第8羽

 


 ―――空くんが、振り向いてくれた。



 私が袖を掴んでいるから、当たり前だけれど。


 不思議そうな顔をしてる。 そうだよね、だって、最近友達になった程度の私が、勝手に想いを大きくしてるだけなんだから。 空くんと歩幅が合う訳がないもん。


「また、具合が悪くなったら怖い……から」


 俯いたまま、顔を上げる勇気は出なかったけれど、引き止めたんだ、言い切ろう。


「私が、作りに行っても……いい? ご飯……」


「そんな……」

「空くんみたいに毎日作ってる訳じゃないけど、それなりには、出来るし……」


 断られる、のは分かってる。 空くんも、そう言いかけてたし。 でも、それでも………。


「ありがとう」

「えっ……」


 思いがけない言葉に顔を上げた。 驚いて、掴んでいた袖から指も離れて。 だけど、


「でも、今日はたくさん迷惑かけちゃったのに、そんなに甘えられないよ」


「そ、そんなの――」

「真尋ちゃん」



 ……気にしないで、いいのに………。



「勇じゃないんだから、知り合ったばかりの女の子を家に上げるなんて出来ないよ」


「………うん」



 どうせ、新米の友達です。 うぅ、卑屈になっちゃう。 私は自然とまた、上げた顔を下げかける。


 その時、



「それに、その……」


「……どうしたの?」



 珍しく口籠ごもる空くん。

 なんだろう、こんな空くん初めて見たな。 いつもどこか余裕があるように見えるのに。



「真尋ちゃんみたいな、さ」


「え……」



 やだ……空くんにを言われたら……立ち直れない……!



「えっと……ほら、わかる、よね……」



 わかってる、わかってるけど………。


 やだよ、言わないで。 空くんだけには、言われたくないの………。 やだ、やだやだ。



 やだやだやだやだ「緊張しちゃうよ」やだやだ「可愛いから……」聞きたくな―――い………




 ―――は?




「だからさ、お気持ちだけありがたく」



 ………可愛い? って、言った? “大っきい” じゃなくて? そう、聞こえたような………き、聞き間違い、だよね?



「……空くん、今、何て言ったの?」



 私が聞き直すと、彼は恥ずかしそうに顔を赤く染めている。 この反応は…… “大っきい” じゃなさそう、でも、それじゃあ………



「そんな、何度も言わせないでよ、この駅他の生徒も結構使うのに……」


「だって……空くん、変なこと言う、から……」



 言ったのか、まだ確信は持てないけど……。



「変って、僕はそんな経験豊富じゃないよ? だから、真尋ちゃんみたいな可愛い子と家で二人なんて……緊張するよ」



 ―――確信しました。………でも、確信したからこそ、逆に………



「う、嘘つき……!」



 そう、100%お世辞です。 そんな事ぐらい分かりますよ私だって!



「なにが?」



 な、なにがって……!


 そんな顔されたら、信じちゃうよ……。 空くん、嘘言わなそうだし……。


 それならそれで、 “嘘つき” なんて言っちゃった私が最低だし、ど、どうしたら……。



「と、とにかく、心配なの……友達……だもん」


「……そうだよね、散々心配かけたし。 じゃあこうしよう、家着いたら必ず連絡する」


「……どうやって?」


「え? ラインするよ」



 も、もう……この天然天使様は………!



「私の携帯、知ってるの?」


「あ、そっか! まだ交換してなかったっけ?」


「……うん」



 ねぇ空くん、もしかして、この件がなかったら私達ずっとこのままだったの?

 入学初日から名前呼びのお友達になれて浮かれてたのに、連絡先はくれないのをずっと気にかけていた私の不安分かりますか?



 それから、やっと私はお惚け天使様の連絡先を頂きました。

 すごく嬉しかったけど、気持ちは複雑……。



「ごめんね、うっかりしてた」


「ちょっと……悲しかった」



 少し拗ねていた私は、どうしても『気にしないで』とは言えなかった。 空くんはそんな私を見て、申し訳なさそうな顔で「ごめんなさい」、と頭を下げる。

 私から聞くのは怖くて言えなかったのもあるのにね。 私も、ごめんなさい。



「それじゃ、帰ったら連絡するね」


「うん。 あ、一応今日は、寝る前も……連絡欲しいな……し、心配だからっ……!」



 段々欲張りになって来た私は、調子に乗って追加注文をしてしまった。 それでも空くんは、あの優しい笑顔で「わかった、必ずするから」って、言ってくれて、私も笑顔で手を振ってお別れすることが出来ました。




 電車の中で私は携帯の連絡先を開き、空くんに連絡もしないのに、その画面を見てニヤけていた。 周りから見たら変に思われたかも知れないけれど、そんなことどうでもいいくらい嬉しかったから。



 ―――でもぉ……。



 家に着いてから、待てど暮らせど空くんから “ただいま” 的な連絡が来ない……!


