第13羽

 


「それで、どこに行くの?」


「はい、この先の百貨店でやっている催事に行きたくて」


 百貨店……か。 まぁデートじゃないんだから、映画や景色を見る訳はないんだけどね。


 ……別に、デートで百貨店もおかしくはないか。 服を見たり、一緒に暮らしていれば食器とか―――ば、バカじゃないの……! どうしても “デート” にこじつけたいみたいに、ましてや一緒に “暮らす” なんて……。



「その催事で色んな食器や――」

「食器……!」



「……朋世さん、食器好きなんですか?」



 ――はっ……つい “食器” に反応してしまった……。



「いえ、そんな……」

「僕も結構好きなんですよっ」



 えっ……。



「この料理の時に合いそうだな、とか考えると楽しくなっちゃって。 買って帰ると、その日は器に合うものを作ったりしちゃうんですよねっ」



 嬉しそうに、目を輝かせながら話す空くん。 痛みを知らない綺麗な髪に、太陽の光が “天使の輪” を作っている。 私の隣に座っているのは、まさにそのもの。



「………そうね」


「父さんはそういうの全然興味がないから、一緒に買い物をしても、いつもつまらなそうな顔をさせちゃうんです」




 ―――“つまらなそうな顔”………。




 突然、私の “過去” が暗雲となって心を覆ってくる。 これから一緒に買い物に行って、こんなに嬉しそうな空くんの顔を、私の “顔” が曇らせてしまうかも知れない……。


 その時、空くんのその顔を見て、私はどう思う?


 どうせ私はこうだから、いつもの事。 そんな風に思えない。 きっと、




 ―――今度こそ自分に絶望する。




 ……怖い、そんなの、嫌だ………。



 自分が傷つくのも嫌だし、何より空くんを失望させてしまうのが嫌。



 ……やっぱり、断ろう。 予定を思い出した、理由なんて何でもいい。 そんな辛い思いをするくらいなら……。



 本当は、一緒に………傍に居たいのに。



「だから、偶然朋世さんに会えて良かった」


「そう」



 こんな事、言われたことあったかな。 本当にありがとう、すごく嬉しくて………すごく―――辛い。



 “良かった” って言ってくれたのに、断らなくちゃいけないから。 怖がりな私は、 “逃げる” 事を選ぶの。



「最初は断られるかなって思ったけど、誘った時朋世さん……」





 ――――嬉しそうな顔してくれたから――――





「………そう、見えた……?」



「はいっ。 あ……僕の勘ちが―――」




 やって、しまった………。



 ………自首するしかない。 こんな街中のベンチで、とおも年下の男の子を、私は……





 ――――抱きしめてしまった………。





「と、朋世さん?」



 ごめんなさい、驚いたよね。


 私も驚いてる。 こんな事出来るタイプじゃないと思っていたから。


 でも、納得している自分もいるの。 10年もの間、私にまとわりついていた解けない呪い。 それを、空くんの言葉が解き放ってくれたから。


 あんまり嬉しくて、私の理性も『これは仕方ない』と言っている。 だから、あと少しだけ……涙が誤魔化せるまで、こうしていさせてください。



 誤魔化せないの、今日は―――雨が降っていないから。







 もっとこうしていたかったけど、落ち着いていくに連れてやって来る激しい羞恥に負けて、私は空くんから離れた。



「ええと………」


 流石の彼も赤くなっている、公衆の面前であんな事をされたら当然よね。


「ごめんなさい、発作よ」


 何を言ってるの私、言い訳にもならない。 でも、どう言おうと急に抱きしめた事を有耶無耶になんて出来る筈がない。



「えっ? 本当ですか?」



 ……そんな心配そうな顔をされると、罪悪感が……。


 普通、こんな言い訳信じないわよね。 “ごめんなさい” は本当だけど、私に抱きつかれても嬉しくないでしょうから。 勝手に救われて、勝手に抱きしめてごめんなさい。



「冗談よ」

「そ、そうですよね」



 それならどうしてこんな事をしたのか、そう空くんに訊かれたくなくて、私はつい、



「灰垣くんは甘えん坊だから」



 だから、抱きしめて

 酷い出来ね。 急にそうした理由が何も無い。


 私がそう言うと、空くんは不思議そうな顔をして、



「……どうして、そう思います?」



 あっ……彼は眠っていたから、覚えてないんだった……。 追い詰められてきた私の出した答えは、



「……顔」



 もう、自分が残念で下を向いてしまった。



「なるほど、そう見られそうで実はあんまり言われないんですが、さすが朋世さんは大人ですね」


 そう言って彼は立ち上がり、私を覗き込んで、


「それじゃあお返しです。 “冗談の発作” が起こる

 前、朋世さんは悲しい顔をしてましたよ?」



 ――え。



「何があったかは訊きませんが、それが、発作の本当の理由じゃないですか? 子供の勝手な推測ですが」


「………」




 やっぱり、そうなのね。




 彼が、空くんが私に――― “表情をくれる” 。




 あの女子生徒が私を “嬉しそう” って言ったのも、空くんが私にその顔をくれたからなんだ。



 私が彼に見惚れていると、「さあ」と言って、空くんは私の手を取ってくれて、



「行きましょう。 僕もう待ちきれなくて、あっ、それと、ちゃんと “空” って呼んでくださいねっ」






「………はい、空くん」






 全然大人じゃない私は、甘えん坊の空くんの言いなり。 今日から私は “食器が好き” だし、この先彼の好きなものを知ったら、それも好きになるだろう。



 それだけは自信がある。 今日この後だって、きっと前よりも、空くんを好きになっているから。




 さっきまで眺めているだけだった人の流れに、空くんと二人で溶け込んでいく。



 私の救いの天使がいざなってくれる世界は、きっと前よりも、色のある世界だろう。



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