第4話 森の中の家 後編


 その後、なんとかアロスを説得したフィオーナは、旅人二人に満面の笑みでその事を報告した。

 そして、

「今は両親の寝室が空いているので、お兄さん達はそこを使って下さい!二階の右手にある部屋がそうです」

 イヴルとルークにそう言った。

 外はすでに真っ暗だ。


 二人は礼を言うと、二階へと上がっていく。

 その際、アロスとすれ違う。


「チッ」


 しかめっ面で思い切り舌打ちされた。

 妹が懇願こんがんするから仕方なく折れたが、本当ならさっさと帰って欲しい。

 そんな内心がありありと窺えた。


イヴルとルークを鋭く睨みつけた後、アロスは一階にいるフィオーナの元へ去って行った

「お前のおかげで、本格的に嫌われたな」

「僕のせい?何かしたか?」

「無自覚なのが、尚更タチ悪いな」

 イヴルはため息交じりに言って、階段を上がる。

 その後ろを、疑問符を浮かべたルークが追う。


 二階には三つだけ部屋があった。

 左手に二つ、右手に一つ。

 右にある部屋が、フィオーナが言っていた両親の寝室、左の二部屋がアロスとフィオーナの部屋なのだろう。


 イヴルは右の部屋を押し開ける。

 中はそれほど広くは無いが、かと言って狭くも無い。

 主な家具はベッドが二つと、火の灯ったランタンの乗ったチェストが一つ、クローゼットが一つ、といった具合だ。

 夫婦の寝室と聞いていた為、ベッドがくっついているのかと思いきや、そんな事はなく、ベッドの間と間にチェストが割り込んでいた。

 その事に、イヴルは軽く安堵する。

 さすがに、かつての宿敵と同衾どうきんだなんて鳥肌ものだ。

 もしベッドがくっついていたら、強制的に離していた所である。


 イヴルは二つあるベッドのうち、窓際にある奥のベッドを選ぶ。

 必然的に、ルークは通路側である手前のベッドになる。


 イヴルがベッドに腰掛けると、軽く埃が舞った。

 咳き込むほどではないものの、使われなくなって久しいようだ。

 ルークが使うベッドも同様。

 二人は腰に巻いた外套をほどくこともせず、剣帯を外すこともせずにいる。

 外す素振そぶりも無い。


 そのまま、暫し部屋でくつろぐ。

 くつろぐと言っても、言葉そのまま、のんべんだらりと過ごしていた訳ではない。

 窓から外を覗いて周囲を窺ってみたり、ベッドの埃を払ってみたり、部屋の中を調べてみたりと、まあその行動は様々だ。

 しかし、結果としては目ぼしい情報は得られなかった。


 やがて、夕飯の匂いと思しき芳ばしい香りが、ドアをすり抜けて二人に届き始めた頃。

 ゴロッとベッドに寝そべったイヴルを見て、同じくベッドに軽く腰掛けたままのルークが口を開く。

 内容はやはり、依頼について。

「それで、どう思う?」

「主語が抜けてんぞ」

「この家の主達の事だ」

「ああ……。妹はさておき、兄の方が何か隠してるのは十中八九間違いないな」

 ルークは目を伏せる。

「やはり、お前もそう思うか……。あれだけ頑なに僕達を帰らそうとするとな……」

「ある意味、正直だよな」

 ククッと笑うイヴル。

「と言うか、お前はその理由を察してるんじゃないか?」

「根拠は?」

 寝転がりながら、イヴルは面白そうにルークを見上げる。

「無い。勘だ。が、お前なら知っていてもおかしくない」

 勘、という割には迷いなく断言するルークに、イヴルは苦い顔をする。

 そして、おもむろに身体を起こした。

「……。こちらも確たる証拠は無い。あくまでも推測だ。それでも良い、と言うなら話す」

 姿勢を正し、真剣な表情でルークに問う。

「構わない」

 イヴルはフッと嘆息する。

「……恐らく、ここの両親は」


 そこまで言った所で、唐突にドアがノックされた。

 出鼻をくじかれた形のイヴルは、ため息と共に立ち上がり、扉へ歩いて行く。

「はい?」

 ガチャリと開ける。

 そこに居たのはフィオーナだった。


「あ、あの、夕飯が出来たので、よろしければ一緒に食べませんか?」

 おずおずと上目遣いで聞いてくるフィオーナに、イヴルはニコッと微笑む。

「喜んで」

 パッと花が咲いたように、フィオーナは嬉しそうに笑う。

 話を聞いていたルークが、早速ベッドから立ち上がった。


 フィオーナは二人を連れ立って一階へ下りる。

 そこには、すでに夕飯に手をつけるアロスがいた。

 アロスは三人、いやイヴルとルークを一瞥いちべつした後、無視して黙々と食事を進める。

 夕飯は、パンとサラダと焼き魚だった。


「お兄ちゃん!もう、待っててって言ったのに!」

 フィオーナがプンプンと怒る。

 さっぱり怖くない。


 黙って食べ続ける兄に、フィオーナの頬がふくれる。

「もう!あ、お兄さん達、どうぞ座って下さい」

 フィオーナは一度兄に対してそう言うと、二人に席に座るよう勧めた。


 席順は、少し前にここで話した時と一緒だ。

 アロス、フィオーナの対面にイヴル、ルークの配置。

 席に着いたイヴルは、夕飯を見てかすかに悩む素振りを見せる。

 とは言え、それは本当に微かなもので、彼が躊躇ちゅうちょしたのを察せたのはルークだけだった。

 が、最終的にイヴルは食事を摂ることに決めたらしく、小さく息を吐き出した。


 アロスを除いた三人が「いただきます」を言うのと、早々に食べ終わったアロスが席を立つのは同時だった。

 空になった食器を流し台に運び、そのまま無言で二階の自室へ消えて行く。


「あの、本当に、お兄ちゃんがごめんなさい……」

 しょぼっとしおれるフィオーナに、二人は何度目かになる、気にしない趣旨しゅしの励ましの言葉をかけた。

 そして夕飯を食べ始める。


 パンはふっくらと、魚は丸々と太っていて脂がのっている。

 魚の味付けは塩、胡椒だけとシンプルだが、その分魚本来の旨味が際立っていて、控えめに言っても美味しい。

 サラダは様々な野菜、と言うか野草の盛り合わせみたいなものだ。

 ちらほらと、青い不思議な野草が散っている。

 ドレッシングは果汁をメインにしたオリジナルらしく、サッパリとしていて、これも美味しかった。


 しばしフィオーナと談笑しながら食べ進める二人。

 先に食べ終えたのはイヴルだった。

 空の食器をかたそうとすると、フィオーナからそのままで大丈夫と言われる。


「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」

 そうイヴルがねぎらうと、フィオーナは照れながらはにかんだ。

「お粗末様でした」

「すいません、柄にもなくはしゃいでしまったので、少し夜風に当たってきます。遠くには行きませんし、すぐに戻ってきますから、つまらないでしょうがコイツの話し相手になってやって下さい」

