第15話 青天霹靂・前

 青い空、白い雲、耳に心地よい波の音、じんわりとした熱が伝わってくる砂浜。

 遥か彼方に見える水平線に胸躍らせ、腹の底から沸きあがる高揚感を押さえ切れず、彼等は快哉を上げた。


 「夏だーーー!」

 「海だーーー!」

 「「サマーバケーショーーーーーーーン!!」」


 小気味よくハイタッチしてからのガッツポーズ。

 それから、足元のビーチサンダルもほっぽって、打ち寄せてくる波に向かって一直線。

 時折強く吹く海風に髪を揺らし、無邪気にはしゃぐ少年達はまるで夏休みを迎えた男子学生そのもの。

 万が一にも、彼等が夏を象徴する【雷】と【太陽】を司る天候調整者__天神であるなどと、誰も思いはしないだろう。


 「いやー、あの二人はいつでも元気ですねぇ」

 「ホント。この暑いのによくやるわ」


 その背後で持参したビーチパラソルを固定している爽やかな好青年こと【風】を司る天神・疾風と、既に固定されたもう一つのパラソルの下から、照り付ける日差しに軽く眉を顰めている【雨】の天神・レイは、はしゃぐ二人の姿を眺めながらそんなことを口にした。

 ちなみに、パンツスタイルがトレードマークのレイだが、本日は珍しく藍色のワンピース姿である。


 「しっかし、海洋性気候で街中より涼しいって言っても、やっぱ暑いわねぇ。しっとり汗かいちゃってるわ」

 「ですね。まぁ、そろそろ買い出しに行った二人も帰ってくるでしょうし。そうしたら、水分補給もできますよ」


 憂い気に吐息を洩らすレイに疾風は苦笑しつつ、挿し終えたパラソル下のレジャーシートに腰を下ろし、視線を横へ向けた。

 その先には小さくではあるが、木造平屋の建造物が見える。

 すると、タイミングよろしく大人と子供ほどの身長差がありそうな人影が、疾風の視界に映った。


 「レイさーん、疾風さーん! かき氷買ってきましたー!」


 涼しげで可愛らしい花柄のワンピースに身を包んだ小柄な少女は、笑顔でかき氷を乗せたトレイを手にし、


 「あと、焼きもろこしとフランクフルト。自販機だけど、飲み物も買ってきた」


 少女の隣を歩く上背のある男は、紫外線を通さないような漆黒のサングラスで表情と頬の傷を隠しつつ、両手いっぱいに買い物袋を携え、パラソルの下にいたレイと疾風へ歩み寄る。


 「ありがとう、ウルル。それ、持つわね。重かったでしょ」

 「全然平気です。海の家は色んなものが売っていて、見ているだけで楽しかったですし。あ、これ。アイスティーフロートと言うものが売られていたので、レイさんに買ってきました!」 


 透明なコップにたっぷり入った氷と冷たいアイスティーの上に、少し溶けかかったアイスクリーム。

 暑さを緩和してくれそうなそれに負けず、穏やかな気持ちになれそうな笑顔を見せる同僚、【雨】の天神であるウルルからトレイごとそれを受け取って、レイは彼女の頭を優しく撫でた。


 「ホンットいい子ね~、ウルルは。気が利く女の子は何処に行ってもポイント高いわよ。もう、頼まれたものをただ買ってくるようなつまらない男とは大違い」

 「悪かったな!」


 笑顔で毒矢を放ったレイに射られた男__基、【雷】を司る天神であるアズマは、買い込んだ品物をシートの上に置きつつ叫ぶ。

 ついでに、その傍らで荷物の選別をしていた疾風からは、アズマに対するフォローは一切ない。


 「で、でも、あのっ。アズマさんが一緒に来て下さったから、買い物も一度で終わりましたし……重いものも持ってくださって、私、凄く助かりました!」


 代わりにフォローの声が飛んだのはレイの正面にいたウルルから。

 その声に思わずサングラスの下で、アズマの瞳に涙が浮かんだ。

 しかし、それを見たレイはアズマを一瞥したのち、軽い溜息をついて、


 「いだっ!」


 彼の脛を軽く蹴飛ばしてやった。

 何故ここまでされて、ウルルからの好意に少しも気が付けないのか。この鈍感男は。

 そんなレイの心の声は、先程の溜息から疾風にも感じて取れたのだろう。

 小さな首肯が彼から漏れた気がしないでもない。


 「それにしても雲母達、遅いわね。何やってるのかしら」


 ふとアズマから視線を外し、少し前に自分が辿ってきた方角を見やるレイ。じっと目を凝らせば、海岸の入り口辺りから黒と白の塊がふらふらと近付いてくるのが目視できた。 


 「あぁぁぁぁぁもぉぉぉぉぉ! せっかく下界バカンスに来たってのに、あっついったらナイ! 汗止まんないワ~! 最近の下界、ちょっと暑過ぎんじゃナイ!?」

 「それは、同感だけど……凪の場合は……そんな暑苦しい格好、してるから……」

 「おバカ! 黒を馬鹿にするんじゃないワヨ! 先ず日傘! 紫外線のカット率と照り返し対策を考えると白より黒がいいし! 腕はシースルーの半袖で隠しきれてない部分をアームカバーで隠す! 足元だって暑苦しくないように、黒基調の花柄七分丈パンツ! でもって、忘れちゃいけないサングラス! 夏の必需品デショ!?」

