葉に、買い言葉って言うのかしら……。子供の頃のアズマの恥ずかしい思い出を、捲し立てていたわ。……おしりに変わった形の痣があるとか、自分の髪を踏んでお風呂場で転んだ……とか」

 「どれもこれも、ウルルちゃんには衝撃的だったろうに……」

 「自分の憧れている人物の恥ずかしい過去だからな」

 「そして、気付いた時にはあんな感じ……。私達は、あの空気に耐え切れず、一先ず退散……と言うわけ」

 「そうなっちゃいますよね……」

 「んん~? でも、僕もちっちゃい頃は月華とお風呂入ったりしてたし、幼馴染みとかなら普通のことだと思うんだけどなぁ」

 「ごめん、日華。もうちょっと静かに、焼きもろこし食べてて」

 「うん? ありがとー、疾風」


 焼きもろこしを平らげ、ようやく会話に参加した日華に、これ以上話がややこしくならぬよう、新しい焼きもろこしを買い与える疾風。

 この現状、日華の天然マイペース発言で事態の改善はしない。

 日華が静かになったところで、八雲は大きく息を吐いた。


 「まったく……到着早々、幹事の仕事を増やしてくれる。疾風、事態を早急にリカバリーするぞ。手伝え」

 「オッケー。でも、珍しく素直にライ達のこと心配するんだね」

 「これ以上、企画した慰安旅行計画に障害を起こさせたくないだけだ。勘違いするな」

 「…………ツンデレ?」

 「違います」


 ぽつりとこぼれた雲母の声に否定だけしておき、八雲は疾風と短い作戦会議に入る。

 疾風は八雲の考えに軽く頷いてみせ、小さく深呼吸してから、普段通りの調子で海の家の中へ足を向けた。


 「え、えっ? だ、大丈夫なんですか?」

 「心配ない。険悪な空気の中に飛び込んでいくスキルは、ここにいる誰よりも上だ」


 不安げな瞳で疾風の背中を見やる月華に、八雲ははっきりとした信頼の言葉をかける。

 なんせ、そう言った疾風のスキルに関して、八雲自身が一番経験している。

 確信たる信頼を持たない方がおかしい。

 それでも、不穏な空気が漂う一角に近付く疾風を心配そうに見つめる月華。

 八雲はそんな彼女を一瞥し、テーブル席に辿り着いた疾風の姿を眼鏡越しに捉えた。


 「ライ、ウルルちゃん」


 聞き慣れた優しい声に、沈んだ面持ちだった少年少女はふと顔を上げる。

 やはりと言うべきか、そこに見慣れた屈託のない笑顔はなかった。

 疾風は緩慢な反応のライとウルルを安心させるように、敢えていつもと同じ調子で会話を続ける。


 「お昼ご飯?」

 「ん……でも、なんか飯食う気分じゃなくてさ」


 無理したような苦笑顔のライ。

 向かい側に腰を落としていたウルルの方も、それに首肯して微苦笑した。

 疾風はそれを見やりつつ、二人の傍ら__今回、知らずの内に地雷原に突入してしまったアズマと、それを情に駆られて追いかけてしまったレイの様子も窺う。

 疾風の登場で、事態の改善を期待したのかもしれない。変わらぬ現状に、失意の色が見えた。

 疾風はそんな二人の反応に軽く吐息をこぼしてから、小さな肩を二つ、優しく叩いた。


 「疾風さん?」

 「じゃあ、外に出ない? 海風にあたりながらのご飯って美味しいと思うんだ。俺もご相伴に与りたいし」

 「え……けど、俺ら……」

 「いいからいいから。すいませーん。このテーブル席の料理、外まで運んでもらってもいいですかー?」

 「わっ。は、疾風兄!?」

 「あ……わ、わわっ!」


 そして、そのまま流れるような動きで、テーブル席に在った料理とライとウルルを店外へ運び出し始める。

 残されたアズマとレイは一瞬腰を浮かせかけたが、それも疾風の“一笑み”で動きを止めざるを得なくて。

 二人はそのまま視線を合わせ、三歩半ほどの距離を空けてから徐に席を立った。


 「って、あんた達……いつの間に外出てたの?」

 「えっ? 今? アンタ、気付くの遅くナイ?」


 店先に出てすぐ、レイが意外そうな口振りで集まっていた面々を見て言った。

 どうやら自分達以外が居た堪れず席を立っていたことに、気付いていなかったらしい。

 それほどまでに、普段冷静なレイの気は動転していたということである。

 アズマの方も、軽く周囲を見回していることからして、戸惑いを隠せていないように見えた。


 「や、八雲。これって……その、いつの間にみんな……」

 「敢えて全員集合する気はなかったんだが、“天気急変の前兆”が見られたんで気になってな」

 「……あ」


 思い当たる節があるのか、アズマの表情が変わる。

 同時にレイへ視線を投げれば、彼女もまた思うところがあるようだ。

 八雲は視線を海の家へ向けつつ眼鏡を軽く押し上げ、肩を竦めてみせると。


 「だがまぁ、せっかく全員集まったんだ。自由時間の予定を変更して、レクリエーションゲームを開催しようと思う」


 その場にいる全員が初耳と言わんばかりの反応をした。


 「れ、レクリエーションゲーム? そ、そんなの慰安旅行の行程表に書いてあったか?」

 「ああ。特筆事項ではないが、おまけ程度には書いてある。本来なら、夕食時にでもと考えていたんだが……別に今、行っても問題ないだろう」


 八雲は敢えて、妙な空気の四人を気遣う態度は見せなかった。

 こういった状況で腫物を触るような対応は、当人達にとって、心地いいものであるとは限らないからだ。


 「アレを使ってな」


 そう言って八雲が指した先は店先に釣り下がった水場で使う玩具。

 すなわち、浮き輪やビーチボール、ビーチバレーセットに水鉄砲などが販売されている一角である。


 「……水中陣取り合戦でもすんのかよ」


 驚きに支配された面々の中で、呆気に取られた顔のまま、ライが思わず呟く。


 「違う。俺は泳ぐ気など一切ない」

 「海まで何しに来たんだ、テメー」

 「さっきも言ったが、泳ぐだけが海の楽しみ方ではない。磯遊びも砂遊びも、シーグラスや貝殻を拾うことだって海の楽しみ方だ。海イコール泳ぐなどと短絡的な考えしか出来ないようでは、まだまだ子供だな」