 ルークが怪訝けげんそうな顔をしているが無視。

 フィオーナは、ふふっと笑う。

 それを確認した後、イヴルは一人家を出た。


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 外は夜風が涼しく吹いていた。

 虫がそこかしこで元気よく生を謳っている。

 それを聞きながら、イヴルは森の方へ足早に歩いて行く。


 家から多少離れた所で足を止める。

 足元には草が生い茂り、目の前には太い木々が乱立していた。


 そうして、イヴルは唐突に指を喉奥に突っ込んだ。


 嘔吐する。

 さっき食べた物を全て吐ききるまで、何度も指を突っ込む。

 木の幹に手をついて、草を吐瀉物としゃぶつで汚す。

 脂汗を流し、生理的な涙が流れる。

 苦痛だが、それでも止まらない。止められない。


 やがて、吐くものも無くなり、黄色い胃液しか出なくなった所で、イヴルはようやく指を入れるのを止めた。

 軽く咳き込んだ後、はぁはぁと肩で息をする。

 身体が熱い。

 これは、嘔吐を繰り返したからじゃない。

 魔法で水を生成し、手を洗った後口に含んで吐き出す。

 口を袖で拭いながら、イヴルは忌々しげに舌打ちをした。


「クソ。わずかだが吸収されたか」


 イヴルの身体は星幽アストラル体、魂の状態だ。

 本来の物質マテリアル体とは違う為、摂取した物質は百パーセント完全に吸収される。

 その為、例え微量と言えども、毒やその類いを摂ってしまうと、物質体の時以上により顕著けんちょに効果が現れてしまう欠点があった。

 フィオーナに出された料理、それに使われた材料の大半が、今のイヴルにとって有害なものに他ならない。

 ルークのように、状態異常が無効になるのであれば全く問題無いのだが、残念ながらイヴルは物質、星幽どちらにもその様に便利なものは無い。

 そうであるが故に、イヴルは全てが吸収される前に、無理やり吐いた、という訳だ。


 幹から手を離す。


「えーっと、なんて言ったっけな……」

 使いたい魔法の名前が思い出せず、僅かに考えるイヴルだったが、幸いな事にすぐ浮かんでくれた。

「あぁ、そうそう〝浄化ピュリフ″だ」

 言いながら、パチンと指を鳴らす。

 その瞬間、イヴルの身体が淡く光り、体内にあった状態異常の元凶を消し去った。

 額に浮かんでいた汗も消える。

 気持ち、服もしゃんとしているように見えた。


 この魔法の主目的は、摂取してしまった毒物等、有害物質の除去だ。

 しかし、それを拡大解釈して、体内や体表に付着した不純物等を消す場合にも使われる。

 転じて、身体を清潔にする用途でもよく使われていた。

 ……と言うか、むしろ今はそちらがメインで使われている。

 もちろん、消せる質量に限界はある為、こうしてイヴルは胃の内容物を吐いた訳だが。

 故に、他国と比べて魔法があまり使われていない聖教国でも、浄化この魔法は一般にもよく普及していた。

 大量の水を使う風呂に入る者など、一部の富裕層に限られるだろう。

 兎にも角にも、イヴルの身体が綺麗になったのは、そのような理由からだった。


「まったく、アイツの状態異常無効の身体が羨ましいよ」

 呟きつつ、イヴルは吐瀉物に目を向け、再度指を鳴らした。

消去デリート

 途端に、汚物は周囲の草や土を巻き込んで、円形に消えた。


 イヴルは、くり抜かれたように消え去った地面を確認すると、兄妹とルークが居る家を眺める。

 そして、面倒そうにため息を吐いた後、渋々戻って行った。


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 ガチャリと家の扉を開けると、ルークとフィオーナが楽しそうに談笑していた。

 訂正。

 楽しそうにしているのはフィオーナで、ルークは薄い笑みを貼り付けて頷いていた、が正解。


 コイツ、ずいぶん感情が希薄になったな。

 と率直な感想をイヴルが抱いていると、二人の視線がそちらに向いた。


「あ、おかえりなさい!」

「遅かったな」

 にこやかなフィオーナと不愛想なルーク。

 二人から正反対の反応を貰いつつ、イヴルはさっきまで自分が座っていたイスに腰掛ける。

「そんなに時間は経ってないだろ」

「何をしていたんだ?」

「だから、夜風に当たりに行ってただけだよ!保護者かお前は!」

 イヴルがルークに対して、突っ込みを入れると、フィオーナが笑った。

 笑いながら、スカートのポケットからピルケースを取り出した。

 さらにそこから、青い錠剤を三つ手に取る。


「それは?」

 ルークが訊ねる。

「お薬です。一日二回、朝と夜に飲むんです」

 そう言うと、三つの錠剤を一気に口に含み、水を飲んで流し込んだ。

「私、昔から身体が弱くて、持病を抱えていたんです。そしたら、お父さんが運良くこの森で、私の病気に効く薬草を見つけてくれて。この薬はお父さんのお手製なんです。今はいないので、代わりにお兄ちゃんが作ってくれてますけど」