 「……凪はやり過ぎなのよ。黒尽くめ過ぎて……まるで、絵に描いたような不審者だわ」

 「日焼け&紫外線対策ッ!! てゆーか雲母! アンタ、逆に真っ白過ぎ! 眩しっ! 白って涼しげだケド、紫外線通すのヨ!? わかってんノ!?」

 「ちょっと、何騒ぎまくってるのよ」


 紫外線対策なのか、全身ほぼ黒尽くめで現れた【風】の天神・凪。

 一方、自分の好きな色かつ涼しげで爽やかな印象を与える白尽くめの装いの【雲】を司る天神・雲母。

 それぞれ大なり小なりの荷物を手に今、砂浜へと足を踏み入れる。

 二人が近付くにつれ、騒ぐ凪の声がクリアに耳へ届いて来た為、レイは少々げんなりした面持ちでそこへ歩を進めた。

 すると、


 「レイ!」

 「何よ?」

 「アンタ、なんてカッコしてんノ!?」


 灰色の瞳をひん剥いた凪が、猪の如き勢いでレイの肩を掴む。

 洒落たサングラスの隙間から覗くそれが、嫌に迫力のあること。


 「なんてカッコって……せっかくのバカンスだから、ワンピース新調したんだけど?」


 藍色のオフショルダーワンピースは、裾がロングフレアになっており、細身のレイでもボリューム感を持たせつつ大人可愛い印象を与えていて、有り体に言えばよく似合っている。

 場所が場所なだけあって装飾品などは身に着けていないが、シンプルなワンピースを着こなしているレイは、天界のオシャレ番長・凪の目から見ても余裕で及第点クリアのはず。

 ……だが、


 「アンタ! 夏ナメてんじゃないワヨ! オフショルダーは可愛いケド、しっかり日焼け対策してないと後でエライことになるワヨ!? 日焼け止め、ちゃんと塗ってんでしょーネ!? てゆーか、陽向歩く時は日傘を差しなさいってノ!」