 「あ!? 今、なんつった!!」


 軽く嗤笑した八雲に対し、条件反射のように牙を剥くライ。

 心なしか、普段よりも「子供」の言葉に過剰反応したように思えなくもない。


 「大体、せっかくの慰安旅行で辛気臭い顔をされていては、企画した俺の手腕が落ちていると思われかねん。男が大っぴらにしょぼくれた顔をするな」

 「だっ、誰がしょぼくれ……!! これはちょっと、腹の調子が良くねぇだけだ!」

 「なんだ、かき氷でも食べ過ぎたのか? そんなところも子供だな」

 「っ!! そこ動くなメガネクラァ!! そこのボールで顔面レシーブ受けさせてやらぁ!!」

 「どうどうどうどう! ああほら、ライ! から揚げ! から揚げ食べようねー」

 「ふぁぐむごご! むぐほーーーー!」


 大人しいウルルを解放し、暴れるライの口に運ばれて来ていたから揚げを放り込んで、動きを押さえ込む疾風の動きは一切の無駄がない。

 おまけに笑顔も忘れていないと来た。

 意外と子供と関わる職も、疾風に向いているのかもしれない。

 先程まで沈んでいたとは思えないライの怒り振りに、八雲はほくそ笑みつつ、呆気に取られたままの他の面々へ視線を向けた。


 「……と言うわけで、だ」

 「アンタ、この状況でよく冷静に話を元に戻せるワネ。お姉ちゃん、ちょっと感心するワ」


 凪の台詞は咳払いで遮る。突っ込んでる時間が惜しい。


 「まず、全員これから動きやすい服に着替えて来てほしい。出来れば、水着の上にTシャツなどを着てくれる方が有難い」

 「え? き、着替えるんですか?」

 「ああ。特に女性はスカートだと色々動きづらいだろうからな。水着なら上着を脱げば、すぐシャワーで汗や砂を流せる」

 「……へぇ……これから一体、何をするのかしら」


 八雲は意味ありげな笑みを浮かべた雲母を一瞥すると、店先に置かれたビーチバレーセットをもう一度指し、


 「夏の浜辺を有意義に使いつつ、海に入ることなく楽しめる遊びと言えば……これだろう」


 珍しく太陽の下でも不敵な笑みを浮かべて見せて言った。


 「これより、天神杯ビーチバレー大会を執り行う」



***



 「わぁ……!」

 「……結構、本格的なのね」


 着替えを終えた女性陣がビーチへ戻った頃、浜の一角は随分と様変わりしていた。

 ビーチバレーネットのフルセットと、海の家にあった梱包用のビニール紐によって、割とちゃんとしたコート設営がされており。

 濡れても問題なく使えるプラステック製のスコアボードまで設置済み。

 料理が置かれたテラス席には、大きめのパラソルも完備。

 おまけに、そのすぐ傍には予め持ち込んでいたビニールシートとパラソルのセット、観覧席ブースもバッチリときた。

 ついでに言うのならば、料理の置かれたテーブルの上には砂避けに、と段ボール板まで取り付けてある。

 一先ず言われた通り、動きやすい格好に着替えてきた女性陣は、持参した手荷物をシートの上へ置き、それぞれ準備に追われている男性陣の元へ近付いた。


 「日華」

 「月華! わー、やっぱ可愛いねぇ! その水着!」


 日除けの上着の下から覗く薄黄色と白のマーブル柄を目敏く見つけた日華は、邪気のない笑顔でそれを褒めた。

 ちなみに、その肩にはクーラーボックスが携えられている。


 「あ、ありがとう。えっと、何か手伝えることある?」

 「んー、そうだなぁ……あっ、ポールの傍にある審判台のとこに、重しがあるんだけど……それまだ台と固定してなかったんだ。それ、ビニール紐で固定してくれる? 紐はアズマが持ってると思うから」

 「わかったわ」


 月華は海の家の店先にあるベンチに座り込んで、鋏と格闘しているアズマを見つけると、足早にそこへ向かっていった。

 そして、ビニール紐を受け取るとそのまま真っ直ぐ審判台の下で作業に入る。

 一方、シートの上でA4サイズのホワイトボードに何かを書いているライが目に入ったウルルは、そっと歩み寄って声をかけた。


 「何してるんです? ライ君」

 「トーナメント表作ってんだよ。疾風兄に頼まれたんだ」


 正確に言うのならば、八雲からライに伝わり、ライがそれを撥ね退け、再び疾風からオーダーされたのだが。

 ウルルがそれを知る筈もなく、定規もなしに綺麗に線を引いていくライの器用さに感心の声を上げることしかしなかった。


 「王冠マークのとこが優勝と言う意味です?」

 「そ。っつっても、まだ組み合わせ決まってねぇから、線引きだけで……こっちの磁石プレートの方に名前書いて、組み合わせ決まったら、スタートのとこに名前貼り付けて完成」


 目で示されたライの膝辺りを見れば、小さな白紙のネームプレートらしきものが十枚と赤と黒のマジックペンが二本、無造作に置かれている。

 ライはトーナメント表を描き終えると、隣のウルルに赤いマジックとネームプレートを半分差出すと。


 「暇ならお前、女子のプレート作れよ。俺、男子のやるから」

 「私が書いてもいいんですか?」

 「いいんじゃねぇの。ただ、あんまちっさい字で書くなよ。見づらいから」

 「わかりましたっ」


 シートの上でお互い向かい合い、黙々とネームプレート作りに勤しみ始める。

 丁度そのタイミングで、宿泊地方面から封筒を持った八雲が浜へと戻ってきた。辺りを見回し、浜に見えた人数を確認するようにして頷く。


 「どうやら全員戻ってきているようだな」

 「あんたこそ、どこに行ってたのよ?」

 「客室だ。ゲームの必需品を取りに行っていたんだ」

 「ゲームの必需品?」

 「レクリエーションゲームの賞品だ。事前に神様から預かっていた」


 意味ありげに封筒を見せる八雲に、レイは首を傾げるしかない。

 八雲はレイの前を通り過ぎると、店先で作業していたアズマに声をかけた。


 「アズマ、準備できたか?」

 「あ、ああ。一応くじは作ったけど……これを入れる箱とかどうするんだ?」

 「問題ない」


 アズマからくじの束を受け取り、八雲は店内へと視線を向けると。


 「疾風」

 「はいはい。用意できてるよ」


 店内から、穴の開いた四角形の箱を二つ手にした疾風が現れる。ご丁寧にビニールテープで塗装済みだ。


 「飾り気のない段ボール箱より、こっちの方がいいでしょ? 手を入れるとこも、切り口で怪我しないようにテープで巻いたんだよ」

 「それは気の利いていることだ。では、そのまま全員にくじを引いてもらって来てくれ」

 「了解。それじゃ……レディーファーストで回ってくるかな」


 ウインク一つ残し、疾風は軽い足取りで海の家から離れていく。

 丁度パラソルの下にいたお肌防衛軍曹__基、日焼け止めを塗りたくっていた凪を見つけ、そこへ向かっていった。

 八雲はそれを見送った後、ふとどこか落ち着かない様子のアズマに視線を向ける。

 サングラス越しに、ちらちらと荷物や人影の見えるビニールシート方面を窺っていることは誰から見ても明白だった。

 大方、ライやウルルの様子が気になって仕方ないのだろう。

 もっと言えば、シート付近で雲母と会話しているレイもその気がみられる。

 アズマほど露骨ではないが、彼女もライとウルルの様子が気になっていると見て間違いない。

 八雲は軽く息を洩らし、こちらの視線に気付いていないアズマを呼んだ。


 「アズマ」

 「……え、あ、なんだ?」


 一拍遅れて、動揺した瞳をサングラス越しに八雲に向けるアズマ。

 八雲はつい微苦笑をこぼし、傍らに見えた木壁に背中を預けると。


 「お前、ライ達と関係修復したいんだろう? フォローしてやるから、話を聞かせてくれ」


 いきなり確信づいた言葉を投げ、アズマを思い切り動揺させた。

 あれだけ大きな反応をして、よくベンチから落ちなかったものだと、少し感心する。


 「な、ななな……なん……!」

 「なんでわかるんだ、と言いたいのなら、わからない方がおかしいと返すぞ」

 「う。そ、そうか…………うん、なんて言うか俺、またやらかしちゃったみたいで……」


 慣れたように自嘲の笑みを浮かべ、アズマはシートの上で談笑しているらしいライとウルルの姿を見やった。

 二人の表情はここから見る限り、いつもと同じものに見える。少なくとも、先程のような沈んだ顔は見えなかった。


 「やらかした、か。自分なりにその原因については考えたのか?」

 「あ……ああ。さっきから、ずっと考えてる。けど、情けない話……はっきりした原因、わからないんだ俺」

 「わからない?」


 アズマは力なく頷く。


 「レイにからかわれたライから、助けを求められて……ライは、俺が女子達の話を聞いても平然としてるからって言ってくれたけど……実際、女の子のそういう話、あんまり聞いたことないから、よくわかってなかっただけなんだ」