 懐かしむように言うフィオーナに、ルークは穏やかな目をして

「良いご家族なんですね」

 と言った。

 フィオーナは微笑んで答えた。

 イヴルは、その光景を冷めた目で見ていた。


 それからは、夜も更けてきたと言う事もあって、三人は早々に会話を切り上げて、それぞれの部屋へと戻って行った。


 両親の寝室。

 今日に限ってはイヴルとルークの部屋。

 そこに入った途端、ルークが問い詰めた。

「それで、本当のところは何をしていたんだ?」

「んー?」

「お前が、何の理由も無く席を立つとは思えない。本当は何をしていたのか言え」

「まあまあ、少ししたら面白いものが聞こえてくるだろうから、その時にでも話してやるよ」

 鋭く、抜き身のやいばのように言うルークに、イヴルは飄々ひょうひょうと返すと、ランタンの明かりを消してベッドに寝転んだ。

 納得いかないと、ルークは難しい顔をしていたが、それでもベッドに腰掛けてイヴルが話し出すのを待った。


 それから数十分後。

 扉の開閉する音が聞こえてきた。

 無論、イヴルとルークの部屋では無い。

 音の距離的に、アロス、あるいはフィオーナの部屋だろう。

 軽い足音からして、移動しているのはフィオーナに違いない。

 そしてその音は、恐らくはアロスの部屋であろう場所へと消えて行った。


 真夜中でも、月明かりがまばゆく窓から差している為、相手の顔がよく見える。

 ルークは訝しげな表情をしていた。

 イヴルはベッドに横になりながら、足を組んで目を閉じていた。

「これが面白い事、か?」

「まあ待て、まだだ」


 そこからさらに数分後。

 アロスの部屋から、隠しきれないあでやかな嬌声きょうせいが聞こえてきた。

 とは言っても、ソレは微かなもので、恐らくこちらが就寝していれば気づかれない音量だったが、二人とも生憎と起きている為、よく耳に届いた。


「これが面白い事、か?」

 先ほどと全く同じ問いをするルーク。

 違うのは、その表情が嫌悪感満載な所。

 フィオーナの悩ましい嬌声を聞きながら、イヴルは目を閉じたまま楽しそうにルークに言った。

「そう!面白いだろう?人里離れた森の中で、兄妹がイケナイ関係になっている。ははっ十八禁ゲーでは、ありがちな話だな」

「――っ!!貴様っ!」

「おっとストップ。怒鳴ると相手に聞こえるぞ。まあ聞こえても止まりはしないだろうが」

 イヴルは身体を起こす。


「さて、種明かしといこうか」

 そう言うと、イヴルは立ち上がり、窓を開けてそこから飛び降りた。

 ルークも続いて飛び降りる。


 窓の下には、あの青い鈴蘭、ルスト草が生い茂っていた。

 目の前には青く光る湖がある。

 湖の中で、同じように青く光る魚が眠っていた。


 ぐしゃっと花を踏み潰して着地する二人。

 イヴルは花の無い場所へと歩を進める。

 当然ルークもそれに続いた。

 イヴルが立ち止まったのは、昼にアロスと言い合ったほとり


「さて、と。何から話そうかな……」

 どうやら語ることが多いらしく、イヴルは顎に手をやって悩む。

「まずは、あの獣にも劣る行為の理由について知りたいんだが」

 ルークは顰めっ面のまま訊ねる。

 言葉がキツイのは、彼が倫理や正義を重んじるが故だろう。

 イヴルはルークに目をやった後頷き、ルスト草へと視線を移した。

「それなら、まずはこのルスト草の説明から始めるか。何しろ、これが全ての元凶だからな。長くなるから覚悟しろ」

 そう前置きした上で、イヴルは話し始めた。


「ルスト草はな、万能薬の元だ。あの娘が飲んでいるのも、十中八九ルスト草から作られた薬だろうな。その葉はあらゆる外傷を治し、その花と根はあらゆる疾病を治す。出来ない事と言えば、切断されたものや腐れたものを再生させる事ぐらいだ」

 イヴルは一度言葉を区切った。

 そして、ルークが黙って先を待っているのを確認した後、ひと呼吸置いてから説明を再開する。

「だが、コレには最悪な副作用が三つあってな。それこそ、万能薬の元、などと言う素晴らしい二つ名が消し飛ぶほどだ」

 

 イヴルはルークに向けて、人差し指をピンと立てる。

「まず一つ。強い依存性だ。服用してから二十四時間以内に再度服用しない場合、幻覚幻聴が出て半狂乱状態に陥る。そしてそのまま放置していると、遠くない内に発狂し、人としての自我が消える」

 続いて中指を立てる。

「二つ目。強烈な催淫効果。まあこれが、兄妹で情事に至っている理由だろう。理性や常識、倫理なんてもんは、木の葉のように吹き飛ぶほど強烈なものだからな。正直、激烈な媚薬と言っても過言じゃない」

 最後に薬指を立てる。

「そして三つ目。身体の変異。服用を続けていると、初期から中期に目の色、髪の色が青く変わる。後期になると体毛も青くなり、さらに末期になると獣と変わらない姿に変異する事が出来る。と、研究結果から判明している」