 夏の日差しに無防備とも言える部分に関しては、オシャレ番長は黙っていられなかった。


 「大丈夫よ。日焼け止めなら、ちゃんと出かける前に塗って来たし。陽向に出たって言っても、たった数メートルじゃない」

 「どバカッ! 日差しをナメるな! 夏の海をナメるな!! そんな甘っちょろい考えじゃ、あっと言う間にシミだらけの未来が待ってるワヨ!!」

 「……て言うか、今のあんたの顔の方がヤバイわよ。汗でメイク、浮き始めてるから」


 鬼気迫る凪に対し、冷静な言葉を返すレイ。

 凪は、はっとした様子で肩にかけていた鞄に手を突っ込むと。


 「とにかくッ! ホラ! これ貸したげるから、ふっときなサイ!」


 ピンク色のキャップが可愛らしいスプレー缶をレイに手渡し、そのまま風の如くパラソルの下で化粧直しへ。

 千手観音を彷彿とさせる動きで、化粧直しと日焼け止めクリームの塗り直しを行う凪を呆然と見つめてから、レイは手元のスプレー缶に視線を向けた。


 「……一体何種類、日焼け止め持ってきてるのかしら」

 「……私もここに来るまでに一本……渡されたわ」


 そう言ってレイの隣で歩を止めていた雲母が鞄から取り出したのは、下界でも評判のいい日焼け止めクリームである。


 「それ確か、敏感肌にも使えるようにって配合成分に気を遣ってる分、値段もそこそこするって聞いたけど……」

 「……女の美しさは、日々の手入れに手を抜かず、時に金も惜しみなくかけてやること__……ですって」


 ここにいる誰よりも女としての気遣いレベルが高い凪らしい、とレイは苦笑を浮かべた。

 徐に視線を凪へと向ければ、既に日焼け止めクリームの塗り直しを終え、今度はウルルの日焼け対策に手を付け始めている。

 おまけに、波打ち際で遊んでいる二人の天神、ライと日華に日焼け対策を勧めることも忘れていない。


 「て言うか、ライと日華に言っても無駄だと思うんだけど」

 「そういえば……日華にも紫外線の影響って……出るのかしら……?」

 「ああ、日華は太陽を司る擬人だものね。どうかしら? 日華の体温が上がると、日差しもそれに比例したり?」

 「……もしそうなら、日華には……カレー、禁止……ね」


 雲母は小さく笑みをこぼし、ゆっくりとパラソルの元へと歩き出す。

 それを陽向の下で何気なく見送ってから、レイは空を仰いだ。


 「下界の天気予報じゃ、この辺りは過ごしやすい気温って言ってたけど……実際はなかなか暑いわね」


 下界の島国を元に、天の神が創り出した平行世界・天界では、下界のように天候で季節を感じると言う感覚はあまりない。

 なにせ、天界では己の能力で天候を自在に操れてしまう。無論、そんなことは天界の法で禁じられているが。

 天界では、“絶対に外れることのない天気”を記した月刊天恵表が存在している。

 月間天恵表とは、カレンダーの中に日付や曜日と同じように月ごとの天気が予め記されている、天界ではポピュラーな品。別名、天恵暦とも呼ばれる。

 無意識の内に、天界の習慣が世の常識であるものと考えていたことに気付いたレイは、何とも言えない面持ちで肩を竦めた。


 「やだ、いつの間にか視野が狭まってるわ。慣れって恐ろしい……やっぱ、常に刺激を求めてないと思考が凝り固まるわね」

 「レイ姉ー!」


 一人、ふと嘆息をこぼしていたレイに、聞き慣れた少年の声がかかる。

 振り返った先には、あちこちに海水を浴びてきただろう姿のライが興奮冷め止まぬ様子で駆け寄っていた。


 「何してんの? 海、スッゲー楽しいぜ! 天界の雲海うみとは全然ちげーんだよ!」

 「あら、ライは下界の海初めて?」


 ライは勢いよく頷く。


 「俺、いつも仕事の時はどっちかっつーと山方面だからさ。だから、こうやって砂浜に降りてどうこうってのは初めて!」

 「よかったわね」


 喜色の映えるライの表情にレイもつい口角を上げ、少し濡れた赤髪の上に手を置く。

 ウルルと時のように撫でるのではなく、一定の調子で優しく頭の上で動くレイの手の平に、ライは少しだけ頬に含羞がんしゅうの色を浮かべた。


 「そうだ。さっき日華兄が喉乾いたー、って海水飲んじまったんだけど、塩辛くってヒーヒー言ってた! 下界の海は塩辛いってホントだったんだな!」

 「えぇ? 海水なんか飲んだら、余計喉が渇くに決まってるじゃない。何やってんだか」


 呆れた笑みをこぼしつつ、少し離れた先のパラソルを見やるレイ。

 そこには予め持ち込んでいたクーラボックスから、麦茶のペットボトルをラッパ飲みしている日華の姿があった。

 あの勢いでは2リットル一本を空にしてしまいそうだ。


 「ったく……飲み物は追加で買って来た方が良さそうね。お昼まで持たないわよ、あの調子じゃ」

 「そういや、昼飯って海の家で食えるんだよな? カレーとかラーメンとか! あ、海鮮焼きそばとかもいいよなー! 泳いだ後に思いっきり食うんだ、俺」

 「そうねぇ。でも、その為には、この慰安旅行を企画した幹事が到着しないとね」


 言いつつ、レイは視線を再び海岸入口に向ける。

 それに伴い、ライも視線を海岸の入り口へと向け、何かを脳内で探るようにして暫し考え込むような声を上げた。


 「んんっ……あと10メートルちょいってとこか」

 「意外と近くまで来てたのね」

 「まぁ、メガネクラの生体電気は切れかけの電球みたいだけど。っんとに体力ねぇのな」


 頭の後ろで指を組ませ、海岸入口を見やりながら主語のない会話を交わすライとレイ。

 すると、十分もしない内に視線の先で二つの人影がゆらゆらと見え始めた。


 「……っ」

 「あ、あの、大丈夫ですか? 肩、貸しましょうか?」

 「いや……だ、大丈夫だ……っ。月華に、これ以上迷惑は……うっ」

 「で、でも……八雲さん、汗が凄いですし……」

 「だ……大丈夫、だっ」

 「嘘つけ」


 千鳥足で浜へと足を踏み入れた少年に向かい、ライは呆れた面持ちで近付いていく。

 そのついでに、少年の肩にかかった荷物を取り上げれば、突然の解放感に顔を上げた少年とライの視線がばちりと合った。


 「……お前」

 「なっさけねぇなぁ、青い顔して。船酔いでもしたかよ」


 息も絶え絶えの少年に向かって、ライは取り上げた旅行鞄を片手で担ぎながら嘲笑う。

 生憎と犬猿の仲である【雲】の天神・八雲に、労いの言葉をかけてやるほど、ライの心は広くない。

 お互い、粗を見つければそこを抉ると言うのは、挨拶代わりの茶飯事。

 八雲はそんな小憎たらしいライの笑みを見やりつつ、青白い顔を顰めて口を開く。


 「……ふん。お前のような繊細さの欠片もない奴は三半規管も鍛えられて結構だな。そのくらい、脳みそも鍛えればいいものを」

 「あ!? お前のどこが繊細だぁ!? ただのモヤシだろーが! なんなら、回転イスに固定して、強制的に三半規管と体幹鍛えてやろうか!?」


 瞬く間にマシンガン口喧嘩が始まり、真昼の星かと見紛いそうな火花を散らせるライと八雲に、傍らに見えたレイと渦中の八雲と共に現れた少女、【月】を司る晴天の天神・月華は呆れるやら苦笑いするやら。

 その時。騒ぎを聞き付けたのか、否が応でも聞こえてきたのか。

 呆れ顔の疾風が上着の裾を海風で靡かせながら、レイと月華の元へやって来た。


 「あー、またやってる。遅かったね、月華」

 「ごめんなさい、遅くなってしまって。船の移動で手間取っちゃって」

 「まぁ、天界じゃあ滅多に船になんて乗らないもんね」


 彼等が普段生活する天界ではまず、青い海と言う概念がない。

 天界の住人に“海とはなんだ”と問えば、白い雲の海、雲海となる。

 更に言えば、雲海には海底も存在しない為、天界の海は景観を楽しむものとされており、遊泳や舟遊びをする者はほぼいない。

 余談ではあるが。夕刻、茜色に染まる雲海岸はロマンティックな雰囲気に浸れると、天界の住人達に人気だったりする。


 「けど、運動不足がちな八雲はともかくとして。月華もまだ、ノア爺の運転慣れない? 俺は日頃から仕事で三半規管を鍛えられるから、船移動もなんでもないんだけど」


 ノア爺とは、天界から下界移住した元天候擬人の老父のこと。

 噂ではその昔、神の下で天界創生に携わっていた公務員建築士だとか、ゆえに天界の建築業界では“建造の神”と崇め奉られているのだとか。

 嘘か真か、知るのは本人だけ。

 そして、そんな噂の主は余生を自由に過ごすと言い残し、天界での功績や職を未練なく手放し、下界にある南の島を買い取り、天界人相手に家族や友人達と共に気ままな観光業をしている。