 「ああ。俺もその手の話はさっぱりだ」

 「レイの水着がどうこうって話だって、女の子に慣れてるって意味じゃなくて、レイとは子供の頃から付き合いがあるからで……腐れ縁って、やつだから」


 レイとの関係を思い返す中、掘り返してはいけない思い出を掘り返してしまったのか、次第にアズマから畏怖のオーラが溢れ出ててきた。

 一体、過去に何があったのか。


 「……まぁ、気持ちはわからないでもない。要するに、お前にとってレイは異性と言うよりも身内……きょうだいのようなものなんだな」

 「え、いや、うん……そんな感じなんだろうけど……。実際、レイがきょうだいだと思うとぞっとするな……なんか」


 そこまでなのか、と八雲はつい心配になる。


 「で? 同じ風呂に入った、と言うのは?」

 「子供の頃の話だよ。レイは昔っからお転婆だったから、よく男子グループの中でも遊んで……泥んこまみれとかになってさ。帰った時にあいつの兄貴に見つかって、ばっちいから風呂入れ! って放り込まれたりとかしょっちゅうだった」

 「なるほどな。ちなみにレイの水着姿より、凪の水着姿の方が衝撃的と言うのは、言うまでもなく……」

 「え、えっと……こ、言葉通りの、意味……」

 「……そうか。まぁ、そうだな」


 すとん、と何かが落ち着いたような感覚が八雲の心中に広がった。

 ちゃんと話を聞いてみれば、なんてことない。

 アズマは、子供の頃から付き合いのあるレイを“異性”として見ていない。

 当然、女性そのものに慣れているわけでもなく、レイと同じ風呂に入ったと言う発言も、子供の頃の話。

 おまけに、凪の水着姿の方がレイの水着姿より衝撃的と言うのは、まさしく言葉通りの意味だ。色気だとかそういう問題じゃない。

 レイとて、その辺りは理解していただろうに。何故今回に限って律儀に反応してしまったのか。

 八雲は小さなものではあるが、残った疑問につい首を捻ってしまう。


 「八雲? な、何か気になることでもあったのか?」


 それを目にしたアズマも、つい不安げな顔で反応する。


 「ん。ああ、そういうわけじゃない。経緯は大よそ把握できた」

 「そ、そうか。それで、その……ライとウルルを怒らせた原因って……」

 「別にあの二人は、怒ってるわけじゃないと思うがな」

 「え」


 淡々とした八雲の言葉に、アズマは思わずベンチから立ち上がった。

 そして、近年稀に見ぬ切迫した様子で、八雲に詰め寄っていく。


 「お、怒ってないのか? ライも、ウルルも、ホントに? で、でも、二人ともなんか俺やレイと目も合わせてくれなくなったし。話しかけても、気のない返事って言うか……なんかもう、話しかけんなオーラみたいなの出てる気がして……!」

 「お、おい? お、落ち着けアズマ!」

 「俺、何かしちゃったんなら、ちゃんと二人に謝りたいんだ! 頼む八雲! 二人と仲直りする為に俺がしなきゃいけないことがあれば、教えてくれ!」


 前方は長身のアズマに塞がれ、背後には木壁__時たま天界で配信される下界TVチャンネル恋愛ドラマで見かけそうなシチュエーションが、海の家の店先で突然広がった時である。


