ドラマチック
mako
第1話 デモニック
悪魔。
人が人のことをそう呼ぶ時、それはある感情の発露である場合が多い。
人は理解できないものを恐怖する。私は彼を恐怖するあまり、彼は悪魔だと、そう結論づけることしかできなかった。
悪魔は業火に焼かれて死んだ、留置所の中で。奇跡的に他に死傷者は出なかったが、彼だけが、完膚なきまでに焼き尽くされていた。出火の原因は不明だったが、世間を散々騒がせた事件の犯人が死んだのだ、放火と見るのが妥当なところだろう。
悪魔の名前を、
宇津木やしろは、
「ぼくは沙良を、実の妹のように愛していましたよ。あの子は本当に可愛いんです。難しい言葉とか上手く言えなくて、この前だと、コンピューターとか、上手く言えなくて、コンピュッターって言ってたんです。でもあいつは背伸びして、いろんな初めて知った言葉をいっぱい使おうとして。そういうところがまた、微笑ましくて」
宇津木はそう言って微笑んだ。年の離れた妹が可愛くてしょうがない、そんな、本当の兄のような笑顔だった。
沙良を殺した、そんな簡潔な自白とともに、その男子高校生は自首した。
困ったことに、自首してきたはいいものの、彼はどんな取り調べを受けても、なぜかだんまりを決め込んでいた。そして悪戯として片付けるにはその少年はあまりにも事件と関係が深かった。
そうしているうちに、なぜか私にも取り調べの順番が回ってきた、まだまだ新米の私に。難しい容疑者に触れさせて、経験でも積ませようと、そういうことかもしれない。
だが、彼は、宇津木やしろは、あっさりと口を開いたのだ。私が名乗った途端、頑なに閉ざしていたその口を、あっけないほどすぐに開いた。
「名前、今なんて言いました?」
私は予期していなかった相手の言葉に少し戸惑いながらも、動揺を悟らせないために、自然な間を取って答えた。
「田中詩織です。田中は、ごく普通の“田中”で、詩織は、ポエムの“詩”に、織姫の“
それを聞くと、宇津木は何かおかしそうに笑った。私が冷静に「何か?」というと、彼は少し申し訳なさそうな顔になった。
「いえ、笑ったりして、失礼しました。変わった言い方をするんだなと、そう思っただけですよ。織姫の“
それを聞いた私は、容疑者の取り調べに来たことを一瞬忘れて、少し考え込んだ。そう言われればそうだ、織姫の“織”なんて言い方はあまり聞かない。だが自分が自己紹介をするときはいつもそうだった。意識したことはなかったが、変わっているのかもしれない。
「他に、“おり”という読み方をするときを思いつかなかったので」
結局はその程度の理由でしかないのだろう。私は自分で言いながら納得していたが、驚いたことに、宇津木やしろもまた、私の返答を聞いて、納得したような、満足したような表情を浮かべ、頷いていた。
「組織の“
私には、彼が何を言いたいのかよくわからなかったが、ここは曖昧に頷いておくことにした。私はこんな話をしにきたわけではないのだ。
畑田沙良殺害の動機、それが私の取り調べの主眼だった。
当然のことだが、取り調べの前に、今回の事件に関する調書は全て目を通してきていた。もちろん、その中には宇津木やしろに関するものもあった。そして、それを読んだ上で言えることは、本当に宇津木やしろが畑田沙良を殺したならば、この少年はあくまでも異常だということだ。