「〝研究結果″?まさか、コレを作ったのはお前か?」

 ルークが剣呑な雰囲気でイヴルに聞く。


 瞬間、ビシリッと空間が軋んだ。


「まさか。こんな出来損ないの唾棄だきすべき草、誰が作るものか」


 空気が凍るなど生ぬるい、時間すら死んだような空間。

 虫は鳴くのを止め、風も停止する。

 息すら出来ない、耳に痛いほどの静寂に、ルークの額からジトリと嫌な汗が湧き、一筋流れた。

 地雷を踏んだ、そう直感した。

 イヴルを確かに見ているはずなのに、彼の姿が認識出来見えない。

 距離にして一メートル程度しか離れていないはずなのに、彼の表情が見えない。

 大戦の時でも、このような空気になる事は滅多に無かった。

 それ故に、ルークは人知れず動揺する。

 先の質問の、何が彼の、魔王の逆鱗に触れたのか。

 震える手はおのずと剣に向かい、柄を掴む。


 それを白々しく見ながら、イヴルは口を開いた。

 闇を凝縮したかのような、暗い昏い声色だった。

「出来る事ならば、時間を遡って、コレを創り出した奴ごと消し去ってやりたいわ」

 アメジスト色の眼の中で、瞳孔が金色に変化し、妖しく煌めいた。


 そして、イヴルは自らを落ち着かせるように、静かに目を閉じた。


 途端、フッと空気が緩んだ。

 風は思い出したように吹き、虫は息を吹き返したかのように鳴きだす。

 ルークも、ハッと息を吐き出して、肩を上下に揺らしながらむさぼるように空気を吸った。

 柄にやった手は固まってしまったのか、離すことなく、未だ軽く震えている。

 大戦を終えて千年。

 久々の、不老不死と言えども死を意識せざるを得ないほどの壮絶な殺気に、ひとりでに身体が震えてしまう。


「ま、そんな訳で、コレは俺が作ったものじゃない。俺が生まれた時代に作られたのは確かだがな。ってオイオイ、大丈夫か?」

 頭で手を組み、あっけらかんとした態度で、荒い息をするルークを気遣う。

 いや、気遣う風を装っている。

 キッとルークはイヴルを睨んだ。

 久々に見た、〝魔王″としてのイヴルに、ルークは改めて強い警戒心を抱く。

「やはり、お前は〝魔王″なのだな」

「何を当たり前な事を。酸欠で脳に障害でも出たか?まあいい。とにかく説明を続けるぞ」

「…………」

 ルークは、ようやく息を整えて、柄から手を離す。

 とりあえず、説明を聞いてしまおうと判断したからだ。

 単に、今現在において、イヴルを倒すすべも封印する術も持たないし、なによりあの兄妹が巻き添えを食うのを危惧したからかもしれない。


「で、だ。俺が夕食の後で席を立ったのは、食事の中にルスト草が混じっていたからだ。それだけでなく、ルスト草に汚染された物も入っていたからな」

「汚染?」

「そ。この湖の水と魚。湖の水を使って育てたであろう野菜。サラダの中には普通にルスト草が入っていたしな。お前は女神の加護で平気だったろうが、俺はそうじゃないんでね。外で吐かせてもらった。まったく、いっそ致死毒ならば楽だったものを、中途半端なもんだから面倒で仕方なかった」

 うんざりしたように首を振るイヴル。

「それならば何故食べた。理由をつけて食べない選択肢もあったはずだ」

「そんなの決まってるだろ?警戒されない為だよ。その方が楽に物事が進む。現にこうやって、情事にふける兄妹の目を盗んでここに立っている」

「つまり?」

「あの兄妹には悪いが、ルスト草、そしてそれに汚染されたものは全て処分させてもらう」

「…………」

 押し黙ったルークを見て、イヴルは首を傾げた。

「反対か?」

「……いや、この花の有毒性を考えれば当然だ。全て処分、というのも、お前の実力ならば問題無いだろう。ただ……」

 言葉に詰まる。


 僅かに考え込んだルークが、再び口を開こうとした瞬間、バンッと家の扉が勢いよく開かれた。

 中から出てきたのは、上半身裸のアロスと、裸体にシーツを羽織っただけのフィオーナだった。


「お前ら!そこで何してるっ!!」

 昼と同じ言葉を怒鳴り散らし、イヴル達に向かって歩いてくる。

 アロスの肩には鍬が担がれていた。

 先ほどの、尋常じんじょうでない気配を感じて急いで出てきたのだろう。


「おっと。やれやれ、お前のせいで出て来ちまったか」

「人のせいにするな」

 二人は軽口を叩きつつ、兄妹を見た。


「悪いなあ、お楽しみの最中に」

 イヴルはヘラヘラとアロスに声をかけた。

 それを聞いたアロスが、顔を真っ赤にしてイヴルへと駆け、思い切り鍬を振り下ろす。


 ザグッ!!


 だがそれは、鈍い音を立てて地面を掘るだけに終わった。

 見れば、イヴルは身体をひねって避けていた。

 アロスは鍬を捨ててフィオーナの元に戻る。


「ああ、そうそう!言い忘れていたが、このルスト草は人の死体を苗床に繁殖する特殊な植物でな。なぁ少年、お前達の両親、本当は何処に居るんだ?」

 ニヤニヤと、薄ら笑いを浮かべて、イヴルは前半をルークに、後半をアロスに声高らかに聞いた。

「――――っ!!」

 察したルークの顔色がみるみる悪くなり、アロスを見る目が険しくなる。


「キヒッ」

 アロスは、いびつな笑い声を上げた。

 フィオーナは無表情で三人を見ていた。

 そして、兄はあっさりと白状する。


「キハハハハハッ!あぁ、察しの通りさ!あの二人はオレが殺した!あのクソ親共、もうこの草を使うのは止めようなんて抜かしやがったっ!!今さらそんな事出来るかよ!!十年、十年だぞ!?止められるはずねぇだろうがっ!こんな気持ちいい事、止められるはずねぇだろうがっっ!!」