 「このとおぶっ」

 「はーい、アズマ。くじ、引いて。あと詰まってるから」


 ビニールテープでコーティングされたくじ引き箱がアズマの横っ面に突進してきた。

 語弊はない。両手に箱を持った疾風が、その内の一つをアズマの横っ面目掛けて、「前へならえ」しているのである。


 「ひゃ、ひゃあて……? て、て言うか、い、いだっ……さっ、さんふりゃふが……っ」

 「く・じ・ひ・い・て」

 「ひ、ひく……! ひくかりゃ……!」

 「うん。手早く引いてね。引いたら、これどけてあげる」

 「こっ、このままっ!?」

 「君、無駄に手足長いから大丈夫でしょ。はい、すぐ引いてー」


 有無を言わさない笑顔を携えた疾風は、時折凪以上に強引だな、と八雲は不意に思う。


 「もう俺達以外の全員、引いたのか?」


 アズマがくじ引きを強いられている中、八雲は早くもスタート地点まで戻ってきた疾風に問いかけた。


 「もちろん、引いてもらって来たよ。ちゃんとね」

 「そうか」

 「てわけで、最後は君ね。はい、どうぞ」


 くじ引き箱をアズマから外しつつ、くじの取り出し口を持った疾風が八雲に向かって箱を一振りするように差し出す。

 八雲は促されるまま、箱に手を入れてくじを取り出した。

 視線をくじから上げた瞬間見えた疾風の顔は、“いい笑顔”を浮かべていたような気がする。


 「じゃあ、全員集合かけて、チーム発表といこうか」

 「ああ、そうだな__全員、集合!」


 疾風の意味ありげな笑顔に違和感を抱きつつも、八雲は海の家から借りたメガホンを手に取って集合をかけた。

 疎らではあるが、一分と経たずして海の家前に全員集合である。


 「全員、チーム分けのくじは引いたな? これからチーム発表に入る」


 疎らな返事がちらほら飛び交う。いまいち、やる気とまとまりがない。


 「八雲~。僕、月華と同じチームがいいよ~。これ、男女で組むんでしょ?」

 「お前は少し妹離れしろ。たかだかゲームの組み分けだろうが」

 「たかだかゲームでも、僕の目の黒い内は「ふじゅんいせーこーゆー」は認めないのっ!」

 「あのな」

 「す、すみませんっ!」


 思い切りこちらを睨む日華に、八雲は呆れた溜息しか出てこない。

 月華が謝罪を口にする必要もないだろうに。


 「ライ」

 「______ぁんだよ」


 八雲の呼びかけに対し、妙に間があったのは、恐らくライを名前で呼んだからだろう。

 何かにつけ、噛みついてくるライにしては珍しく、間を置いてではあるが返答だけしたのは、まだ“いつも通り”になりきれてない証拠である。

 八雲はそこを敢えて突っ込まず、ライが脇に抱えていたモノを指して言った。


 「これから言う数字をトーナメント表に書いてくれ。ついでに、組み分けを発表したらネームプレートを数字のところに張り付けるんだ」

 「……えらそーに」


 ライは忌々しげに呟きつつも、脇に抱えていたホワイトボードとマジックを構える。仕事はする気らしい。


 「左から①、③、④、②だ」

 「いち、さん、よん、に……ん? おい、これじゃ人数足らねぇじゃん」

 「問題ない。次に組み合わせを発表していく。①のくじを持っているのは誰と誰だ?」


 八雲の問いかけに対し、それぞれが手にしていたくじに視線を落とした。まず、小さく一声が上がったのは女性の声。


 「赤の①は私よ」


 レイだった。開いたくじを八雲に見せる。しかし、黒の①__男性側の①を持つ者の声が上がらない。

 ただ一人、くじを開かずにマジックを手にホワイトボードとにらめっこしているライ以外は。


 「…………おい」

 「あ?」

 「お前、自分のくじの番号くらい把握してろ! ①のくじを持ってるだろう!」


 わざとか素なのか判別しがたいライの反応に業を煮やした八雲。

 素早くライに近付き、ホワイトボードの隅に張り付けてあったネームプレートから、ライとレイのものを①と書かれた数字の上に張り付ける。

 ライとレイの反応はそれぞれ戸惑ったようにも見えたが、そんなもの八雲は気にしない。


 「次は③のくじだな」

 「あ、俺だね」

 「……私も③」


 次に声を上げたのは、疾風と雲母。今度はちゃんとライの手でプレートが張り付けられる。

 次いで上がった組み合わせは、ウルルとアズマ、日華と凪。

 結果、空いたシード枠のスタート地点に八雲と月華のプレートが一先ず貼られた__時だった。


 「異議ありーーーーーーーーーーーーー!!」


 わかってましたと言わんばかりに、八雲の顔から辟易へきえきが示される。


 「なんだ」

 「なんだじゃないよ! なんで八雲と月華が同じチームなの! 自分ばっかずるい! いんぼーだ! 裏取引だー!!」

 「意味の分からん抗議をするな。大体、俺と彼女はチームメイトではない。くじを見てみろ」


 見せられたくじに、思わず日華の目がぱちくりとなった。


 「……しん、ぱん?」

 「そうだ。ゆえにビーチバレーはしない。恐らく月華のくじには“救護”と書かれているはずだ」


 八雲の言葉につられ、日華の視線が月華へと向く。

 視線に気付いた月華が見せたくじには、確かに“救護”と書かれていた。

 そして、内心で八雲は先程抱いた“違和感”の意味を理解し、こっそり違和感の主を睨む。

 相も変わらず、腹が立つほどいい笑顔をしていた。つい、八雲の口から嘆息がこぼれる。


 「じゃ、じゃあ、トーナメント表は? これ見てる限りじゃ、八雲も月華もビーチバレーするんでしょ?」

 「いいや? 元々人数的にシード枠が出来るとわかっていたからな。それでは公平さに欠ける為、最初からトーナメントは四組で行おうと思っていた。弾いた二人には審判と救護としてゲームに参加してもらうつもりでな。トーナメント表を作っていたライには、その説明をし忘れてたな。そう言えば」

 「だ、だから、二枚だけ数字じゃないくじを作ってくれって……」

 「でも、八雲が見栄はって、予め自分を審判にするって選択肢を蹴った時はびっくりしたよ。八雲の運動音痴は周知の事実だから」

 

 戸惑ったアズマの声に被せ気味で飛んだ声の主に、八雲は反射的に睨みを飛ばす。

 疾風は八雲の睨みにも平然と笑みで対抗し、


 「ホント、良かったね。八雲」


 何ともわざとらしい言葉を付け加えてきた。

 体力も身体能力も、女性天神達以下ではないかと噂されるほどの八雲の運動能力。

 それについては、八雲も自覚しているし、天神塾の定期考査・実技部門で周知されている。

 ゆえにいらん気を回し過ぎではないか、あの似非好青年は、などと抱懐ほうかいした。

 周囲の察したような顔とて、地味にぐさりとくる。

 これなら不正行為を働いたんじゃないかと罵られた方がましだ。


 「……八雲。あんた、気遣いの出来るいい親友もって幸せね。大事にしないさいよ」

 「笑いをかみ殺すくらいなら、せめて黙っていろ」


 レイは人をからかえるくらいまで、いつもの気を取り戻しつつあるのだろうか。

 静かなレイも違和感があったが、いつものレイはレイで癪の種であったことを思い出す。

 咳払いとともにレイの言葉を押しのける八雲の心の内で、早まった真似をしているのかもしれないと少し疑念が生まれ始めた。


 「では、トーナメント表も完成したところでルール説明に入る。ゲームはラリーポイント制。つまり、サーブ権の有無に関わらず得点される方式だ。相手コートへ、スパイクやサービスを決めた場合、返球ミスまたは反則をした場合、いずれも相手チームへポイントが入る。本来ならば3セットマッチで、先に2セット先取したチームが勝ちなんだが……今回は1セットマッチ、先に21ポイント先取したチームを勝ちとする」

 「俺、ちゃんとしたビーチバレーってやったことねぇんだけど……」

 「まぁ、今回は慰安旅行のレクリエーションゲームだ。最低限、人道的なルールさえ守れば自由にやってくれ。正月のお年玉争奪戦の時と同じだ。ちなみに、コートとサービス権はコイントスで決める」