 尤も__現在、下界に降りられる天候擬人は限られている為、自然と天神塾関係者専用の別荘地になるわけで……。


 「うーん……運転と言うか、波の揺れがやっぱり慣れなくて。私も三半規管、そんなに鍛えられてないのかも」

 「ま、私達がここに来るのは下界研修の時以来だもの。身体が慣れてないのも無理ないわよ」

 「はい。でもまさか、研修の時にお世話になった場所でバカンスができるなんて……あの時は思っても見なかったですけど」

 「そうだね。研修時代から変わらず、この南の島で喧嘩してる誰かさん達もいるけどね」


 この夏、下界の天候調整を任された天神達は、束の間の夏休みをそんな南の島で過ごそうとしていた。



***



 ――沖縄諸島の南の先に、地図にも乗っていない幻の島がある。

 その島付近で漁業を生業としている漁師達は言う。

 幻の島の海域に入ると春夏秋冬問わず、瞬く間に一寸先も見えないほどの濃霧に包まれてしまい、舵の利かなくなった船がひとりでに進み出す。

 そして、いつしか霧の海域を抜けた船は、元いた港まで返されていた、と。


 「けど、不思議だよね~。島に辿り着く前に送り返されて、地図にも島なんて乗ってないのに、なんで“幻の島”があるなんて噂が立つんだろ?」


 空になった麦茶のボトルとパンパンに膨らんだ旅行鞄を手に、宿泊先へと向かう道すがら、日華がふとそんな疑問を口にした。

 すると、そんな日華を横目で見たレイが、自身の荷物を肩に担ぎながら何気なくそれに答える。


 「そりゃあ、あれでしょ。人の想像力のなせる業じゃない?」

 「そーぞーりょく?」

 「例えば、今あんたの目の前に鍵のかかった箱があったら、どう思う?」


 レイに問いかけられ、日華は軽く唸りながら考え込むと。


 「何か大事なものが入ってるのかなぁって思う」

 「そういうことよ。中身が空かもしれないのに、自分に都合のいいように考えちゃうでしょ」

 「なるほど~」

 「疑問に持つのはいいけど、たまには自分の頭で答えを導き出してみなさいよ。塾のテストじゃあるまいし。こういう疑問に決まった答えなんてないんだから」


 へらりと笑う日華にレイは少々呆れ気味の溜息をこぼした。


 「でも、幻の島なんて言われると、宝の島みたいなイメージ湧いちゃうワヨネー。金銀財宝、色とりどりの宝石が入った宝箱とかどこかに隠されてそう! アタシの風なら、濃霧も吹っ飛ばせるしネ~」

 「あー……凪姉なら、マジでこの島一帯の霧くらい吹っ飛ばせそう」

 「デショー? この島で女海賊に目覚めちゃおうカシラ♪」


 凪とライの会話を傍で耳にしたアズマ。

 女海賊姿の凪を想像し、その違和感のなさに一人静かに頷く。


 「でも、この島へボードで来た時には霧と言うよりも霞のようなものしか見えなかったですよね? それに、島に到着した後はその名残すら感じませんし……なのに、一寸先も見えないほどの濃霧に包まれるなんて噂が立つなんて、ちょっと不思議です」


 ふと記憶を遡らせたウルルが何の気なしに言った。

 そして、その疑問に対する答えを口にしたのは一番最後に島に到着したにも関わらず、一行の先頭を歩いていた八雲だった。


 「この島は半径15キロ地点に“霧の防壁”とも呼べる霧が常にかかっているが、それは飽く迄“侵入者避け”。防壁を管理するノアさんが許可すれば、霧の防壁は霧の扉となる」