 口から唾を飛ばし、見開いたアロスの目は血走っていた。

「アイツらだって、散々この草を利用して楽しんでたってのに、なんで突然そんな事言うんだよ!理解出来ねぇ!出来ねぇから殺したっ!!何が悪い!!キヒッあぁ、止めらんねぇ、止めらんねぇよ。あんなクソ親、死んで当然だっっ!!」

 ギャンギャンと、しつけのなっていない犬のように吠えたてるアロスを見て、ルークは堪えきれない嫌悪で顔をしかめた。

 イヴルはと言うと、面白そうに言い分を聞いていた。

「だから、アイツらには草の養分になってもらった。当たり前だろ?親なんだ、死体とはいえオレ達の為に役立ってもらわなけりゃあな!」


「っという訳だ。これで依頼も完了だな。叔父夫婦は死亡。殺したのは息子。生きてるのは息子と娘」

 イヴルは薄ら笑いを浮かべながらルークに言う。

「…………」

 黙ったままのルークは、唇を強く噛みしめている。


「だからよぉ、オレ達のこの幸せな生活をぶち壊されちゃあ困るんだよ」

 アロスが歪な表情のまま腕を振り上げると、突然その腕が肥大化した。

 腕に青い体毛が途轍とてつもないスピードで生え、さらにもう片方の腕も同じように変異し、上半身、下半身、頭部と次々に変わっていく。

 フィオーナは、ただそれを無表情のまま見ていた。


 最終的に、巨大な青い猪の様な化け物と化したアロスは、ひと声上げてイヴルとルークに襲い掛かった。


 薙ぎ払われた腕を跳躍して避けながら、イヴルはルークに話しかけた。

「まぁ十年だもんな。完全に変異出来てもおかしくないか。おい勇者、俺はルスト草の処分に移る。コイツをどうするかはお前が決めろ」

「……ああ」

 ルークは神妙な面持ちでそう言うと、腰の剣を抜き払い、アロスの腕を斬りつけた。


 ギャオオオォッと叫び声が上がる。

 人語は失われたようだ。

 必然的にアロスの狙いがルークへと移る。

 それを感じ取ったルークは、そのままイヴルからアロスを引き離すように、森の方へ徐々に移動を始めた。


 完全に獣に変異した為、判断能力知能が低下したアロスは、ルークの誘いにいとも簡単に引っかかる。

 腕をブンブンと薙ぎ払い、跳躍して押し潰そうとするも、そこはさすがにかつての勇者。

 千年前に魔王と戦い続けた英雄、軽く避けながら、うまい具合に距離を取っていく。


「相変わらず器用な奴」

 感心したような声でイヴルは呟いた。

 残されたのは湖畔こはんに立つイヴルと、彼から二メートルほど離れた位置にいるフィオーナだけ。

 特に邪魔をしてこないなら放っておくか、とイヴルが適当に考えていたら、突然フィオーナが走り出し、イヴルに抱きついてきた。

 そして、それなりの大きさの胸を押し付ける。

 彼女のシーツの下は全裸だ。

 普通に考えれば扇情的せんじょうてきなんだろうが、それを見るイヴルの目は冷ややかだ。

 冷徹、と言ってもいい。

 その目に気付かないのか、フィオーナはグイグイと胸を押し当てながら、イヴルにびた。


「お兄さん、お願いします!その草を処分するのはやめて下さい!やめてくれたら、私何でもします!私の身体を好きにしてくれて構いません!だから、お願いします!ね、お兄さ」

