MARDER's I
オセロット
第1話 殺人の発見
プロローグ
人が殺された。
私はその現場と、犯人を目撃してしまった。タチの悪いことに、被害者も加害者も私の知っている人間だった。
多分それがきっかけだった。殺人という闇に、私が足を踏み入れるきっかけ。
最悪なことに、その人殺しは、私の担任教師だった。
第一章 殺人の発見
一
私が
その時、時刻は十八時を回っていた。
特別なことがない限り、夕食は十八時半と決まっている。お母さんと二人で食事を作り、二人で食卓に着き、お母さんの好きなニュース番組を見ながら食事をする。――それが我が家の習慣だった。
「最近、物騒になってきたね。心配になるわ」
キッチンのカウンター越しに聞こえてくるテレビの音に耳を傾けながら、お母さんは呟いた。
画面の向こうでは、女性アナウンサーが深刻そうな顔で、五日前に都内で起こった通り魔事件の詳細を説明している。死傷者が二十名という、そうそう起こらない規模の大事件だ。犯人の男が逮捕される前に焼身自殺したこともあって、ネットでも話題になっている。
「犯人、凄く貧乏な人だったんだって」
ネットニュースで先んじて得ていた情報を、私は付け加える。
「自分と違って普通に贅沢に暮らしている人たちが恨めしくて、なんて動機だったらしいよ」
「ええと、その人って自殺しちゃったんじゃ?」
「周りの人に話を聞いて、『こういうことだったんじゃないか』って予想は立つでしょ。だからあくまで”かもしれない”って話なんだけど。そんなだから、ネットとかで議論が起こってたりしてる。お母さん、どう思う?」
「私、そういう難しいことはよく分からないかな」
「政治家の妻として、それってどうなの……?」
苦笑いをして、私は出来上がった食事をテーブルに運ぶ。
「だってお父さん、口数少なかったし。何しろ私のことを好きだったわけじゃないから。仕事の話は全然しなかったの」
「……そういうことを赤裸々に話せるあたり、やっぱりウチって特殊なのかなって思う」
変な含みを持たせることもなく、私は普通に、忌憚ない感想を言った。
自慢じゃないが、私の家は広い。
というのは、スゴイお父さんが残してくれたスゴイ家なのに、私とお母さんの二人しか住んでいないからだ。
私——
そしてこれも自慢じゃないが、私のお母さんは綺麗だ。
歳はもうすぐ四十に差しかかろうという彼女だが、外見はせいぜい二十代後半にしか見えない。透き通るような白い肌や艶のある黒髪は、娘の私が羨ましく思うほどだった。
「そういえば、新しいクラスはどんな感じなの?」
上品な所作でローストビーフを口に運びながら、お母さんはそんなことを訊いてくる。両親ともにお金持ちだった上、父が残した遺産と生命保険もまた莫大だったので、ウチでの生活はやたら豪華だ。
「いい感じだよ。幼馴染の腐れ縁二人組も一緒だし。まあリョウは最近、不登校気味なんだけど……」
「あら、心配ね」
「あいつが不良っぽいのはいつものことだけどね」
「担任の先生はどう?珍しい名前だったわよね。確か」
「先生は――」
正直な感想を言おうとして、私は言葉に困る。
あの先生を、果たしてどう表現すれば良いだろうか。
「――なんて言うのかな、授業は凄く上手なんだけど、ちょっと変わってるというか。私はそう思うんだけど」
「怒りっぽい人なの?」
「ううん、優しいの。授業中のヤジとか、ふざけた発言なんかにも笑って返してくれるし、本人もよくジョークを言うし……ブラックジョークが多いけど、みんな笑えるレベルだし」
「あら。ならどうして変だと思うのかしら」
「理由が分からないの。直感みたいなものなのかな」
「直感……」
お母さんはティーカップに注がれた紅茶を飲みながら、何か考え込むような顔をする。
「……スミレはお父さんの子供だからね。あなたが直感で訝しむものがあったなら、それは本当に疑わなきゃいけないモノなんだと思うわ。あなたは頭がいい。それはお父さんの血なの。だからあなたから見てその先生が『変』なら、きっと普通じゃないんだと思う」
「……この直感は信じるべきだってこと?」
「政治家としてはありきたりかもしれないけど、お父さんはそういうの、すごく大切にしていたわ。直感としか呼べない判断に救われたことが、数えきれないほどあったんだって」
「私にそんなに正確な勘が備わってるかなあ……」
そう自問すると、正直不安になってしまうのだった。私はまだ十七歳。勘に救われた経験も、そもそも勘に救われなければならないような経験すら、ろくにしていない。
「これはお父さんの言葉だけど」
お母さんはそう前置きをして、
「勘が働くときに大切なのは、どれだけ自分を信じられるかなんだって。根拠のない直感っていうのは、その人が今まで見聞きした情報から捻りだした無意識の危険信号みたいなもの。『これは勘かな』、って思った時点でそれは信用に値する。あとはそれを信じられるかどうか」
「ううん……」
自分を信じられるかどうか。……そんな言い方をされると、ますます自信がなくなってくるくらいには私は謙虚だ。
困り顔がそのまま表情に出ていたのだろう、お母さんはおかしそうに笑った。
「スミレが十分に自分を信じられないなら、そうね、お父さんを信じるのはどう?」
「お父さんを?」
「あなたのその勘は、きっとお父さん譲りのもの。だったらお父さんを信じれば、その勘だって信じられるんじゃない?スミレは自分自身以上に、お父さんが好きだったでしょ」
少し考えて、――多分考えるまでもないことだったけど、私は頷いた。
「うん。今でも、自慢のお父さんだよ」
その言葉を聞いて、お母さんは満面の笑みを作る。たぶんその笑顔も、自分を褒められた時よりも、輝いていたと思う。
やっぱり親子って似るものなんだな、と思いながら、私はデザートのコーヒーゼリーを頬張った。
今思えば、幸せに笑ってなんかいないで、この忠告をもっと真剣に聞いておくべきだったと思う。
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