被害者の畑田沙良ちゃんは、七歳、まだ小学二年生の女の子だ。死因は転落死、遅くまで帰ってこない娘を心配した母親の通報のすぐあとに、彼女がよく遊んでいたという、丘の上の公園に続く階段の下に倒れているのが発見された。直接の死因は階段を転がり落ちたことだが、その背中には、明らかに何者かに強く殴られた形跡があった。
妙なのは、被害者の背中に残る痕以外には、凶器どころか犯人の痕跡が一つも残っていないことだ。そこには、念入りに計画されたような、そんな狡猾さが感じられた。そして言い方を変えると、自分の痕跡を跡形もなく消してしまうほどの狡猾な犯人が、被害者の体に明らかな殺人の証拠を残したのも異様だった。事故に見せかけることもできたはずだが、あえて殺人であることを誇示しているかのようだった。
現場の手がかりが少ないだけではない。被害者は七歳の少女だ。小学校の同級生との喧嘩ならいざ知らず、計画的に殺害されるような理由など、どこにも見当たらなかった。物的証拠も、思い当たる動機もなし、手がかりがほとんどないような状況の中で、捜査は困難を極めた。
そんな捜査の中で、もちろん宇津木やしろはすぐに目に止まった。親戚でもないのに小学二年生の被害者と妙に親しかった高校生の少年。これは相当に怪しいと、誰もがそう思ったはずだ。
しかし、少し調べただけで、彼の疑いはほとんどはれた。少なくとも、調べた者たちは彼に疑いの目を向けるのをやめた。なぜ宇津木が被害者と親しかったのか、その過去が明らかになったからである。
畑田沙良は、二年前にも、命を落としかけていた。それは今回のように誰かに命を狙われたとかいうものではなく、母親の不注意から、家が火事になってしまったためだった。
その日、体調が悪くてうちで寝込んでいた沙良ちゃんをおいて、母親は買い物に出かけてしまったのだ。娘の大好きなカレーの鍋を、火にかけたまま。そんな些細な不注意が、しかし木造の一軒家が全焼するほどの大事故を引き起こしてしまったのである。当時まだたったの五歳で、しかも体調が悪かった沙良ちゃんは当然ながら一人で逃げることなどできず、助けを求めて泣き叫ぶことしかできなかった。泣き声が聞こえたと、多くの目撃者がそう言っていた。そして、彼もその泣き声を聞いたのだろう。偶然通りかかった少年、当時中学生だった宇津木やしろは、燃え盛る建物のなかに少女がいることを知ると、ためらいなく飛び込んでいったのだ。
幸運だった、そういうほかない。幸運にも、宇津木少年は沙良ちゃんをほぼ無傷で助け出したのだ。そのすぐ後に消防隊と救急隊が到着したが、もし彼が助けていなければ、沙良ちゃんは命を落としていたかもしれない、そうでなくとも取り返しのつかないような後遺症を負っていたかもしれない。
当然と言えば当然だが、沙良ちゃんは自分の命の恩人を実の兄のように慕うようになり、それは宇津木も同じで、たびたび沙良ちゃんと遊んであげていたようだ。もちろんこのことは沙良ちゃんの両親も知っていたし、娘の命の恩人を全面的に信頼していた。
そして約二年後、決して関係悪化の兆しなども見せず突然に、宇津木が沙良ちゃんを殺したというのだ。
人は理解できないものを恐怖する。
私は恐怖していた。
冷静を装って彼の前に座りながらも、心の中ではガクガク震えていた。まるで漫画のヒーローのように少女の命を救った少年が、その少女の命を無慈悲に奪い去る理由はなんだ?