 「じゃあ、ノアさんは霧の擬人さんなのです?」

 「いや、ノアさん自身の能力は風。霧の能力を持っているのは奥方だ」

 「そうなのですか?」

 「ああ。奥さんが創り出した霧を、ノアさんの風が調整管理しているんだ。ちなみに、海域に迷い込んだ船を感知しているのは奥さん。送り返しているのがノアさんの風だな」


 感心顔のウルルを横目で見つつ、どこか満足気な笑みを浮かべる八雲。

 天神達の中で知識人の椅子を獲得している八雲としては、久し振りにその椅子に見合った言動が取れて上機嫌なのだろう。


 「あ、噂をすれば……ほら、見えてきたよ」


 海岸から徒歩十分弱。疾風の指した先には小さな集落のようなものが見え、思わず一行から快哉がこぼれた。

 これまで歩いて来た煉瓦道は次第に真っ白な砂が敷かれた小径しょうけいへと変化し、石垣に囲まれた赤い琉球瓦の家屋は青空に良く映える。

 おまけに、赤い屋根瓦の上には、魔除けの獅子がそれぞれの家屋に配置されていた。


 「……素敵。なんだか別世界みたい」

 「ホント。天界じゃあ、まずお目にかかれない光景ね」


 小径を進みつつ、南の島独特の風景や空気に思わず気が浮ついてしまう女性陣。

 普段は言葉少ない雲母でさえも、少し落ち着かない様子で辺りを見回している。


 「ね! ここに来る時にノア爺に聞いたんだケド、最近スパ棟も出来たらしいワヨ! 後でみんなで行かナイ?」

 「あら、いいじゃない。たまにはそういう贅沢もしなきゃね。雲母、あんたもどう?」

 「そうね……たまには悪くない、わね」

 「決まりね! ウルルと月華はどうする?」


 比較的年齢高めな大人女子達が南国スパに胸躍らせている中、ウルルと月華はレイの問いかけに顔を見合わせると。


 「私達は島を散策してみようと思ってます」

 「私にスパはちょっと贅沢すぎますし……月華さんにはお付き合いいただいて、申し訳ないのですが」

 「いいのよ。私もスパを楽しむにはちょっと早いなって思ってたから」


 十代半ばになると、子供と大人の境界に入り始め、色々と複雑なお年頃なのだろう。

 レイは気にしなくていいのに、と苦笑しつつ、凪や雲母と共にどういったスパプログラムを受けようかと会話に戻る。


 「ライは荷物を置いたらどうするんだ?」


 ふと隣を歩いていたライに問いかけたのはアズマだった。

 すると、ライは一切迷いを見せることもなく一言。


 「海行く! 泳いで泳いで泳ぎまくんの! 兄ちゃんも一緒に行こうぜ!」

 「いいのか?」

 「ったりまえじゃん! 一人で泳いでもつまんねぇし! 日華兄達はどうすんの?」


 うきうきとした様子で前方を歩く二人に声をかけるライ。

 最早、その傍らに見える八雲に一切触れないのはお約束である。


 「僕? んー……月華はウルルと約束があるみたいだし。僕もライ達と一緒に泳ぎに行こうかなぁ」

 「マジで? んじゃさ、勝負しようぜ! 勝負!」

 「いいよー。海の家のメニュー早食い制覇とか?」

 「ちげーって! 泳ぎの勝負!」

 「あ、そっちか。うん、オッケーだよー」


 傍らで微笑ましい会話を繰り広げるライと日華に笑みを浮かべつつ、疾風はラウンジ棟に向かって歩みを止めずに進む八雲を一瞥すると。


 「君はどうする? せっかくの南国バカンスだし、海でひと泳ぎする?」

 「馬鹿言え。泳ぐだけが海の楽しみ方じゃないだろう」

 「成程。この島の東に遊泳禁止の浜があるらしいから、そっちでのんびりするんだね。良ければ、暇潰し相手に付き合おうか?」

 「…………お前、今の発言から、何故俺の予定がそこまでわかる?」

 「いや、八雲の思考パターンくらい、これまでの経験と島の情報があれば大体把握できるから。若干引いてる感じ出すのやめてくれる? て言うか、俺は付き合った方がいいの? 良くないの?」