 やきもきしながら家をうろついいると、鬱陶しそうな顔をした母真由美が、


「デカいのがウロウロと、迷惑なんですけど」


 ふんっ! そっちの方がまだ2センチデカいでしょ!


「あの真尋が、まるで恋する乙女ね……」


「そ、そういう事じゃなくて、体調悪い友達が心配なのっ!」


 母よ……それはついさっき本格的に自覚したばかりゆえ、あまり弄らないでくだされ……。



「――あっ!!」

「っ!?」



 き、きた……! ふふふっ、空くんからの初メッセージだぁ♡ 「ちょっと、驚かせないでよっ」という母のクレームは現在受け付けておりません。


 やっと来たそのメッセージを素早く確認っ! ど、どれどれ……?



『スーパー行ったりしてたら遅くなっちゃった、ただいま帰りました』



 ―――空くんが、私に…… “ただいま” だってぇ……。


 うふ、うふふふ。 この “ただいま” は帰ってきた “ただいま” とは違うとか、そういったご指摘も当社 “恋する乙女” では受け付けておりませんっ! 都合良く解釈させて頂き。美味しくいただきます!


 さ、さあ、なんてお返事しよう……。


 うーん………。



 ―――ああっ! ダメ……いいのが思いつかないぃ……。


 どうしよう、まだ既読しなきゃ良かったかな……?


 この “既読” という機能は考えものだよっ、読んでくれたって安心する時もあるけど、逆に既読しちゃうと相手に伝わるから、今の私みたいに早く返事しなくちゃってタイムリミットみたいに急かされる……!



「か、かぁさまっ!」

「かぁさま?」

「ただいまのお返事はどうしたらいいかなっ?」


「………おかえり」

「それでよく結婚できたねっ!」

「コラ……」



 まったく頼りにならない……!


 で、試行錯誤して完成したのが、



『遅いから心配したよ、でもちゃんと帰れてよかった。 まだ風邪気味なんだから、あんまり無理しないでね』



 自信はないけど、これが今の私の限界でした。


 それから、実はこの後も結構ラインのやり取りが出来て、勇くんは格闘技のジムに通ってて、そのジムのトレーナーをやっている空くんのお父さんが教えているんだって。 空くんはやってないみたいだけど。


 だからそんなに仲良しなんだね。


 ていうか……空くんのお父さんのお仕事がかなり予想外というか……。


 昔はお父さんプロの選手だったらしいし、勇くんより背が高いんだって! てことは私より大きいのか………DNAとは………。



 あっ、そうだ。 今日空くんが言ってた “セコンド” って何か調べようと思ってたんだ。 何となくはわかるけど、私のことをそう呼んでたから気になっちゃって。



 えっと……セコンド……。



 試合中の付き添い人、かぁ。 お父さんのお仕事柄、自然と空くんもこういう言葉が出るのかな? 可愛い。


 なになに、ラウンドの合間に椅子を出したり、水を飲ませたり、傷の手当てをしたり……んんっ?!



 ―――ぱ、ぱ、パンツのゴムを伸ばしたり………。



 こ、これ、この一連の作業って………空……くん? うそ………これって…………






 ――― “プロポーズ” ………?






「あ………」


「ん? ちょ、ちょっと真尋っ?!」



 あまりの衝撃に、私はリビングの床に倒れた。 慌てて駆け寄ってきたお母さんに抱きかかえられ、朦朧もうろうとした意識の中、



「お母さん……真尋は……天使に嫁ぎます………」

「はぁ?………この子、誰に似たのかしら……」



 幸せな気持ちで溶ける私は、しばらく身体に力が入らなかった。


 私をソファに寝かせた後、お母さんが、



「やれやれ、楽園エデンも考えものね」



 そう言って呆れた顔をする。

 だって、仕方ないでしょ。 あなたの娘は恋愛経験が無さすぎるのです。



 落ち着いてから考えてみると、さすがの “恋する乙女社” でも、今回の件はプロポーズではないという判断が下された。


 それでも、少しは頼りにされている、そう良く解釈して、また私の顔はだらしなく破顔するのでした。



 寝る前も連絡くれるって言ってたし、楽しみだなっ。 ちゃんと連絡くれないと私寝ないからね!



 だから、待ってるね、空くん……。



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