 フィオーナの言葉が途中で途切れたのは、彼女が顔を上げてイヴルの目を見たからだ。

 そこに映る冷酷と侮蔑ぶべつを見たからだ。


 ヒッと息を呑んで、フィオーナはイヴルの腕から離れ、二、三歩後ずさった。

「薄汚い醜女しこめが」

 イヴルは、フィオーナがくっついていた部分を手で払う。

 まるで、そこにゴミでも付いていたかのように。

「あ、あ……」

 パクパクと、陸に打ち上げられた魚の様に口を開閉するフィオーナ。


 近寄ってこないフィオーナを一瞥した後、イヴルはルスト草の処分に着手する。

 この湖を丸ごと消す為、まずしたのは消費する分の魔力の開放。

 ズンッと、辺りに濃密な魔力が満ちる。

 あまりの濃さ故に、重力が二倍になったと錯覚するほどだ。

 イヴルはその魔力を練り上げる。

 やがてソレは、あっという間にゴルフボール大の眩い火球へと姿を変えた。

 後は唱えて放つだけ。


 魔法を使う上で、本来見せる必要のないこの工程を、わざわざ見せたのには理由がある。

 途轍もなくろくでもない理由だが。

 ひとえに、フィオーナの絶望する顔が見たかったのだ。

 見るのも不快な草を栽培し、服用し、あまつさえ不快な行動を自分にしてくる女の、その顔が絶望に染まる様を見たかったのである。

 それぐらい見なければ割に合わないと。

 そんな、性根のねじ曲がった思惑から、イヴルは手間を惜しんでまで、この光景をフィオーナに見せていた。


 そして、その目論見は見事果たされる。

 イヴルが魔法を放とうとした瞬間、フィオーナが悲痛な叫び声を上げた。

「お、お願い!やめて!やめて下さいっ!!それが無かったら、私、病気で死んでしまうんですっ!!」

 真っ青な彼女の顔色を見て、イヴルは至極面白そうに笑った。

 目をすがめ、口の端を吊り上げて、心底から馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「クハッ!君は面白い事を言うな。このルスト草は一度服用するだけで病を治す。かなり厄介な病気でも二、三度飲めば完治する。君は十年もの間、これを飲み続けた。ならば、君の持病とやらはとっくに治っている」