 「__好きにしろ」

 「はいはい」


 決して愛想がいいとは言えない八雲の返答に、疾風は熟年連れ添った老婦のような返事をしつつ、後方のライには「ごめんね」と手を合わせた。

 一緒には行けない、と言った意味なのだろう。

 ライがそれを予想していたかのように笑って頷いてみせ、徐に肩にかけていた荷物を背負い直した時である。


 「めんそーれ!」


 陽気な調子の声と共に、目前に迫っていたラウンジ棟から見慣れぬ男性が唐突に現れた。

 南国によく似合いそうな褐色の肌に真っ白なTシャツが眩しいほど映えている。歳は二十代後半くらいだろうか。


 「とぅさんところまでちゃー来ちゃね! くてーたやんやー!」

 「……ど、どうも。お世話になりま__」


 この島にいるのだから、彼は当然ノア爺の親族か友人知人であることには違いない。

 だがしかし、下界方言が流暢過ぎて、何を言っているのか半分もわからなかった。

 先頭を歩いていた八雲が呆然となりながらも、笑顔で握手を求める男性と挨拶を交わそうとするが。


 「堅苦さん挨拶なんかゆたさんから! やーたーぬ案内役を任さりたんやっさー! さっそく部屋まで案内さびら!」


 挨拶も半ばで取り上げられ、両肩に手を置かれた瞬間、くるりと方向転換。

 そして、そのままラウンジ棟からそう遠くない家屋へと案内される。

 相変わらず方言が流暢過ぎて、単語の内容が途切れ途切れにしか理解できなかったが……恐らく、彼は天神一行の案内役を任された人物なのだろう。

 それは有難いのだが、如何せん会話のキャッチボールが少々一方的だ。

 流石の八雲も、男性の勢いにたじろぐばかりである。


 「いやー、めんそーれって聞くと南の島に来たなぁって改めて感じるよねぇ」

 「アラ日華。下界方言わかるノ?」

 「んー、なんとなく?」


 知識ではなく、フィーリングで物事を捉える日華が少しばかり羨ましく思えたのか、男性と共に先頭を歩いていた八雲は背後から届いた声に、思わず溜息をもらした。

 そうしている間に、先頭を歩いていた男性の足が止まる。

 辿り着いた先は石垣で囲まれた家屋が二棟並ぶ一角。扉玄関は見当たらない為、開放感のある縁側が家屋への入り口となっているらしい。

 縁側の両脇には、自生した木々によって生まれた木陰に包まれたテラスが見え、足元の白砂と相成って南国リゾートを彷彿とさせる。

 ここまで案内してくれた男性が言うには、この二棟を男女で分けて使ってくれとのことだった。

 島内には、この二棟の他にも多人数型の宿泊施設もあるのだが、そちらは現在改装工事中らしい。

 二本の鍵とパンフレットを手渡し、八雲に簡単な設備説明をし終えた男性は、最後まで明るい笑顔を浮かべたまま、爽やかにラウンジ棟へと戻っていった。


 「……俺、なんとなくだけどさ。あの人、晴天の血筋……それも、太陽を司ってる気がするよ」


 ぽつりと聞こえた疾風の言葉に、八雲は内心首肯する。

 あの明るいテンションといい、フランク加減といい……を彷彿とさせて仕方ない。


 「……まぁ、手続きは向こうの方でやってもらえたようだし、厚意は有難く受け取っておくとするか。レイ」


 渡された鍵とパンフレットのワンセットを手に、八雲は女性部屋の家長となるだろうレイを呼んだ。


 「何?」

 「貴重品保管庫の鍵と島のパンフレットだ。女性部屋を仕切るのはお前なんだろう?」

 「別に仕切りたがりなわけじゃないんだけど……あの面子なら、私のポジションでしょうね。で? 女性部屋ってどっち?」

 「入り口から向かって右の客室だ。俺達は左の客室を宛がわれた。目印に赤と青の風鈴が、縁側にそれぞれ設置されているそうだ」


 言われてみれば、どこからか“ちりんちりん”と涼しげな音色が流れてきている。風鈴が部屋番号替わりとは、なんとも南国の宿泊施設らしい。

 と、その時。


 「……それとだな」


 不意に、何やら言い辛そうな顔をした八雲が咳払いをした。

 レイの意識が風鈴の音から、再び八雲へ向く。


 「これは客室の定員上、どうにもならないんだが……」

 「定員? 一部屋五名様までご利用できます、って書いてあるけど」


 手元のパンフレットに目を通しつつ、首を傾げたレイが言う。

 すると、八雲は複雑な視線を一瞬“それ”に向け、


 「……凪が女性部屋そちらに振り分けられる」


 心なしか、済まなさそうな口調でそう口にした。

 が、


 「あら、そうなの? まぁ、凪とはしょっちゅうお泊り会してるし、別になんら問題ないわ」


 あっけらかんとしたレイの反応に、八雲は不覚にも体勢を崩しかけた。典型的な“ずっこけ”である。


 「いいのか!? と言うか、お前は良くても他の……」

 「ウルルも月華も雲母も、お泊り会には参加済みよ。今更、凪と同じ部屋で寝ることに問題も何もないわ。凪が嫌って言うなら、話は別だけど」


 言いつつ、レイの視線が女性陣に囲まれ、華やかな女子トークの中心にいる凪へ向けられる。

 凪もその視線に気付いたのか、目が合ったレイに向かって軽く首を傾げた。


 「ねぇ、凪。部屋の定員上、私達と同じ部屋になるみたいなんだけど、どう?」

 「アタシはアンタ達がよければ、全然いいワヨ? そっちの方がたくさんお喋りできるしネ~」


 いいのか、とは八雲、心のツッコミ。


 「だ、そうよ。あんた、色々と気にし過ぎなのよ。女ってのはね、あんたが思ってる以上に懐が深い生きものなの」


 レイの言葉に、複雑な面持ちの八雲。

 レイはそれを一瞥し、軽く溜息を吐き出す。八雲から言葉は、返ってこない。

 

 「さっ、みんなー! さっさと荷物置いて、バカンスを楽しむわよ!」


 そんなレイの声を皮切りに、女性陣の明るい同意の声が辺りに響き、レイを先頭にした女性陣一行は軽い足取りで宛がわれた客室へと向かっていった。当然、そこには凪の姿もある。

 それをどこか呆然と見送る男性陣。暫し南風と照りつける太陽にその身を晒していたが、


 「八雲ー、僕らも荷物置きにいこーよー」


 日華の呑気な声に押され、男性陣もやおら客室に向かって歩を進めた。




 年に一度の慰安旅行。楽しみ方は千差万別、十人十色。

 荷物を解いた後の天神一行は、誰が言うわけもなく自由時間を楽しんでいた。

 ある者は観光を、ある者は娯楽を、ある者は休息を。そして、


 「っしゃー! 泳ぐぜコノヤロー!!」

 「泳ぐぞこのやろー! おー!」

 「二人とも、準備運動は忘れるなよ。あと、水分補給も……って、聞いてないな!?」


 赤とオレンジの海パン姿でゴーグルと水遊びグッズを装備したライと日華、ストライプ柄のサーフパンツにトレードマークのサングラスと飲み物入りの保冷バックを手にしたアズマは、到着早々に疾風が立てたパラソルを拠点にビーチへ繰り出していた。