 「流石八雲。歩くルールブックの異名は伊達じゃないね」

 「妙な異名を付けるな。とりあえず、一回戦に出る2チームは審判台の前に。他は観覧席に入ってくれ」


 疾風のからかいに一応睨み飛ばした八雲は、審判らしく大会の進行を促す。

 一回戦に出場する両チームともに審判台の方へ進み、他の面々も観覧席ブースへ。

 審判台の前に集合した両チームは審判を挟むようにして向かい合う。


 「……かわいいコインね」

 「海の家をやっている奥さんのお子さんから貸して頂いたんです。五百億円玉らしいですよ」


 八雲が取り出したコインに、思わず雲母から一笑がこぼれた。

 指先で弾かれたコインが宙を舞い、若干危なっかしい手付きで八雲がそれをキャッチすると。


 「表か裏か、選んでくれ」

 「お先にどうぞ。構いませんよね、雲母さん」


 笑顔の疾風の言葉に、雲母は小さく頷く。ライとレイはそれに対し、少しバツが悪そうではあったが、視線を合わせて意思確認を交わした。


 「……どうする? レイ姉」

 「え、あ、そうね……ライが選んで」

 「いいの?」

 「私、今日はカンが鈍そうだから。頼むわ」


 長い髪を邪魔にならぬように束ねているレイに頷き、ライは差ほど間も置かず答えを出す。


 「表」

 「じゃあ、俺達は裏で」


 両者答えが揃ったところで八雲が重ねた手の平をどける。

 現れたのは“こどもぎんこう ごひゃくおくえん”と書かれた文字だった。


 「表だ。コート権かサービス権、どちらか選べ」

 「サービス」

 「なら、こっちは向こうのコートを貰おうかな」


 疾風と雲母は一足先にコートへ入り、ライとレイは審判台の下に見えていたボールを拾い上げ、疾風が指定しなかったコートへ入る。

 時刻は昼過ぎ、季節は夏。太陽の位置はほぼ真上となっており、時折吹く海風が試合のカギを握りそうだ。


 「ちょっと雲母、髪くらい束ねたら? ヘアゴムがないなら貸すわよ」

 「……ご忠告、感謝するわ……でも、私が動く前に、決着がつくから……大丈夫よ」


 ――それは、俺一人で何とかしろと言うことですよね。

 と、疾風が思わず諦念の息を殺すようにしてもらしたのを、八雲は見逃さなかった。


 「レイ」

 「何よ?」

 「……あなたこそ……そんな調子で、大丈夫……?」


 それは表情の読めない雲母からの挑発。少なくとも“そんな調子”のレイにはそう取れた。

 だから、思わずレイの表情筋が痙攣したように動いたのも、八雲は見てしまった。

 何故なら、審判として両チームの様子が窺い知れる場所にいるから。

 だがしかし、ライだけでなく、レイの負けん気まで刺激することで、試合前の準備運動は完全に終了したとみていい。


 「__ライ」

 「え?」

 「先に疾風から潰すわ。雲母を集中的に狙って、疾風の体力剥ぐわよ!」

 「う、ウォッス!」


 何故なら、ちぐはぐした空気が漂っていた雷雨チームからそれが失せ、ごうごうとした闘志の炎が燃え盛っているからだ。

 冷戦沈着な天神一の女孔明と言えども、親友きららの手にかかれば、ただの負けず嫌いなのである。


 「……単純よね、レイあのこも」

 「いや、レイさんにそんなこと言えるの、雲母さんくらいですから」


 思っていても、口には出せまいと疾風が苦笑した時だった。


 「——それと、試合前に軽く説明しておく」


 いつの間にか首にホイッスルを下げ、審判台に上がっていた八雲から平坦な声が飛ぶ。

 その手にはどこにでもあるような封筒が見えた。


 「今回、レクリエーションゲームをするにあたって、神様からささやかな賞品を預かっている」

 「ジジイから賞品? 今回は何でも願いが叶う権利とかじゃねぇのかよ」

 「まさか図書券とか? だったらせめて、全国共通の商品券にしてほしいわ。用途多いし」


 相も変わらず、天界の創始者を敬う素振りを見せない雷雨チーム。

 この二人、実は意気消沈している方が周囲にとってはメリットが多いのではないかと、八雲がひしひしと感じ始める。


 「ついでに俺からは、ささやかな罰ゲームを最下位に用意したからな」

 「罰ゲーム?」

 「……何かしら」


 試合を行う四人は元より、観覧席兼選手控えブースと言ってもいい一角からも疑問符が浮かぶ。

 こういったゲームに於いて、賞品や景品、罰ゲームと言うのはゲームを盛り上げる必須アイテム。

 それらがあるとないとでは、参加者たちのモチベーションが変化することも少なくない。

 誰しも、ささやかでも賞品がもらえるのならばもらいたいし、ささやかでも罰ゲームは避けたいもの。

 おまけに、ぎくしゃくしていた人間関係を修復するにも、競争心や対抗心を刺激しながらのゲームは打ってつけだ。

 だから、

 

 「優勝者には島にあるリゾート施設のワンデーパス。最下位チームの男子には、罰ゲームとして凪の手料理フルコースが贈られる。手を抜こうなどと言う甘い考えは捨てろ。本気でやれ」

