第44羽


 


「話……っていうと?」


 光昭が首を傾げると、愛里は片手を腰に当てて、呆れ顔で話し出した。


「キミさぁ、一度悪事を見られてる私の居る所であんな事して、バレないと思ってるの?」


 蔑む目で、その目を声にしたかのような声音を光昭に浴びせる。


「悪事? ひどいな、海弥さんの件ならただの聞き間違いで……」

「それはいいわ、あの時は私も共犯みたいなもんだし」


 結果として空が海来留との約束を破ってしまった日、愛里は “約束の日” を知っていたにも関わらず、何も言わずに図書室で空と並び勉強をしていたのだ。


「あの日の自分にビンタしたい気分よ」


 自分が図った事ではないとはいえ、それを伝えず、あまつさえどこか興味本位でその時間を共に過ごしてしまった自分を愛里は恥じていた。


 苦い顔をする愛里に光昭は、


「逆に訊きたいんだけどさ、本当に何があったの?」


「……どういう意味よ」


「加藤さん、あんまり変わっちゃったから。 前に言ってたよね、 “私も悪い子だから” ……って」


 光昭の言葉に一瞬怯んだ様子を見せる愛里だったが、すぐに表情を戻し、


「今でも良い子だとは思ってないけどね、少なくとも想ってる人に……悲しい顔をさせたくないぐらいにはなったのよ」


 言葉の途中から腰に当てていた手を伸ばし、光昭から目を逸らして話す愛里。 それを聞いた光昭は、何か思う事があるような顔をして呟く。


「想ってる人……ねぇ」


 以前の自分からは到底出て来なかった台詞に羞恥したのか、愛里は顔を赤くして話を進めようとする。


「そんなことより……」

「よく言うよ」


 その台詞を光昭の冷やかな声が遮る。

 そして、愛里が僅かに言葉を失っている隙に、光昭が畳み掛けるように言葉を紡いでいった。


「俺も加藤さんの悪事は知っててね、そういう “想い” を持った女の子達が、今まで何人君のせいで泣いたと思う?」


「っ……!」


 思ってもいなかった胸を刺す台詞に、愛里の過去の愚行が “今の自分” に纏わり付いてくる。


「それも理由はただの遊びみたいなもんでしょ? だって相手の男達と君はほとんど交際期間が無いらしいし」


「それは……」


 どう情報を集めたのかはわからないが、言われた内容は愛里本人が自信を持って否定しない以上、認めたようなものだ。


「気持ちを弄ばれた彼らだって可哀想だし、君のせいで諦めた女の子達も可哀想だ。 それを今度は自分が本気で好きになったからって想いを大事にするの? その相手も大事に? 大分自分勝手だよね」


「………」



 言葉が出なかった。


 今までの自分ならどうとでも言えたのかも知れない。 だが、今までの自分が知らない感情を、 “今” は持ってしまっている。

 そうは言っても今更、だから今はの気持ちがわかる、などと言ってもなんの償いにもならない。


 過去、と言って終わらせるのは簡単だが、踏みにじってきた人達には少なからず傷を残しただろう。

 その罪悪感に愛里が呑み込まれそうになった時、今の自分に、想い人の言葉が脳裏をよぎる。




 ―――恥ずかしい事なんかじゃない―――




 その言葉を噛み締めて、愛里は呟く。



「……嬉しかったけど―――やっぱり恥ずかしいよ……」



 愛里はその言葉に縋るのではなく、寧ろ向き合って進む道を選んだ。

 そして光昭に視線を向け、



「恥ずかしい事をしてきた。 でも、そう思えるようになった自分を過去に戻す気は無いから」



 強い意志を込めた言葉を放つ、だが光昭はそれを嘲笑うかのように、


「開き直ったね、さすが噂の小悪魔だ」

「そうね、空くんも他のコ達もバカみたいに優しいから、の相手ぐらいしないと借金返せないの」


 本来の調子を取り戻した愛里は光昭に怯む様子も無く、目を逸らす事はなかった。


「なるほどね。 それで水崎さんの手料理をにした俺を呼び出した」


「――っ!?」


 どうせしらを切るだろうと思っていた陰湿な所業を、あっさりと吐露する光昭。


「……どういうつもり?」

「別に」


 訝しむ愛里に、どうという事は無い、という顔をする光昭。


「あの場に水崎さんを誘ってあげたのは俺だし、加藤さんが何を言っても俺には言い方はいくらでもあるよ。 もちろん灰垣くんなんて信じないだろうしね、証拠も無いんだから」