 アズマの忠告に返事だけよろしくして、快哉と共に勢いよく海へ飛び込むライと日華。

 ビーチに他の人影はなく、まさしくプライベートビーチ。

 泳ぐも跳ねるも飛び込むも、好き放題である。


 「兄ちゃんも来いよー! 超気持ちいいぜー!」


 海の中から顔を出したライは、浜辺にいるアズマに向かって無邪気に手を振った。

 隣で遅れて顔を出した日華も、ばしゃばしゃと水面を両手で打っている。


 「そんなに深くないし、とりあえず海に浸かっちゃおうよー!」

 「と、とりあえずって……」

 「そーだよ! とりあえず、身体を海に慣らそうぜー! 兄ちゃん、早くー!」


 遊びに関してはアズマよりも上級者だろうライと日華の呼びかけに、アズマはつい苦笑を洩らす。

 二人の言う通り、準備運動前に身体を水温に慣らすと言うのも正しいのかもしれない。準備運動はその後で一緒に行えばいいだろう。

 アズマは手にしていた保冷バックと愛用品であるサングラスを、パラソルと一緒に敷かれたままになっていたシートの上に置き、先の二人と同じく海に向かって砂浜を蹴った。

 水音を立て、飛び込んだ海。肌に感じる水温は心地いいもので、呼吸の為浮き上った身体を照らす日差しが丁度良くさえ感じる。


 「なっ? 気持ちいいだろ?」

 「__だな」


 きらきらとした笑顔を向けるライに、自然とアズマの表情も柔らかくなった。


 「じゃあ、みんなで競争しよー! 負けた人はお昼ご飯、奢りー!」

 「よっしゃ、乗ったァ! 負けねぇかんな、日華兄!」

 「待て待て! その前に準備運動! 足つって溺れたら、洒落にならないぞ!」


 水泳対決モードに切り替わりかけていたライと日華の肩を掴み、なんとか波打ち際まで引き戻すことに成功するアズマ。

 最初こそ少々不満げな反応をしていた二人も、根は素直なのでしっかりと準備運動を済ませた。

 後半、少しばかり足元で動く波にそわそわしていたような気がしなくもないが。


 「んじゃ、改めて! 昼飯争奪水泳対決始めようぜ! コースは正面の沖から、海の家の前まで! んで、そのまま負けた奴の奢りで昼飯!」

 「ねー、ご飯って上限ってあるの? 僕、メニュー全制覇もいけちゃうよ?」

 「一人、千五百円までで頼む!!」


 スタート位置に辿り着くまでの間、アズマの必死な訴えにより、昼食代金は一人千五百円までに収めるとし。種目はフリーで、妨害は無しと言うルールでまとまった。

 贅沢を言えば、公平なスターターが欲しいところだが……生憎とこのビーチは半三人占め状態となっている為、対決を提案したライがスターターを兼用することに。


 「……勝っても負けても、恨みっこなしだぜ。兄ちゃん達」

 「ふっふー、食べ物がかかった僕は強いよ~」

 「お……お手柔らかに頼むな」


 水音が静まり返ったビーチに響く。

 彼等の目は既にゴールである海の家を捉えている。そして、


 「よーい…………どんっ!」


 三つの水柱が一斉に上がった。

 飛び込みもキックもなしに、激しく音を立てて進んでいく三人。

 コースの中間に差し掛かったところでは三つの頭は平行ラインをを保っていたが、そこを越えた瞬間、ラストスパートとばかりにより一層水音が激しくなる。

 息継ぎの為、海面から一瞬間見えた海の家まで残り数メートルを切った。

 ゴールテープなどない。海の家を超える勢いで突っ込んでいけば、勝負は確実に決まる。

 勢いを殺すことなく海を掻く少年達。

 ゴールまで後一メートル__そんな目測が“二人”の頭に浮かんだ時だった。


 「っぷはー! 僕の勝ちー!」


 間の抜けた明るい勝利宣言飛んだことで、思わず激しかった水音が止む。

 砂浜で言うならばあと一歩の距離。

 前髪から水滴を垂らせ、敗者となった二人は勝者の朗らかな笑顔を目の当たりにすると。


 「だーーーーーっ! 負けたぁぁぁぁ!」

 「……は……はや、早いな……日華……っはぁ……」


 敗者こと雷天神二人は、水面を思いきり平手で叩いたり、荒い息を整えたりとする。


 「へへー。だから、言ったでしょ? 食べ物がかかった僕は強いって」


 ぶいっ! と声付きで勝利のVサインをしてみせる日華。

 日頃から運動神経には自信がある日華だが、食がかかるだけで天神一運動神経がいいだろうライをも超える能力を見せるとは……馬に人参とは、これまさに。


 「ちっくしょー! 絶対俺が勝つと思ってたのにー!」

 「て言うか、日華……お前、もしかしてノーブレスで泳いでなかったか?」

 「あ、ばれた?」

 「マジかよ! 百メートルくらいあんのに!?」

 「ご飯がかかった僕に不可能はないのだ! それでそれで? どっちが僕にお昼奢ってくれるの?」


 わくわくと言った様子で日華がそう口にした瞬間。雷天神達から思い出したような一声が同時に発せられた。


 「……やべ。俺、途中で止まった」

 「……俺も。日華の声でつい泳ぐの止めてた」


 顔を見合わせ、揃って泳ぐことを放棄した瞬間の立ち位置を思い出そうとするライとアズマ。

 しかし、思い返せども二人の位置は平行だったような気がする。

 海中だったゆえに、正確にそうなのかと聞かれれば不安だが。

 訝しげに眉を顰め合い、ちらりと昼食に胸躍らせている日華を一瞥する二人。

 ただ一つ言えるのは、勝者は日華一人であると言うことだけ。


 「……日華兄」

 「うん? なぁに?」

 「……三千円までなら、好きなもの食べていいぞ」

 「えっ! うそっ! いいの? やったぁ!」


 そして、下位の勝敗がわからないのであれば、そのどちらもが敗者であるわけで。

 結果、ライとアズマがそれぞれ千五百円分の日華の昼食代を持ち、二人は自分の昼食を自腹で持つことで落ち着いた。