 「「「「はぁぁぁぁぁああああああ!?」」」」


 八雲は仲間達に本気のゲームを要求した。

 このリカバリーイベントをリカバリーとは思わせない為にも、男達には死線の淵に立ってもらう。男達の阿鼻叫喚など、気にしてはいられない。

 何故なら、八雲はこの慰安旅行の幹事。

 この旅行中に起きた障害は、何が何でも旅行中に解消させる。終り良ければ全て良し。それが幹事の務め。


 「……って、ちょっとォ! アタシの手料理が罰ゲームってどーゆー意味?!」


 だが、罰ゲーム扱いされた凪にとっては、八雲の幹事魂など知らぬわけで。

 観覧席から審判台の元までわざわざ出向いてくると、つばの広い女優帽の下から思い切り八雲に不服を申し立てた。


 「ちょっと酷いじゃナイ八雲! アタシの手料理が罰ゲームって! そんなもん罰ゲームになんないワヨ! ご褒美じゃナイ!」

 「ほう。だが、奴らの反応を見てみろ」


 そう言って、八雲は凪に周囲を見渡すように促す。

 凪が不満そうな顔のまま、まず観覧席を見やって、


 「ま……負けたら、凪の手料理……!?」

 「ぼっぼぼぼっ僕っ、ぜっっっっったいやだからね!!!!」

 「アンタ達! なんでそんな怯えたように拒絶してんのヨッ!! 失礼じゃないノ!!」


 怒り交じりに異議を飛ばした。どう見ても、“ご褒美に泣いて喜んでいる図”ではない。

 無論、コート内に入っていた男達とてそうだった。


 「……レイ姉」

 「え?」


 地を這うようなライの声が聞こえて、レイは何の気なしに振り返り、目を見張る。


 「この勝負……疾風兄も雲母姉にも悪いけど、絶対俺達が……俺が勝つ……! 何が何でも勝つ……!」


 そこに、十四歳の少年はいなかった。

 そこにいたのは、これから命をかけて戦に出向く為、静かな闘志を燃やす侍。

 余程、罰ゲームから逃れたいらしい。

 ライの身体からパチパチと電気による火花が発生し始めている。

 そしてそれは、ネットを挟んだコート内でも起きていた。


 「…………疾風」


 ふわりとどこからか吹く風で髪を揺らしつつ、雲母が黙り込んでしまった疾風を呼ぶ。


 「……貴方、確かさっき……八雲と話していたわね……この事態をリカバリーするって」

 「………………そうですね」

 「……その方法がどんなものかは、わからないけれど……少なくとも、初戦敗退させちゃ……マズイのよね……?」

 「………………そう、ですね」

 「……どうするのかしら」


 顔を俯かせていた疾風は、小さく笑みを浮かべながら、ゆっくりと顔を上げる。


 「…………俺も男ですからね。やる時は、覚悟を決めますよ」

 「……覚悟、ね」




 「はあっ!!」


 熱された砂浜を駆け、足場の悪さなど感じさせない動きで身体を宙に浮かせ、疾風は鋭いスパイクを打ち込む。


 「レイ姉!」

 「このっ……!」


 疾風が撃ち込んだボールは、ライとレイの僅かなフォーメンションの隙を突き、誰の手に触れることもなく砂浜へと落ちた。

 そして、ポイント入りを知らせるホイッスルが間髪入れず鳴り響く。


 「疾風&雲母チーム、マッチポイント!」


 膝の上に乗せたスコアボードは19-20で、僅差ではあるが疾風・雲母チームの優勢を示していた。

 それをコートの中から慣れない砂浜での移動によって、想像以上に早く体力の底が見え始めたライとレイが、悔しげに息を切らしつつを見上げる。


 「はーっ、はー……くそっ! 疾風兄、めちゃくちゃ強ェ!」

 「や……八雲め……あんな罰ゲーム出すから、疾風の奴が必要以上にやる気出したじゃ、ないのよ……!」


 構えこそしているものの、サービス時以外は殆どボールに触れていない不動の雲母を抱えながら、疾風は一人で打ちこまれるボールを捌いていた。

 運動神経抜群、体力はアスリート並みのライ。

 女性陣の中では体力面も運動能力面も並み以上であるレイであっても、砂浜と言う慣れないフィールドに苦戦を強いられていると言うのに。

 疾風はたった一人で二人分の働きを熟している。

 敵ながらも、ライとレイはハイスペックプレイを魅せる疾風に感嘆を禁じ得ない。


 「……舐めてた…っ。まさか、疾風がここまで食らいついてくるとは……戦力一つと思って油断したわね……」

 「っ体力はそこそこあるし、身長タッパはレイ姉よりちょっと上……おまけに、頭はレイ姉と同等にキレて、負けず嫌いのイケメンとか……! 何モンだ疾風兄!」


 乱れた呼吸を何とか整えつつと水分を補給し、コートに戻ったライとレイは同じように水分を補給している疾風の横顔を見やって、つい愚痴をこぼしてしまう。

 だが、コートに戻ってきた際、視線が合った疾風に汗だくの中でも笑顔を向けられ、愚痴る気分などすぐに引っ込んだ。

 体力、精神力ともに限界間近だろう時に、あの笑顔……ライとレイは、焦りと微かな恐ろしさを感じた。

 しかし、ライとレイも窮地に立たされたまま、素直に敗北に屈するような性格をしていない。

 窮鼠には、窮鼠なりの戦い方とプライドがある。最後のポイントが決まるまでは、敗者の顔をしてはいけない。

 ライとレイはそれぞれ気合を入れ直すようにして、志気を高める。

 それを感じ取ったのか。

 ネットを挟んだ向かいのコートでは、未だ呼吸の度に肩を大きく動かしている疾風が半ば呆れ交じりに感嘆の息をこぼした。


 「……大丈夫?」


 そんな時、背後から疾風を気遣う声が飛んだ。雲母のものである。


 「……正直、あんまり大丈夫じゃないですけど……まだいけますから、安心してください」

 「……そう。でも……貴方がこのまま頑張ってしまうと……あの子達、負けてしまうわよ……?」

 「まぁ、こっちも勝つ気でいますからねぇ」


 笑顔だけ雲母に見せ、言葉は届かない程度の声量でライとレイに向けて放つ疾風。

 雲母はそんな疾風の姿に、淡い疑念を抱く。

 一体疾風は、何を考えてここまで試合を運んできたのか。

 雲母はてっきり、妙な空気に包まれている雷雨四人の関係を修復する為、青春ドラマのような展開を演出するかと思っていたのだが。

 今の疾風からは、勝ちを譲るような様子は感じ取れない。本気で勝つ気でいるようにさえ見える。

 まさか、疾風でさえも八雲が提示した罰ゲームを恐れているのだろうか。

 一口食べれば、本物の地獄が覗けると噂される凪の手料理デス・ディッシュを。

 雲母はそんなことを考えつつ、何度目かのサービスをふわりと放った。

 ボールはネットをゆっくりと越え、互いが隙を窺うように、テンポのいいラリーが続いていた時である。


 「ライー! 疾風ー! どっちも負けるなー! 負けたら地獄のご飯だよぉー!」


 観客席からチームと言う垣根を越え、同志に声援を飛ばす日華の声がビーチに響く。

 その瞬間、コート上の男達が応えるように顔を引き締めたのを、審判は見た。


 「ちょっと日華! 何ヨ、その間違った声援! おかしいワヨ! ラーイ! 疾風ー! 大丈夫ヨー! 勝っても負けても、アタシの手料理はいつでも食べさせてあげるカラー!」