 問題が無いから言った。

 光昭はそんな口振りだったが、愛里は返す刀で、


「あのね、クラスメイトは大勢いるのよ。 私が話を回せば地味キャラのあんたなんて簡単に駆除出来るんだから」


 空にご執心とはいえ、クラスで目立った存在の自分なら影響力はある。 だが、


「そうなると、可哀想な俺を一層彼らは放っておかないだろうね」


 寧ろ嬉しそうな表情を浮かべる光昭に、


「……いい性格してるね、あんた」


 確かに。 周りが光昭を弾けば、空や真尋は寧ろ彼を庇護するかも知れない。

 そう考えると、光昭を排除するのは思ったより難しいのか。 そう思った愛里は、とにかく冷静に、まずは相手の考えを知ろうと思い、


「大体あんたの狙いはなんなの?」


 空に言い寄って懐に入り、木村達のような目立った存在から身を守る為に利用したのか。 ならば空に嫌がらせをする理由がわからない。


「狙い? そうだなぁ……」


 視線を下に向け考え込むと、その細い目を見開いてまた愛里に目を向ける。 その悪意に満ちた目と上がった口角に、気味の悪さを感じた愛里の背中を寒気が走る。


「単純に灰垣くん《かれ》が嫌いなんじゃないかなぁ?」


「あんた……イカレてんの?」


 本当にそう思った。

 その言葉を聞いて、愛里はこの男と話しても無駄。 そう直感したからだ。


 まるで別次元の生き物を見るような愛里に、光昭は飄々とした顔で話し出した。



「だってさ、背も俺とそんな変わらないし、顔だけでしょ? それでチヤホヤされて周りからのやっかみが来ると意外にも力で跳ね除ける、勇くんまでいるしね。 どう考えても周りの男からすれば気に入らない存在になるよね、だからさ……」



 空に対する本音、そして客観的にも邪魔な奴。 それが光昭の言い分らしい。



「俺はその――― “周りの男” 代表として、彼を痛めつけながら利用してるんだ」



 悪びれる様子も無く、寧ろその他大勢の意志を汲んでいるような言い方をする光昭。 愛里は、



「……なんか、もう病気だわ。 気持ち悪くなってきた……」



 汚物を見る目で光昭を見ると、その目に怒りと軽蔑の色を乗せて言い放つ。


「言っても無駄だと思うけど、そんな事しても結局あんたには何も手に入らないのよ?」


「そうかもね。 でもさ、どっちにしても灰垣くんとは加藤さんにくっついてもらった方が都合が良いんだよ」


 光昭の言った台詞。 それを聞いた愛里は、身の毛が逆立つような怒りを覚える。 それは、薄々彼女自身が勘付いていたから。



「はぁ?! あんたにそんな事言われると虫唾が走んのよ、私はあんたなんかに協力される程落ちぶれてないし! それにね、何勘違いしてるか知んないけど、私が空くんと付き合っても残った子達はあんたなんか絶対好きになんないからっ!」



 自尊心を傷つけられ、感情のままに声を荒げる愛里。 光昭はその様子を愉しむような顔で口を開く。


「どうせ俺は不細工だしね、それでもいいよ。 だったら尚更さ……」


 まだ怒りに顔を紅潮させた愛里に顔を近づけて、



「灰垣くんには一番と付き合って欲しいよね」



「――ッ!」



 逆上した愛里は言葉よりも先に手が動いたが、その右手首は光昭に握られてしまう。


「あんたは外より中身がブスなのよっ!」


 悔しさから薄っすらと涙を浮かべて怒鳴る愛里に、その顔を近づけたまま光昭は話し続ける。


「君だって同じでしょ? 人間本質はそう簡単に変わらないよ。 今まで俺のやった事だって、加藤さんは言わない。 そうだろ?」


「なに言ってんのあんた? 気持ち悪いから離してよ!」


 手を振り解こうとするも小柄とはいえ相手は男。 細身の愛里では容易にはいかない。


「海弥さんに本当の事を言えば灰垣くんの誤解は解ける。 料理の事を水崎さんに言えばそれでも美味しいと言ってくれた彼をもっと好きになるだろうし、灰垣くんだって彼女の料理を見直すかもね」


 薄ら笑いを浮かべながら、囁くような声で話し続ける。 愛里は顔を歪めてそれを聞かされ、悔しさで瞳に溜まるそれが溢れそうになっている。



「でも加藤さんは言わない……だって、それは君にとって都合がッ―――」



 最後の台詞を言い終わる前、愛里が力一杯振り上げた膝が光昭を悶絶させる。

 呻きを上げて蹲る光昭を見下ろし、髪を揺らしながら愛里は声を振り絞る。



「私が言わないのはねっ! あんたみたいなクズでも……空くんは友達だと思ってるからよッ!! 空くんにも私にも近寄んなブスッ!」



 怒りの罵声を浴びせ、まだ立ち上がれない光昭を残して愛里は走り出した。


 こんな男といつまでも二人で居る苦痛から逃れたくて、一刻も早くこの荒され痛んだ心を救って欲しくて。



 今一番会いたい人の元へ、零さなかった涙を拭き取り駆けて行く。


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