***



 「へぇ、ここが星砂の浜。あ、見なよ八雲。この辺り、パンフレットに書いてある星砂じゃない? 綺麗だよね」

 「星砂なら来る時に空港やら土産物屋やらでも見ただろう。おまけに砂とは言うが、そいつは石灰質の殻が堆積したものだぞ」

 「はは、一緒に来たのが俺でよかったね。もしこれが女の子相手だったら、完全に雰囲気ぶち壊しで印象最悪だよ。今の」


 波音と海風が心地良い島の東側のビーチでのんびりと散歩を楽しむ八雲と疾風。

 相も変わらず、この二人の間に流れる空気は独特の何かがある。

 長年連れ添った熟年夫婦にも似たような何かが。


 「いやぁー。でも、贅沢な慰安旅行だよね。宿どころか、島全体ほぼ貸切状態。下界の観光客もいないから、気兼ねなくのんびりと下界の空気や景色、文化を楽しめるんだから」


 両腕を伸ばし、疾風は思い切り伸びをする。ついでに深呼吸なんかして、海風を胸いっぱいに吸い込んでみたり。

 立場上、仕事を完全に忘れて__とはいかないが。緊急招集がかからない限り、下界の天候調整者・天神としての彼等は暫しお休み。

 日々の疲れをしっかりと癒せる慰安旅行は、天神達にとっても楽しみな年間行事の一つなのである。


 「まぁ、たまには羽を伸ばすことも大事なのは確かだが……伸ばされ過ぎても困るぞ。ただでさえ、夏は大気の状態が不安定になりやすい。下界から隔離され、どちらかと言えば天界に近いこの島といえど、俺達が大気に干渉すれば下界の天候に影響がでる」

 「君って、本当に馬鹿が付くほど真面目だよね」

 「責任のある立場にいるんだ。当然のことだろうが」

 「うんまぁ、そうだね。そういうことにしとくよ」


 堅苦しい八雲の言葉に、疾風は悟りを開いたような笑顔を浮かべ、柳に風と受け流す。


 「けど、一番の不安要素である君とライがどうこうしなければ、旅行中は問題ないんじゃない? 凪さんだって、女性陣と楽しく過ごせてるみたいだし。俺も、好き好んでアズマに絡みにいこうとは思わないしね」

 「お前、アズマと険悪な空気になってる自覚あったんだな」

 「アズマは気付いてないだろうけどね。彼、人間関係の面では色々と鈍感だから」


 どこかの誰かさんと同じで、と心の中で疾風はこっそり呟く。


 「ただ、夏の大気は雷と雨、晴天の擬人に影響しやすいから、気を付けるに越したことはないかもね」

 「ああ。特に今日のような晴れた日の午後は、積乱雲が発生しやすい。もしも、影響を受けやすい擬人の精神状態が大幅にぶれたりなんぞすれば、たちまち夕立のような天候になるだろう」

 「うーん……せっかくの慰安旅行だし、悪天候は遠慮願いた__」


 その時、ふと疾風が言葉を切り、微かに眉を顰めて空を仰いだ。


 「疾風?」

 「空気が変わった」


 言われて八雲も感覚を研ぎ澄ませる。

 頭上の空はまだ青いが、時折吹く風が急に冷たいものへ変わっていた。

 二人は風の先、島の南方面へと視線を向ける。すると、そこには小さくはあるが、急速に発達していく積乱雲が。

 あの方角はこの島で唯一遊泳の出来るビーチ。天神達が一番初めに足を踏み入れ、ライ・アズマ・日華が泳ぎに行くと言って出掛けた先である。

 耳を立てれば、微かに不安を掻き立てるような雷鳴おとが聞こえなくもない。


 「……おい」

 「……噂をすれば影、か。こういうシンクロ現象は期待してないんだけど」

 「まったく……あの阿呆ども……! 慰安旅行に来てまで問題を……!」

 「行こう、八雲。俺の風でスピード上げるから」


 八雲と疾風は呆れ交じりに言い捨て、追い風に乗るようにして駆け出す。

 まるで、氷の上を滑るスピードスケータのような速度で目的地へ。

 次第に見え始めた木造平屋の建物、海の家には何やら見慣れた人だかりがあった。海へ遊びに行った三人以外のものである。


 「あれ、みんな集まってるよ」

 「なんだ、一体……!」


 砂浜手前で疾風は風を止め、海の家に近付いていく。

 そして、近付いてわかったのだが――どうにも海の家頭上で広がってゆく灰色と同じような、重苦しくて不穏な空気が建物内から漂っているような。


 「おい、何事だ」

 「何かあったの?」


 結果的に遅れて到着した二人は、入り口付近で集まっていた人だかり__基、同僚達に説明を求めると、


 「あ、八雲さん……疾風……じ、実はその……あ、えっと」


 不安げな表情の月華が、二人と建物内を目で行き来させつつ、なんとか反応する。

 しかし、どうにも意識が建物内の方へ注がれがちで、話がなかなか進まない。

 二人は月華の反応に首を傾げながら、何気なく人だかりの奥__建物内へ視線を向けると。


 「……これは」


 飛び込んだ光景に、思わず八雲から驚き混じりの声がこぼれた。


 「一体……」


 疾風もそれに続くようにして呟く。

 目にしたところで、全くもって状況把握ができない。何がどうなって、このような光景が広がってしまっているのか。

 海の家飲食スペースのテーブル席。

 そこには数名分はあろう料理が並んでいるにも拘らず、テーブルを囲んでいるのはたった四人の男女。

 そして、その四人の様子がまた異様だった。

 先ず上背のある男女の方。

 男の方はサングラスで表情が見え辛いが、日頃から余裕綽々と言った顔がよく似合う女が、珍しく奇妙な焦燥をその顔に浮かべて、男と忙しない様子で視線を右往左往させており。

 小柄な方の男女はと言えば、日頃見かけることのない、言葉にし難いくらい複雑な面持ちで、決して口に運びはしないのに虚ろな目を料理の方へ向けていたのだから。

 

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