ロリコンなのだと、そう言う者もいた。宇津木やしろは実は小児性愛の傾向があり、沙良ちゃんに対して性的な欲望を感じながらも自分を押さえつけ、妹のように接し続けていたが、葛藤の中で抑圧された性欲がついに暴走して少女を殺してしまったのだと。
胸糞悪いが、論理としては、推理としては十分筋が通っている。しかし、今回ばかりははっきりと間違いだ。宇津木が沙良ちゃんを性的な目で見ていたという者は、この事件を自分で調べていないのだろう。多くの捜査官が、自首してくる前に宇津木やしろと言葉を交わしている。そして、彼と一言でも言葉を交わしたものならこう言うだろう。彼の沙良ちゃんに対する愛は、兄が妹に向けるそれだ、親が子に向けるものと言ってもいい。とにかく、親愛、家族愛、理屈などないが彼と話せばわかる、宇津木にとって畑田沙良はそういう存在なのだ。
だからこそ、理解できない。説明がつかない。
家族同然だったはずだ。
もちろん7歳の少女と17歳の少年の間に殺人事件に発展するほどの諍いなどあるはずもない。
だからこそ、私は彼を恐怖するのだろう。
「本当に、残念です。いや、残念なんて言葉では言い切れないほどに、悔しい、悲しいです。沙良が死んでしまった、僕が殺してしまった。それがどうしようもなく・・・悲しい」
そう言いながら、宇津木は本当に涙を流していた。当然なのだ、私たちからすれば。“彼は沙良ちゃんの命を救って以来、彼女の実の兄のような存在で、本当の兄のように彼女を愛していて、彼女が殺されてしまったことが本当に悔しく、悲しい“。私たちからすればそれが宇津木やしろの正しい人物像であって、そこに“※彼が畑田沙良を殺した張本人である”なんてただし書きは、必要ないどころか冗談以外の何物とも思えないのだ。
自白以外に証拠はない。しかし今のところ彼が一番の容疑者だった。沙良ちゃんを殺害した時の様子を、詳しく話したからだ。推理ドラマでよく決め手になるような、“犯人しか知るはずのない情報”というやつを、彼が事細かに話したからだ。
そして、少年法という馬鹿げた法律で守られた殺人者に有罪をくれてやろうと、いざ証拠探しという時に、留置所が火事になった。
少女を火事から救った少年が、その少女を殺して捕まった留置所の火事で焼け死んだというのは、皮肉としか言いようがない。
示し合わせたような、運命とでもいうのだろうか。
結局この事件は、『火事で死んだ少年が犯人だったのだろうか?』という、“疑問符付き”のままでお蔵入りするのだろう。そしてしばらくは世間を騒がすはずだ。容疑者の少年がかつて被害者の少女を火事から救ったという事実をマスコミが嗅ぎつけるのも時間の問題なのだから。
私の個人的な見解としては、宇津木やしろが本当に沙良ちゃんを殺したのだろうと思っている。
本当に宇津木やしろが畑田沙良を殺したならば、この少年はあくまでも異常だ、と私はそう言った。そして、その通りなのだ。あの少年は、あくまでも異常だった。彼は微笑んで沙良ちゃんとの思い出を懐かしみ、泣きながら彼女の死を悼み、それでいて自分が殺したのだと、平然と言ってのけた。
「なぜ僕が沙良を殺したのか?動機ですか?・・・それはね、あなたのその質問が動機ですよ。わかりませんか?誰かに尋ねて欲しかったんです、どうしてあの子を殺したの?って」
それが、私に対して彼が語った、殺人の動機だった。
殺した動機を誰かに不思議に思って欲しい、それが動機。
それが結論だ。彼は異常だったのだ。
何一つ、理解できないのだ、私には。
警察学校時代、教えられたのを思い出した。曰く『当たり前のことだが、誰もが同じような価値観を持っているわけじゃない、むしろ、誰もが異なる価値観を持つ。それは善悪についても同じで、善悪の基準っていうのは一人一人少しずつ違うもんなんだ。そういう価値観の多様性の中には、お前たちとは全く違う価値観、善悪感を持つ奴がいる。・・・えっと、あれだ、お前たちも高校生の時とかやっただろう、A、B、C、Dの袋の中にそれぞれ1から10のカードが入っています、それぞれの袋から一枚ずつカードを取り出したら取り出し方は何通りありますか?みたいな、よく覚えてないけどそんな感じのやつだ。普通の人間はほとんどの袋はみんなと同じ1のカードで、Bの袋だけ2とか、Cの袋だけ3とか、そんぐらいのずれだ。けどな、中には、全部の袋から10のカードを取り出しましたってやつもいるんだ。こいつは例え話だ、もちろん人の価値観の多様性ってのはもっと複雑なもんだ、ただそんくらい常識とは価値観がかけ離れた奴がいるって話だ。そういうやつを理解しようとするのは、ほとんど不可能だ、そういうやつの価値観はな、正反対ですらないんだ。きっと俺たちは、本人に説明されたところで、理解できないんだろうな』
その時は、当たり前のことだと思いながら聞いていたが、実際に目の当たりにしてようやく理解した、全ての袋から10のカードを取り出した者の恐ろしさを。
きっと私たちは、そんな人間を悪魔と呼ぶのだろう。
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