「な、治ってなんか、無い……」

 フィオーナの声は消え入りそうなほど儚い。

 シーツを掴んでいる手に、より力が込められ、さらに多くの皺がシーツに刻まれた。

 だが、イヴルはそれを意に介した様子もなく、朗々と続ける。

「それに、今君は一日二回、三錠も服用している。察するに、徐々に薬の効果に耐性が出来始めてるんじゃないか?あぁ、ここで言う効果ってのは媚薬としての効果な」

「そ、そんな、事……」

 言葉に詰まる。手がカタカタと震える。

 いや、震えているのは彼女の身体か。

「まあ、俺にとって君の事などどうでもいい。足元に転がる虫が、明日どうなっているのかと同じだ。だから、ルスト草は全て消させてもらう」

 そう言うと、イヴルはフィオーナに背を向けて魔法を発動させようとした。


 その瞬間、イヴルの説得を諦めたフィオーナは、実力行使に出た。

 シーツがはらりと地面に落ちる。

 夜風に晒された裸体が、メキメキと造り変わっていく。

 爪が鋭く太く伸び、犬歯も同様に伸びて牙へと変わる。

 ゴグリッゴギリッと、急激に骨格が変形する異様な音に、イヴルは振り返った。

 真っ青な体毛に覆われた華奢きゃしゃな身体が、二倍、三倍に膨れ上がり、四つん這いになって大地を揺らした。

 つまり、兄と同じような青い猪へと変異したのだ。

 あれほど可愛らしかったフィオーナの面影は、残酷なほどどこにも無い。


 そして、イヴル目掛けて突っ込んだ。


 イヴルは嘲笑ちょうしょうを浮かべながら、横に跳躍して躱すと、フィオーナだったものの側頭部に回し蹴りをお見舞いした。

 全力で蹴ったわけでもないのに、青い猪は面白いように吹き飛び、ルークを襲っていた兄猪へと思い切りぶつかる。

 ぶつかっただけでは止まらず、奥にあった木を何本かバキバキとへし折ってから、ようやく停止した。


 どうやらルークは、アロスを殺さないように戦っていたらしい。

 あそこまで完全に変異してしまっては、もう元の人型に戻る術は無いのだが、その事を伝えるべきか僅かに悩んだ末、イヴルは先にルスト草と湖を消し去る事を優先した。

 不快なものは、まず真っ先に消さなければ。

 との思いが働いたのかもしれない。


 イヴルは、火球を指でピンッと弾く。


星焔消シリウスフレイム


 ちょうど火球が湖の真ん中へ至った時、イヴルは今度こそ魔法を発動した。

 視界すら白く灼き尽くす焔は、辺りを真白く染め、真昼よりもなお輝いて、深い森を内側から照らした。

 あまりの光量に、イヴル以外の全員が目を閉じる。


 黄金よりも白く眩い焔が、湖、そしてルスト草の群生地を飲み込んでいく。

 兄妹の住んでいた家は辛うじて免れたが、かなりギリギリだった為、外壁が焦げる。

 レンガ造りの為、燃えなかったのは運が良かった。


 白焔に飲み込まれた湖とそこに生息していた生き物は、瞬く間に蒸発して消えて無くなる。

 地上にあったルスト草も言わずもがな。

 根まで灼き尽くされ、同様に灰燼に帰す。


 やがて白い光が治まる。

 時間にして僅か一分弱。

 それだけで、一つの湖は消えて無くなり、後に残ったのはただのポッカリとした虚ろなクレーターだけ。

 白焔の範囲内にあった場所は、大地までも黒く焼け焦げていて、ルスト草など影も形も無かった。


 目を開いたアロスとフィオーナ、両者から豚の様な悲鳴が上がる。

 イヴルは、目的の物が残らず処分出来たのを確認すると、満足気な笑みを浮かべた。

 それに反して、ルークは難しい顔をしたままイヴルを見ていた。


 ブキィブキィと半狂乱で喚く二匹の猪。

 口の端から泡を飛ばす様は、知性の欠片も無い。

 イヴルはうるさそうに二匹を見ると、腰の剣を抜いた。

やかましい畜生だな」

 そのまま流れるような動作で、二匹に向かって剣を振り下ろそうとした瞬間、

「待てっ!」

 ルークが叫び、咄嗟に放った剣風で、イヴルの剣を弾いた。

 が、止める事は出来ず、イヴルの剣は横向き、つまり腹の部分で二頭に薙いだ。