 「「結構です!!!!」」


 日華の声援には静かに応えた男子二人だったが、次いで飛んできた凪のとんでもない告知声援には、揃って力いっぱい遠慮の声を返す。

 そんな状況下で、ボールをネットに引っかけず返した疾風の精神力は天晴なものである。

 だが、飛んできたボールを捉えたレイは逃さなかった。

 疾風の視線が数秒、こちらから凪に向かっていた隙を。


 「よそ見してる場合? 疾風!」

 「しまっ……!」


 高く跳び上がったレイは疾風のいない位置。

 さらさら返球する気のない雲母を狙って、鋭いスパイクを放つ。

 疾風は咄嗟に砂浜を蹴り、ボールに向かって飛び込んだが__数十センチの差で、ボールは砂の上で小さく跳ねた。


 「ポイント! 20-20!」

 「よしっ!!」

 「やったなレイ姉!」


 駆け寄ったライと、レイは小気味よい音を立ててハイタッチを交わす。

 先程海の家で見たような緊張感はまるでない。

 もうそこにいる二人は、すっかりいつもの空気感に戻っていると言ってもいいかもしれない。


 「……っ不覚、ちょっと気を取られた隙に……」

 「……ごめんなさいね……避けるので、精一杯だったわ」

 「雲母さん……そういう時は、ちょっとだけ手を伸ばしてくだされば、俺、とても嬉しかったんですけど……」

 「……期待に添えなくて悪かったわ」

 「_______いえ」


 ここまで淡白な謝罪の言葉を聞いたのは久しぶりだった。

 疾風は出しかけた言葉や感情を纏めて溜息にしてから、つい頭を抱える。

 次のサービス権は相手側、その上サーバーはライだ。

 小柄ながらも高く上げたトスから、叩きつけるようにして打ち込まれるボールは、このゲーム中、疾風もなんとか数回返せただけ。

 しかも、返した直後、疾風はポイントを取られている。

 そしてスコアは互いにマッチポイント。

 次にポイントを取った方が、このゲームの勝利チームとなる。


 「疾風」


 柔らかで静かな声色。

 ふと視線を向けた先には、よく似た不敵な笑みを見せるライとレイがいた。


 「次のサービス権、こっちよね? ボール、渡してくれる?」


 麗しい笑みを浮かべるレイは、はっきり言って美人だと思う。しかし、それ以上に今は恐ろしく感じてしまって仕方ない。

 疾風は引き攣った苦笑を浮かべながら、徐にボールを投げ渡す。


 「…………先に謝っておいた方がいいかしら」

 「……出来れば、最後まで諦めずに食らいついてほしいなぁとは思ってますけど……」

 「無理だわ」


 久し振りに雲母が喝破するのを聞いた。

 出来れば、違う言葉でそれを耳にしたかった。


 「疾風兄! このゲーム、俺らがもらうぜ!」

 「……お手柔らかにね」


 普段の明るさを取り戻したライの様子に、喜ぶべきなのだが。素直に喜べない疾風がコートにいる。

 それが迫る敗北の所為なのか、はたまた罰ゲームの圧力の所為なのかは疾風にもわからない。

 ホイッスルが響く。

 ボールは真っ青な夏空に向かって高く上げられ、ライの身体も同様に浮かび上がる。


 「せー……のっ!!」


 小柄な身体からは、想像もつかないような強烈なサーブ。まるで隕石がこちらに押し迫って来ているような感覚にさえなってしまう。

 疾風は下半身を落とし、しっかりとボールを捉えようと体制を整えるが、


 「っ!!」


 予想以上に重い。腕が軋み、しなってしまいそうだ。

 身体を支える両足、ボールを捉えた両腕、その各所に込められるだけの力を込め、疾風はこのゲーム一番とも言えるレシーブを見せた。

 風は疾風に味方している。

 ネットに引っ掛かることなく、ボールは相手コートへと飛んでゆく。

 その先では、既にレイが読み切っていたように構えを取っていた。


 「ライ!」


 高くネット際で上がったボール。そこへ一気に詰め、再び高く跳び上がるライ。その目と右手は、完全にボールを捉えている。

 右か、左か、将又ライン際か中央か。

 短い時間で、疾風は風やそれぞれのポジションを計算しては読み、勝負に出た。


 「うらぁぁああ!!」


 ライが勢いよくスパイクを放つ。疾風は同時に雲母のポジションに向かって砂を蹴る。

 読みは正解だった。ボールは勢いよく雲母へ向かって飛んでいる。

 だが、そのスピードが一向に落ちない。相手からすれば向かい風であるはずなのに。

 疾風は思い切り腕を伸ばしたまま、ボールに向かって崩れるように飛び込んだ。


 「このっ!!」


 半ば殴り飛ばすようなレシーブだった。

 だが、風を味方に付けた疾風のボールは弧を描くようにしてネットへ向かっていく。

 そして、ボールはそのままネットで動きを止めた。


 「一回戦! 勝者、ライ&レイチーム!」


 試合終了を告げるホイッスルが鳴り響き、辺りから大きな快哉が上がる。

 疾風は砂浜の上で横たわりながら、反転する視界で喜び合うライとレイの姿を捉え、くしゃりと笑みをこぼした。


 「……あーあ、負けちゃったか」


 静かに疾風の元へ歩み寄ってきた雲母の手を借りつつ、砂浜から腰を上げる疾風。

 その際、疾風の手の平に何か小さなものが手渡されていたことに気付いて、そっと視線を落とし__言葉を失う。


 「…………雲母さん」

 「……口直しの、キャンディー……私からの……餞別」

 「…………お気持ちだけ受け取っておきます」


 そう言って、疾風は甘そうなミルクキャンディーを、丁重に雲母の手へ戻すのだった。



***



 「時間も惜しい、すぐに二回戦を始める。アズマ・ウルルチーム、日華・凪チームはコートへ」


 一回戦が終了し、軽くコート整備を終えると八雲はホイッスルを構えながら、二回戦の選手入場を促す。

 四人がそれぞれ審判台の下までやって来たところで、不満顔の日華が堪え切れないと言った雰囲気で声を上げた。


 「やっぱ、納得いかない!!」

 「なんだ、時間が惜しいと言っているのに」


 呆れ顔の八雲が、一先ず日華の声に反応すると、日華は自分のチームメイトを思い切り指して不満を訴える。


 「月華と組ませてもらえないことだけじゃ飽きたらず! どーして僕のチームメイトは凪なの!?」

 「くじで決めたことだろうが。運命と思って受け入れろ」

 「そんな運命やだ~!」


 子供のように駄々をこねる日華。すると、今度は日華の隣から不満げな凪の声が上がった。


 「ちょっと日華! アンタ、アタシと同じチームじゃ嫌だってノ?!」

 「だって凪、馬鹿力でしょ! 僕、凪の馬鹿力で何度痛い目見てきたと思ってるのー!」

 「だーれが馬鹿力ヨッ! これでもネェ、天神塾の球技大会じゃ、“スカイエンジェル凪”の異名を唱えられてたのヨ!?」


 凪の口から飛んだワードに、つい観覧席にいたライが呟く。


 「……それ、奇怪妖怪の間違いじゃ__」

 「ライ! 今、なんか言ったカシラ!?」

 「なんも言ってません!!」


 囁くような声さえ、風に乗って届いたと言うのか。

 コートから飛んできた凪の尖り声に、ライの両肩が勢いよく上がった。


 「良かったな、日華。自称スカイエンジェルとやらがいれば、負けることもないんじゃないか?」

 「せめて、棒読みやめてよ!」

 「アタシと組めば、負けやしないワヨ! 大人しくアタシを受け入れなサイ!」

 「やだっ! 言葉の羅列がやだ!」


 気持ちは分からなくもない、と男性陣。一斉に心の中で日華に首肯する。


 「ワガママ言うんじゃないノ! 勝っても負けても手料理なら、ご馳走したげるカラ!」

 「地獄しかない!」

 「アン!? なんですって!?」

 「あっ! て言うか、八雲! 八雲が審判ってことは、僕等の勝敗に関係なく八雲は罰ゲーム受けなくていいってこと!?」


 凪に迫られながらも、ここに来てようやく大事なことに気付いた日華が、ハッとした顔で八雲を見た。

 ついでに他の男性陣の視線も、はたとそれに気付いたように八雲へ向く。

 八雲は突き刺さる視線に顔色一つ変えず、けろりとした顔でそれを肯定する。


 「なんだ、今更気付いたのか。お前ら」

 「げどー!!」

 「テメー! だから、あんな罰ゲーム提案しやがったのか!」


 すると、まず感情に素直な日華と、観覧席から飛び出してきたライから八雲に罵声が浴びせられ、


 「八雲……。恩を仇で返すなんて……俺は親友として悲しいよ」

 「……八雲」


 いつの間にかライに便乗して観覧席から出てきた疾風と、コートに立っていたアズマから愁嘆の声と視線を投げられ、八雲はそれらを取っ払う様な仕草を取りながら呼号した。


 「やかましい! それくらいしないと、手を抜く奴がいるだろう! こっちにはこっちの考えがある! 罰ゲームが嫌なら、勝てばいいだろうが!」

 「うるせぇ外道眼鏡! 罰ゲームっつーんなら、もっと他にもあるだろーが! せめて、激苦の茶とかにしろ!」