 発生した剣風、という名の突風が二匹の獣にぶち当たり吹き飛ばす。

 さらに木々をへし折って森の奥へ消える兄妹。

 それには目もくれず、代わりにイヴルはルークを見た。


「何故止める?アレはもはや、ただの獣だ」

「彼らは人だ!」

「いいや、違う。よく見ろ、アレのどこに人の要素がある?」

「だが、人だった!」

「その通り、そして今は違う。あそこまで変異してしまっては元に戻す方法も無い。アレはもう、魔族と言って然るべき存在だ」

「それでも!そうだとしても……っ」

 拳を握りしめ、悔しげに呻くルーク。


 感情が希薄になったと思ったが、存外そうでもなかったらしい。重畳ちょうじょう重畳。勇者とは、やはりそうでなくては。


 イヴルは愉快とばかりに目を細めてそう思う。


 そうして、苦しい表情で地面を見つめるルークに、イヴルは言葉を放った。

「……まぁ、この依頼を引き受けたのはお前だ。お前の好きなようにするがいい」

 言って、イヴルは剣を鞘に戻す。

 ルークはパッと、驚いたように顔を上げた。

「いい……のか?」

「逆に何故、俺の同意を得ようとする?すぐ情にほだされるのはお前の悪い癖だ」

 渋い顔でルークに忠告する。

「それが僕だ。その上で、恥を忍んで頼む。どうか、知恵を貸してほしい」

 真摯に懇願してくるルークに、はぁ……と呆れたため息を吐いて、イヴルは面倒そうに顎に手を当てながら助言した。


「貸し一つだぞ。……あの兄妹だが、先も言った通り、あそこまで行くと元に戻す術はない。だから出来る事は限られる。すなわち、殺すか殺さないか」

「無論、殺したくない」

 ルークは即答する。

「ま、だよな。とすると、次の選択肢だ。あの兄妹を放置するか、あるいはどこかに監禁しておくか。どちらにせよ、ルスト草の無くなった今、あの兄妹はそう遠くない内に自我も失う」

「なんとかならないのか?浄化魔法とか」

「ならないな。事ここに至っては、もはや遺伝子レベルでルスト草の成分が組み込まれてしまっている。浄化魔法など何の意味もさない」


 バキバキと森の奥から音が聞こえてきた。

 兄妹が戻ってきた音だろう。

 どうやら、そう悩んでいられる余裕は無いらしい。


「だが、心穏やかにただの獣として生きると言うのなら、手が無い訳でもない」

 イヴルがそう言った所で、怒れる青い獣が倒木を踏み砕いて姿を現した。

「……それは?」

 神妙に訊ねるルークに、イヴルはその方法を告げる為、口を開いた。


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 滅多に人の立ち入らない森がある。

 深く、鬱蒼うっそうと生い茂った森だ。


 以前あった、それなりに大きい湖は、一体何があったのか干上がり、ただのクレーターと化している。

 その近くに、赤レンガ造りの一軒家があった。

 とんがり屋根には突き出すように煙突がある。

 人が住まなくなって久しいのか、外壁は所々崩れ、家屋の中が伺えた。

 使われなくなった家具や日用品が、厚く埃を被って寂しく佇んでいた。


 その家から少し離れた森の中で、二匹の青い獣がいた。

 ちょうど木々が倒れ、さながら円形広場のようになった場所だ。

 頭上からは眩しい陽の光が差している。


 スポットライトの中で、青い獣達は横たわっていた。

 息も絶え絶えで、間もなく生を終えるのだろう。

 それでも、その目には怒りや憎しみは一切なく、ただ己の運命を穏やかに受け入れていた。

 そこに人としての意識は無い。

 そこに人として生きた記憶は無い。


 ただの獣として、自然界を構成する一個の生命として、いずれは訪れる必然の結末に身を任せていた。


 兄妹は眩い光の中で、眠るように、ゆっくりと目を閉じる。

 そして、一度深く息を吐くと、それっきり動かなくなった。


 森には、虫の声が響いていた。


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