 「そーだそーだ! 凪の料理は、僕でさえも食べられなかったんだよ! 慰安旅行なのに、美味しいもの食べれなくなっちゃうのやだー!」

 「……この辺り、薬局とかあるのかな……俺、下界用の保険証持ってきてたっけ……」

 「フロントに行けば、胃薬くらい貰えるんじゃない? と言うか、凪さんに料理させると台所が爆発するんじゃ……」


 しかし、売り言葉に買い言葉とはよく言ったもので。

 話題に上げられている本人が傍らにいるにも拘らず、男性陣はあれやこれやと言いたい放題。し

 かも、いつの間にか八雲に対するブーイングから、凪の料理への非難に移り変わっている。

 それを間近で耳にしていたウルルが、不安げな顔で男性陣に制止の声をかけようとした時__小さなその肩に、マニキュアで綺麗に整えられた手の平が置かれた。


 「__フーン……つまり、アンタ達にとってはアタシの料理はセンブリ茶以上の罰ゲームって言いたいワケネ?」


 ウルルがつい振り返った先には、紫外線対策の為のサングラスを静かに外しつつ、灰色の瞳を細めている凪がいた。

 おまけに、冷ややかな風が急に辺りに吹き始める。

 男性陣も、素肌を撫でた冷たい風でようやく意識を現に戻したらしく。揃ってギクリと肩を上げた。

 だがしかし、時すでに遅しとはこのことで。

 凪は足元に転がっていたボールを片手で持ち上げながら、ウルルに微笑むと。


 「ウルル」

 「は、はいっ」

 「ちょーっと危ないカラ、レイ達のとこ戻ってなサイ。大丈夫、すぐ終わらせるカラ」

 「え、あ……は、はい」


 異様な空気に戸惑いながらも、何故かここにいてはいけない気がしたウルル。男性陣を不安げに見やりながら、小走りで観覧席へと戻って行く。

 男性陣は、それを無意識に目で追うが__


 「__さて」


 すぐ傍で聞こえた低い声に、勢いよく視線を元に戻す。

 嵐の前に吹くような冷たい風が、彼等の頬を怖いくらいに優しく撫でた。

 自然現象ではあるまい。風が肌を撫でる度、まるで冷たい鎖で捕らえられていくような感覚が彼等には伝わっているのだから。


 「アンタ達ってば、アタシの丹精込めて作った料理をそこまで酷評してくれて……ちょっと酷いんじゃナイ? 傷付くワ~」


 ネイルアートで美しく整えられた指からは、想像もつかないような音が凪の左手から鳴り響く。

 何気なくボールを持った右手を見やれば、指先がうっすらボールに沈んでいた。

 一体、どんな力でボールを掴んでいるのか。つう、と嫌な汗が男性陣の肌に伝う。

 そして、それを遠目から傍観していた観覧席・女性陣は、冷ややかな空気を感じ取って、上着のファスナーを閉じ始める。


 「……月華。そろそろフロントから、救急箱借りてきた方がいいんじゃない?」

 「え?」

 「……救急車の方がいいんじゃないかしら……あ……でも、この島……救急車、ある……?」

 「えっ、えっ!?」

 「この場合は高天原のドクターヘリじゃない? 天界じゃないと、入院手続きなんて無理だろうし」

 「……それもそうね」


 縁起でもない会話を織り成すレイと雲母に、救護・月華は戸惑うばかり。


 「あ、あの……ビーチバレー、どうなってしまうんでしょう?」


 そこへ更に戸惑ったウルルの声が響く。

 レイと雲母はそっと顔を見合わせ、静かに首を横に降った。


 「男連中が瀕死状態になるから、続行は無理よ。馬鹿ねぇ、あいつら……凪だって、自分の料理の腕のことは気にしてるってのに」

 「……このままじゃ、優勝賞品もおじゃん……ね」

 「き、雲母さんたら、いつの間に持ってきてたんですか……?」


 何気なく雲母が取り出したのは、八雲が持ってきた賞品入りの封筒。

 雲母はそのまま、何気なく封筒を開いて中身を取り出すと。


 「…………あら」


 数枚のチケットと一緒に、一枚の紙切れが彼女達の膝の上に落ちた。どうやらメモ用紙のようだ。

 達筆な文字が書かれたそれを拾い上げ、彼女達は見慣れたその文字を黙読する。


 「……これ、神様の字よね」

 「そ、そうです……」

 「私の目が節穴じゃなければ、これ__全員でリゾートを楽しんで来い、みたいなこと書いてあるわよね?」

 「……たまには、みんなで、羽を伸ばして来い……そんな感じね……」

 「あ、あの……チケット……ちゃんと全員分あります……」


 彼女達は静かに手元を見つめ、徐に悲鳴飛び交うコートの方へ視線を向けた。


 「覚悟おしっ!! エンジェルスパイクッ!!」

 「ギャーーーーー!!」

 「死ぬぅーーー!」

 「うわっ!!」

 「ちょっ待っ!」

 「た、退避だっ! 全員、とにかく逃げることだけ考えろ!!」

 「逃がすかァ! アタシの料理を大いに侮辱した大罪は重いワヨ!! そこまで言うなら、アタシの料理の腕が上げるまでアンタ達に付き合ってもらいましょーか!!」

 「「「「「いっ……!?」」」」」


 最早、ビーチバレーのコートはそこにはなく。あれは、デス・ドッジボールのコートと化していた。

 五人の男達は一斉に砂浜を全力疾走で逃げ惑い、それを凪が鬼神の如き動きと勢いで追い駆ける。

 凪がスパイク(?)を放つ度、砂の柱が勢いよく聳え立つのが観覧席からでも確認できる。

 それらを目にしたのち、女性陣はそっと手元へ視線を戻すと。


 「__よし。このチケット、私達で山分けしましょ」


 レイが至って真摯な顔で言った。


 「え、ええっ!? よ、よいのですかっ? そんなことして……!」


 今日一番、ウルルが途惑いの声を上げる。


 「いいのよ。だって、最初に私達を嵌めようとしたのは八雲よ。優勝賞品なんて言って……だったら、男連中はみんな棄権負け。優勝は女子チームってことでいいんじゃない?」

 「い、いいのかな……それで」

 「……いいんじゃないかしら……当初の目的は、達成できたみたいだし……」


 ちゃっかりしたレイの提案に途惑いつつも、雲母が発した言葉に、月華が思い出したように一声をもらして__正面の二人に目を向けた。


 「で、でも……ビーチバレーで優勝したチームにと、八雲さんがおっしゃってましたし……」

 「真面目ねぇ、ウルルは。でも、いいのよ。男連中があんな調子じゃ、収拾つかないもの。女だけでリゾート楽しみましょ」

 「よ、よいのでしょうか……?」

 「いいの! リゾートならウルルも一緒に楽しめるでしょう? せっかくのバカンスだもの、一緒に楽しまなきゃ」

 「レイさん……」

 「ね?」

 「__ふふ、はいっ」


 内緒話で花を咲かせ、和気藹々と笑みをこぼし合うレイとウルル。

 それから、視線をちょっと砂浜へと向ければ、


 「死ぬっ! 今回こそ殺られる!」

 「きっ、希望を捨てるな! ライ!」

 「無理! 凪姉、般若から鬼神に進化してんだもん! 殺されるって!」

 「それは……俺も命が危ない気がしてきた! あっちに逃げよう!」

 「おうっ!!」


 迫る危機に対し、ライを励ましては共に生還しようと同じ道を駆けるアズマ。

 その後ろでは、早くも息絶え絶えになった八雲を肩に担いだ疾風と日華も見える。

 月華と雲母はそれらを一瞥してから、顔を見合わせ、くすりと肩を竦めた。


 「……いつの間にか、いつも通りになってるわ」

 「……ホントですね。リカバリー、成功してます」

 「犠牲は……最低限で済んだし、見事だわ……八雲の采配」

 「さ……最低限の犠牲、ですか」


 男五人の身体とオネェの乙女心への傷は、果たして最低限の犠牲で済まされるものなのか。

 月華は少しだけ首を傾げたくなる。


 「……でも、雲母さん?」

 「なにかしら」

 「結局、あのぎくしゃくした空気はなんだったんでしょう? ……ライやウルルは、アズマさんとレイさんの何に怒ると言うか……その」

 「……寂しそうな顔をしたか?」

 「あ……は、はい」


 月華の鋭い疑問に、雲母は小さく口角を上げつつ、砂浜と正面を見比べて、


 「……月華の想像通り、寂しかったんじゃないかしら」

 「え?」

 「自分の知らない顔……知らない過去……わからないって、不安で寂しいこと……なんじゃないかしら、あの子達にとって」


 徐に手元のチケットを扇状に広げた。


 「話の輪に入っていけないと、仲間外れみたいで寂しい……ってことですか?」

 「そういうこと、じゃない……?」

 「……なるほど」

 「月華は……どう思っていたの?」

 「え?」

 「貴方……今、そういう考えもあったのか……そんな顔、していたから」


 心を見透かしたような雲母の目に、月華は思わずどきりとして、ちょっと視線を彷徨わせてから、こそっと耳打ちする。


 「……私、ライはアズマさんに、ウルルはレイさんに、ヤキモチ焼いたのかなって思ってました」


 雲母は耳に届いた月華の言葉で、微かに黒い瞳を見開かせ、感心したように一笑した。

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